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文化の日が雨だったのは、覚えている限り一度しかない。実際はもっとあるのだろうが、そのくらいこの日は晴れていることの方が多い。何かのクイズ番組で一年で一番晴れの確率が高い日は、という質問に対する答えで、「文化の日」という答えが圧倒的多数だった記憶がある。実際は別の日だったようだが。そして、今日もやはり晴天だ。眩しい日差しに、数週間前の暑さが皮膚によみがえる。とはいえ、さすがに11月、冬が砕けたガラスの破片のように大気の中で煌めいている。そんな季節の誘惑に誘われて、阪急電車で高槻に向かう。前々から食べろぐなどで気になっていた「きんせい」らーめんと、これまたgundayuuさんのブログで興味をひかれた高槻城址が目的だ(食い気の勝る私は、やはり前者が優位なのだが)。阪急高槻市駅を降り、まずは「きんせい」を目指す。時間は1時を少しまわったくらいだが、まだお昼どき、人気店だけに行列の並び具合が気になるところだ。幸い、並んでいたのは3人のみで、5分も待つと店に入れた。わたしが頼んだのは、ややこってり系の「かさね味」というやつで、白いスープに丸ストレート麺が浮かんだ姿はちゃんぽんを彷彿させるが、口いっぱいに広がる魚介類のだしがきいたとんこつ味のスープはやはりラーメンそのものであり、見事にわたしの好みにはまっていた。満足感と満腹感を抱えて、晴天の下、高槻城址を目指す。途中で野津神社に参拝すると鮮やかな緋色の毛氈が目に入り、丁度野点をやっていると知る。久しぶりにあの苦さを味わいたい、と300円で一服所望しようとしたら、お菓子が切れて終了とのこと。残念だが仕方がない。高山城址はまったくといっていいほど建造物がなく、その面影を一部の濠に残すのみである。それでも、さすがにただの公園とは違った趣がそこはかとなく漂うのは、長い歴史をくぐってきた土地の生命というものだろうか。高槻城主といえば、何と言っても有名なのは高山右近である。城址に建てられている右近の像を眺めながら、当時の大名たちがこぞってキリシタンとなった理由に思いを馳せるが、信長や秀吉のように貿易というはっきりした目標があるのならばともかく、封建制度の象徴ともいえる彼らが、何故に神のもとの平等をうたうキリスト教にひかれたのか。納得できる答えが見つからないまま、とりあえず城址公園内をひとまわりする。半分以上の敷地は、子供の広場といった呈で、色とりどりの遊具が配置されており、遠く戦国や江戸に思いを馳せるにはあまりにもかけ離れている。先ほどの満腹感に比べると、どうも今ひとつ物足りない思いがあって、往路で看板を見かけた城址歴史記念館に立ち寄った。正直、規模は小さいく展示物の少ないものの、時を経てきた本物だけが持つ無言の語りかけは、心に響くものがある。何といっても文化の日である。文化的素養がない私ではあるが、こんなプチ歴史紀行も悪くはない。
2010年11月03日
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夜半の強風にあおられたのだろう。桜並木の通勤路は、桜の花びらが羽毛のように積もっていた。散ったのは桜だけではなかった。大学の山岳部で同期だったIも、桜と共に散って逝った。やはり同期だったAから電話があったのは、まだ桜が満開だった週末のこと。悲しい知らせがある、と切り出したAの言葉から、誰かの死は覚悟した。しかし、Aが告げた人の名は、思いもよらぬものだった。海外のプラントの立ち上げのため単身赴任していたIは、お子さんの入学式のために一時帰国した矢先に、心筋梗塞で亡くなった。それこそ、一夜の強風で散った桜のように。大学に入学した時、Iと私は同じクラスだった。自己紹介する中で、共に高校で山岳部に所属していたことを知り、ワンゲル部にせよ山岳部にせよ、同じ部に入ろうと誘ってくれた。少人数だったせいもあってか、部員はみんな仲が良く、絶えず誰彼のアパートにたむろしていた。私のアパートにもIはしょっ中やってきて、一晩中、酒を飲んではギターを弾き、歌を歌いまくっていたこともあった(住民のみなさん、すみませんでした)。いつも穏やかで冷静なIは、みんなの信頼も厚く、当然のように主将として活躍した。小柄で色白で、ともすれば女性的な容貌からは想像もつかない体力、そして内に秘めた山への情熱。わざわざ、新潟の会社を選んだのも、山に登りたいがためだった。最後にIに会ったのは、Iの結婚式だから、もう二十年以上会ってなかった。毎年来る年賀状には、なかなか山に行けないとこぼしていたが、ここ数年、お子さんも大きくなったからか、山行の写真を見かけるようになった。いつかの再会を楽しみにしていたのに、それを果たさぬまま逝ってしまうとは。Iのことだ、安らかになんて眠っていないだろう。今頃、きっと慣れ親しんだ、みちのくの山々を、それこそ軽々と巡り歩いているに違いない。
2010年04月07日
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以前は中毒と思えるほど、毎日PCを立ち上げ、ネットやブログを見ていた。しかし、今年に入ってからは月に数回、それも週末に限るようになってきている。ひとつには、年のせいか、夜遅くまで起きているのが少々つらくなってきたことがある。本の一冊でも読めば、帰宅後の時間はそれでおしまい。シンデレラタイムにはPCの電源を入れる余力は残っていないのだ。結局、くどくどと最近の日記の更新やブログの訪問が滞っている言い訳をしているのに過ぎないのだが。とはいえ、ネットやブログ(まだ、ツイッターは見ていないが)から得られる気づきやご縁は私にとってはかけがえのないもの。ペースダウンしながらも、続けていくことは間違いない。
2010年03月13日
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「キイーッ」甲高く一声鳴くと、ごろんと横たわった。いつも見せるリラックスしたポーズは、目こそしっかりと見開いているものの、もう息をしていなかった。一緒に見守っていた妻と長女の鼻をすする音だけが部屋に響く。あと3ヶ月で9歳を迎えるはずだったラビ。うさぎの平均寿命は7年というから、天寿を全うしたと思いたいが、もっともっと生きて欲しかった。ミニうさぎのチェリーが3歳で死んだとき、しばらくはペットショップに入ることもしなかった。そんなある日、ふと入ったペットショップで目が合ったのが、生後2週間のミニウサギだった。チェリーと同じグレーの毛並みだが、チェリーが顔の中心が白かったのに対し、顔から手足の先まで、全てグレー1色。家に連れて帰ると、子供たちの最初の一言は「ねずみみたい!」だった。来た当時はえさ箱の中にすっぽりおさまり、いかにもミニうさぎらしかったのだが、どんどん大きくなり、しまいには4kgを超える立派なおばさんうさぎになっていた。庭で放していたときに、入ってきた近所の犬に頭を押さえつけられて、一週間ほどえさも食べずに放心状態だったこともあった。マンションに引っ越してからはずっとケージの中だったが、りんごやバナナの匂いがすると立ち上がっておねだりをした。抱かれるのが嫌いで、抱こうとすると全力で抵抗するため、つめきりはいつも大変だった。そのくせ、寂しがり屋で、網から鼻をつきだしては、頭を撫でてもらいたがった。撫でてやると、気持ちよさそうに目を半開きにしていた…そんなこんなが頭の中でぐるぐると回り出し、涙が自然と溢れてきた。そういえば、網から鼻を突き出す時間が、ここ数日、とても長かった。いつもなら、5分くらい撫でてやると満足したように離れていたのに、10分、20分撫でても、撫で終わってケージから離れても、まだずっと鼻を突き出していた。もうすぐ、別れが来ることがわかっていたのだろうか。ラビのちょっとした仕草に家族が笑い、今日のラビはこんなだったと、話題にのぼる。ラビは間違いなく、我が家の三女であり、家族の心を和ませてくれた。ラビの最後の鳴き声は、「さようなら」だったのだろうか。私はこう返したい。「ありがとうね、ラビ。本当に、本当にありがとう。」
2010年02月11日
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韓流、それはおば様方の世界、と思っていた。今、高3の次女がすっかりはまっている。次女がはまっているのは、ヨン様(古い?)のような映画スターではなく、K-POPというやつだ。「東方神起」から始まり、「BIGBANG」「SHINee」etc、と、一体どこで知ったのか、といぶかるほど、K-POPに通じている。最初はCDやDVDを買う程度にとどまっていたが、コンサート、ファン同士の情報交換、韓流専用チャンネルへの加入。それにつれて益々情報通となり、ポジティブフィードバックがかかってどんどんエスカレートしている。コンサートも半端ではない。はじめこそ、大阪、神戸と関西エリアだったのが、名古屋、東京まで遠征するようになり、とうとう、今週末は同級生と2人、ソウルにまで行っていく、という、おば様方に比肩する追っかけぶりだ。情報交換も然り、である。日本人のファンばかりでなく、今では韓国の女子中学生と自動翻訳を利用してメール交換までしているらしい。その一方で、ハングルも勉強している様子であり、簡単なものなら読めるし、聞き取りもできるとか。そこまでするには当然、先立つものが必要であるが、私は一切援助せず、全て自前である。早々と短大推薦入学が決まったこともあり、安心して?せっせとバイトに励んでいるのだ。とかく面倒くさがりで、家ではとどのように寝っころがっている姿からはとても想像つかない行動ぶり。世の親の常として、その情熱を勉強なりなんなり別の方面に向けてくれれば、と思うのだが。ソウルでのコンサートは昨夜。今晩帰国したら、いつものように興奮してその様子をしゃべりまくるのだろう。でも、明日は最後の期末テストがあることだけは忘れないように。
2010年01月31日
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あのサブプライム問題が勃発して以来、経済の急落に合わせるかのように、公私共に低調になった。株価が回復し始めても、私の方はというと相変わらずの低空飛行、というか、海面すれすれで今にも海に突っ込みそうな状態が続いた。藁にもすがる思いで、書籍の占いコーナーに居並ぶ本を読みまくったが、残念ながら殆どの本が今年も低調を示唆する内容ばかりである。そんな中、何冊かの本に、とにかく掃除をマメにすることが運気上昇の秘訣と書いてある。確かに、気分が乗らないせいか、部屋の中は何冊かの本や物がいつも出しっぱなしになっている。よくよく見ると、棚や床には埃が積もっているではないか。部屋の乱れは心の乱れ。まずは外堀を埋めようと、部屋の片付け、掃除を始めたのが昨日だった。私の場合、片付けを始めてしばらくは、それまで以上に散らかるのが常である。私の大雑把な性格ゆえ、ここからこうして、と計画的に進めずに、とにかく一旦物を全て放り出す。そしてそれらをまとめて片付けるのだ。読まなくなった本や使わなくなっても置いたままになっていたパソコンも全部引っ張り出し、古本屋へ売ったり、業者に頼んで処分してもらった。本棚からは一万円の新札が出てくる、という、まるでサザエさんに出てくるような一コマまであった。電気掃除機を使うのも癪なので、床も什器も全て布巾で拭いていったのだが、出てきた綿埃の量が半端ではない。小さな座布団くらいできそうな量である。こんなに埃まみれで、しかも散らかっているとなると、気管支炎が長引くのは当然だろう。運気以前の問題である。ようやく終わったところで椅子に座って一息つく。こんなに清々しい部屋の雰囲気を味わったのは、いつ以来のことだろうか。照明はそのままなのに、部屋を照らす光の量が倍になったかのようだ。澱んだ空気も、全て澄んだ空気に入れ替ったかのように思えるほどだ。さて、問題はこの状態がいつまで続くか、だ。継続が苦手な私にとって、この状態を維持することは、継続力をつけるためのチャレンジでありチャンスでもある。部屋をきれいに保つこと、これも日々の精進と心得よう。
2010年01月24日
