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実は、上海行き、両親に猛反対されている。まあ当然だと思うけれど。。。”そんなことよりさっさと結婚しろっ”・・・言われると思った。。。両親にとっては、実家から通えて安定した今の仕事がベストだと思っている。この年齢になっても自分で決めたことを頭ごなしに反対されるものなのだな・・・。だいたい、中国で働きたいと思った一番最初のきっかけはウチの父親なのだ。去年会社を定年退職するまで10数年、主に大連に赴任していた。私が高校・大学の頃は半年に一度家に帰ってくるだけだった。母親は”英語圏なら家族で移住するのに、なんで中国・・・”とつぶやいていた。初めての海外旅行も父に会いに家族で北京・大連旅行。お腹を壊してほとんどホテルで寝たきりだし、客引きは怖いわ、最悪の旅行だった。その後も私1人で大連に遊びに行ったり、父が香港にいるときはそっちに母を連れて行ったりした。父の工場(一社員だけど)見学をさせてもらったとき、そこで私が見たものは、中国人スタッフに指示を出し、バリバリ働く父の姿だった。家ではぐーたらしてテレビをみるかパチンコするかのどうしようもない父だったのに。街へでてもお店やタクシーで堂々と会話し交渉。食事の注文も迷うことなく、列に割り込みをする中国人に文句を言ったり。。。中国にかなりビビッていた私は、”父ちゃん、すげぇ~!!!”と驚き、生まれて初めて尊敬しました。そして、日本の我が家とも比べてゼイタクで快適な暮らし(ホテル住まい、3度の食事もホテルか和食の店、会社まで送り迎えつき、タクシー乗り放題・・・今思えば普通のことですが)と物価の安さに、”いいな~、中国生活”と思ったのでした。そして日系企業の工場がひしめく大連の経済開発区を眺め、”中国の時代が来た~!!!中国語やろう!!”と思ったのでした。それまでは何しろ”天安門事件のあった、なんか危険なところ”という認識でしたので・・・。あれから12年・・・かなり遅れをとってしまいました。長い中国駐在生活で”やっぱり日本が一番”と思っている父と、一貫して”中国なんて野蛮だわ”と思っている母を、説得します。
2006年03月10日
午後は課長と外出したが、とうとう帰るまで退職のことを言い出せず。ただ、仕事に対する考えかたなんかを語り合った。ランチでは中の良い同期に話した。夜は友人宅で鍋&ワインパーティ。今季最後の鍋かな?ワインは飲みやすい白ばかりだったので、結構飲んでしまいました。新婚夫婦が結婚式のDVDを2枚持ってきて、みんなで鑑賞。あれって演技とか強制させられてて、恥ずかしい~っ。
2006年03月09日
華南地区の求人メルマガを見ていたら、広州でもホテルスタッフを募集していたので早速履歴書を送ってみました。上海の結果が出る前ですが、ものは試しでちょっと浮気・・・。都市としての面白さは上海のほうが上なので第一志望に変わりはないのですが、広州はお給料がいいのと大好きな香港に近いのがメリットかな。どちらも旅行で2度づつ行ったことがあるだけです。弟の内定通知がとどきました。内定通知なんて久々に見たな~。公務員から民間企業(損保)に転職しようとする弟、始めは反対していた両親も諦めたようです。私はもともと賛成でした。中国語教室で以前同学だった友人から電話。「中国に転職考えてるのだけどどうやって情報収集してる?」とのこと。すぐに上海駐在になるとの約束で現在の会社に入ったものの、待つこと早2年、ついに上海行きの話はなくなりそうだという。思い切って現地採用でもいいから転職してみようかな、という話。とにかく中国に行って働きたいらしい(この後先考えてないあたり、私とおんなじだ。)彼の場合、新婚なのになかなか思い切るな~と思ったら彼の奥さんも中国行きにかなり乗り気なのだそう。結婚しても目的が同じでお互い理解しあえるのっていいな、と思いました。苦労も2人で分け合えるしね。1人って自由と引き換えにちょっと寂しい。いや、いいですけどね。。。友人の中では最も中国語ができる、HSK9級ホルダーの彼でさえ、満足した仕事を得るのは大変なのね。そのあと職場の同期でイーオンに通いはじめた友人から電話。イーオンでも長期契約を迫られていて、明日までに返事しなくちゃだけどNOVAに変えようかどうしようかとのこと。海外出張を機にやる気になってきたみたい。このblogで知り合いこの春転職される方もお二人いらっしゃるし、周りではなんだか転機が訪れているみたい。私もその波に乗れるよう自分の進む道を決めていかなくては。【今日のお勉強】TOEICTest「正解」が見える一番苦手なパート6のポイントを重点的に。パート6の問題のパターンは以下のとおり。1主語と動詞の一致2動詞の形態3基本的な熟語4単語の語形5a/anの区別、theの用法6主語の数、動詞の有無7並列、均衡8その他、接続詞いまのところ目からウロコ的な目新しいものはまだありません。(じゃあナゼ点が取れないかなあ)AM3時からのフィギュアフリーをこのまま起きていて観ようかどうしようか迷っているところです。。。たぶん直前まで待って寝ちゃうでしょう。
2006年02月23日
