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今回、亀戸を訪れたのは昨日の建築物件をじっくり眺め倒すのもありましたが、もう一つ、何度かトライしているけれど振られ続けている蕎麦屋さんに行くという目当てもありました。この蕎麦屋さんのあるのは、亀戸天神社の裏手、横十間川の川辺りにも近い位置、つまりは梵氏の物件とは真逆の場所にあるから、それなりの運動量を要するのでした。途中、前日報告した場所も含めて亀戸天神社やら升本などなどちょこちょこと立ち寄っているので、案外じっくりと散策し、存分に堪能した気分になりました。そういう意味では亀戸って、多少地味なことはあるけれど、行楽気分で一日遊べる町なのかもしれません。 といった次第もあって、すでに空腹はピークに達しています。これを過ぎると空腹感が風船が萎むように失せることが多くなっているので、可及的速やかに蕎麦屋を目指さなければなりません。途中、やはり前々から通り掛かって気になっていた「喜楽」がやっているのを目撃し、激しく心が揺れたのですが、今回はまだやってることが分かっただけで良しとして、当初のお目当ての蕎麦屋さんに向かうのでした。 念願の「中の茶屋」は、お向かいの味わいのある焼鳥屋「ことぶき」にお邪魔した際に営業していることは聞き及んではいましたが、実際にそれを目にするまでは鵜呑みにはできぬのであります。人間不信にも程があると独り言ちたくもなりますが、これまでも何度となく痛い目にあってきたから、そんな言葉は信じないといった体を装ってみせるのです。すでに廃業なさっていることも念頭に刻んでみたりして失望を極力薄味とするためのイメージトレーニングなどしてみたりもするのだけれど、逸る気持ちを抑えるのは容易なことではないのでした。しかし、実際にはあっけない位に当たり前の表情を呈して店は営業をしていたのでした。店内は思ったよりも狭く思えたのは、柱や目隠し壁などの余計なでっぱりが多いからのようです。でもこういうでっぱりが取り除かれてこざっぱりしたら余り面白くないだろうと思うのです。早速ビールを注文、キンキンに冷えたビールが腹に落ちると一挙に吸収され体中を駆け巡るように感じられるのでした。尿酸値を下げようということでもないけれど、頼んだのはわかめラーメンでした。これが麺がもっちもっちしていて、手打ちではなさそうですがとても満足できました。
2019/11/18
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亀戸を訪れた目的は、またもや梵寿綱の建築物件を眺めることにあるのでした。都心圏内に存在を確認できている梵寿綱物件は、ここを含めても他に2物件が残されるのみとなりました。他県にも1物件があることは確認できていますが、そこはひと頃通い過ぎてしばらくはもういいかなという気分なので当分チャンスは到来しないかもしれません。こうして訪ね歩くのは楽しくて、当初は美術館巡りをするようゆったりペースで巡るつもりだったのが、熱が冷めぬうちにとつい次から次へと経巡ってしまったのでした。最後が迫った今となってはじっくりと鑑賞させていただくことにしましょうか。 梵氏の手掛けた「カーサ第一亀戸」の4つ目で確認できている最後のカーサマンションになります。実はこちらの物件は、「大衆酒場 伊勢元(有限会社伊勢元牧商店)」の斜め向かいに建っていて、間違いなく以前通り過ぎているのですが、恥ずかしながら少しも記憶にございませんでした。花柄の赤と橙を大胆かつ盛大に貼り巡らせた通常のマンションではあるまじき外観は氏らしさいかと言われるとぼくにはちょっと違うかなと答えざるを得ません。仮にこの物件の建築家をあてっこしたとしたら正解を出す自信はありません。しかし愛らしい物件であることは間違いなく一見の価値はありました。 亀戸は結構隈なく歩いていると自負していたけれど、「リベルテ」のある奥深くまでは来ていない気がします。だってこんなに気になる外観のお店ならば入らずに通り過ぎるなんてしないと思うのです。いや、レストラン色が前面に押し出されているから敬遠したのだろうか。今ではレストラン色が濃厚でも喫茶とかコーヒーの文字があればドリンクのみの利用が可能な店も少なくない事を知っているから、一応店の方に尋ねてみることにしています。そりゃ、ランチ時で混んでいたりしたら遠慮するけれど、オンタイムながらお客さんの姿もなかったから問題なさそうです。入ってみると抑えめの照明が心地良くて、内観は喫茶と洋食店という店のスタイルに徹底して準じた造りになっていて悪くないのです。ぼくはどちらの業態の雰囲気も大好きだから、問題となるのは酒も出していそうだからここを広義の酒場に含めるか迷う辺りだけです。 総武線の高架を渡り、駅の北側に移動します。「カフェテリア 三喜」という飾り気のないけれど、妙に気になるお店があります。かつては良く見掛けた図書館なんかの公共施設の片隅とか地下に設けられた喫茶や食堂―この手の店舗を積極的に巡る方もおられるようで、ぼくもかつてはたまに利用していたのでその良さも知ってはいるつもりですが、こうした店は概してオープン過ぎて剥き出しのプレゼントのような興のないという側面があると思うのです―のような雰囲気を少し匂わせつつも独立した建物のせいかやはりそれとは違っているようにも感じられるのです。そもそもここは今でも営業しているのか、改めて足を運ぶしかないのだろうか。 と、喫茶巡りという事ではちょっと物足りない結果となったけれど、最後に「さとうパン」というやってるんだか外見ではよく分からぬパン屋に遭遇できたのは幸運でした。でもそんな杞憂などどこ吹く風と飄々と営業しているのが古いパン屋さんの凄いところです。全く逆に週に2、3度しか店を開けぬツンデレ系なのもあって、本気でパン屋巡りをするなら事前のチェックは大事になりそうです。まあ、ぼくにはそこまでの余力はないけれど。さて、コッペパン2個とハムカツパンを買って何と価格は驚きの250円だったろうか。後者はカツがちょっと駄菓子っぽくて微妙ではあったけれど、コッペは表はカリッと中はふっくらで満足のお味でした。