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明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。ブログを書き始めて、12月は初めて何も書かない月になった。正直、1年を振り返るにはちょっと厳しい出来事が多過ぎた。そんな年も昨日で終わり。時間は連続なのだが、暦とは有難いもので、今日からまた新しい一年が始まる。そして今年一番初めにしたことは、東大教授にして、財もなした稀代の成功者である本多静六先生のご著書「本多静六のようになりたいなら、その秘訣を公開しよう」の読書だった。「小事といえども努力を惜しまない」と、一貫して努力を、それも楽しく続けることの重要性を説かれる先生のお言葉は、昨年の我が身を省みさせ、今年の希望を与えてくれる。今日は私の実家へ、そして4日には妻の実家を訪れる。家族揃って新年を迎えられることに心から感謝だ。それに報いるためにも、今年は一日たりとも、精進を惜しむことなく日々を送ろう。今年が私にとっても家族にとっても、そして皆様にとっても素晴らしい年となりますように。
2010年01月01日
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週末、つくばへ出張した帰りに、久しぶりに町田に住む従兄弟のKを訪ねた。写真が趣味のK、この三連休は京都で紅葉を撮影するつもりだったらしいが、日曜日の天気が怪しいということで断念、代わりに土曜日に足柄へ行くという。小田急足柄で伊豆箱根鉄道に乗り換えて終点の大雄山から1時間ほど歩くのだそうだ。ならば、と私も小田原から新幹線に乗ることにし、小田急足柄駅まで一緒に行くことにした。当初はそこで別れるつもりだったが、隠れ鉄ちゃんにとってはまだ乗ったことのない伊豆箱根鉄道の誘惑は拭い難い。急ぐ旅でもなし、結局大雄山まで同乗した。しかし、さすがにその先の林道をノートPCを抱えてスーツ姿で歩く気にはなれず、私一人、そこで折り返して再び小田原へと向かった。せっかく小田原まで来たのだったら、小田原城も見ておきたい。幸い、城は駅のすぐそばである。ぷらぷらと歩いていると、イーゼルに置かれたコルクボードに貼ってあるチラシの「悠々人生」の文字に目を惹かれた。近寄って見ると、講演会の案内で、講師は佐々木将人氏とある。え、まさか、あの中村天風先生の高弟である独眼龍佐々木先生?しかし、写真のお顔は隻眼ではなく、きっちりと両目が開いている。同姓同名の別人か、と改めてプロフィールを読んでみるとやはり間違いない。佐々木先生のご著書は以前読んだことがあり、非常に感銘を受けた覚えがある。この講演会、冠婚葬祭を営む平安例サービス社の主催によるもので、無料とはいえ事前申し込みが必要で期限はとうに過ぎている。思わぬ佐々木先生のお名前との邂逅、講演を聴けない無念さなどに思いをめぐらせていると、建物の中から女性の方が出てきて「もしお時間があれば聴きにきてください。」と同じチラシを手渡してくれた。例え有料でも聴きたい講演である。予期せぬお誘いに、すぐに建物に入り受付を済ませた。開演までの1時間足らずの間に小田原城に登城し、しばし昔に思いを馳せながら相模、伊豆の山海を望む。戦国時代は北条氏の、江戸時代に入っては多くを大久保氏の居城であった小田原城は、豪華絢爛とはいえないが、むしろその分、武士たるものの分限を感じさせる。講演会場に戻ると、用意された椅子はほとんど人で埋まっている。前から3列目の空き席に腰をおろしてしばらくすると、矍鑠としたご老人が入ってきた。紛れもなく、佐々木将人先生である。御年80歳、和服に身を包んだいでたち、優しいながらもどこか圧倒する風格は、正に現代の武士である。何かあるのが人生だ。何かは自分を磨く砥石である。明るくなければ人生ではない。明るく生きるも暗く生きるも自分の心次第。今幸せと思わなければいつ幸せなのか。100年生きても高々36500日、ならば今を価値高く生きよう。どかっと座って、今何をすべきか?を天のスケールで考えよ。先生のユーモアあふれる語り口、時折織り交ぜる艶話に、会場は何度も笑い声に包まれる。「人の喜びを自分の喜びとすることが至上の喜び」として喜んで明るく人生を過ごそうではないか、という、正に天風哲学の真髄は、長きにわたって天風先生の傍で修行され、片腕として過ごされた佐々木先生の口から発せられると、本で読んだ時以上に心の奥底まで染み渡り、眠っていた魂が揺さぶられる。講演時間の2時間はあっと言う間に過ぎ去った。その場で先生のご著書を三冊求め、サインを頂く。あらかじめわかっていれば色紙なりと用意したのだが、なんせ前述のような成り行きである。仕方なく、厚かましくも失礼かと思いつつも、頂いた資料が入っていた封筒に何かお言葉を書いて頂くようお願いすると、心よく応じて頂き、見事な達筆で以下のように書いて頂いた。「心 吾れを苦しめるのも吾がこころ 吾れを救うのも吾がこころ 心あるが故に吾れ尊し 平成二十一年十一月二十一日 乾舟 佐々木将人」握手して頂いたその手は、とても80歳とは思えない力強さに、優しさを暖かさをたたえていた。、帰宅するとすぐにその部分を切り取って額に収める。これを見た人は、まさか封筒の裏に書かれたとは誰も思わないだろう。もし、出張帰りに従兄弟の家に寄らなかったら、もし従兄弟が足柄へ行く予定でなかったら、もし小田原城を見ようと思わなかったら、もしあのチラシが目にはいらなかったら、そして声を描けて頂かなかったら…この奇跡的とも思えるご縁に感謝しつつ、それを活かすべく「今何を為すべきか」を思い、行動しようと心に誓った。
2009年11月22日
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週末はつくばの共同研究先に出向いた。実験は全てYさんがやってくれ、月に一回、つくばで打ち合わせを行うのである。先月の打ち合わせ時に、どうもデータがばらつくという。もしかしたら、装置に問題があるのかもしれないが、Yさんはそちらは専門外だ。そこで私も一緒に装置を見たところ、サンプルホルダーをはめこむ治具に少々問題がありそうだ。今回、その改良品を取り付けるためにやってきたのである。くさんの冶具を取り付け、サンプルホルダーをはめ込む。うん、いい塩梅だ。そして更にガス供給ポートをセットしようとすると、何とこれが入らない。ぎりぎりの寸法で作ってあるので、加工誤差にひっかかったようだ。冶具を一旦はずし、やすりで少しずつ削っていく。ほとんど見た目は変らないが、再度取り付けてポートをセットすると、今度はきちんと収まった。やれやれ、これでようやく実験開始である。モニターの信号を見ると、どうやら問題はないようだ。ところが、しばらくすると、まるで地震計のようにデータが不安定に振動し始めた。アースでも外れたか、と配線をチェックするがどこにも異常は見当たらない。と、LEDに供給している電源電流が見る見る下がってきた。装置の中を見ると、LEDの輝きが小さくなり、ほとんど蛍ほどにしか光っていない。どうやら、こいつが原因のようだが、この装置はYさんの前任者が作ったものであり、手の施しようがない。途方にくれていると、引き出しをあさっていたYさんが、もしかしてこれでしょうか?と袋に入った部品を持ってきた。でかした、Yさん、ビンゴです!早速、壊れたLEDを配線から外し、新しいものを半田付けする。しかしながら、半田ごての温度が低いためか、はたまた数年のブランクのせいか、これがなかなかくっついてくれない。悪戦苦闘の末につけたLEDを装置にもどし、祈るような気持ちで電源を入れた。ゼロからぴん!とはねあがった後、先ほどのようなぶれはなく、出力はほとんど一定に保たれている。今度こそ、実験再開だ。それにしても何というタイミングだろう。実は本当ならば、出張は先週末のはずだったである。それがあろうことか、当日の朝に私が発熱したため、この日に延期したのだった。もし、Yさん一人の時に故障が発覚していたら、対処のしようがなく、実験は大幅に遅れていただろう。そしてこの後、Yさんに助けられつつ色々と条件を変えて実験をやったところ、長い間私達を悩ませ続けてきた課題解決の手がかりとなるデータが得られたのだ。すっかり時間が経つのも忘れて実験を進めていると、駅への連絡バスの最終便はすでに出てしまっている時刻になっている。そろそろ終わらないと、今度は新幹線に乗り遅れてしまう。後はYさんにお願いすることにして、実験室を後にした。ノーベル賞級の発見にまつわるエピソードには、それこそ神がかりとしか(もちろん、大きな努力があってこその)いいようのないものがある。それとは比較にはならないごくごくささいな体験だが、科学を発展させたのは、科学を超えた力による、と大げさではなく心底感じさせられた。
2009年11月08日
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私の実家は、家から車で1時間ほどの距離ではあるが、家族揃っていくことは年に2、3度程度である。両親とすれば孫の顔をみたいのだろうが、何かと口うるさく、しかもやたら自慢話が多いがために、娘達には少々疎まれている。そんなこれまでの経緯はともかく、10月は母、そして2人の娘達ということで、食事に来ないか、という両親の誘いに乗って、昨日久しぶりに家族揃って実家を訪れた。まあ、親の私から見ても、これが本当に17と20か、と疑いたくなるような娘達の言動が、昔気質でインテリ?を自認する父と噛み合う訳がない。しばらくすると、「あまりに程度が低過ぎる!」と呆れた様子で娘達から離れてきた。更に追い討ちをかけるように、母がやたらと娘達に、余計なことを聞きまくる。いい加減に空気を読んでくれ!、と心の中で叫びつつも、母に悪いように思えて面と向かって遮れない(そんな私の優柔不断な態度も問題なのではあるが)。それでも、特に険悪なムードになることもなく、食事とデザートを美味しく頂く。そう、こんなときには、美味いものを食べて時間を過ごすに限る。正直、何事もなく帰宅する際にはほっとする。嫁姑の関係の難しさは昔から言われるところであるが、じじばばと孫の関係もなかなかに難しいものだ。
2009年11月01日
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次女の進学が決まった。学校推薦枠で受験した短大から合格通知が届いたのだ。桜どころか、紅葉さえもまだのこの時期に、次女の受験シーズンは幕を閉じた。元々、勉強は得意でなく、しかもそれほど(というより全く)好きでない次女。そんな次女が調理師になりたい、と言い出したのは、昨年の今頃だったろうか。調理師になるのならば、専門学校の方が良いのでは、と言って見たのだが、短大には行ってみたいらしい。高校で仲の良い友人も同じように短大の調理コースを受験するということで、その頃から候補校を探していた。この夏、オープンキャンパスにも行ったりして、結局、学校推薦枠を2つとれる短大を、その友人とともに受験した(友人は次女よりも成績が良いそうなので、ます間違いなく一緒に合格しているだろう)。高校への通学時間は約1時間半。受験した短大はその途中にあり、通学時間は大幅に短縮される。その気があれば、自転車通学も不可能ではない。自ら認める大雑把な性格に不器用な手先、加えて味覚音痴!ときている次女。果たして調理師が務まるのか、正直いささか、いや、極めて心配である。そんな心配を余所に、昨夜から夜行バスで長女と共に、しょこたんこと中川翔子の武道館コンサートを観るため東京へ行っている。「W-inds」(場外馬券売り場ではない。日本のミュージシャン。)や韓国のミュージシャンである「東方神起」「GIG BANG」と、しょこたんとあわせて4つのファンクラブに入り、せっせとコンサートに行っている。その資金稼ぎに、2つのバイトを掛け持ちしているパワーは侮れないないのだが、違う方向に向けてくれれば、と嘆息することも少なくない。ま、誰に迷惑をかけるでもなく好きなことをやっているのだから良いか、と納得してもいるのだが。
2009年10月24日
