明治の町家   姫路の春霜堂  

明治の町家   姫路の春霜堂  

 倉成竜渚



倉成龍渚

黒田如水の関係で、姫路とは縁が深い中津藩の儒者、倉成竜渚は米沢藩主「上杉鷹山公」に講義したのある学者で鷹山公はご存知なくとも、
「なせばなる なさねば成らぬ何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」 の遺訓は御存知の方も多いかもしれない。

寛政二年(一七九〇年)七月に中津藩校、進脩館が開設されたが。初代教授に抜擢されたのが倉成龍渚である。その書は、学生を励ます目的で書かれた物であろうか、実に端麗で、しかも雄大にして気品があり、見る度に志を新たにさせられる何かがあるように思う。

竜渚は江戸に戻って昌高を始め多くの江戸の知識人たちに鷹山の業績を伝え、鷹山の名前はますます高まった。米沢の人々は、龍渚との出会いを喜び、上杉神社の宮司の家に多くの竜渚の書画が残されているそうである。

余談ではあるが、倉成の子孫に京都の医師・岡田安弘氏がいる。彼はまた豊前の生んだ大俳優大河内伝次郎の臨終をかの有名な京都の大邸宅で看取った医師でもある。

http://www.city-nakatsu.jp/public_nakayaba/spot/goganji/goganji.html

春霜堂では、出来るだけ播州ゆかりの方の墨蹟も展示していきたいと思っております。

兵庫県の出身では、大燈国師、盤珪国師、沢庵和尚などの宗教家。儒学の藤原惺窩、 山崎闇斎、地誌学の平野庸修、数学の万尾時春、歴史学では三上参次、辻善之助、民俗学の柳田国男、哲学の三木清や和辻哲郎、法律の美濃部達吉、国学の契沖、画家の岩佐又兵衛や松岡映丘、詩人の有本芳水、三木露風、国文学の井上通泰、小説の司馬遼太郎など播州ゆかりの人が多いと言われますが、播州は奈良、平安の時代から仏教文化が発達しており民度も高く、東西南北の交通の要衝として文化交流の接点でもあり、さらに、播州平野が肥沃な地で、県域最大の経済大国だったことにもその因があるようです。温暖な土地柄で、そう苦労をせずに収穫でき、しかも交通も至便で人の往来が多いと来ては自然に勉強に眼が向かっていったのかもしれません。


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: