第3章:壮年期 = 社会の厳しさ =
7回の手術を終えた我が子は定期的に通院はするものの、成長してから修正手術をする事となり退院した。
現在もこれからも彼にはいわゆる ≪喉チンコ≫
というものがない。
しかし、幸いにして言語障害は全く残らなかった。
病院側は奇跡的だと言った。
現在彼は高校生。
修正手術を何回かに分けて臨んでいる。
ここに至るまでの葛藤は、想像を遥かに超えていたが、ここには記さない。
手術費のメドが立ったところで、安定した仕事に就く必要があった。
とある会社の門を叩いた。
「次の方どうぞ、お入りください。」
会社の面接室である。
「履歴書に卒業高校の記載がありませんが記載もれですか?」
「高校は何処でした?」
担当官の質問に私は声が出なかった。
いま思えば、当然ともいえる質問に言葉が出なかったのである。
重ねて同じ質問が飛んだ。
しばしの沈黙の後、やっとの思いで小さな声が喉を突いた。
「中学校しか出ていません・・・。」
これまでの仕事は資格や免許、やる気さえあれば出来る仕事だった。
が、今回ばかりはつまづいてしまった。
「中卒ですか・・・」
担当官は困惑したようだった。
中卒の理由を話す訳にもいかず、長い沈黙の後、面接室を後にした。
自らの火傷、長男の奇病、殆んどの屈辱感は乗り越えていた。
しかしこれは、生まれて初めて味わった精神的屈辱感である。
33歳にして社会の厳しさが今さらのように身にしみた。
しかしこの屈辱感は、後にもっと大きなものとなるのである。
「どうしてここに中卒がいるわけ!」
若い女子社員の耳に突き刺さる言葉。
直接ではなく隣の同僚に話している。
入社2年目のことである。
守衛として採用された私は、1年後に守衛所閉鎖に伴って会社の中枢、資材部に配置されたのである。
毎日大量の資材を買い付けるため、常に計算業務がつきまとう。
計算違いがあると、伝票が次の人に回らない。
その最初の計算が私の担当である。
間違いは誰にでもある。
しかし、私の時にだけ 「どうしてここに中卒が!?」
毎月の棚卸の度に味わう、何ともやるせない、また何とも言いようのない屈辱感であった。
私は考えた。
長い時間考え続けた。
生まれてから今までのこと・・・。
いじめられ続ける人生なんてありえない。
人はみな平等であり同じ権利を持っているはずだ。
何処かで人生のほこ先を変えなければならない。
逃げ出したら一生逃げの人生になってしまう。
そうだ!
今だ、今しかない!
そして、今いるこの場所から挑戦を開始しよう。
きっと何かが見つかる。
例え何も見つからなくても、今よりはずっと良いはずだ!
この時、私は働きながら学ぶという 通信制高等学校
に通うことを決めたのである。
そしてこの5年後、自らも考えの及ばぬ、思いもよらぬ展開となる。
そして、人生最大の 意識転換
が訪れることを、この時NIJIはまだ知らない。
NIJI 35歳の春。
第4章:その後〔生きる尊さ〕につづく。