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金曜日の帰宅途中、突然、靴を履いていられないほどに左足の甲が痛み出した。靴下を脱ぐと、虫に刺されたように赤く腫れ上がり、その夜、熱は38度を超えた。週末はジムでしっかりと運動しよう、と思っていたのだが、それどころではない。翌日、熱が少し下がったところで近所の掛かりつけの医院に行った。先生は患部を一目見るなり、「蜂窩織炎(ほうかしきえん)ですね。」ばい菌が入って炎症を起こしているのだ、という。自分で体を動かすのは諦め、スポーツ番組を見ることで少しでもスポーツの秋を味わうことにした。幸い、今週末は楽天対ソフトバンク、ゴルフ日本オープン、秋華賞(競馬もスポーツとしておこう)と、注目のスポーツが目白押しである。まず土曜日は楽天対ソフトバンク。パの球団はどこも好きだが、仙台を第二の故郷とする私としては当然、今回応援するのは楽天である。第1戦で完勝した勢いそのままに、マー君の快投、山崎の3ランで第2戦も制して2ndステージへの進出を決めた。試合後の野村監督のファンへの挨拶には、ファンの声援と選手の頑張りへの感謝とともに、2位になったにもかかわらず来期の指揮を任されなかった無念さがひしひしと伝わるものだった。そういえば野村監督のことで思い出したことがあったが、それはまた後日書くことにしよう。そして日曜日はゴルフと競馬である。小田龍一、石川遼、今野康晴の3人によるプレーオフとなった日本オープン。プレーオフ1H、石川と今野が第3打をピンに寄せる中、小田1人が長い距離を残す。ここで脱落か、と思えたが見事にパーセーブして向かえた2H、今度は3打目を石川、今野が距離を残し、1人小田がピンに寄せる。今野の4打目、グリーンを長い時間転がったボールは一路カップを目指す。が、ボール1個分、無情にもカップを横目に通り過ぎる。そして最年少優勝がかかる石川が打ったボールは、きれいにラインに乗る。そのまま、カップに吸い込まれた、と思った瞬間、ボールは落ちずに縁をなめてグリーンへとこぼれた。プレーオフ1Hで踏ん張った小田のボールは、コトリ、という勝利の音と共に見事にカップの底へと落ちていった。最終Hとプレーオフ2Hの2度、遼君のボールをカップに蹴らせ、3人によるプレーオフの末に得た小田の勝利は、これまで後一歩のところでツアー優勝を果たせなかった小田への、神様のご褒美だったのかもしれない。ドラマでは秋華賞も負けてはいない。。桜花賞、オークスを制し、3頭目の牝馬三冠を目指すブエナビスタ。そしていずれも二着に甘んじたレッドディザイア。直線で抜け出したレッドディザイアに、猛然と襲い掛かるブエナビスタ。が、あと一歩、いや、一鼻及ばず、レッドディザイアが春の雪辱をはらしたのだった。そのゴールシーンは、ウォッカとレッドスカーレットがcm単位で争った昨年の天皇賞を再現したかのようだった。感染して観戦する破目になってしまったが、スポーツの醍醐味を心ゆくまで楽しんだ。これもまた、スポーツの秋というものだろう。
2009年10月18日
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秋晴れ。今日の空の色を絵の具にしたら、誰もがそう名づけたくなるだろう。朝からジムに行くつもりだったが、こんな空を見たらどこかへ行きたくなるというものだ。男心も秋の空なのである。さて、どこへ出かけようか、と考えて心に浮かんだのは京都と姫路である。どちらも魅力的だが、決め手は今日はどこにも出かけない、という長女の一言。京都に通学する長女の定期を拝借することに(阪急さん、ごめんなさい)。何度も行っている京都ではあるが、四条河原町から東山沿いか、嵯峨野、北山あたりと行くところは大体同じである。今日は行ったところのないところに行ってみようと、あてもないまま大宮で下りる。さて、どこへ行こうか、と駅の地図を見ると、三条ショッピングセンターという、何やら商店街らしきものがある。大の商店街好きの私としては、これを見逃す手はない。四条から三条へ上る道は、いわゆる大通りではなく、路地ともいえる裏通りである。さすがに京都らしく、間口が狭く奥に深い建物は、昔町屋があった土地であることを偲ばせる。観光客の姿もなく、小さな公園では子供達が普通に遊んでいる。こんな京の町の日常の顔は、初めて見たのは恐らく初めてのような気がする。三条にたどり着くと、そこは商店街の途中である。せっかく来たのだから、端から端まで覗いてみたい。まずは西へ向かって歩き出す。土曜の昼前とあってか、通りを歩く人の数はさほどではないが、屋根の高い、立派なアーケード街が続いていおり、地方の商店街のようにシャッターが閉じた店も見当たらない。何よりも最近の商店街を席巻しつつある全国チェーンの店やコンビニをほとんど見かけない。アーケードの西の端は千本通で終わっている。ここからUターンして東に向かう。その前に、ミートショップヒロでヒロドッグを買い、腹ごしらえをする。このヒロドッグ、注文を受けると店先に出した鉄板で自家製のソーセージを焼き、パンも同じ鉄板で温めて作ってくれる。ライ麦のパンにパリっとジューシーなソーセージの組合わせ、何ともたまらない味である。両側に立ち並ぶお店を眺めつつ、三条ぶらとしゃれ込む。この商店街、一方通行とは言え、車(多分、お店のだけだろう)の通行が許可されているようで、お店だけに神経を集中するわけにはいかないのが唯一の難点だ。そうこうしている間に、堀川通、烏丸通と横切って、新京極まで辿りついた。本来なら三条大橋まで行って完全制覇なのだろうが、この先はもう何度も行っていることだし、地元の商店街の風情も薄まっているので、寺町通りを四条へ下る。途中、錦市場へ立ち寄って、鱧の照り焼きと天ぷら、それに出し巻き玉子をほおばって、少し減ってきた腹を再び満たす。これらは何れも串になっていて、その場で食べられるようになっている。いつもと違った古都の風情を、たっぷりと楽しんだ小散策。秋を演出してくれたのは目も覚めるような紅葉ではなく、晴れ渡った空と旺盛な食欲だった。もっとも後者は四季を問わず、ではあるのだが。
2009年10月10日
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これまでも何度かブログで書いているが、この週末はAさんご夫妻を実家にお招きしてのグルメ会だった。お招きして、といいつつも、実は料理の大半を料理自慢の奥様が腕をふるってくださるのである。今回のテーマは「イタリアン」。ひとりひとりのミート皿に、冷製パスタ、ローストビーフ、アボカドのサラダが、プチケーキのように彩りも鮮やかに盛り付けられている。何故か食前酒に日本酒を頂き、それらの料理を口に運ぶ。その瞬間、気分は和からイタリアにガラッと変り、どこからかゴンドラを操りながら歌うカンツッォーネが聞こえてきそうである。しかし、Aさんと私にとってのメインディッシュは囲碁である。盤を前にし石を握ると、さっきまでのアルコールがすーっと体から抜けていくようだ。結局、8戦して4勝4敗。前回は大きく負け越しただけに、今回の戦績は十分といえる。そう思えるのは単に戦績がタイであるだけでなく、囲碁の後に聴いたAさんと奥様のピアノ演奏を堪能し、十二分に満足感を味わうことができたからだろう。さて、そんな楽しいひと時の余韻に浸りつつ、午後からはもう一つのイベント、「本城稔 出版記念セミナー」に、大学で心理学を専攻している長女とともに参加した。本城先生は日本でも有数の心理カウンセラーであり、ご自身がミッションとして掲げられている「500万人・ワーク・オアシス・ビジョン」という壮大な構想の実現のために、日々奔走されている。会場に着くと、受付には何とも懐かしい顔が。関東在住時、ご主人のまほでしさん共々、何かと親しくさせて頂いたこちゃんである。久しぶりの再会に、ただでさえ上がっていたボルテージが更にぐんぐんとアップする。しかもお土産まで頂いた。そして本城先生がご登場。初めてお目にかかるが、見るからに人の心を和ませる優しい風貌である。しかしろれよりも私も娘も驚いたのは、その若々しさである。本当に私より6つ年上なのか、と疑ってしまうほどだ(娘いわく、信じられなーい!)。セミナーはワークショップ形式で進められた。「言葉の働き」「固定観念、偏見」「共同作業の効果」などの気付き、学びが、セミナーの最中にインプットされ、更に心の中で深化して新たな気づきと学びへと発展する。そればかりではない。隣席の娘が書いた内容をちらっと盗み見した時、普段気付かなかった彼女の心の内にはっとさせられた。このような素晴らしいセミナーに参加するきっかけを作ってくださった、たこさん、まほでしさんに、心から感謝します。セミナーが終わり、ビルの外に出る。夕暮れが闇へと変るにつれ、一緒に歩く娘の姿が徐々にぼやけていく。しかし、気配ははっきりと感じ取ることができる。2人の距離は、思っていたよりも遠くて近い。
2009年10月04日
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今夜は早く寝るか、と電気を消し、布団に入ろうとした時である。「お父さん、松山のハリーさんから電話!」と妻が呼ぶ声がする。受話器を取ると、「柳瀬です!」と懐かしくも心に響く声が耳に飛び込んできた。最近、ブログをさぼりっ放しの私を心配して、わざわざ電話をかけてきてくれたのだ。部屋に家族がいなければ、そのまま受話器をハグしていたところである。互いの近況から始まって、夢の話へと続いていく。夢に向かって次々と新しいことにチャレンジし続けるハリーさんのお話に、さっきまでの眠気はどこへやら、血液とアドレナリンが一気に体内を駆け巡り、気分のバロメーターは一気にレッドゾーンに突入だ。かれこれ10分はしゃべっていただろうか。普段は平均3分、勧誘なら30秒をもたない私には、とんでもない長電話である。またの再会を束し、名残を惜しむようにそっと受話器を置いた。それにしても、ハリーさんの声は相変わらず若くて元気が良い。耳から10センチほど放すと、丁度良い音量だ(笑)。しかし、私の話す声は普段通りにぼそぼそもんだから、送話口は出きるだけ近づけるという、傍から見ると何とも珍妙な電話の掛け方だったろう。そうそう、「松山のハリー」とは何者か、と妻が訝ることを心配されてましたが、大丈夫です、「ああ、あの本(「人生、なめたらあかん)を書いた人ね、とすぐにわかった」と言ってましたから。今日から10月。元気の出るサプライズに大いに感謝。今月はいつもとは一味違った月になりそうだ。
2009年10月01日
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えっ、もう9月なの?そう、いいたくなるほどに、時が過ぎていく。今年くらい、梅雨、夏、そして秋の境目がはっきりしない年も、そうそうないのではないか。お盆を過ぎたあたりから、朝夕の空気がにわかに涼しく感じられ、夕方の太陽がやけに地面に近くなり、光線が目に眩しくなった。確かに暑い日はあったし、大雨もあった。台風も来た。にもかかわらず、子供の頃のような、鮮烈な夏の印象がないのである。そんな曖昧に移ろう季節を尻目に、政党勢力は劇的に変化した。事前のマスコミの民主大優勢の報道は、いささか誇張し過ぎか、と思っていたが、蓋を開けるとそれが現実だった。ただ、これほどまでに民主に票が流れたのは、自民との差がそれほどないからではなかったか。これがもし、例えば旧社会党であったりしたならば、決してここまでの雪崩現象は起きなかっただろう。国民は自民からの変化を求めたが、自民的なものを一切放棄した訳では決してなさそうに思える。夏だ夏だ、と熱く浮かれているうちに、気がつけば秋になっている。そんな冷めた政局を迎えないように、責任政党である民主党はもちろんのこと、選んだ国民もしっかりとその行いを見つめていかねばならない。気付いたときには冬だった、では洒落にもならないのだから。
2009年09月01日