昨日の予告どおり、英語面接セミナーへ行ってきました。外資系英語面接のための予行演習です。待ち合わせの駅で講師に電話。実はこの時点で私、講師が男性か女性かも知りませんでした。名前がどちらとも取れる英語名だったので・・・(仮にミッシェルとします)。現われたのは普通に日本語を話す日本人!?・・・と思ったら韓国人女性でした。しかしミッシェル、日本語・中国語・英語がペラペラ。日本語はイントネーションや流暢さはモチロン、言葉の選び方、間の取り方が完璧で全く日本人そのもの。アメリカと中国へ留学後、香港の有名ホテルで採用担当マネージャーとして働き、現在は日本で大手人材派遣コンサルとして働いているそう。さて、落ち着いた喫茶店にてセミナー開始。ミシェルが英語で質問し、私が最初日本語で、そのあと続けて英語で答えるというもの。質問内容は・Tell me about yourself・Whyare your interesed in this job?・What are some of your strength?・What are some of your weakness?・What has been your biggest dissappointment on the job?・What is the biggest problem you've encountered at your job and how did you overcome them?・What did you enjoy most about your last job?・What did you enjoy least about last job?・Where do you want to be in one year? Five yeares?などなど、このほかにも結構たくさんありました。行きがけに購入したICレコーダーで録音したのだけど、よく拾えてませんでした・・・。そして私の答えに対して一つづつチェックが入る。最初に日本語で答えるのは、おそらく日本語で言えるような内容を英語で言えるか見たのだと思う。英語オンリーだとついつい簡単で無難な単語だけ選んで体裁を整えようとする私。でも先に日本語でちょっと複雑なことを喋ってしまうと、英語に直すのに苦労する。英語に関しては、構文を直されることはほとんど無くて、出てこない的確な単語を教えてもらったり、ホテルに相応しいような受け答えのアドバイスが主でした。特に指摘されたのは・質問に対する答えが短い。もっと長く話し、すべての答えが自分のアピールタイム。・とにかく、クイックレスポンス。・答えにくい質問に対して黙り込んだりパニックにならない。・常に笑顔で話し、堂々とした態度で。その他、答えの中身に関してのアドバイス、長期目標についての質問で「通訳者か翻訳者になりたい」と言ったら「ホテル内の上のポジションを目指している」と答えるべきだとか・・・(そりゃそーですね)その後、似たような質問を今度は中国語でされ、答える練習。こうやって短時間で英語と中国語を切り替えると、スピーキングに関してはまだ中国語の方がマシかな、と感じる。特に英語だと単語がなかなか出てこないが、中国語だとすんなりでてくる率が高い。全体的には、「基本的な受け答えはできるので語学がダメだという理由で落とされることはないだろう。むしろ、面接官が受けた印象や、他の応募者のレベルやタイミングに左右されると思う」語学という客観的なものさしで落とされるのは納得できるけど、私の人間性が問題で落とされたらそれはそれでへこむな。。。最後に、「もし興味があれば是非メールでレジュメを送ってください。英語と中国語を使う仕事に関して言えば、香港とシンガポールの案件も多く扱ってるので、ホテルにこだわらないのだったら紹介できるところがありますよ」、と言っていただいた。ほんとにミシェルはスマート且つホスピタリティにあふれ、カッコイイ女性でした。そう、私は彼女のような自由な発想を持ち、フットワークも軽く、自分の信念を持ち世界を飛び回るような女性にあこがれてしまう。さて、決戦(本番の面接)は今度の火曜日です!
2006年02月18日
(昨日の続きの話です。)翌日。これまでの上海ホテル転職計画だと、私のエージェントAさん、上海ホテルの日本事務所Bさん(以前日本語面接済み)、上海ホテル唯一の日本人Cさん(再来週英語面接予定)が登場人物であったが、いきなり上海ホテルの中国人スタッフと会話をすることになった。BさんCさん共に第3国へ出張中。Aさんに昨日のいきさつを報告し、いろいろ連絡をとってもらい、今日は上海ホテルへ電話しなくてもよい、ということになった。・・・はずなのだが・・・上海ホテルのトレーニングマネージャーDさんから仕事中にケイタイに電話が。Dさんの上司のEさんが電話でいろいろ質問したいという。さすがに職場でそんなやり取りをするわけにいかず、定時以降にかけなおしてもらうことに。今日は残業予定だったのだが定時がおわりちょっと抜け出した。で、自分の車の中で電話を受けることに。まず今後の会話は英語と中国語、どちらが良いか聞かれる。私の会話力は正直どっちもどっちである。ケイタイで国際電話なので、英語の方が多少聞き易いかなと思ったけど、結局中国語をチョイス。Eさんの質問「なぜ今の仕事をやめようと思ったのか」「なぜうちのホテルで働きたいのか」「中国で働くことに不安はないのか」「未経験だがやっていける自信はあるか」「あなたの友人はあなたの性格についてどういう風に言っているか」「将来的にはどんな自分をめざしているのか」などなど・・・これって、おもいっきり電話面接じゃあないですか!?