難聴者のための喫茶店 『こうひいの木』

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michitomo888

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2008年01月24日
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毎日寒い日が続き、日本全国、寒波到来です。一年中で一番寒い時期、チャリンコの私は寒風に向かってペダルを漕いでいます。運動々々と言い聞かせながら・・・

一通り、子育てを終え、人生の半分を生きてきて近頃は何故だか祖母や母のことが思い出されています。何でだろう・・・自分の生き様が祖母や母の生き方に重なっているように感じる事があるからです。

私は女ばかり四人の中で育ち、結婚も姉妹の中で一番最初でした。
だから親の面倒も後継ぎも妹達のうち誰かがやってくれるだろう・・と気楽に考えていました。ところが他の姉妹は全て長男の嫁として嫁ぎ、結果的に私が主人共々、実家に戻り後継ぎになったのです。
(実家は父が長男の本家です。だから200年以上前からの仏様を祭っています)

父は 私が高校三年の時に胃癌でアッという間に亡くなりました。
胃癌が見つかって五ヵ月後に・・・激動の日々でした。祖母、母、私達姉妹を遺して・・
当時これほど辛い事はない・・・というほど父が亡くなった事はショックでした。

小さい時は祖母がよく私を”耳が治るように滝の神様””ご先祖さんに耳を治してもらうように墓参り”へ連れて行ってました。
幼少の頃は漠然と「ストマイ注射の副作用」だと思っていたらしいのですが、当の祖母にとっては、聞えない私を不憫がって藁にもすがる気持ちでお参りに連れて行っていたのだと思います。
漢方薬がいいと聞けば私の手を引いて漢方薬の店へ連れて行き、煎じたものを飲まされ、とにかくありとあらゆることを試してくれました。

何で母じゃなかったのか不思議なのですが、当時は妹達が小さかったこともあり、明治生まれの祖母が絶対的な権力を握っていたので母は祖母の言う事に逆らえなかったのだと思います。私達には優しい祖母でしたが、母にとっては厳しいお姑さんでした。

祖母はとても信心深い人でした。
毎月、篠栗観音や川上不動産、粟島神社など数ヶ所、また墓参りも欠かすことがありませんでした。勿論、毎日朝夕、仏壇の前に座りお経も上げていましたし、神仏様の花の水替えも祖母がやっていました。
私に向かって「ほんにのぅ、おとん(お前)の耳がきこゆっごとなっぎのぅ(聞こえるようになったら良いがね~)」といつも心配そうに、語りかけていました。

今思えばお参りして聞えるようになるなんて本当に非科学的な事ですが、当時の私は祖母のその気持ちが充分伝わっていましたので素直に従ってお参りに行っていたのでした。

祖母が仏壇の花の水替えや墓参りに行っていたとき、母は殆ど関わった事がありませんでした。祖母がやっているからいい・・・と思ったかもしれませんし、祖母の仕事だと思って手出ししなかったかもしれません。

私が結婚する時、祖母も母もとても喜んでくれました。
本心は私が結婚するだろう・・・と思っていなかったかもしれません。というより耳が聞えない私を貰ってくれる人がいないだろう・・と思っていたようです。

結婚しtomoが生まれたことをそれはそれは、喜んでくれました。
tomoが生後八ヶ月のとき祖母は脳溢血で一晩で亡くなりました。
本当にあっけないほどの最期でした。私は死に目にも間に合いませんでした。
母と嫁姑の葛藤があってお世辞にも上手くいっていたとは言えず、私達姉妹はいつも胸を痛めていました。
でも結果的には介護の手を取らせる事もなく子孝行、嫁孝行だったと思います。

祖母が亡くなり(その五年前には父も亡くなっていたので)今度は母が仏壇の花の水替えや墓参りに行くようになりました。祖母が存命中は殆ど行ったことがない母が・・
祖母がいた頃は母が墓参りに行くなんて考えたこともありませんでした。
勿論、私もそんなに墓参りに行っていたわけではありません。
父が亡くなってから少し墓に足を運ぶようになっていましたが、それでもそこまで必然を感じていませんでした。母が墓参りしているからいいだろう・・・と。
せいぜい盆、正月に墓参りに行くくらいでした。

ところが十年前に主人が亡くなり母も主人の四十九日の翌日(正確には主人がなくなった五十日後)母も亡くなりました。
当時が私の人生で一番辛い日々でした。ショックで片耳が全く聞えなくなりました。主人も母も三年間、入退院してたので看病している時は気が張っていて辛いと思ったことはありませんでしたが、亡くなって暫くは、昼間は店で気が紛れるものの夜になると涙ばかりでした。
特に主人が亡くなったことは人生最大のショックで現実感がなく雲の上を歩いているようでした。

父、祖母を送り、主人、母まで送って、今、私に怖いものは何一つありません。主人の両親は既に亡くなっていたので、もう私は送られる立場です。

そして今まで墓参りも、あまり行ったことがなかったのに現在、月に二回墓参りに行っています。主人の命日が15日、母が2日なので丁度、花が枯れないくらいの時に行っていることになります。よほど用事がある時は行かない事もありますが、私の墓参りは義務で行っているのではなく、ただ(行かないと淋しがっているだろうな・・)その気持ちだけです。(いつも無事に過ごさせてもらってありがとうございます。見守っていてください)と胸の中でつぶやきます。

不思議なもので母から「墓参りに行きなさいよ」と言われたこともなく、小さな頃から祖母が墓参りに行っていた事が無言の教えになっていたのかもしれません。漠然と、お経を上げていた祖母の姿が刷り込まれていたのかもしれません。

今は私が仏壇を守っていかなければ、墓参りに行かなければ・・・という責任が心底に生まれたようです。
きっと祖母や母もそうだったかもしれません。
知らず知らずのうちに順送り・・・になっているのです。

亡き父や亡き主人はお互いに会ったこともありませんが共通の事をよく言っていました。
「他の宗教は何もしなくていい。ただご先祖さんだけは大事にしなさい。ご先祖さんがいたから自分達がいるのだから・・」と。同じ考えだったのです。

こうして親から子へ、子から孫へと人生は順送り・・繋がっていくのですね。    では    また・・・






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最終更新日  2008年01月24日 23時16分09秒
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