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金曜日、元上司であるNさんの定年記念パーティーに参加した。久々にあったNさんは、口元にひげを蓄えて、ちょっとした紳士風である。そのことを言うと、ちょっと嬉しそうににやりと笑っった。Nさんのもとについたのは、つくばへの転勤が決まった時。当時の上司がそのまま関西に残ったため、一緒に転勤したNさんが新たに上司になった。尊敬していた先輩Uさんから、「Nさんはうちの会社では得がたい上司だ」といつも聞かされていた。そのこを実感するのに、全く時間を要しなかった。当時私が関わっていたテーマは、ある事業部から依頼された新規テーマだった。ところが、会社としても未知の分野であったため、技術の蓄積も経験者もなく、開発の方向性もままならない状況だった。Nさんはますそんな迷走状態にメスを入れた。テーマの方向性をきっちりと定め、さらに事業部に人の派遣を要請してスムーズにテーマ移管できるようにした。日々の業務においても、適切なアドバイスとタイミングの良い指示で、迷うことなく業務に打ち込めた。毎日仕事が楽しくて、今ではとても考えられないが休日出勤や徹夜も全く苦にならなかった。私のわがままで会社に在籍したまま大学院に行くことを、当時の所長に掛け合って認めてくれたのもNさんのおかげだった。一見クールに見えるNさんだが、話好きでよく冗談を飛ばしては周囲を笑わせ、和ませてくれた。奥様もとても気さくな方で、しかも料理がうまいものだから、当時Nさん宅に近かった寮から、何人もの寮生はがしょっ中お宅に押しかけてはご馳走になっていた。私も何度かお邪魔させて頂いた。しかし転勤から5年後だった。Nさんが突然本社へ栄転になり、上司から外れることになったのは。その時のショック、不安と寂しさは、入社以来味わったことのないほど大きなものだった。シングル級のゴルフの腕前はまだ衰えておらず、今では奥様と一緒にラウンドしているという。10月からは再雇用でまた職場に復帰されるNさん。これからも益々人生を楽しみ、仕事でも活躍されるに違いない。
2009年08月30日
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昨日はお盆だった。子供の頃のこの時期は、毎年のように父の実家である愛媛へ帰省していた。お盆を一緒に過ごした祖父、祖母、叔父、叔母、そして同い年だった従兄弟も、迎える側から迎えられる側へと旅立ってしまった。同じ時を過ごしたその家までもが、今はもう跡形もない。この日、両親は信州旅行に出かけるといいうことで、昼過ぎのまだ日の高いうちに迎え火を焚いた。紙につけた火がオガラに燃え移ると、みんなを招くように炎と煙が立ち上った。あまりに早いお迎えに、みんな慌てているのだろうか。それとも、早く帰れることを喜んでいるのだろうか。もっとも、せっかく家に帰っても、迎えるべき両親も私もみんな留守では、がっかりしてしまうだろうか。いやいや、そんなことはないだろう。まだまだ元気で旅行に出かける両親を、一緒に見送ってくれていたに違いない。こっちへ来るのはもっとずっと先だね、とか言いながら。
2009年08月14日
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今日から夏の甲子園である。最近こそ、あまりテレビでも見なくなったが、子供の頃は弟と2人で甲子園によく見にいったものである。見るのはほとんど、無料の外野席からである。初めて甲子園に行ったとき、テレビで見るよりも意外と狭く感じた。しかし、実際に試合が始まると、やはり広い。あれだけ広い外野に球が飛んで、ヒットにならない方が不思議に思えたほどだ。甲子園での楽しみのひとつは、飲み物を買うことだった。夏の甲子園といえば、「かちわり」が有名である。氷がビニール袋に入っていて、差し込んだストローでじわじわと溶ける冷水を吸うのである。しかし、私達がいつも買うのは、カルピスだった。背中にカルピスの入ったタンクを背負ったお兄さんが、コップに注いでくれるのである。家で飲むカルピスよりも、数段美味しく感じられた。弟はまだ小さかったせいか、時折、お兄さんはお代わりをいれてくれることがあった。そのこともカルピスを頼んだ理由のひとつなのだが。夏の甲子園の試合で一番印象に残っているのは、桑田、清原のKKコンビの最後の夏の決勝戦。相手は評判の左腕エース田上を擁する宇部商業だった。しかし、この大会に入ってから好投していたのは、右腕の古谷投手。決勝戦も確か彼が先発ではなかったか。確かに、外野席からみても彼の球の威力はそれとわかるほどの伸びがあった。しかし、最後の甲子園ということで期するものがあったのか、はたまた、お祭り男の本領発揮か、清原はなんと2本のホームランを放ち、KKコンビは有終の美を飾ったのだった。あれから数十年。桑田も清原も引退した。今年の大阪代表はPL学園。KKが活躍した年には選手達はまだ生まれていなかった。もはや彼等の活躍は、選手達には伝説でしかなく、今は自分達が新たな伝説を作ることに意欲を燃やしていることだろう。しかし、私の最大の関心事は東北勢の初優勝。北海道も沖縄も優勝した今、東北のみが春夏を通じて優勝していない。かつて東北に住んでいただけに、それがとても悔しいのだ。春の選抜で惜しくも優勝を逃した花巻東に期待しているのだが。それはそれとして、あの照りつける暑さの中、あるいは地面をたたきつける雨の中で一心不乱に白球を追う姿は、少なくともその瞬間は他のどんな時間よりも密度が濃いものだろう。悔いのないよう、精一杯、もてる力を発揮してくれることを願う。
2009年08月08日
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青空がみるみる暗くなった、と思った瞬間、雷鳴が大気を震わせる。それが合図だったかのように、裂けた天から滝のように下ってきた水流が地面をたたきつける。プラスにあった針が一気にマイナスに振れるような天気がここ数日、日本各地を襲っている。それは正に7月の自分を彷彿させる。青空のチャンスがないわけではない。なのにそれは長く続くことなしに、一気に暗雲に覆われて激雨となる。あろうことか、とうとう先週は丸々一週間、会社を休む羽目に陥った。禍福は糾える縄の如し、というが、その割合は必ずしも均等ではない。しかし、よくよく我が身を省みると、やはり原因は自分にあることに気付く。そしてその原因が、これまでも何度か繰り返していることに愕然とする。もういい加減、この繰り返しを、悪しき連鎖を断ち切らねば。禍福の割合が運命というならば、それを変えていかなければ。「努力は運命を支配する」名ラガーにして名バンカーであり、55歳で急逝した故宿沢宿広朗氏の座右の銘である。氏はこれをただの飾りの書とせず実践し続け、ジャパン代表となり、代表監督となり、三井住友銀行専務執行役員となった。東大教授にして富をも得た本多静六先生もいう。「人生は努力であって、努力なしに人生はない」。先に我が身を省みたとき、やはり真っ先に思うのは自分の努力不足、そして傲慢さ。ならば、この状況を変えられるのはひとえに努力、愚直に、謙虚に努力するのみ。何をすべきか、はわかっているつもりだ。あとは実行するかしないか。今日から8月。月末には報告するつもりだ。やはり運命を支配するのは努力だった、と。
2009年08月01日
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昨日、父と六甲山に登った。阪急芦屋川から最高峰を経て有馬に下る。小学校の時から、父と何度も登ったコースである。居座っている梅雨前線はいつでも雨を降らすぞとばかりに空を雲で覆い、地上にも湿った空気を送り込んでいる。それでも時折のぞく晴天からそそぐ日差しは、夏がすぐそこであることを告げている。来年喜寿を迎える父を、年下の登山者がどんどんと追い抜いていく。しかし、ベテラン登山者らしくマイペースを崩さない父の歩みは、中で長い休憩をとる彼等よりも結局、先を行くことになる。途中で思わぬ珍客に出くわした。猪の親子である。ねこくらいの大きさの4匹のうりんぼ達は、ちょこまかと母猪にまとわりついている。もうほとんど手が届きそうなところまで近づいてくるが、そちらへ向かって足を出した途端さっと離れる。しかし、決して遠くまで逃げることはなく、再びこちらをじっと見つめている。母猪は子供を生んで間もないのろうか、猪のもつふっくら感がなく、少し痩せ気味である。ついついえさをやりたくなるが、野生の動物にそれはご法度だ。親子仲良く、元気で暮らせるよう祈りつつその場を離れる。最後の難所である七曲を登りきり、一軒茶屋でひと休み。2人共、シロップがたっぷりかかったカキ氷を頼んだ。さくさくの氷をスプーンですくって口に入れると、シロップの甘みが口いっぱいに広がり、冷たさが口から体の中へと浸みていく。体の火照りが冷め汗も引いたところで、再び頂上を目指す。といっても、茶屋から頂上まではほんの十分ほど。自衛隊のレーダー基地のわきを抜けると、六甲山最高峰を示す一等三角点に辿りつく。銘版に書かれた解説を読むと、あの阪神淡路大震災で20cmほど隆起した、とあった。地球にとっては微々たる変動が、人の営みに多大な影響をおよぼす。自然の大きさ、偉大さを改めて感じる。ここからはほとんど緩やかな下り道であり、一時間ほどで有馬に着く。過日、gundayuuさんが書いた日記を読んで是非ともほしいと思っていた人形筆のお店を訪ねる。穂先を下にするとぴょこんと小さな人形が出てくるからくりもさることながら、手編みの模様がなんとも美しく、使うのがもったいないほどである(もちろん、使う気はないのだが。)4つの基本模様の一つである「青海波」の人形筆を一本購入した。有馬とくれば、やはり最後の締めは温泉である。バス停から程近い金の湯で、汗と疲れを流し落とす。帰りのバスと電車の中では、プール上がりのような心地良い疲労感にひたりつつまどろんだ。夜、弟に電話すると、もうすでに六甲登山の話は伝わっていた。この夏、両親と一緒に北アルプスへ登る弟は、最近父に弱気な発言が多いと心配する。いやいや、今日の歩き振りなら十分大丈夫、と彼に伝える。夏のガイド、よろしく頼む。
2009年07月12日
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前回の日記を書いたのがほぼ1ヶ月前。そう、6月は1日しか書いてなかった。これでは日記どころか、月刊誌のコラムである。元々が面倒くさがりの怠け者である。やらないことが何となく気持ち悪い時期を過ぎて、習慣化の余韻が消え去るともう駄目である。次に同じ行動を起こすハードルはすっかり高くなっている。これは日記に限らず言えることで、手帳こそ何とか続いているものの、語学を筆頭にこれまでいくつの中断、中止を経験したことか。これで夢を叶えよう、などといいうのは、それこそへそで沸かした茶が沸騰しているというものだ。ただ、先月は楽天以外では3つのことを続けられた。1つ目はこれこそチョモランマ(エベレスト)の如く、何度も挑戦を跳ね除けてきたダイエット。6月中に70kgを切る、という目標にこそ届かなかったが、今日測ってみると70.8kgになっていた。今後はさらに減量の上、それをキープできるのか、大いなる挑戦(大げさな…)が待っている。2つ目は毎日腹筋運動をすること。以前、腰痛の原因の一つに、腹筋力の低下がある、と聞いた記憶がある。確かに、腹筋力の低下は目を覆うばかりである。若いときは腹筋運動は得意中の得意だったのに、今では20回もやるともう、腹筋が痛くなる。まずは一日40回を目標に始めることにした。もちろん、続けて40回など出来ないので、20回ずつに分けてである。すぐに挫折するかと思ったが、いまだに続いている。そして3つ目は斉藤一人さんの著書「運命は変えられる」の付録のCDの100回聴きである。さすがにこれは3ヶ月以上を要したが、ようやく100聴きを達成した。このCDの中で一人さんは、「心を下に向けず、いつも上を向ける」ということを諭されている。正直、今は色んな意味で最悪とも言える状況なのだが、100回聴いた今、それまで心の中に渦巻いていたネガティブな感情や思いが、不思議なことに殆ど感じられなくなったのだ。これは他にも応用できる、と、100回聴きだけでなく、100回読み、100回書きなどを目論んでいるところである(果たして実行できるか)。さて、こうしてひさしぶりに書いてみると、何のことはない、書き始めればまあ、文章、内容はともかく、あれほど高く思えたハードルは、いつの間にかさほどとも思えなくなっている。2009年後半、上向きの心を武器に、今度こそ停滞期から脱していける気になっている。