2019/11/17
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単にぼくが知らないだけかもしれないけれど、こんなに素敵な酒場なのにどうして世間では余り知られていないのだろうと思うことがしばしばあります。好意的に考えると、その酒場を愛してやまぬ人々が愛しすぎるが故に秘密にしておきたいという心理が働いているのではなかろうかという推測が成り立ちそうですが、そんな自制が働く人ばかりとは思えぬのである。次なる推測としては、世の人々がその酒場の存在に気付いていないという可能性であります。実際にそうした酒場では、ネットに情報を拡散しようとする人は少ないように思えるのであるけれど、それはぼくにしたところで他のお客さんからはインターネットの仕組みなど知っているはずもないだろうと思われていそうな気もするから蓋然性は低いように思えるのだ。だとすればよもやと思うのであるけれど、ぼく以外の大部分の居酒屋を取り上げるブロガーなどにとってその酒場が魅力的ではないという想像であります。いやいやそんなことがあろうはずもない、そう信じたいのであります。 なんてことを書いたその翌日に、「大衆酒場 伊勢元(有限会社伊勢元牧商店)」について、ばっちりと写真も豊富に紹介されたサイトを目撃してしまったのだから、本当であれば前段の下りはすべて放棄すべきところなのであります。が、しかし横着なぼくはそうはしないのでありました。たまたま亀戸をとある目的で京葉道路を散策中にこの大きな通りの車線の向こう側に古びてはいるけれど、非常に目立つ佇まいが目に飛び込んできたのでした。駅北口の明治通り沿いにある「伊勢元」はこぢんまりとしてどこにだってありそうなお店でしたが、こちらは全くといっていいくらいに趣を異にしたオオバコなのであります。実際に店内に入ってみると、思ったよりは広くはないけれど、ぐるりと外壁に沿うように誂えられたカウンター席がとても愉快なのです。世間で矢鱈とコの字カウンターが持て囃されているけれど、ぼくには単純なコの字カウンターはもはや余り面白みはなくて、むしろこちらのような変形カウンターが店内風景に変化をもたらしてくれるので楽しく思えるのです。さて、間もなくランチタイムの終了時間である2時が迫っているので、急いで注文しなくてはなりません。なんて、肴でお願いしたピーマンの肉詰めフライやナスピーマン味噌炒めなんてのが届いてもまだ、いいかいと声を掛けて常連のおやじたちが訪れ、店の方はあらあらってな表情を浮かべながらも受け入れてくれるのがうれしいではないですか。女将さんと娘さんは優しい表情の方たちだけれど、一転して強面のオヤジさんは仕事の手を休めて昼食タイムに突入です。こういう店の方のリラックスした様子を眺めながら呑むのもなかなかない機会で嬉しくなります。近所なら週一は通うのだけれどね。
2019/11/15
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亀戸の立ち呑み屋の充実振りには目を見張るものがありますねえ。日替わりでローテーションして通ってもはみ出してしまう酒場もあるから2週間掛かりでローテーションするのが丁度いい位かもしれません。実態として何軒の立ち呑みがあるかカウントしてみたこともないからはっきりとしたことは言えぬけれど、多分それ位はあるんだと思うのです。だから何だと言われても適当な答えを持ち合わせてなどおらぬことはいつも通りでありますが、まあ、これだけあればよその町にわざわざ遠征などしなくても良いのかもしれません。ぼくが呑み歩きを始めたのは、以前も書いたけれど毎晩同じ酒場に立ち寄るのでは飽き飽きするから途中下車してその下車駅の近くに1、2軒のお気に入り酒場を押さえて置きたいという意図から始めたものでした。でも始めたらそれでは済ませられなくなって、日夜未訪の酒場を訪れるようになったという次第なのです。 この日は未訪であった2軒にお邪魔したのですが、どちらも駅近でとても便利です。ぼくが普段よく行く何軒かの立呑屋は、どこも駅からちょっと歩かねばならず今でこそ慣れてしまったけれも最初に通い出した頃には遠く感じられて、少なからずの気合を入れる必要に迫られたのです。でもこの2軒ならそんな意気込みすら不要です。いや、本当なそうなのか。きっと面倒と思う人は改札を抜けるだけでも面倒と思えるはずだから要は慣れこそが唯一の面倒を厭わぬようになるための解決策なのだろうか。「立ち呑み とーど」は、推測するにお隣りの錦糸町のJRAで馬券を買い込んだオヤジたちで賑わっていました。嫌もう実に混み合っている。ぼくならばそのまま錦糸町で呑むだろうけど、彼らは地元に戻ると安心なのだろうか。それにしたって的中を出して換金する事を思えば錦糸町に留まるのが良いと思うのだけれど。いやいやすっかり忘れていたけれど、この立ち呑み屋は錦糸町で最終レースまで呑み続けるより、電車賃の事を計算に入れても安いということなのではなかろうか。確かに500円で550円のチケット制というのは気が利いています。千円分のチケットって良くあるけれど、ここの手頃な価格だと一人で一時に使い果たすのは難しそうです。