先方はスピーカーフォンにして数人で聞いている様子。緊張ォ~私のたどたど中国語を・・・「対不起,請ni再説一遍」(すみません、もういちど言ってください)を3回言ってしまいました。すごく早口の中国語でしたが、幸い先方の発音はとてもきれいだったので、どうにか乗り切りました。私の発音と語順はめちゃくちゃだけど。。。最後に私の写真をメールで送ってくださいとメルアドを言われました。うーん、写真もデータで日本事務所には送ってあるはずだし、中国語での電話面接は予定外だし、うまく連携がとれてないのかなあと思いました。でも、採用されれば実際の上司になるのはBさんでもCさんでもなくこの現地中国スタッフだから、どちらともスムーズにいきたい。英語面接セミナーなるものを予約しました。外資系就職を考えてる人向けで職種別に予行演習を行ってくれるそう。英語はいろんな講座があるな~。でも今日の中国語で落とされたら、どうしよう。
2006年02月09日
今日の英語uda式30音久しぶりにやったら面白かったけど顎がつかれました。狭い母音と広い母音のトコを集中的に行いました。お風呂の中で考えていました。語学力を使って何をするか?仕事に特化して言えば、語学だけじゃ食べていけないので語学+ビジネススキルになる。語学+営業力(海外営業)、語学+製造技術、語学+コンピュータスキル(ブリッジSE)、語学+教員免許(英語教師)、語学+文学(文芸翻訳)などなどそれで私が何をしたいかと言うと語学+サービスです。大きく言うと日本と世界の関係をスムーズにさせる橋渡し役サービス業といっても広いのですが、お客様へ常に行き届いたサービスを提供し、感動を与えるような職業に就きたいと考えています。場所の本命は、「上海」です。【今日影響を受けたモノ】・「3時間で一流のサービスが身につく本」橋本保雄 著 青春出版社 ホテルオークラに勤めていた著者の経験に基づく最高の人のもてなし方について。先を見越した細かい気配り、且つそれを押し付けない謙虚さ、難しいですね。・ドラマ「恋におちたら~僕の成功の秘密」の第3話 DVD 今揺れている六ヒルITベンチャー企業を舞台に、草ナギ君が思いやりと人情で契約(無理難題)をとっていく。単純なドラマですが、お金で解決しようとすると人は心を閉ざしてしまうんだな、と実感。私の好みは強引な社長の堤真一の方ですが。。。【今日のその他のニュース】語学とはあまり関係ないモノもあります。・祝30000アクセス!もう、ほんとうれしいです~☆いつも訪れてくださってる皆さんのおかげです。今後も続けていくので、末長~くお付き合いください♪絶対自分が踏もうと思ったのに、お風呂からでたらもう30009件になってました。Arenさん、惜しいです。・衝撃的なことを聞いた。元カレが結婚するそうだ。元彼と私の共通の友人からの電話。今まで2人の元カレの結婚を経験してきたが、今度の彼はかなりドロドロで、付き合った期間も長いのでちょっと動揺。でも意外に動揺してないのか。でも会社が同じだからたまに顔を会わせるんだよね・・・ああ・・。・昼休みに日本語教室の生徒(中国人男性)から電話が来た。来週の土曜日会おう!、と。しかし問題発生。彼が名乗らず、親しげに話してきたので言えなかったが、誰だか分からない。実は4人の中国人に相互学習でもしよう、ということで番号を交換したのだが、男性2人は登録しなかったのだ・・・。中国語で電話も遠くて声の判別できず。OK、してしまったので当日待ち合わせ場所ではっきりするでしょう。。。(アバウト)・仕事上で、某地方紙、埼○新聞に載せた募集記事に誤りがあり(しかもタイトルが)、謝った情報目当てに来たお客さんに謝りまくる。新聞社に抗議したところ、「担当に伝えておきます」の一言だけで謝罪なし。(担当がかけてくることもなし)すごく小さな記事なので校正もなく、私の作成した文書そのまま載せてるだけなので単なる打ち間違えだと思われる。。。はるばる来たお客さんと私に謝れ~p(`ロ´)q・美容院で髪を少しカットし前髪を久々に作りました。清楚でまじめなカンジにしてください、とリクエスト。ずうずうしすぎ?
2006年01月18日
昨日のHSKの結果が、思った以上にショックで、今後のことをずっとグルグル考えていました。このまま日本で勉強し続けて、いったい、いつになったら語学で身をたてられるのか。机上の勉強を繰り返しても所詮現地で使っている人にはかなわないのじゃないか。今年3月の深センと香港での就職活動(フリーページご参照ください☆)からもずっと変わらない、中国で働いてみたい気持ち。それも中国が旬な今行かなければ、一体いつ行くのか?でも行けずにいました。それは・・・私の中国行きを阻む存在。・彼氏・両親・安定した仕事でも分かってます。ただ単に私が手放したくないだけです。彼等のせいで私は自由じゃないっていう理由にしたいだけなのを。行かない理由なんて100個くらい作れます。ホントは自分の中の迷いや不安が原因なんです。この気持ちを、まずは彼氏に言わなくてはならない思いました。実は、核心に触れるようなことを話し合うのってすごく苦手。言おうか迷うこと3時間。(あいのり観ながら・・・)そして言いました。「中国で仕事がしたい」と。彼の反応は・・・「自分で決めたのなら行けばいいじゃん」無表情で言われました。前回と同じです。言った瞬間に後悔がよぎりました。この恋愛は終わるかもしれない。先の見えない遠恋を信じていけるほど、純粋でなくなってしまっている二人です。それでも行きたい気持ちは強いです。【今日のお勉強】TVB 30分(アーロン・クォックのドラマ)NOVAのCDシャドウイング 20分合計50分100時間まであと37時間35分☆そんなこんなでお勉強してません・・・。