2009年07月04日
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TVをつけると、試合はすでに始まっていた。まだ前半10分過ぎなのに、スコアは1-0になっている。しまった、得点シーンを見逃した、と悔やんだが、リードしているのだがら気分が悪いはずはない。しかし、早い時間に得点を取ると、えてしてその後なかなか得点が入らないことが多いもの。見始めた時間以降、日本はなかなかチャンスを作れず、逆に攻めこまれ続けている。選手達の中村俊輔、遠藤といったベテランがイエローカードをもらうほど、体を張った必死の防戦でなんとか失点を防ぎ続ける。残り10分を切ったところで、そして長谷部がまさかの一発退場。岡田監督まで退席させられた。残り時間のほとんどが自陣ゴールエリアでのプレー。そして試合終了のホイッスル。ボールを持った楢崎の厳しい表情が一瞬の間をおいて崩れ、やったぞ、という思いが満面に表れる。本大会ベスト4の目標を掲げる岡田監督はインタビューで、チャレンジできるスタートラインに立てた、と答えていた。日本が始めてワールドカップ出場を決めたときの指揮官は、それから12年の時をを経て、再び本戦で指揮を執る。もはや日本はその時の日本ではない、という意思がひしひしと伝わってきた。南アフリカのピッチ上を、今日のように必死でボールを追いかけ、走り回る選手の姿が目に浮かぶ。ベスト4、決して夢なんかではない。
2009年06月07日
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5月22日(金)今日はつくばで10時から会議。6時の始発ののぞみに乗らないと間に合わない。あろうことか、阪急で乗り換えるべき駅を2駅寝過ごしてしまう。タクシーに乗り込んだのが5時43分。しかし運転手さんはうまく裏道を利用して信号にほとんどかからることなく、10分前に新大阪に着く。その運転、正に鬼神の如し。おかげで会議にはもちろん間に合ったし、N700系に乗れたおかげで電源を使えたので、未完成の資料を完成出来た。運転手さんに大いに感謝。なのに、名前も会社も控えないまま。何たる失態、と後悔する。5月23日(土)いつものようにジムに行くと、例のインフルエンザの影響で、25日まで休みますとの張り紙あり。今日は家でおとなしくするか、と本を借りに図書館へ行くも、こちらも閉館中。結局、ため録りしておいたTV番組を家族と見まくって1日を無為に過ごしてしまう。明日もジムはお休みだが、どうしようか。そうだ、京都行こう。5月24日(日)休日には珍しく、7時には布団から抜け出して着替え。晴れのような曇りのような、なんとも中途半端な天気である。それはそれで、日が射していない分却って暑くなくて済むといいうものだ。まずは開店と同時に行きつけの理髪店に飛び込む。ぼさぼさの髪を整えてもらい、シャンプーもしてもらってさっぱりしたその足で京都へ向かう。今回は長女が入学した大学の見学が主目的。しかし大学に着くとここもインフルエンザで休校中でもりろんキャンパスは閉鎖されている(昨日の出張で、長女に聞きそびれていた)。仕方なく、そこから今宮神社と大徳寺を散策。今宮神社ではおみくじで大吉を引く。元来、疫病を鎮めるという今宮さんの有難いお告げに、インフルエンザの下火を願望も込めて重ね合わせる。大徳寺は境内に21の塔頭を持つ大寺院である。今日のところは参拝はせずに、寺院内を散策するに留めるが、さすがに広大な境内を歩くだけでも足にくる。久しぶりに京都らしい佇まいに触れた満足感を抱き、家路に着く。途中、正雀で降りて旭川らーめんの名店「とっかり本店」で昼食。最近ずっと、こってり豚骨ばかりだったが、久しぶりに上手い醤油らーめんに出会った。なんということもない3日間だが、今こうして思い起こすと、時間は決して平坦ではなく、たくさんの皺があるのだと気付かされる。手や顔の皺が、急に愛おしく思えてきた。
2009年05月24日
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新型インフルエンザが初めて紙面に登場したのが先月末。最初は海の向こうの話と思っていたら、1ヶ月もたたない間に国内で感染者が見つかり、そしてついに大阪でも発症者が出た。薬局ではマスクを求める人の行列ができるなど、オイルショックの時のトイレットペーパー買いだめを彷彿させる現象も出始めているようだ。しかしながら今のところ感染力はともかく、毒性は例年のインフルエンザ並みとの見通しである。油断はできないが、過剰に反応することはない。とはいうものの、我が家は発症地域からごく近く、いや、真っ只中といっていいだろう。子供達の通学路、特に電車は感染のリスクが極めて高いはずである。まずは家の中では手洗いを励行。電車の中ではマスク着用を娘達に勧める。私が花粉症対策用に購入していたマスクが、思わぬところで役に立つ。これほどまでに医学が発達しても、あざ笑うかのように次々と新しい病が人を襲う。異常気象もそうだが、自然の営みの前には、人間など本当にちっぽけなものだ。人間同士でいがみあっている場合ではない、と多くの人が思っているはずなのに、いざわが身に降りかかるとなると、派遣切りのようになりふり構わない行動に出る。人の心も営みも、科学技術のようには発達しないものだ。もちろん、私もそうなのだが。
2009年05月17日
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「太った~。お腹も出てきたし、顔なんか、ぱんぱん。」そう騒いでいるのは、妻である。結婚当時、周りから「鳥がら」と呼ばれていたほどの細身だったのが、せいぜい「鳥もも肉」になった程度なのだが。妻によると、太ったかどうかは顔でわかるそうだ。輪郭ではなく、肉の重さでだ、という。そんなの感じたことないなあ、と言うと、「お父さんは普段からその重さだから」とさりげなくジャブをかましてくる。そんな妻の運動不足解消法はちょっと遠くのスーパーまで自転車で行き、スーパーの中を歩き回ること。アウトドア派の私にすれば、外を歩くほうが健康的だと思うのだが、日に焼けるのが嫌なのだそうな。本人は年を取ったという危機感を強く抱いているらしい。やれ、髪が薄くなった、皺が増えた、挙句には、廃品回収の「古新聞、古雑誌」に自ら「古女房」と続けて言う始末である。しかし、先日、新婚と間違えられた(ぷっ!)のはともかく、まあ年の割には若く見える方だろう。こんなとき、迂闊に物をいうのは極めて危険、と男の感(あてにならんな)が囁くのだが、ではどう対応すべきか。で、今はしばらく静観を決め込んでいる。
2009年05月09日
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休みに入ってから丁度一週間。長かった休みもいよいよ明日1日で終わる。2日には義母と家族みんなで飲茶を楽しんだ。母の日が近いということで、プレゼントを選んでもらうつもりだったのだが、独り暮らしの義母とすれば、そんな物をもらうよりも、こうして一緒に食事をするのが嬉しいのだという。丁度阪急百貨店でやっている北海道物産展へ行き、花畑牧場の生キャラメルと函館 志濃里のチーズケーキを買い、休憩室でみんなで頂く。普段口にすることのない不思議な食感に、義母はもちろん、私達家族も驚きと満足で満たされる。4日は今度は私の実家に家族揃って訪問した。母が腕をふるってくれたご馳走が、テーブル一杯に並ぶ。少し冷めているところから待ちかねた様子が伺え、少し申し訳ない気持ちになる。父は酒が進むにつれ、例のごとく何度も聞かされた話をまた話し始めた。最初は相槌を打ちながら聞いていたが、最後は長女一人を残して隣の部屋へとみんな退避した。残された長女は気の毒だが、辛抱強く父に付き合う。それが余程父にとって嬉しかったのだろう。満面の笑みで、傍で聞いてても恥ずかしくなるくらいに長女のことを褒めまくる。その反作用のように私に向けられた説教には、苦笑いで返すしかないのだが。普段、なかなか親孝行をすることもないのだが、このGW、それぞれ半日ずつとはいえ、両親にも義母にも、少しは喜んでもらえたようだ。こういう連休の過ごし方も悪くない。
2009年05月05日
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今日は絵に描いたような五月晴れだった。先週は箪笥に眠ろうとしていた上着をもう一度だすほどに肌寒い日が続いたが、季節の神様も初夏を意識し始めたようである。昭和の日の翌日に休暇をとったことで、8連休の大型GWになった。今年は未曾有の不況のせいもあり、16連休という超大型連休の人もいるという。事情が事情だけに大変だろうが、すこーしスピード違反気味の世の中を見直してみるのに良い機会ではないか、と思ったりする。そしてこの3日間、毎日ジムに行ってはスタジオで体を動かしまくっている。昨日は久しぶりに4コマはいったのだが、さすがに今朝は体の節々が痛んだ。今日はよそうか、と思ったが、普段はやれないプログラムをやるよいチャンス、ときしむ筋肉をなだめつつ体を動かす。この連休に合わせてくれたように、今丁度横浜で、卓球の世界選手権が開催されている。おかげで、普段なかなか見ることのできない卓球の醍醐味を毎日TVにかじりついて見ている。特に、平野早矢香選手は一昨年のしもやんセミナーでお会いして以来、ずっと応援している。残念ながらシングルスとミックスダブルスでは敗退してしまったが、福原愛ちゃんと組むダブルスでは、このまま勝ち進んで欲しいものだ。とまあ、まったりとした日々を送っているわけだが、対象的に娘達は今日、そして明日としょこたんこと中川翔子のコンサート。そんな2人を見て若いなあ、などと思うのは、やはり年を取ったということか。
2009年05月01日
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桜の花も散り、枝いっぱいに緑の葉が生い茂るようになった。花びらの優雅さとはうってかわった力強さは、初夏を迎えるのにふわさしい佇まいである。この時期、杉に代わって花粉症の主役に踊りでるのが檜である。そして、いつからか、私の鼻は杉よりも檜に鋭敏になった。それだけ高級になったのか(あくまでも人間の見方だが)、はたまた、真っ直ぐな精神がなくなったのか(もとから曲がっていたという見方が正しいかも)。先週は特にひどく、見かねた同じ職場の中国出身の人から、板藍根なる漢方薬をもらったほどである。しかしながら、夏なみの晴天であった週末、くしゃみも鼻水も涙も止まることなく、薬がなくなったところで日曜の晩に、買ってきた市販薬を飲んで寝た。このせいかどうか、今朝目覚めるとやたら体が重く、だるい。とりあえず会社には午後から出社する、と電話を入れたのだが、一時間たっても改善は見られず結局、今日は休みにした。訳のわからない夢を見ながら、目覚めたときには既に1時を回っている。朦朧としたまま、まどろむこと更に1時間。ようやく布団から起き上がった。それだけ眠い思いをした薬だったが、鼻づまりは収まらない。インターネットで調べて、最近近所に開業したらしい耳鼻科にかかることにした。若い、人当たりの良い先生に診てもらうと、鼻も目も、結構症状が重いとのこと。処方箋を持って、いきつけの薬局で飲み薬、点鼻薬、目薬の花粉症3点セットをもらう(もちろん、有料である)。今のところ、症状は少し収まっているが、油断ならないのは風呂上りだ。外に干されてバスタオルについた花粉に、風呂上りの体は通常異常に敏感に反応し、くしゃみを連発し、鼻を詰まらせ、目をかゆくする。この時期の檜は、私にとっては地頭よりも怖い存在である。
2009年04月20日