無論、ここに集う彼らは毎週のように来ているから取っておけば良いのだけれど半端なチケットは大概どっかにいってしまうものです。肴が低価格で少な目というのもいいなあ。鯖の水煮とかチキンスモークとか簡単な品が多いけれど、普通の居酒屋にはありそうでない品が多くて飽きません。なるほどオヤジたちが通いたくなるのも分かるというものです。 続いては、もういいよと言われそうな「晩杯屋」であります。実のところぼくもさすがに飽き気味でありますが、店舗ごとに多少の差異があるので、それを確認する位が楽しみと言えるかもしれません。こちら亀戸の店舗は駅東口を出てすぐのビルの二階にあります。入るとすぐにこの店舗の差異が目に飛び込んできます。というのが、ここだけの特徴というわけではないけれど、椅子席が半分以上を占めているのです。立呑みフリークの方からしてみるとそれはちょっといただけないことなのかもしれませんが、ぼくは座れるのはまあ嬉しいかも。立ったままでも構わぬのだけれど、まあ座れるに越したことはないという程度ではありますが。時間に余裕があってのんびり昼酒というシチュエーションであればゆっくりとS氏とお喋りに花を咲かすには好都合なのです。なんてまあさほどお喋りが盛り上がるほどに話題はないのですけどね。この店の限定メニューなんてのもあって、目立ったのが魚介の漬けなのでいただいてみたらホンのちょっぴりだったのが、残念ではありますが、まあこれはこれで変化があって楽しめます。とまあこの系列店にはいささか食傷気味ではあるけれど、身近に一軒あると便利なのは間違いないです。
2019/11/12
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お恥ずかしい話からお聞かせするのは誠に気が引けるのでありますが、またもや失敗を犯してしまいました。またも「中の茶屋」が休みの日にやって来てしまったのであります。あえて、休みの日を選んで訪れているかのような愚行を何度繰り返せばよいのか。まあやってしまったことを悔やんでみたところで致し方がないのだ。この古い蕎麦屋にチャレンジするということは時間もまだ早い時間帯ということであり、かえってそういう時こそ余り訪れることのない亀戸天神裏というエリアを散策するチャンスと思うのが良いのでしょう。熟知していないとはいえ、それなりには歩いている土地の散策というのは実のところ案外難しいものです。それは記憶が朧であるためついつい視界に収まる眺めの楽しそうな道ばかりを選んで歩くことになり、結局毎回似たような道を歩くことになるのです。そしてしばらく歩いた何某かの拍子にこれは以前通った道に違いないという確信に至る頃には今更歩き直すには億劫な状況に置かれているのです。なので、致命的にならぬ程度に迷うのがいいのですが、迷子になった場合でもやはり同じ道を歩いていることが多くて、即ちは魅力のなさそうな道を選んで進むしか道はないのです。 何て事を考えていれ風を装ってはいるけれど、実のところは以前の散策で目星は立っていたのです。だからそこまでの道程を迂回しつつ向かうのでありました。先の蕎麦屋にも負けず劣らずの風情の今は閉業に至った「やぶそば」のそばに良い感じの居酒屋を見付けていたのです。「大衆割烹 葵」がそれですが、明かりは灯れどまだ暖簾も下がっておらず開店にはまだ間があるようです。周辺をしばし眺め歩き戻れど状況は変わらぬので、思い切って戸を開けてみることにしたのです。すると、おやまあもう数名が呑んでいて、しかもかなりのご機嫌な様子です。これはなんとした事か。来る客は拒まずの精神で昼下がりから営業しているのだろうか。多少、いや結構散らかった店内は案外しっくりと居心地が良い。自分の家が散らかり放題だったりするのは大いに忌避したい質ですが、乱雑な場所に身を置くのはけして嫌いでない。というか、こうした環境を借景するために古い酒場に通っている気もあります。奥には座敷もありますが、入りしなにある窮屈な卓袱台の置かれた小上りがいい。カウンター席は一見にはやや敷居が高い雰囲気です。呑んだくれの爺さんたちと気さくな店主と自然に言葉を交わすようになるいつもの状況が出来上がってくるともう長年通う常連のような気持ちになるけれどここで気を抜き馴れ馴れしくなり過ぎると一挙に身を引かれる事になりかねぬから注意が必要です。彼らはいつもの顔触れに飽き飽きしているだけで、すぐにぼくの事も飽きてしまうに違いないのです。それでも構わぬけれど、静まり切った中で勘定を切り出すのはなかなか厄介です。出来る事なら会話の最中で予定があるような雰囲気を滲ませて勘定を済ますのがスマートです。ここは普通の居酒屋でしかないけれど、時折顔を見せたくなるようなそんな呑み屋でした。
2018/10/18
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真っ当な居酒屋とタイトルに掲げてしまったけれと、実際真っ当な居酒屋とはどういう店が相応しいのか。こう書き出したはいいけれどこの文章の向かう先のことなどこれっぱかしも念頭に浮かんではおらぬのです。実は書いておいて後悔しているのですが、真っ当な居酒屋がもしあるとして、その真っ当さに果たしてぼくは満足できるのだろうか。確か真っ当という言葉の語義にはマジメという意味合いがあるらしい。無論、解釈はもっと広範に亘るであろう事は察せられます。しかし、そこにマジメという一言が含まれるだけで、ただそれだけで真っ当なる言葉のみならず真っ当なという形容を冠する尽くを嫌悪せずにはおられぬのです。嫌悪はいささか言い過ぎだけれど、酒を呑ませる店ならどこだって酒場と断ずるような大雑把なぼくには、このマジメわ含意する真っ当な居酒屋が好きになるとは思えぬのです。