2005年12月20日
今朝母が、”弟が仕事をやめる”、と言った。私は1年以上考えていたのに~。。。先越されたカンジです。両親も少し説得したみたいだけど諦めている。なんだか結構あっさり。弟は長男だし、安易に仕事をやめるべきではないと思う私が固いのかな?ああ、そうか・・・周り(家族や彼氏)を気にして躊躇しているというのは口実で、自分が動く勇気がないだけだったんだ。彼らだって私に養われているわけではないから、私がいなくても生きていける。自分が安定した仕事を手放すことができなかっただけなんだ。と考えたらなんだか中国へ行くことが簡単なことに思えてきた。でも私もやめたら姉弟で無職かぁ・・・。こんな私達に比べたら、40年も勤め続けている父親ってほんとうに尊敬する。そのうち、10年を越す中国での単身赴任生活は本人は大変だったろうけど、私はうらやましかった。もう一人一番下に弟がいるので彼には親を安心させて欲しい。勝手だけど。。。
2005年11月18日
実はまだ諦めていなかった中国進出。前回の工場勤務の就職活動を経て、私の生きる道はやはりサービス業だと確信。しかもマルチリンガルを目指すならば英語も中国語も使えるホテルでしょう!行き先を決めてから今の仕事をやめようと思って、でも面接に中国まで行く時間がない・・・。そんなあなたにピッタリ!ビジネスインターンプログラムに登録してみました。日本で面接も受けられるし、お膳立てしてくれるので楽だなあ、と思って。この際給料が安いのはしかたない、中国進出の足がかりにしようかと・・・早速、登録した会社から返答が。大都市で外資で5星ホテルの話があるそうで、(名前を聞いたらかなり有名な)うお~!行きたあ~い。とかなりウキウキで添付ファイルの続きを観てみた。お給料はかなり安くて月1500元くらい。研修の身だからしょうがないよね。でも住居つき(ホテル内の客室)、3食付、いいじゃない。ポジション主にフロント。い、いいの?フロントで?しかもニューオープンのオープニングスタッフ。研修中に気に入られれば正規のスタッフとして就職の道もあるそう。乗り気になってきた。がんばって早く退職すれば秋のオープニングにも間に合うかな~なんて。・・・・そこまではよかったんです。このプログラムの参加費約50万円ムリだ・・・ ( ̄▽ ̄;)これじゃあ留学と同じ?タダ働きどころか、お金をはらって働かせていただいてる?ハナから戦力外?ていうかお荷物?多少学費が高くてもやっぱり北大に入りたい中国語初心者?いや、50万がないわけではないんですが、正直、紹介料として10万弱くらいかなあなんて思っていたので。なんだかちょっとへこみました。あこがれの仕事がお金で買えてしまうことに。がんばってお仕事したいのに、戦力としては期待されていないことに。私は甘かった。それでも!憧れだったホテルにはいれるなら、と思ってしまう自分もいたりして。留学のつもりならまだいいほう?とか思ったりして。結構本気で迷ってます。※気づいたら開設300日!!!このblog開設と同時にお勉強を始めた。もうかなり長く書いている気がしたけれどまだ1年にも満たないんだ。そしてお勉強もまだまだ始まったばかりだったのね。今後もコツコツ続けられますように・・・
2005年08月14日
中国への転職活動を休業している現在ですが、定期的に中国転職メルマガ(kamome)が届くので、そのたびに揺れ動く自分がいます。シンセン、広州の華南地区はやめにして、上海を中心にみているのですが結構おもしろそうな求人があります。今回注目したのが美容ライターと幼稚園総務、医療サービスのコールセンター。職種バラバラ・・・。さすがに上海はサービス業の需要が多い。お給料は安いけれど・・・。転職も思い立ったらすぐ!、という気持ちと、長い時間かけて自分に合うものを、という気持ちが混じっています。仕事で中国語や英語を使うことが一番の勉強のモチベーションになる。語学とは私にとって手段(仕事で使う)なのか目的(趣味)なのか分からなくなる。
2005年05月04日
今日は職場で3月で退職される方の送別会だった。50代後半の女性2人と60代半ばの男性2人。こんなご時世でも私の職場では若いうちに転職・退職する人は稀だ。私の生まれる前から部署は変わってもずっと同じ場所で働きつづけるってどんなだろう。40年も同じところにいるのってすごい。ガマンすることも多かったと思う。新しいもの好きの私にはムリかな・・・。それとも年齢を重ねるにつれ変化を求めなくなっていくのだろうか?二次会は少数で同僚の両親が経営する焼酎のおいしいお店へ。この同僚はバイオリンを弾くので試しに触らせてもらった。けっこういい音がでたので才能あるかも?と調子に乗っていたら課長にもういい加減にしろ、と言われた・・・
2005年03月23日