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週末、実家に父の元同僚だったAさんが奥様ご同伴でやってきた。年に2、3度行う、泊りがけのパーティーに、私も一緒に参加した。奥様の希望で、この日の晩は牡丹鍋。本当ならこの時期は猪の肉はなかなか入手できないのだが、父の行きつけの肉屋さんから特別に分けて頂いた。皿の上に、それこそ牡丹の花びらのようにきれいに盛り付けていく父の姿は、日頃の姿からは想像できないものだ。それだけ、Aさんご夫妻との再会を楽しみにしているのだろう。たらふく食べてたらふく飲んで、すっかりご機嫌の父はいつものように昔の話を、それこそ壊れたレコードのように繰り返す。それでも嫌な顔ひとつせずににこにこと聞き入り、時に相槌を打ってくれるAさんご夫妻。横でしらふで見ていると、申し訳ない科限りだ。ここでも度々書いているが、私と一回り以上年が離れているAさんは、良き碁敵でもある。お互い顔を合わすと、挨拶もそこそこに烏鷺を戦わす。結局、2日間で14局打ち、6勝8敗と2つ負け越した。飲む、打つ、食う。楽しくも至福の2日間はあっという間だ。今度はもう少し、勉強して出直してきます、とAさんに宣戦布告をして、お互い実家を後にした。
2009年04月13日
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昨日は花祭り。お釈迦様の誕生日である。にぎやかなクリスマスと比較すると知名度では分が悪いが、これから数年はこの日を意識することになりそうだ。初めて知ったのだが、この日はまた法然上人の誕生日でもある。長女が入った浄土宗系の大学では、毎年開祖の誕生を祝って知恩院にお参りすることになっているのである。なんせ、宗教系の学校など無縁だっただけに、長女から聞かされる学校行事の話はとても興味深い。特に、入学式の時にも歌われたという「南無阿弥陀仏」をひたすら繰り返す、という歌が気になってしょうがない。などと言うと、そのうち不謹慎な、と仏様の罰が下りそうであるが。私は私で、高校の同級生Kさんがが講師を務めるダンス教室の初コンサートに行ってきた。小さな子からちょっと年配の方まで、女性ばかり40余名の生徒さんたちが、舞台狭しと踊るリズム&ジャズダンス。もう、踊るのが好きで好きでたまらない、というのが観ているこちらにも伝わってくる。それにしてもKさんはさすがである。自分の思い描いたイメージ通りに、体が追随するとしか思えない。振り付け師が自分の創作した振り付けを自ら踊っているようなのだから。ジムのエアロビのプログラム一つで腰痛に見舞われ、年のせいと嘆いていた私だが、そんなのは言い訳に過ぎないよ、と彼女に笑われそうだ。まだまだこれから!そう思える勇気をもらったダンスコンサートだった。
2009年04月05日
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久しぶりの日記である。ここ数日、体調やらなんやら色々あって、なかなか書こうという気になれなかった。人間は感情の動物である。感情の渦中に身をおけば、時には立ちすくむこともある。逃げ出してしまいたいこともある。全てを放り出せばどんなに楽か、と思うこともあるだろう。感情を変えるのは、行動しかない。思考も感情を変えることができるだろうが、感情の渦に支配されているときは、とかく思考も停止しがちだ。だから、行動しなければ感情の流れを変えることはできない。進むしかない。進まねばならない。例えその歩みがとてつもなく遅くても、自分の足を止めてはいけない。そうはいっても、行動を起こすには何かきっかけが必要だ。特に止まった状態からは。そういう意味で、暦というのは有難い。人間の都合などおかまいなしに流れていく時に、色々と意味を与えてくれる。今日4月1日、多くの新社会人、新入生が新しい世界に足を踏み入れる。必ずしも希望ばかりではなく、不安や恐れも抱えているかもしれない。でも、彼ら彼女らは、少なくとも今日が新しい始まりの日ととらえ、歩き出そうとしているはずだ。そんな彼ら彼女らの足音を聴きながら、私もとにかく進んでいこう。
2009年04月01日
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久しぶりの日記である。2月まで鳴りをひそめていた花粉症が、3月に入ると一気に暴発した。花粉症は温度とも関連がありそうで、冷え込む夜など特にひどくなる。そんな訳で、このところ日記を書く気力も失せていたのである。昨日は久しぶりに家族全員で実家に行った。父の誕生日、妻の誕生日、長女の大学の合同祝賀会である。近くにいながら、なかなか行く機会がないものだから、母が張り切って作った料理、それに買ってきたお寿司が広いテーブルに所狭しと並べられた。すっかり出来上がっていた父は、いつものように昔話を延々と繰り返す。そのほとんどが自分や親戚の自慢話や苦労話なもんだから、子供達はさっさと逃げ出した。しかしそうはいかない妻はかわいそうに、それをじっと我慢して付き合っている。嫁というのもなかなか大変だ。子供達が隣の部屋でボール遊び(一体、いくつだ!)を始めると、千鳥足の父がそちらへ行って一緒に遊び?出す。あれこれ偉そうなことをいいつつ、ボールを蹴ろうとするのだが、なかなかそれがあたらない。挙句のはてには、蹴ったボールが天井に当たって跳ね返り、自分の頭を直撃した。見ていた娘達は大喜びの大笑い。すっかりご機嫌の父。毎年、母と日本アルプスに登る元気な父が、ふと登山への不安を口にした。ちょっと驚いて父の横画をよくよく見ると、確かに老いは隠しようがない。そんな父に一抹の寂しさを感じつつも、まだまだ大丈夫、と言葉をかけた。近くにいながらなかなか会いにいくこともないのだが、そんな父の様子に、もうちょっと親孝行しなけりゃな、と不肖の息子は思うのである。
2009年03月15日
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ええーっ、と悲鳴を上げたくなるほどに、時のたつのが早く感じられる。お正月番組にひたっていたのが、もう2ヶ月も前のこととは。週末、新年になってようやく一人暮らしの義母を家族で訪問。かえってすっかりご馳走になったうえに、「交渉人」を見たいがために夜遅くまでお邪魔してしまった。それでも喜んでくれる義母を見ると、時々こうして顔を見せにいかないと、と思う。この時期、一番頭を悩ませるのが花粉である。街に出るとマスクをかけている人をどれだけ多く見かけることか。思わず、「おっ、ご同輩!」と声をかけたくなる。もっとも、実態はそんな悠長なものではない。特に今日は鼻づまりもくしゃみも目の痛みもひどかった。息苦しさは脳を酸素不足にさせるのか、朝から会議で意識は飛ぶし、モニターを見ても情報が入ってくるのを拒否してしまう。結局、ほとんど進捗のないままに一日が終わってしまった。(今もくしゃみしながらこれを書いているところだ。)そんなことをやっているもんだから、時間の経つのが早く感じられるのか。年度末、何かと忙しく、いくらでも時間が欲しいときだ。時間の矢をしっかりと掴んでいかないと、月末ばたばたする羽目になりそうだ。
2009年03月02日
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今日は健康診断日。必要と知りつつも忌まわしい、年に一度の胃のX線撮影がある。最初の関門は発泡剤。これを飲み、水を飲んだ段階で胃がみるみる膨らむのがわかる。撮影終了までの約3分間、ハイキング・ウォーキングのQ太郎よろしく、げっぷを我慢しなければならない(もっとも、彼はいつも失敗?しているが)。そしてお次がバリウム。コップに並々とつがれた白い液体は、味こそヨーグルトらしいものの、金属であることは隠しようがない。手に取った瞬間ずしっ、とくる重さがそのまま胃にのしかかる。技師の指示に従い、台の上で懸命に体をねじり、回転する。台が大きく傾き、頭が上にくると肩にストッパーはあるものの、体を支えるための腕力は相当なものが必要だ。か弱き女性や老人には、彼らの指示はときには非情に聞こえるに違いない。検査が全て終了し、台から下りる。もう、げっぷも我慢する必要はない。めでたし、めでたしといきたいところだが、そうは問屋がおろさない。本当の悲劇はここから始まる。元々が便秘体質の私は、大量に飲み物をとっても排便に丸1日を要するのも珍しくなく、その度にお腹に違和感を覚える。そこでいつも普通の人の倍の下剤をもらうのだが、これをもってしてもそれが緩和されることはない。今回も、下剤を飲んでもなかなか便意をもよおさず、気休めかもと思いつつ追加の下剤を飲む。結局、何ら変化がないまま、帰宅の途につく。地下鉄に乗ると、知らず知らず寝てしまい、いつもなら途中で乗り換える駅を過ぎている。まあ、梅田で下りて乗り換えればいいや、とそのまま乗っていたのが、後になって不幸中の幸いだったと知ることになる。そしてクライマックスはやってきた。梅田に着いて改札を出た瞬間、お腹がぐるぐると鳴ったかと思うと、耐え難い痛みが襲ってきた。今、このタイミングか!と下剤をののしりつつ、普段からチェックしているウォシュレット付きトイレのある場所を頭の中で素早くスキャンする。一番近いのはヨドバシだ。腹に刺激を与えないよう、しかも急がねばない。ようやくトイレにつくと、全てが使用中である。迫り来る痛みと出ようとする便を懸命になだめ、さっさと出ろ!と扉を蹴りたい衝動に駆られつつじっと耐える。これがいつも通りに乗り換えていたら、まだ走行中の車両の中だった、と思うと神のご加護に感謝する(こんなことで感謝される神様も苦笑していることだろう)。ようやく水が流れる音とともに扉が開いて人が出てきた。そそくさと中に入り、便器に腰を下ろす。もう大丈夫、という安心感。こんなところにも至福の時というものはあるものだ。待っている人にすまないと思いつつも、結局30分以上こもりっきりだった。そしてようやくフィナーレとなったのである。
2009年02月17日
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バレンタインデーの熱気が、日本の気温を上げたかのように、各地から初夏のような気温が報告された。今日もまた五月晴れのような青空が広がっている。そういえば、一昨日、新幹線から見た関が原の光景を思い出した。関が原といえば、東海道新幹線でも随一の積雪地帯で、この時期はダイヤ泣かせの日が少なくない。それが雪のゆの字も見当たらない。それどころか、隣接する伊吹山でさえも、まるで夏山を見るようである。不覚にもその後睡魔に襲われ、富士山の様子を見ることはできなかったが、雪の帽子がさぞかし浅かったのは想像に難くない。新聞も、各地のスキー場の雪不足を伝えている。これをいきなり温暖化の影響、と短絡的に言うつもりはないが、全く影響がないとは言い切れない。国内の温暖化ガス放出の割合は、産業分野にくれて民生分野が高くなっているのはよく知られている事実だが、環境に関心が高いといわれている人達でさえ、それを劇的に減少させるために自分達がやることを見せられると、そのコストと大変さを目の当たりにすると、尻込みするのが現実である。人類は自ら生み出した100年に1度の経済混乱に大いに揺れ動いているが、自然の気まぐれがもたらすものは、そんな混乱さえも矮小に思えさせるほどのスケールで人類に迫ってくる。アダム・スミスは市場に「見えざる神の手」がj働くと主張したが、神はそんな世俗的なことに手を染める暇などないのでは、と思えてくる。ま、そんなことはともかく、この初夏のような陽気も今日で終わりのようで、明日から一転、厳しい寒さが戻ってくる。週末箪笥の中で休んでいたコートやブルゾンも、また街にたくさん、戻ってくる。
2009年02月15日