しかし、錦糸町の町外れの一軒の居酒屋がまさに真っ当であり、自分でも意外なことにこれがなかなかに悪くないと感じたと述べるといかにも胡散臭いもの言いかもしれまい。 大体において「居酒屋 おいでませ」って、どこか客を馬鹿にしている気がしないだろうか。ぼくはそう感じました。実際、店の戸を引いて店の奥からおいでませなんて迎えられたらどうだろう。妙にへりくだって、逆に馬鹿にれた気がする。こんな言葉を平然と口に出来るのは、我が町を未だに日本の中心と信じて疑わぬかの地の人達しかおらぬと思うけれど、彼らにはもっと適切な出迎えの言葉があることは知っている。おいでませはどうも方言らしく耳には響くけれど、そうでないのだろう。そんな店名だけで店の良し悪しを決めつける悪癖がぼくにはあります。でも、店の方はそんな一見の思い込みばかり激しい客などとは無縁な好ましい雰囲気に包まれていたのです。先客なく、女将さんと二人きりの時間。そんな時間を気づまりと感じることも少なくないけれど、このお店ではそんな窮屈な思いとは無縁で過ごせました。女将さんとの距離感が近過ぎもせず、かと言ってほっぽり出された感じがせぬのです。酒呑みなんてのは、概してワガママで寂しがり屋なものだから、そんな呑兵衛の心理を弁えた女将さんがいると良い気分で酔わせてもらえるものです。さて、肴は大皿に盛られていてどれも美味しそうに見えます。見えるというのがミソで、実際には家庭料理の域を出てはいないものです。大量に調理すると美味しくなるという事を言われる方もいますが、これは大概においては誤解であり沢山拵えて旨くなるのは煮込み系の料理位でほとんどの料理は余りに分量が多いとどうしても調理ムラが生じてしまうものです。なので本来は炒め料理のチャンプルーなどにしたってどこか煮物風な仕上がりになるのだろうなあ。でもこれが家庭で作ったのとは一線を画してこれはこれで味わい深いものです。などと分析するうちに次なる夫婦連れ立ってのお客さんが来られました。もう随分と長いお付き合いのようです。彼らの邪魔をするのは無粋と感じた風を装ってこちらはお勘定を済ます事にします。結局、真っ当って何なのか少しも証されなかったけれど、ぼくのこの夜の振る舞いはまずまず真っ当だったのではと自負するのです。でもこうして写真を改めてみると、なかなかアンダーグラウンドな雰囲気だなあ。
2018/10/05
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鐘ヶ淵は都内でも好きな町のひとつです。そういう割には余りこのブログで登場せぬではないかとの指摘は誠に正しいのであって、その指摘に反論するつもりはありません。しかし、弁明ならできるかもしれない。どこが好きだってまずは迷路のように入り組んだ町並みが愉しいのです。そんな目の前の角を曲がってみると思いがけぬ風景が広がったり、見知らぬ酒場が出現するなんていう予感に満ちた町と思っているのです。しかし、この愉しみこそが迂闊に鐘ヶ淵に近寄れぬ理由ともなり得るのだから皮肉ものです。まずは、何か未知なるものと遭遇できるのではないかという予感は大概の場合において予感のままとしてどこまでも期待は宙吊りにされるのであります。だから、もう少し歩いてみようと欲をかいてそこの角まで行ってみよう、あすこに商店らしきものがあるからそこまではと納得のいくまでは歩き続けることを強いられるのです。そして、やがては己の立ち位置など分からぬままにさらに歩行を進めるから収拾がつかぬのです。それを一般には迷子と呼ぶのでしょうが、嬉々として迷子になる事を望む辺りが愚劣にも思えるのです。そんな愚劣さをぼくはけして嫌いではないけれど、ひたすらに彷徨うだけで一向に酒に辿り着けず、果てはとんでもない場所にとんでもない時刻に到達してしまっては、勤め人としての最低限の奉仕すら果たせぬ事にもなりかねぬのです。だから今回はハッキリと駅前商店街の周辺で呑むのだという強い意志を持って鐘ヶ淵を訪れたのです。 最初に立ち寄ったのは、「中華料理 新華」です。いかにも町の中華飯店と呼ぶに相応しいそそられる構えであります。先般通り過ぎた際には店の灯りは落とされ、暗い店内には思ったよりは若い店主らしき男性が険しい表情を浮かべて、佇んでいたのであります。なので、今度は寄り道せずにこちらに直行したという訳です。この日はカウンター席におっちゃんが2名、味のある卓席には女性のグループがおりました。この雰囲気で女性客というのはちょっとばかり異色な雰囲気です。どうやらお一人がここの顔馴染みらしく、お連れしたようですがなかなかに大胆な店選びをする方のようです。実際にはそんなことはないのですが、店に入ったファーストインプレッションは、かなりピリピリとした気配でした。初めての店ではどうしてもラーメンが食べたくなるという凡庸な食僻は、いつになっても変わりそうにありません。こういうブログをやっている位なら訪れるお店の名物などをしっかりリサーチしておく位の配慮があってしかるべきでありますが、そんな手間は掛けずとも食べたい品はいくらもあるから困ったものです。いくらでも食べたいと思うけれど、胃腸と財布の折り合いが付かぬというジレンマは常に同伴します。でも自由になんだって食べれる状況というのに憧れたりはしません。だって、いつも自分のことをけち臭いと自虐を装っていうけれど、けち臭い呑み方が楽しいのだから何も問題はないのです。酒だってレモンサワーで十分なのです。サワーとラーメンでお腹をたぷたぷさせつつ、席を立つ満足感があればぼくにはそれで十分な幸福なのでした。 酒場放浪記などのテレビ番組などでも紹介されている「栄や」には随分以前に一度お邪魔しています。