香港・シンセンともきょうでお別れ。転職活動も一時休業です。AM6:00ゲストハウスをチェックアウトし空港へ向かう。激安航空券なので早いフライトなのだ。AM7:00エアポートエクスプレスのある香港駅でチェックイン。本当に便利。AM7:30香港国際空港着。厳しい出国審査を経て飛行機へ登場さようなら香港!~今回の職探しの旅で感じたこと~○中国(シンセン)での職探しは、条件にこだわらなければ案外簡単に探せる。むしろ工場は人材不足で買い手市場だと感じた。ただ、本当にやりたいことをするにはかなりの労力と運と専門スキルが必要。○中国で就職する際、語学力がそれほどなくても仕事はけっこうある。○香港とシンセンは全然違う!←昔(6年前)訪れたシンセンより、かなり発展し、香港に近づいているはず、と予想していたがあくまで昔ながらの風景だった。○半年ぶりの香港だが、寒いせいもあってか、以前のような街に熱気が感じられなかった。香港が娯楽の街ではなく職探しが大変な街、になってしまった。それでも好きだけど。○香港で働く日本人(面接官、友人達)は皆、即断即決型。精神的にタフだった。○シンセンで起業している中国人たちも行動力があって頭は常にビジネスのことばかり。○人脈って大事だ。職探しはもちろんのこと、今回お世話になった高姐やTさんたちがいなければこの疲労とハイプレッシャーは乗り切れなかった。○初対面の人に会うのが楽しくなった。毎日毎晩いろいろな人に初めて出会ってきたが、知り合い、話し、打ち解けていくのが快感になってきた。日本では結構めんどくさいな~と思ってしまっていたが。今後中国で仕事を探すかどうか、今のところ半々、だと思う。~これから~○今回のことで日本での現在の仕事が恵まれている(給与・福利厚生・ポジション等、語学以外の面では総じて)、と感じたのも確か。今の仕事をやめて退路を断たない限り比べてしまうだろう。英語と中国語を使う部署へ配属願いを出してみようと思う。○日本でもっと中国語・英語を磨いて、語学のスペシャリストとして転職するのもありかな、とも思う。○それでも中国への気持ちが強いので、今度は北京・上海あたりで探してみようとも思っている。”年齢的に、今いかなくちゃ”、と”実力とやる気があればいつでもいける”その二つの間で揺れ動いています。ちょっと日本に帰ってゆっくり考えてみよう。
2005年03月08日
夜中に何度も目を覚まし寝付けないまま朝を迎えた。シンセン工場で働くことはやめよう、と結論を出した。今日の広東省の二つの工場見学はキャンセルする。AM7:008時にに香港のイミグレを越えたところで待ち合わせをしていた香港の担当者の携帯へ電話をし、東ガンへは行けない旨伝えた。わりとあっさり”そうですか”と言われたが、申し訳なかった。AM9:00香港のエージェントへ電話をし、恵州へはいけない旨伝えた。途中気まずくもなったが、このエージェントにもお世話になった。と、いうわけで今回の旅に関しては職を探すことをやめた。どの会社の担当者も皆丁寧だったし、自分のために時間を割いてくれてありがたかった。仕事内容もそれなりにやりがいがありそうだった。一番のネックは実際のシンセンの状態だった。今日一日ヒマになってしまったので観光客気分を味わうことにする。AM10:00「糖朝」でマンゴープリンとお粥で朝食。いつも日本人観光客のツアーで混んでいるのだが、この日は空いていた。AM11:00DFSめぐり。香港エージェントから電話。基盤工場から採用したいとの連絡があったそうだ。”ほんとうにお断りしていいんですか?”と言われたが、断っていただいた。残念。うれしい。申し訳ない。PM1:00足つぼマッサージPM2:00ハーバーシティPM4:00セントラル、ランドマークでお買い物PM6:00Tさんから電話。おととい電話したところの一つで求人があるとの情報。さっそくTさんOfficeに行き、さっそくその日系商社の担当者に電話してみる。”会計か仕入れの経験はありますか?””ビザはありますか?”どちらもNO。”とりあえず履歴書おくってください”望み薄な雰囲気だ。PM8:30Tさんとコーズウエイベイに食事に行く。モダンな沖縄料理の店。”今日は人脈豊富な人たちを紹介するよ”というわけでアルゼンチンとハーフのPさん、酸素バーを経営しているYさん、イタリアとハーフのTさん、日本語教室を開いているSさん、そしてこのお店の店長Mさんを紹介してもらった。それぞれ香港で仕事をしている同年代か少し上ぐらいの人たち。”もし希望があれば、ここで働けるかオーナーに聞いてみるよ”と店長。豚シャブと泡盛で結局深夜2:00くらいになってしまった。香港最後の夜は更けていった。
2005年03月07日
日曜日なので転職活動もお休み。こっちにきてから移動がタイトなのと緊張で疲れていたようで、悪環境の中でも昼過ぎまでぐっすり寝てしまった。今日は香港をぶらぶらしてのんびり過ごすことにする。香港島側、セントラルのミッドレベルエレベータに乗り、SOHOで雑貨を見たりお茶したり、コーズウエイベイでお買い物。SOHOは香港人より白人の方が多いのでは?独りだと当然無口になるので店員と世間話をしようと試みる。香港ではほとんど英語を使う。英語は非英語圏同士聞き取り易いのだが、北京語は広東語なまりで聞きとりづらいのだ。現地で働く目で見ると、香港の物価は結構高い、と思う。観光ならば4日間で使ってしまうぐらいのお金で1ヶ月暮らさなければならないのだ。PM8:00Tさんが食事に誘ってくれてたので、またセントラルへ向かう。