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昨夜、「明日は太巻き?」と妻に聞くと、「巻くの手伝ってくれるの?」の一言に沈黙し、そそくさと寝床に入ってしまった。そんなこともあって、もしかしたら今年は太巻きはなしかも、などと考えながら帰宅した。しかし、テーブルの上にはちゃーんと、サラダ巻きが6本(家族の人数よりも多い!)が並んでいる。今年の恵方は東北東。コンパスで方角を確認し、がぶりっ、と丸ごとかぶりつく。妻が何やら話しかけるが、黙って食べるのがかぶりつきの作法。ジェスチャーで返すと次女が「食べてるときはしゃべっちゃいけないんだよ」と注意を促し、私もそれに頷いた。そして妻が、さすがに一本は多いようで半分に切ったものにかぶりつく。食べ終わる頃、今度は私が話しかけてしまい、妻の無言の抗議の視線を浴びることに。全く、礼儀作法をわきまえない、困った夫婦である。かぶりついた太巻きとは別に、もう一本を小さく切って、今度はじっくりと味わう。干瓢を煮たりとひと手間、ふた手間かけるいわゆる巻き寿司と違い、サラダ巻きは楽でいい、とは妻の弁。なるほど、確かにそうなのだろう。スーパーなんかでは豚カツだの海老カツだの、一昔前では思いもつかない様々な具が入った巻き物が並んでいる。考えてみれば、握りでも色々なネタが乗っかる時代だ。それだけ、酢飯が色んな素材との相性がいいということか。2本も食べると、もともとメタボ気味のお腹は益々その威容を誇りだした。ちょっと鎮めてくるか、と、先週から帰宅後も行き始めたジムに向かう。狭い我が家の風呂よりもジムで浴びるシャワーの方が気持ちがいい、というのがこの時間に行く本当の理由なのだが。いつもは軽くランニングで済ませるのだが、今日は少々時間が早いということもあり、ついついスタジオに入ってしまった。いつもなら準備運動を入念にやるのに今日はぶっつけ本番。体を動かし続けること45分、お腹の中の巻き寿司は、しっかりとばら寿司となったようだ。
2009年02月03日
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そうか、今日だったか。ふと見た手帳のカレンダーの1月30日のところに、1時から創業スペシャルセミナー(大阪産創館)と書いてある。「起業を夢で終わらせない!!」いとう伸が送る 夢のツカミ方」、というのがそのセミナー。すぐさま創業する予定もないし、受講料もその場で支払うので、雨でも降っていたら行くのはやめようか、などと不謹慎なことを考えていたのだが、雲がどんよりと空を覆っているものの、まだ雨は降っていない。いつもなら午前中いっぱい行くジムを途中で切り上げて、講演会場である大阪産創館へと向かった。「つかみ1秒、あと楽勝!」などの著書があるいとう伸さんのセミナーは、あの宝地図の望月先生も絶賛し、感動ライブ塾のCDとして販売されているほどである。そんないとう伸さんのセミナーを、たった1000円で聞けるのだから、大阪市も太っ腹である。ご自身のこれまで歩んでこられた創業の道を、さすが、営業と実演販売で鍛えたコミュニケーションの達人だけあって、身振り手振りも交えたお話は、目からも耳からも聞く者の心にすっと入ってくる。単なるスキルの話ではなく、ご自身の体験から得られた「コミュニケーション」「多極的に見る」ことが大事という結論は、シンプルながらも重みがある。特にコミュニケーションについては、「こうしたセミナーに出たときこそ、是非隣の人と名刺交換してください」先生の言葉にみんなが反応し、講演後あちらこちらで名刺交換の風景が見られた。みんなをその気にさせ行動させるそのトーク、「つかみの権威」の面目躍如である。先生の名刺の裏側にはご自身の著書が紹介されている。それを会場近くの紀の国屋書店で買い求め、すぐさま戻ってサインを頂いた。「何か書きましょうか」「是非、餞の言葉を書いてください」とお願いしたところ、書いて頂いた言葉が「行動だ!」。私にとって一番欠けていて、しかも一番必要である言葉は無い。思っていながら手帳に書いているだけで、やっていなかったことがたくさんある。明日から2月、新しい月の始まりである。凜とした寒さが張り詰めるこの月の始まりこそ、行動を起こすのに相応しい。
2009年01月31日
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先週、降り続いた雨も一段落。朝こそ雪がちらついたものの、昼間は抜けるような青空が広がった。いつものように、気まぐれに変わるのか、と思っていたら、一日中良い天気である。午前中、スポーツジムで汗を流す。年末年始に増えた体重も、徐々にではあるが減りつつある。シャワーを浴び、すっきりしたところで来月迎える車検の予約を取りに、近くのガソリンスタンドへと向かう。もともとは、いつも入れていた少し遠いS店で申し込むつもりだったのだが、昨夏、同系列の店が近くにできたので、こちらに申し込むことにしたのだ。予約をしようとするとそこの店長、「この車のタイヤ交換、昨年S店でされましたよね。私、もともとS店に勤務してて、その時いたんです。」なんとも不思議な縁に驚いた。だからという訳でもないだろうが、説明はすこぶる丁寧で、予約にあたっても色々とサービスしてくれた。あまりに気分が良いのでそのまま帰宅するのももったいなく、前々から気になっていた吹田の高浜神社へ参拝することにした。こじんまりとした神社だが創建は古いらしく、いかにも神がおわします荘厳な雰囲気が漂っている。参拝をすませ、いつものようにおみくじを引くと「吉」である。書いてある内容も大吉ではないかと思わせるほどに良いことばかりである。おみくじを縄にくくりつけ、神社の由緒書きを目でなぞる。同じところに祭礼日が書いてあり、今日1月25日は初天神とある。由来や意味はわからないものの、あの天神様にゆかりのある、なにやらおめでたい日に違いない。前にこのブログでも書いたが、受験生である長女の祈願をお参りしたとき、おみくじは、悉くネガティブなものばかりだった。これは神頼みせず自力で頑張れという神様の思し召しに違いない、と苦しい解釈をしていたほどである。ここにきて、ようやく天神様も神のご加護を授けようとしてくれているのだろうか。自力で頑張らなければならないのはもちろんだが、やはり縁起は良いにこしたことはない。本番まであと1週間。私はただ見守りしかないが、悔いのないよう、全身全霊をかけてがんばってほしいものである。
2009年01月25日
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最近、変温動物化してきたのか、体温調節がうかくいかないことがある。寝汗をびっしょりとかいたかと思うと、全身が保冷剤のように冷え込むことも。昨夜は、靴下をはき上に重ね着をしたにもかかわらず、体は冷え切ったままでなかなか寝付けず、結局寝たのは今朝の6時。買い物に行きたいという妻に10時半に起こされた。私の部屋には暖房がないため、冷え込みが厳しいここ数日の夜は、暖房が効いている居間で過ごすことが多く、そうするとPCを立ち上げることもない。居間でノートPCを使うという手もないではないが、さすがにみんなが集まる居間でひとりカタカタキーボートを叩くのも気が引ける。必然、日記への書き込みも途絶えてしまう、といつもながらの言い訳である。今日は阪神・淡路大震災のあった日であり、またセンター試験の実施日である。いきなり命を絶たれた人達と、これから自身の将来への扉を開こうとする人達が、隔てた時を重ね交錯する。死んだ人を思うことは、そのまま生を考えることにつながってくる。突然時を止められることなど、普段はなかなか思いもしないが、今日一日、寒さを生きている証と思いつつ、布団の中で考えてみよう。
2009年01月17日
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まだ正月気分だったか、と怒られそうだが、鏡開き、そして成人の日の今日までは正月気分は抜けきれるものではない。一昨日、阪急阪神一日乗り放題のニューイヤーチケットを使って西宮えびす参拝と七福神めぐりをした。その楽しさに味をしめて、チケット販売の最終日の昨日も、またまたチケットを購入して京都と神戸に行ってきた。京都では初詣に行った八坂神社から清水寺へ。何年かぶりかに参拝する清水寺は、懐かしいと思うどころかすっかり記憶がなくなっていた。それだけに、舞台から眺める京の街並みがやけに新鮮に感じられる。縁結びの神様で知られる地主神社が清水寺の中にあることも初めて知った。いかに昔は恋愛と無縁だったかがよくわかる。せっかくだから、とそこも参拝したのだが、周りは若いカップルか女性のグループばかり。私などは、娘の縁結びを願う父親にしか見られないだろう(不倫の対象にも見られまい)。せっかくのフリーチケットである。普段行きそうもないところへ行かない手はない。まずは嵐山線沿いにある松尾大社に向かうことにした。酒の神として崇められているだけあって、寄贈者の名前は酒造会社が多く見られる。拝殿も立派だし敷地も広い。これが京都でなければ、その地方の一宮になっていたに違いない。次に向かったのは長岡天満宮。北野天満宮や大宰府天満宮ほどではないにせよ、大阪天満宮よりもずっと立派で規模も大きい。長女の合格を祈願し、おみくじを引くと吉が出た。喜んで中を読んでみると、「願い事叶わず」。えっ、これで吉なの、と思わず突っ込む。先日の大阪天満宮といい、どうも天神様のご加護は期待できそうもない。いやいや、清水寺からの帰りに立ち寄った高台寺天満宮は大吉だった。却ってそれほど有名でないところの方が(高台寺さん、ごめんなさい)ご利益があるんじゃない、とは帰宅してから聞いた妻の弁であるが。そして残り福も頂こうと、一昨日に続いて西宮神社に行った。残り福だから人も少ないだろうと思ったらとんでもない大間違いで、本えびすの日よりもずっと多い。参拝していたらかなり遅くなりそうなので、フリーチケットの特典である日替わりの記念品をもらって(当然、前日ももらっている)今度は三宮は生田神社へと向かった。ご存知の通り、生田神社は陣内智則と藤原紀香が婚礼を挙げた神社である。以来、縁結びの神様として絶大な人気を誇っている。震災のときには神殿が落ちるなどして大いに株を下げただけに、2人の婚礼は神社にとっても大きな慶事だったに違いない。結局、2日間で回った神社仏閣は12箇所。その多くが慌しい参拝だけに、神様、仏様には顰蹙を買いそうだ。しかし、テーマパークや繁華街をまわるのとは違い、どこか心にほっとしたものを感じるのは、やはり神社仏閣の持つご霊験ゆえか。さすがに今日は出歩くこともなく、家で待機、のつもりだったが、午前中はジムで汗を流し、午後からは妻に付き合って買い物に行った。そして一日遅れの鏡びらきのぜんざいを食べたところで、段々と正月気分が抜けてきた。夕食のお雑煮が最後の名残り。明日からは新たな年の活動を、しっかりと、そして楽しんでやっていこう。
2009年01月12日
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昨夜はあまりの眠さに、途中でキーボードを叩くのを止めてしまった(この言い方、筆を置く、と比べるとどうも格好がよくない)。前編を読んだが、これは確かに寝ぼけながら書いた文章だ、とひとり呆れるが、今更取り消しようもないのでここから続けよう。くだんの女性の「凶」の言葉に、何やらよからぬものを感じつつみくじを引くと「末吉」。まずはほっと胸をなでおろす。おみくじをくくりつけたところで、ある男性が持っているおみくじが目に入る。それこそ、昨年末にひきあてた、1番の大吉ではないか。勝手になにやら強い引きを感じ、その男性の大吉をすっかりもらった気分になる。さあ、いよいよ七福神めぐりに突入だ。別に1日で回らなければならないという規則はないのだが、フリー切符が使えるのは当日限り。朱印の受付は原則5時までである。すでに時計は1時をまわっている。残りは4時間。対象となる神社仏閣は全て阪急宝塚線沿線とはいえ、決して余裕のある時間ではない。一番最初に向かったのは清荒神である。ここが駅からもっとも離れている(といっても、1kmだが)。両側に店が立ち並ぶ狭い参道を登っていくと、雪が降り始めてきた。お参りを済ませ、最初の朱印を大福帳に押してもらう。次に参拝したのは中山寺。安産のお寺で有名であり、妊婦の方への配慮だろうか、エスカレータやエレベータが完備されている。ここまではいずれも兵庫県だが、3番目以降は大阪府に入る。やはり十日戎でにぎわう呉服(くれは)神社は小学校時代の恩師が神主を勤める神社であり、私も恩師の神主姿を一度だけ見たことがある。朱印の受付にいるおじいさんに、「B先生はご健在ですか。」と尋ねると、「私がBです。」余りの変わりように(当たり前だが)内心、「ええええーっ」と叫び声をあげた(くだんの女性といい、叫び声の多い日だ)。しかし、先生は当時のことをよく覚えておられ、ずいぶんと懐かしがってくれた。先生の益々のご健勝を願い、握手をしてその場を離れた。4番目、5番目の龍安寺、西江寺はともに箕面駅が最寄である。石橋で乗り換え、何十年ぶりかで箕面線に乗る。終点の箕面駅に着いた時には3時半を過ぎている。急がねば、とビジネスシュースであることもお構いなく、箕面の滝道を走る。午前中、ジムに行ったのが奏功してか、思いのほか足が軽い。龍安寺、西江寺で朱印をもらい、滝道を駅へと下っていくと、野球のユニホーム姿の高校生が走ってくる。見ると、私の母校の後輩達だった。そういえば、クラブこそ違うが、私も学校からこの道をよくランニングしたものだ。後輩達に心の中でエールを送り、私も駆け出す。さあ、後1時間、残すは蛍池の圓満寺と曽根の萩の寺の2寺のみとなった。蛍池駅からダッシュで圓満寺に着き、参拝もそこそこに朱印をもらって駅にもどる。そしていよいよ、最後の1寺、萩の寺へと向かう。曽根駅からは再びダッシュ。歩道をいく人が何事か、と振り向くのもお構いなしに走る、走る。寺に着くと、丁度門を閉めようとしているところである。朱印をもらいに着たと告げると快く中に入れてくれた。ここが最後ということで、ゆっくりとお参りして満願成就を噛み締める。ドタバタした、とても優雅とはいえない七福神めぐりだったが、おかげで楽しい半日を過ごせた。そしてなんといってもこの日一番の喜びは、B先生という、生きたえべっさんにお会いできたことである。