なかなか肩身の狭い思いをして呑んだ覚えがありますが、今のぼくならどう感じるのか、それを確認してみたい気になりますが、結局は未知なる店への好奇心が勝り、お向かいの「家庭料理の店 きくや」にお邪魔することにしたのでした。緑のスツールが可愛らしく思える思ったより上品なお店でした。女将さんが見知らぬ客の到来に警戒をなさったのはもっともでありますが、すぐに人畜無害と見極める辺りがさすが独りでこの界隈で酒場を切り盛りしてきただけのことはある。お通しは2品、簡単な煮付けなどですがこれで十分満足というか、控えめにしてくれてありがたくさえあります。二人カウンター越しに差向かうことになるので、ポツリポツリとどちらからともなく語り始めるのは必定。町のこととかいろいろ伺いましたが、こうしたお店をやってる方たちっていうのは案外、自分の町のことを知らなかったりすることが多いものです。のんびりとビールを傾け、ゆったりと時間を過ごすのは本当に贅沢だなあなんてじじむさいことを語ったりしました。次またお邪魔することはないような気もするけれど、こうした町の小さな酒場をこれからも渡り歩くのが楽しみです。結局最後まで他のお客さんは来られなかったのですが、今晩も変わらず営業されているのだろうなあ。
2018/10/03
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亀戸には前々から訪れたいと常々思っている一軒、いや二軒か、の蕎麦屋があります。その一軒、藪そばの流れを汲むであろう「亀戸 やぶ」はすでに閉業して久しいとこの後訪れた酒場のご常連にお聞きしました。やはり以前から気になっていた「喜楽」の事は聞き損ねてしまったのてすが、やはりこちらも今はやっていないと考えて間違いなさそうに思われます。そして、そばにはユニークなテント看板の酒屋さんもありますがこちらも閉店しているようです。浅草では近頃浅草寺の裏手、千束方面のエリアが裏浅草などと呼ばれもてはやされる程度には隠れた良店が少なからずあったりもして、なかなかの人気のようですが、亀戸天神裏は酒場に限らず多くの店舗が撤退してしまっています。確かにこの界隈で商売を続けるのは容易な事ではなさそうです。古い洋品店なんてのが現役を全うしているのは立派でありますが、失礼ながらここで買い物する人がいるというのは俄には信じがたいのであります。 さて、目当ての「中の茶屋」にやって来ました、がやはりまたやっていません。しかし、前回とは違って店の中からは灯りが透けて見えます。少なくとも店の方は健在らしい。さらにじっくりと観察をするとなる程月曜日はお休みのようだ、そして今日は月曜日ではないから夜は7時頃までには閉まってしまうと考えれば良さそうです。だとすれば土曜日とかに足を伸ばせばいいのでしょうが、せっかく土曜日に出掛けるのなら平日のアフター5では行けないような町に行きたくなるというのはそれはもう人情なのであります。 しかしまあ、その渋い蕎麦屋の向かいに「ことぶき」なんていう儚げな、というか侘びしさすら放つ酒場があったとはちっとも知らんかったですよ。前来たときはその存在にすら気付けぬくらいにこの界隈は暗いのであり、そして店もまたあえて人目を避けるかのような徹底した見の潜め振りを選んでしているようです。開店しているようないないような曖昧な様子の戸を思い切って開け放つとあな可愛らしや、見てくれは少しも可愛げはないけれど、付き合ってみれば気立ても良く清潔感があることは即座に察知できる程度の修業は重ねてきたと自負しております。なんて偉ぶって振る舞ってみせたけれど、そんな自信など実のところは微塵もないのであってただ単にこの店の枯れ加減に大いに満足しただけの事なのです。枯れたお店だからとそれだけを理由に満足してみせるのは実は大いに失礼な態度であろうかとも思うけれど事実は事実として受け止めるべきなのです。小上りにテーブル3卓とカウンター5、6席とコンパクトに見えながら上手く席を設けています。お通しのポテトサラダがそこらのスーパーで買ってきたものを盛り付けているだけなのを目にしても、それはさほどの瑕疵には当たらぬのであります。手作りにこだわる余り、しかも本人が自負する程には料理上手ではないような店主の拵えた肴よりかナンボか美味しかったのだ。やきとり屋ではあるけれど、今夜のお勧めがカシラなので注文をば。余り期待していなかったけれどこれが正解、丁寧な処理と焼入れでカシラは格段に美味しくなるらしい事を改めて知らされます。他のお客さんには串カツが人気のようです。立て続けに注文が入っていました。初めは物静かな店主から放置されて、黙りこくって呑んでいましたが、どうした弾みからか、突然常連さんたちの会話に混じっていて、折角だから向かいの蕎麦屋を始めとした近隣の酒場の情報をあれこれと伺う事ができました。彼らは自分の庭を隅々まで知り尽くし、そして盛り立てているのがとても好ましく思えました。
2018/07/18