TさんとGさんと香港育ちの日本人AさんAさん母、Mさんと妹のJさんの7人で火鍋を食べにションワンへ。火鍋は海鮮もお肉もほんとおいしくて、苦手な羊もぺロッとたべられました。ダシとたれが絶品。空港勤務のMさんに香港就職事情を聞いたところ、やはり募集もビザホルダーのみらしい。ただ、友人にビザなしで仕事をしていて会社に気に入られてそのあとビザを取ってもらった人もいるとか。”香港はまだ日本人の需要が多いと思う。諦めないで探し続ければきっとあると思うよ”の言葉。ここで出会った人たちはみんな考え方が柔軟で、思いやりがあり、面白い。自分の中で、シンセン工場勤務をやめたい気持ちがどんどん高くなっていく。香港で働きたい。私は最初のアプローチを間違ったのだろうか・・・・。また夜中に帰宅。自分の今後の身の振り方についてあれこれ考えをめぐらすとなかなか眠れない。明日の2件の工場見学はやめてしまおうか・・・
2005年03月06日
AM7:30今日は香港に戻って面接なので朝早く高姐の家を出る。ほんとにお世話になりました。タクシーでシンセン駅に向かうが、タクシープールがすごく込んでいてなかなか降りれない。時間も迫っているし、メーターは時間でどんどん上がるしで、とうとうタクシーを降りて徒歩で駅へ。イミグレーションの周囲で写真をとったら思いっきり怒られた。土曜日だからか混雑していて焦った。やっとKCRに乗れたのが9:30AM10:00荷物預かり所がなかなか見つからなく、また今夜の宿泊地も未定なので、チムサーチョイのゲストハウスへ行くことを決意。かの有名な重慶マンションの2軒となり、こちらもゲストハウスで有名な美麗都ビルへ。客引きが女性だったのですぐに交渉。部屋をみせてもらうことに。14階の「萬興隆酒店」。一泊150HKドルなので期待はせず、まあ、おそろしく狭く汚いところ。鍵がかかるからいいか。すぐにスーツに着替え面接(新界)に向かう。AM12:00【file 4 東ガンの金属工場】ポジション:通訳ここは完全なる香港企業。ヘッドオフィスには日本人がいないので、初めて香港人との面接だ。始めにエントリーシートに記入。これは英語で。そして面接は早口の北京語でまくし立てる香港女性に圧倒。当社のHPは見ましたか?の問いにぎくりとする。受ける会社のサイトぐらいチェックしておくのは当然でしたね・・・、何を造る会社かもよくわかっていないんだから、失敗。。。中国語と英語での質疑応答と自己PR(厳しい顔でずっと見られた状態で)、手に汗握った。その後ペーパーテストを行う。問(中国語)顧客から製品の20パーセントの値下げ要求があった。どのように対処したらよいか自分の考えを日本語と英語で書け。製造業未経験にとって、どうしたらよいか見当もつかない。とりあえず、7パーセント値下げの旨書いてみた。30分後、先ほどの女性担当者ともう1人背の高い男性が入ってきた。彼は日本語喋れる。私の回答を見てコメントはひとこと”なるほどね。”・・・てどうなのっ?それから日本語と英語交じりの会話が続く。なぜなら緊張と憔悴のあまり北京語がうまく聞き取れないから・・・”いったい北京語と英語どっちが得意なの?”と聞かれるが、もうわかりません。。。今度の月曜日、東ガンの工場に来ませんか?といわれる。その日は恵州だから無理です、と言ったのだが、そのアポイントの前に是非寄ってくれ、そしたら会社の車で恵州まで送るから、と言われた。もうこうなったら行くしかない。PM2:00帰り道、香港に住む友人(Tさん)から電話が来た。昔、天津の南開大学で先輩だった人。彼は留学後すぐに香港で働き始め最近独立したという。今回の転職活動は彼には知らせていなかった。頼っては申し訳ないし、甘えてしまったら自分のためにもならないと思ったからだ。”おめーはバカか!なんで事前に連絡しないんだよ。そうしたら何件か知り合いの会社にアポイントとっておいたのに。”早速、チムサーチョイの彼のオフィスで叱られる。今までの工場見学で感じてきた不安を伝える。”シンセンの工場現地採用には反対だ。仕事で工場もよく回るが、たまに留学帰りの現地採用の日本人の若者を見かける。厳しい環境の中、(日本に比べて)安月給で雑用的な残業も多く、みんな後悔している。工場内の寮ではストレス解消の場がないし、かといって外に出ると治安が悪い。そのうち精神的にもおかしくなる。若い女性が働くところではない。女が終わる。働くなら香港だよ”そういいつつ10件くらい知り合いの会社に求人があるか電話をしてくれた。求人募集しているところで最初に聞かれるのが専門分野と労働ビザの有無。ビザなしを伝えると一様に”それじゃあ難しいかも・・・”と言われる。エージェントに登録したときも香港勤務が第一希望だったのだが、結局紹介されなかったのはそれが一番のネックだったからだ。今日は土曜日。香港では休みの会社も多い。火曜の朝に帰国するので、実質的な活動は月曜日のみだ。”うちで雇えたらいいんだけど、いまのところ自分が生活できるギリギリなんだ、すまない”彼と共同経営者Gさん(この人も北京で留学していて一度会ったことがある)と香港人の経理の女性の3人だけの小さな会社。とてもそんな無理を言うわけにいかない。気持ちだけでもう十分ありがたい。PM11:00食事に出たあとでTさんとGさんがシェアしているアパートを訪れる。SOHO地区の真ん中で広いリビングに2ベッドルーム。香港で働いている日本人の溜まり場になっているそうで、この日紹介されたのはカリスマ美容師(日本で有名なヘアサロンの)と香港ディズニーランド製作中のデザイナーさん。二人ともスペシャリストだ。Tさんが二人にも”なんかこの子が働ける場所ないですか?何か情報あったら教えて”と頼んでくれた。夜中までTさんちで飲んだ後、ゲストハウスに戻る。ベッドが砂っぽくてザラザラだ。スプリングが飛び出ていて痛い。が、疲れたので熟睡。↓どうやってシャワーを浴びればいいのか・・・マイゲストハウス