2009年01月11日
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今日は十日戎の本戎の日。全国のえびす神社が最も賑わう日だろう。初詣は欠かさず行くが、十日戎は行ったり行かなかったり。今年は昨年末に1番の大吉をひいいた縁起の良さを買い、初めて西宮神社の十日戎に行くことにした。梅田へ向かう電車の中で、ふと昨年末に見た阪急沿線西国七福神の吊広告を思い出した。広告の端の方に、七福神が乗った阪急電車のミニチュアサイズの模型の写真があった。所定の集印長に各寺院の印を押してもらい、七福神めぐりを成就された方への数量限定プレゼントである。それをどうしても手に入れたい、と思い、梅田に着くと早速インフォメーションセンターで集印帳と期間限定、阪急・阪神電車乗り放題カードを購入した。まずは所期の目標であった西宮神社へ。駅から神社まで、出店と人でびっしりである。ただ、境内に入っても身動きがとれなくなるほどではない。本番は夜、ということか。しかし、さすがに本殿まで近づくと益々人混みは激しくなり、本殿へお参りする人々の長蛇の列が出来ていた。お参りをすませ、いつものようにおみくじを引く。冒頭書いたように、昨年末には本神社で1番の大吉をひきあてている。果たして今年はどうか、と思っていたら、私の前の女性が「うわー、凶やわ」と叫び声をあげた。と、ここまで書いたところで、キーボードと叩く指の動きが緩慢になり、時に知らず知らず止まっている。いよいよ、今日の限界か。続きはまた明日書くことにして、今日のところは布団にもぐりこむことにした。続く
2009年01月10日
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早いもので、もう元日から1週間がたった。今日は七草、七草粥を食べるのが習わしだが、私は生まれてこのかた、一度も食べたことがない。七草は他の暦の行事に比べ、かなり地味な印象だ。商魂逞しいコンビニでも、取り上げられているのかどうか。七草粥の由来は知らないが、正月におせちなどご馳走を食べ続けた体を、ヘルシーな七草粥で労わってやるという意味も込められているのではなかろうか。あろうことか、我が家の夕食はラーメン。ヘルシー、とは言い難いが、たっぷりとのっけた野菜をほおばり、麺をすすりながら、七草粥についてあれこれ思いをめぐらせた。
2009年01月07日
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帰宅途中、2浪中の長女の合格祈願に、大阪天満宮にお参りした。3が日はさぞかし賑わったであろう天満宮も、さすがに平日の夕方ともなると人気もまばらである。それでも、受験生であろう女子達が、熱心に拝んでいる姿があった。お参りをすませて、おみくじを引くと、初詣のときとは違って末吉だった。なになに、神のご加護はあるが願い事は叶い難し?なんじゃ、こりゃ。そういう良くないことは神様に被って頂く事にしよう、とそのおみくじを木にくくりつけた。帰宅して妻にそのことを話すと、それは、神様を頼らずに自分で頑張れということだろう、と言う。なるほど、そういう解釈もあるか、と感心する。ただ、その本人、果たして頑張っているのかどうか、少々心もとないのだが。そういえば私自身、現役、1浪時代のこの時期、京都の北野天満宮にお参りした。確か、おみくじは2回共、大吉だったように覚えている。しかしながら、結局は2浪。最後の年は天神様にはお参りしなかった。どうやら親子2代、天神様は本人の奮起を促しているようである。
2009年01月06日
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あれだけ休みが続いても、出勤となると不思議と目が覚めるものだ。布団から抜け出してしばらくしたところで目覚ましが鳴り出した。2009年、最初の出勤日である。そういえば、昨年は「TTT(淡々と続ける)」というモットーを掲げながら、仕事始めの日はなんとなく憂鬱だったような気がする。既に、昨年の不調を先取りしていたのだろうか。それに比べ、今年はそんな憂鬱は全くなかった。にもかかわらず、ちょっとした油断で家を出るのが少し遅れてしまい、いつも乗る電車のドアは無情にも目の前で閉まった。思わず車両の後部を見やるが、ホームが湾曲しているため、車掌さんの姿は見えない。そして電車は走り出した。一本乗り遅れたが、もともと人より早い出勤時間なので、それほど影響があるわけでもない。ただ、今朝はまだましとはいえ、ホームで待つ寒さは身にしみる。職場に着くと、既に何人かが仕事を始めている。ちょっと一息、と思っていた気分も、身の引き締まる思いで吹き飛んだ。PCを立ち上げ、スケジューラーとメールのチェック。いつもの朝の始まりだ。初日とあって、少々くたびれたのか、定時を過ぎるとうとうととし始めた(いつものことか)。今日はここまで、と鞄を持って扉の外にでたところで、電気のついてないパントリーに女性がいることに気づかずに「あー、しんど」と声に出した。するとその女性が「そうですよね。初日はしんどいですよね」。いやー、失態、失態。最後はしまらなかったが、2009年、まずまずの滑り出しだ。
2009年01月05日
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年末・年始、9日間の連休も今日で最後。あっという間の9日間だったが、十分休養できた。やり残しもないではないが、まあ、例年よりは色々とできた気がする。明日からまた、日常の日々が戻ってくる。明日に備えて寝るとしよう。その前に、気合を入れて、ファイトーッ!
2009年01月04日
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箱根駅伝は東洋大学が苦節60有余年で初優勝を飾った。正直、早稲田の方が上だと思っていたが、よく頑張った。昨年末に思わぬ不祥事で揺れ、川島監督の辞任にまで至っただけに、選手をはじめ関係者の喜びもひとしおだろう。できることなら、川島さんにもまた指導者として戻ってきてほしいものだ。初詣に出かけたのは、箱根駅伝の中継が終わってからだった。年末年始、ずっと出勤の妻は束の間の休日とあって、家でのんびり骨休み。出店の多い神社に初詣にいきたいという子供達のリクエストにこたえ(何しに行くんだ!)、京都は八坂神社にお参りした。正月の京都はさすがに人が多く、そして寒い。四条河原町から南座の前を通っていく、参道にあたる歩道は、行く人帰る人で激流状態である。時折落ちてくる冷たい雨に震えつつ、その激流の中を歩いていく。神社も当然、人、人、人である。3日でこれだから、元旦などはさぞすごかっただろう。お参りをすませると、3人揃っておみくじを引いた。それぞれ出てきた棒(なんていうのだろう)の番号を巫女さんに告げておみくじをもらう。長女は半吉、次女は吉。そして私はというと、年末の西宮神社に続いて、1番の大吉だった。当たるも八卦、当たらぬも八卦というが、やはりよいくじを引くと嬉しいのが人の情というものだ。体は寒くても心はぽっかぽかで人通りが途絶えることのない四条通りを戻っていった。
2009年01月03日
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新年を迎えてから、急に冷え込みが厳しくなった。今日も時折、雨だか雪だかがぱらつき、日が差した日中もなかなか気温が上がらない。洗濯物は乾く、ということを忘れたかのように、湿ったまま物干し竿にぶら下がっている。さて、2日といえばいまや正月の風物詩、箱根駅伝の開催日である。幸いにも関東は好天に恵まれたようだ。毎年、数々の名勝負とドラマを生んできた箱根だが、今年も期待に違わないドラマがあった。ダニエル選手の驚異の20人抜き、竹沢選手の3区区間新とすごい記録が目白押しの中、山の神、と呼ばれた今井選手が、往路最後の山登りで作った超人的な記録を楽々と塗り替えた新人、柏原選手には度肝を抜かれた。はじめからのハイペース、しばらくして苦しそうにゆがむ顔の表情を見て、やっぱり1年生、経験不足だ、これは後半バテるだろう、と思っていたらとんでもない、その苦しそうな表情のままトップでゴールに飛び込み、母校に初の往路優勝をもたらした。明日の復路、もしかしたら箱根は雪かもしれない。寒さを吹き飛ばすくらいの、襷にかける熱い情熱は、そんな雪をも融かすのは容易だろうが。しかし、往路で見られた不調の選手の壮絶な姿を見ると、是非ともベストコンディションで襷を大手町まで運んで欲しいものである。
2009年01月02日
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新年、明けましておめでとうございます。本年もどうかよろしくお願いします。などと、元旦の常套句を書いたものの、肝心の年賀状はというと、まだである。これまでも年賀状書きで腰が重かったことは何度もあるが、今回ほどちんたらしているのは初めてである。ちんたらしている私を尻目に、妻は年末年始、無休で働いている。福祉という仕事柄、仕方がないのだが、本人も言うようにとても正月気分ではなさそうだ。妻ばかりでなく、盆正月関係なしに働く人達には全く頭の下がる思いだ。そんなわけで、今年はおせちどころではなかった。辛うじてお雑煮だけは私が昨夜のそばつゆを流用して(市販ではない。ちゃーんと作りました♪)作った。結局、おせちは実家からもらってきた。その実家だが、大阪府内とはいえ、少々山の中である。今朝は冷え込むと思っていたが、実家では雪が降ったらしい。実家からの帰り道、子供達が猿を見たいというので、山越えして箕面公園へ向かった。なかなかいないねえ、冬だから山奥に引っ込んでしまったんだろうか、と諦めかけていたら、対向車線で停車している車のドアミラーに猿がぶら下がっているのに出くわした。そこからは、まるで涌いて出たように、あちこちで猿が悠然と道を歩いている。なかには、背中に子供をおぶった親子猿も。なんせ、猿である。子供よりも小さいのだ。視界からはずれると、轢きはしないかと恐る恐る車を進めていく。見ていると、対向車も事情は同じようだ。子供達はというと、パシャパシャ写メりまくっている。今年の干支ではないものの、正月早々、こういう微笑ましい風景を見ると心が和む。少し荒んだ世の中に住む子孫への、ご先祖様のお年玉だったのかもしれない。
2009年01月01日
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