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いやまあ、タイトルにはそう書いたけれどこれから訪れる2軒のお店、一般的な基準からしてみるとけして悪く言うような店ではないのだけど、それがこの夜たまたまに巡り合わせが悪かったに過ぎぬという判断をするくらいの分別は持ち合わせているつもりであります。しかし、忘れっぽいぼくがもう数ヶ月を経過した現在に至るまでその事を忘れずにいるという一事からも相性の悪さは相当に因縁深いものである事は感じ取っていただけるものと思うのです。先日も木場のとある酒場で痛い目に遭わされたことを書いたけれど、今回の出来事は少しばかり生々しいまでの不快さを伴っているので詳らかにはせず、ごく穏当なエピソード抜きの無味乾燥さに徹することにします。ここで経験した事を思い返してみると別に店の人も黙認という瑕疵はないとは言えぬけれど、それでもぼくを不愉快な気分に陥らせたのは基本的には客たちなのだという事は申し添えておく事にします。 木場には今でもそんなに遅い時間でないにも関わらず暗い道が少なからず残っていてそんな暗い道を進むと未知のすごい酒場が潜んでいるのではなかろうかという淡い期待を抱いているのだけれど繰り返しになるけれど、どうも木場とは反りが合わぬらしくまだじっくりとそれを実行に移せてはいません。「まぐろ問屋 西川 木場店」も少し駅の外れにあるけれどそこそこにお客さんもいるようなので、それなりの人気店のようです。しかし言わぬつもりだったけれどどうも歓迎されているという気配が感じられぬのです。むしろ一人客を敬遠するかのような冷ややかさばかり感じ取ってしまう自分がいる。肴は店名通りに魚貝、とりわけマグロが売りのようでありますが、格別にお手頃な感じはしません。とりあえずオーダーはしてみるもののまあ値段なりの品という印象でした。とこれだけ書いてしまうともはや書くこともないのです。実際、こちらにお越しのお客さんたちは一組いた色濃い抜きっぽいカップル以外は一人の客ばかりで、どの顔にも笑顔はなくどうも活気に事欠くようです。古い酒場にこあした光景は釣り合うけれど、こうした新しい店舗だとどうにも様にならぬ気がするのです。 ここで知人と合流。「ラ ポルトルージュ(La Porte Rouge)」なる木場では評判のビストロに向かいます。料理の結論から言うとけして悪くないのだけれどどうも味のピントがぼやけていて平板な気がするのです。ぼくなどが自宅で拵えるフランス家庭料理なんて手軽なものとは違って手が込んでいるのは分かるけれど、それが仇になっているのかもしれません。ホンモノのフレンチは恐ろしく複雑で手間も想像を絶するらしい事は少年漫画で見知ってはいるけれど、そこまで至らない限りは下手な手数は味を曖昧にしてしまうことがあるようです。フロアーでサービスするのは可愛らしい女性たちで、少しノリは軽いけれど手慣れた感じでキビキビしており見ていて気持ちがいい。ならどこがそんなに気に入らぬのかは前言を守って詳述はしないけれど、やはり一言で端的に語ってしまうと、客のマナーが酷すぎるのであります。そこいらの酒場なんかより余程質が悪いのであります。呑んだくれの爺さん婆さんも酒場には微笑ましいけれど、こうした店には不釣り合いだ。もう少し日本の老人たちもマナーを知るべきと思うのです。でも改めて写真見ると無茶苦茶旨そうだなあ。やっぱりまた行こうかな。
2018/06/19
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木場という町は、その古の町の記憶に耳を傾けるという甘美で郷愁をくすぐられる、そんな町であります。木場からは離れるけれど、そうした振る舞いは、言い方を変えると真っ直ぐに透明な視線で町を見るという真摯な姿勢を回避しているとも言えなくはないはずで、それも悪くはないけれど余りに度を越すとそれは反倫理的な振る舞いとなりかねぬから用心が必要であると思うのです。言うなれば映画撮影の現場でつい素人がやりがちなレンズへのフィルターを噛ましての撮影によってもたらされたフィルムが映写されてみると堪らなくみっともなかったりするのと同じであります。しかし、透明な視線を獲得するにはそれなりの訓練もしくは試練が求められるのではなかろうか。まずは現地に着いたらあえて何も考えぬようにする。言うのは簡単であるけれど、実際には大変に困難な自己コントロールが要求されるのであります。最も簡単なのは、逆説めいているけれど、とにかく同じ町に何度でも足を運び飽きてしまうまでその町を歩く事であります。それを飽きるまで繰り返すという試練を耐え忍んだ者はいつしか呼吸をするのと同様の自然さで町の風景を感受するようになるのではなかろうか。まあ、ぼくなんかはそのどちらも耐えられそうにない凡庸な者だからやはり偏見という色眼鏡を通してしか町を知り得ないのだろうなあ。 ここで唐突に木場の話に戻ることにしますが、駅のすぐそばに「海鮮屋台 おくまん 木場店」がありました。今どきありがちなガラス張りのサッシ戸により擬似的なレトロさを演出するというぼくの好みとは程遠い構えの店なのですが、まあ一軒目としてはそれなりに穏当な選択と言えるでしょう。それなりに客で埋まっているのも安心そうに思わせる。安心に慣れるのが何よりも警戒すべき態度でありますが、まあ一軒目だからね、大目に見ていただきたいのだ。そしてこちらのお店、基本的に大変結構だったのであります。どこがどう良かったかは既に察知されているかもしれませんが、とにかく値段にあります。値段や事など考えつつ呑むのは無粋の極みであるとの凡庸かつ最もな指摘もあるし、以前にズバリ糾弾された気もするけれど近頃はそんな慎ましい呑み方がむしろ普通と割り切る事が出来ました。ともかく安価にそれなりにちゃんとした肴が少しあれば、あとは酒があれば文句はない。はずだったのだけれど、時として耐え難い不快の念を抱く事があるもので、この店でも残念なことにそのような事態に遭遇することになったので書き留める事にします。それはスタッフ達の連携が上手く回っていない事に起因するようです。企業の新人研修みたいな話になりそうですが、スタッフの外国人女性がまあグラスは割るはオーダーミスするはで、他のスタッフの苛立ちは募るばかりで抑えめの声での怒号は、胃の腑に良からぬ作用を及ぼしどうにも居たたまれなくなるのでした。