2005年03月05日
今日の予定はエージェントと工場見学と面接の3件。9:00シンセン市内のエージェントの元へ。ここでも簡単な面接。10:003月2日に受けたfile1の会社の工場へ。シンセン市街から車で1時間ほどの龍ガンという地区。町並みはちょっと寂しく、工場は古く感じた。ダンディな工場長(日本人)と話したあと、工場内を案内していただいた。このぬいぐるみ工場では、ものすごい速さで女工達がミシンを動かし、刺繍をし、綿を入れ、チェックをしている。2000人規模で狭い場所でいっせいに作業する彼女らに圧倒される。製造業ってすごいな、と正直思った。作業が細かく、大量生産というよりは多種多様なぬいぐるみを作っているのでほとんど手作業のようだ。日本でおなじみのキャラクターばかり。日本人女性も2人働いているというのであわせていただいた。私より10~20くらい違う女性。彼女は休みの日もほとんど敷地内の寮からでないのだという。そのことがちょっとひっかかった。13:00工場見学からもどり、エージェントがもう一件紹介したいところがある、といわれたが香港エージェントが予定していた面接がこのあとあるので辞退した。どこに行くの?と聞かれ、観ランだというとその周辺地図をくれた。感謝。このエージェントは素敵なおじ様だった。13:30じつは中国元の両替をしないとタクシーにも乗れない状態。。。中国では中国銀行か大きなホテルくらいしか両替できないが、意外と探すのに苦労する。町を歩き回り、人に聞きまわるうちに疲れてきてしまった。やっと見つけた銀行の長い列に並んでいると香港エージェントから電話。”昨日受けた基盤会社が恵州の工場も是非見学してほしいというので時間取れますか、とのこと”とは言ってももうスケジュールぎゅうぎゅうずめなんですけど、というと、”月曜予定の面接は先方で他の方を決めたそうなのでキャンセルになりました。だから月曜に恵州へ行って下さい”とのこと。ん~、月曜の会社は第1志望。もともとホントに予定入っていたのかちょっとあやしい、と感じた。それに、その日恵州だと、毎日香港と中国本土の往復だからきつい、まとめて欲しい”というと”甘い、それぐらいやってください。それができないくらいじゃ●●会社(まだ約束取り付けていないが、アポをとってもらっている途中のとっても行きたい会社)だってやっていけませんよ、それも取り消しますか?”とか”華南地区は狭いから○○さん(私)が会社を途中で断ったら悪いうわさが他の会社にまで流れてしまいますよ”とか言われた。これって行きたい会社を餌にした脅し???悲しいけれどエージェントにとってあくまでお客さんは求人を出している会社であり、求職者は駒にすぎないんだ、と実感。売り言葉に買い言葉。そこまで言うならぜんぶひっくるめてどこでも行きます!と宣言してしまった。15:00【file 3 観ランの電子基盤工場(日系)】職種:セールスアシスタントタクシーで一時間ほどの地区観ラン。ホコリっぽい街。面接官は日本の本社から駐在という形で働いている2人(若い)彼らは望んで中国へきたわけではないので、私のような中国で働きたい人間が不思議らしい。”治安はよくない””日本に帰りたい”””仕事がおわって寮にいても何も娯楽がない”とでてくるのはネガティブ表現ばかり・・・。日系顧客相手なので、中国語も英語も全く使用しないそう。それは、私の目的とは違ってきちゃうんだ~!面接自体は楽しく、明るい雰囲気で終了。語学チェックはなし。お給料が結構良くて20万超えるくらい。寮と3食付。残業多いが手当てはなし。←これは結構どこでもそうだ。18:00高姐のマンションの前のマックで一息ついていると高姐から電話がきた。”面接おわった?食事いくよ~”とのこと。マンションに戻りスーツから着替えようとすると、”そのままでいい”と言われた。本日の食事はちょっと高級そうな中華のお店。個室に入ると昨日会ったのソウさんと若い男性が5人。ソウさんの会社の部下だという。みんなそろって眼鏡に坊ちゃん刈り、こざっぱりしたスーツ姿。この辺の人は男性でも肌がきれいだな。そのうちソウさんの妻と子供も登場。料理が次から次へと出てきてめちゃくちゃ美味しくて感動した。白酒を何度も乾杯させられちょっと酔いがまわったけど、今日はみんなが話しかけてくれてとても楽しくすごした。これほど中国人の輪の中で心を砕いたことはなかったので高姐に感謝。シンセンは好きになった?と聞かれ返答に困ったけれど・・・。シンセン最後の夜。↓工場付近の町並み
2005年03月04日