しかもぼくもまたオーダーミスの洗礼を浴びることになり、こちらにも不穏な心境が伝搬したらしく、つい突き返すことになったのです。どうも店の方のイザコザを肴にする度量というか物好きというような素質には無縁だったようです。 しかしまあ驚いた。「東屋」の存在を見出したことに驚いたんじゃなくて、そこが営業をしている事にビックリさせられたのであります。いかにもぼくの好みそうな佇まいなのはご覧になればいかにもと得心頂けるものと思います。まあ、そんな店でそれなりに目が付くから初めて見掛けてからずっとマークしていたのです。なのになぜかやっていた試しがありません。もうここのことは諦めてすっぱり忘れ去るのが得策と思い始めたのでありますが、記憶を完全に排除するには透明な視線で木場の町を無視するまでに通い詰めねばならぬと思うといささかゲンナリとした心持ちになるのです。店に入るとやはり常連さんが多いようで、瞬時おやっという視線と投げ掛けられるがそれももう慣れっこだ。勝手知ったるという表情でカウンター席に腰を下ろすと敏速に眼球を運動させて品書をスキャンしたのであります。そこからの処理にいつもはPCがマイコンとか呼ばれた時代の速度に落ちてしまうのでありますが、この日はスキャンと並行処理で注文を決めたのであります。いや、店に入る前から、さらにはこの店を初めて見かけた瞬間から湯豆腐と燗酒に決めていたのだろうなあ、要はそれが品書きにあるか確認しただけなのだ。そしてそれはしみじみ美味かったのであります。の割に今写真見たらウーロンハイ呑んでますね。
2018/05/11
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それにしても亀戸というのは生半可な通い方では、酒場巡りを一段落付ける事が困難なようです。だから飽きっぽいぼくでもそれなりに足繁く亀戸に通うのでありが、報告を待機させるを得ない酒場のリストが溜まっているにも関わらずさすがに同じ町のことばかりを書いているのは飽きてくる。これは亀戸の呑み屋の充実ぶりとは話が別なのであるけれど、さてそろそろ報告しておこうかなと書き始めようとしてもセンベロのお姉さんが先を越して報告しまうから、さらに待機を余儀なくせざるを得ない酒場が増殖するばかりです。なんて恨み言は、センベロお姉さんへの八つ当たりでしかないのですけれど、一応言わせて頂いておきます。まあ、センベロお姉さんのHPから仕入れた情報を随分と役立たせていただいてることは否定しません。いつもそのすごいリサーチ力を頼りにしております、などと急にへりくだって見せるのでした。 さて、ここ「大衆酒場 しだち屋 亀戸店」も参考にさせていただきお邪魔したお店です。近頃は酒場に限定せずに古い飲食店は業態を問わずお邪魔するようにしていますが、そうしたお店にばかり伺っていると、やはり本流の酒場が恋しくなるということです。この一事だけでもやはりなんだかんだと当たり外れの振れ幅が広い業態とはいえ、居酒屋を中心とした酒場らしい酒場をぼくは好きなんだなあと再確認できます。さて、こちらは古さとは無縁、店舗が劣化しやすいもつ焼店でありますが、まだまだピカピカのお店です。明治通りの裏手の細い路地に連なる呑み屋街の末端の方、もうすぐ蔵前橋通りという商売する上ではデメリットとなりそうな少しばかり人の集まりにくい立地なのです。にもかかわらず大層な賑わいぶりで、やっとのことでカウンター席に通してもらえました。スタッフは若い方が多くて、特に女性の従業員が不慣れでもフレッシュな応対をしてくれて大変結構です。とはいえスツールが高いからか、どうにも腰が据わらず今ひとつ落ち着けぬのでした。盛況の理由は応対の良さもさることながら、もつ焼などが大変おいしいところにあると思われます。一口にもつ焼といっても、店によって随分と差異があるもので、当然臭みがあるとか肉の味がしないとかまずい店もありますが、旨いのにもいろんな系統があります。ここは真っ当に肉の旨さで勝負しているようで好感が持てます。あっという間にチューハイを呑み干しますが、メガジョッキもあったようです。慌てて2杯目にはメガに切り替えますが、見渡してみると左右どちらのお客さんもハナからでかいのにいっていたのようです。自分はいつもだと結構注意深い方だと思うのですが、どうもこちらは若い人が多くせいか引け目のようなものがあって、持ち前の図々しさが発揮できませんでした。 そうそう、近所に「竹金」という民家そのものの居酒屋さんもありましたね。こちらも気になりますが、どうやら予約制らしいのでいずれ行ってみてもいいかなあ。
2018/04/13
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本当はそんなつもりじゃなかったのだ。亀戸駅からは随分と離れていると思う、なにせ亀戸天神の裏手の寂しいエリアのしかもさらに目立たぬ一角にその蕎麦屋はあるのだから。最寄り駅はもしかすると東武亀戸線の小村井駅とか東あずま駅がより近いかもしれません。という風に書くからにはどの駅からも近くはないということでは変わりはないのですが、かつてはこれらの駅から亀戸天神を目指す人も多かったのではないだろうか。とは言え見た目にはかつて栄えたような気配は少しも留めておらず、暗い住宅街の片隅に目指した蕎麦屋の「中の茶屋」はありました。あるにはあったけれど灯りは見えません。こういう立地だから人通りが途絶えたと見ると早目に営業を切り上げるという方針なのかもしれません。ここを訪れているという知人のおばあちゃん曰く、高齢の夫婦だけでやってるのよねということだから無理からぬ事ではあるのです。