今日は移動もありなかなか忙しい。荷物をもっての移動がきつい。9:30セントラルのエージェントへ。また履歴書のようなものを書き、香港人スタッフが中国語と英語の語学チェック。英語もコミュニケーションレベルOKと書いてしまったので。香港がヘッドオフィスの会社が多いので、英語もある程度必要だそう。2時間ほど打ち合わせしたところで面接スケジュールを教えてもらう。今日の午後も入っているそう。”じゃ、そろそろ出発してください”と送り出された。もらった会社名と住所と職種と行き方の書いた紙(地図ではなく、●●の駅をおりてB出口を海へ向かって歩き、スタバを左にまがって2けん目のビル、といったかんじ)を手にMTRを乗り継ぎ現地へ。【面接file 2 広東省恵州の電子基盤会社(香港系)】14:00ポジション:通訳 香港オフィスとの連絡業務と日本人スタッフと工場技術者の通訳業務社長(Japanese)自ら面接してくださった。40歳くらいで大柄、ざっくばらんな雰囲気だが、眼光鋭い。いきなり希望給与と条件を聞かれる。日本では聞かれたことがないのでドキドキ。戸惑っていると、”いいんだよ、希望額を言ってみて”といわれるが試されてるのかな???”1万3000HKドル(18万くらい)と住居です”と答えた。その後香港人スタッフの女性が語学チェック。英語と中国語で現在の仕事のことを話してみて、というのでしてみる。英語はNOVAが役に立った~!その後、翻訳テスト、ということで実際にやり取りのあるメールの文章を2つ渡される。日本語は中訳し、中国語は日訳。製品が破損した場合の原因と応急処置と改善点について。専門用語が多くなかなか難しい。30分程経ってテスト終了。おせじにもよくできたとはいえないなあ~。その後は社長、香港人スタッフを交えて3人でフリートークのような面接。社長と彼女は英語で話し彼女と私は中国語。リラックスできてなかなか楽しい面接でした。帰りに電車に乗っているとエージェントから電話が。”先方が気に入ったので2次面接に進んでください”とのこと。うれしかった。カフェでお茶したあとシンセンへ向かう。KCRにてイミグレーションのある羅湖(louwu)駅へ。香港からの出境と中国への入境が一度にあるのでなかなか面倒で時間がかかった。シンセンについた~!イメージよりももっと危険な雰囲気があった。目つきが違うのだ。本日の宿泊先は中国語老師の友人(中国人)住所を教えてもらったのでどのくらい遠いのかも分からずタクシーの運転手に見せる。福田区の連花二村というところで30分もかからなかった。マンション地帯だ。45号棟ということだったがすぐ見つかった。携帯で話して部屋番号を教えてもらい対面。独り暮らしにしては広くゴージャスな間取り。女手一つで貿易会社を経営しているという。すごいなあ。夜、彼女(高姐)と一緒に食事に出る。近所のタイ料理のお店。ここでよく仕事の話を仲間とするのだそうだ。彼女は常に携帯で誰かと話している。少ししてお店に40前後くらいの男性(ソウさん)がきた。医療機器の輸入する会社を経営しているという。二人はずっと仕事の話(北京語なのだがすごい勢いで喋っているので断片的にしかわからない・・・)をしていて、たまに私に”お腹いっぱいになった?”などと話し掛ける。そのうちもう1人50代くらいの男性が登場。彼も同業者とのこと。3人でまた喧喧諤諤。結局11時過ぎまで語り合っていた。↓イミグレーションを越える(同じ国なのに!)
2005年03月03日
いよいよ香港・深センへ向けて出発。今夜は香港のゲストハウスに宿泊予定。飛行機は夜の便なのだが、午後2時から帰国していた担当者と面接。【面接file 1 深センのぬいぐるみ工場】14:00~15:00場所:千葉県某市駅構内喫茶店。従業員数2千人。日本向けのぬいぐるみ製造(着ぐるみからキーホルダーのマスコットまで)ポジションは通訳件一般事務。香港のヘッドオフィスとの連絡業務と指示を工場サイドに伝えること。中国語と英語必須。担当者、というか重役といったカンジの(肩書きは董事)知的で厳しそうな方。会社の説明をされたあと、自己紹介と質疑応答。”他に質問は?”と何度も聞かれたので、”ぬいぐるみって手作業ですか?”とか間抜けな質問ばかりしてしまった。3月4日に現地の工場見学をすることになった。学生時代の就職活動以来の面接なのでかなり緊張したけどなんとか乗り切りました。無事に飛行機に乗って(ノースウエスト、ボロイですねぇ・・・)香港の空港着が23:00時。路線バスにてコーズウエイベイの予約しておいたゲストハウスへ。指定されたビルをやっと探し当てついてみると支配人が”ゴメン、こないと思って他の人泊めちゃった”・・・・勘弁して~予約の際にも”深夜に着きます”と言っておいたのに~!!!そして支配人は”ダイジョブ、トモダチノホテル、ココよりもっといい。今、アナタヲ迎えにくるよ”ちょっと不信感を抱きつつ値段を聞くと280元。このホテルより40元高い。”ダブルブッキングなんだから240でとまらせろ~”と抗議した所、”ダイジョブ、トモダチのところ、すごく広くて高級。ココよりずっとイイ。夫婦泊まれるダブルベッド、カイテキ”シングルでいいんです!とうとうまけてくれなかった。おじいさんが迎えに来て徒歩で移動。もう深夜1時。このまま売られちゃうかも・・・という不安もあった。ついたホテルは想像通り、相当おんぼろです。そして香港は例年にない寒さにもかかわらず暖房設備がないので震えながら就寝。↓オヤジに連れられホテルを移動中・・・
2005年03月02日
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