しかし、それは分かるのだけれどいざ改めてここまで足を運ぶことを思いやると無念な気もするのです。第一、次に来たからといってやってるかどうかなんてどこにも保証はないですから。 やむなく亀戸駅方面に歩き出します。いずれ行きたいと思っていた目当ての立ち呑み屋があったのですが、その近くにけったいな店名の立ち呑み屋がありました。「居酒屋 ヤッホー」がそれで、安普請な構えと脳天気な店名がとある店を想起させるのですが、案の定でありました。都心部でありながらも見過ごされてしまいそうな穴場というか捨て去られたような場所を見つけては、勢力範囲を着実に拡大している「ドラム缶」の系列のようです。ドラム缶といえば隠れ家というか秘密基地を連想してしまう藤子不二雄世代―藤子にとっては空き地というのが正確だろうけれど、ドラム缶という児童が身を潜める場というのは特権的な舞台となっているようです―のぼくにとっては、何故か捨て置けぬ存在なのです。もともと狭い店だから混んでるというのはどうかとも思うけれど、とにかく入り口付近になんとか身を潜り込ます事ができました。若い店主に激安チューハイにカレーのあたまとシューマイを頂きます。シューマイは普通にショウユで頂いた後にカレーに投入してみたりするのが楽しいものです。これは崎陽軒も推奨する―はず?―の正当なシューマイの頂き方なのです。適度に呑んで勘定を済ますと、予想しないでもなかったあのひと言が店主から発せられるのでした。山に登ってもヤッホーなどと大きな声を出すのを憚られるようなシャイな少年であったぼくには、若い彼の恥じらいながらヤッホーを見送る姿に共感を持つと同時に社会人として生きることの厳しさを見せつけられたようで、少しばかり切なくなるのでした。 目当てにしていたのは「立ち酔い 超人」でした。キャバクラなどの軽風俗店―いや、もしかすると重いというか濃い店も混じっているかも―の寄り集まったビルの二階にあると思ってなかったので、うっかりと何度も行き来してしまいました。何とか目的地に辿り着き戸を開けると思いの外に広くて、しかもたいそう混み合っています。他所の立ち呑みと異なって感じられるなとすぐ様に思うのですが、その所以はどうやら独り客よりグループやカップル客が主体だからのようです。ここでぼくの気持ちは萎えるのですが、まあとりあえずはトマトハイでも呑むことにしましょう。今晩のオススメの天津飯のあたまみたいなのを貰いました。食べてみてびっくり、これが餃子のなんたらとかのよりもずっと美味しいのです。な~るほどねえ、酒はたいして安くはないけれど、肴は美味しくて量もある。これは人気があるわけです。そして、同様の結論に辿り着いた方も多いことでしょう。そう、「超人」で腹ごしらえして、「ヤッホー」で安いチューハイを呑むというハシゴこそが正解なのでした。そんなセコイ真似と仰ることなかれ。毎日呑む者にとっては、非常にありがたい使い分けのできる店がすぐ目と鼻の先にあるという亀戸の潜在力には目を見張るものがあります。
2018/04/10
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「この辺には気に入っている酒場が2軒あっていずれかにお邪魔するつもりでした」といったようなことを先般、清澄白河にお邪魔した際に書きましたが、といってもその一軒は、かつてそのお店がどの辺りに位置するのか判然とせぬままに飛び込んだ酒場でありました。その酒場のことはこのブログでも3、4年前に書いているので、興味のある方は検索していただきたいのであります。当時のぼくがすっかりその店の雰囲気にほれ込むに至ったことは読み返さずとも分かるのであって、EXCELで管理しているメモに好き/嫌いの判定結果が訪問日とともに残されているのし、写真を見るやその酒場の記憶が蘇ってきたのでした。そこには住所も記載されていて、前に訪れた酒場の住所が東京都江東区白河町3-8-13となっています。その直下に同じ屋号を持つ酒場があって、どうやら今回は東京都江東区三好3-9-3の方に訪れてしまったようです。確かに前回は大通り―地図を見ると清澄橋通り―に面していた覚え位はあるので、今回訪れたのが路地裏であることに思いが至れば、そこが同名異店であるかもしくは移転したのだということにすぐに気付いたはずであるけれど、今回前の酒場の記憶がないままに訪れたのだからのだからその回答に辿り着けぬのは致し方ないのであります。O氏と一緒だったと思うのですが、揃って思い出せぬのだからぼくだけが記憶力に問題があるということではないのです。 前段の文章、もう支離滅裂な凄まじい仕上がりであるけれどそれには委細構わぬこととします。肝心なのはこの先なのです。やはり「松屋」は移転していたらしいのです。前の店舗は、清澄橋通りの向こう側に道に面していました。改めて確信しました。今度の店は立地という一点においては前よりずっと趣があります。路地裏の暗い中にポッと赤提灯が灯されているなんて、今思い浮かべて見るだけで暖簾をくぐりたくなるのです。しかし、外観は至ってキレイで特別な感慨など湧いてきはしません。店内も思った以上に奥に広がりがあってそれはまあ気分がいいのだけれど、何の見所もありません。しかし、それだけれど以前は店を出る頃になって一組来店したかどうかの閑古鳥が鳴いていたのに対して、今度の店舗にはそれなりにお客が入っているのです。まあ大概のお客は明るくて小奇麗な方が居心地よくて、酒を呑んでも旨いと思えるのだろうなあ。その気持ちは分からぬのではないのだけれど、明るい店では物思いに沈むのは難儀な事です。ぼくはドンヨリ沈んでいても気にされもしないで済むようなそんな雰囲気こそがしっくりと来るのであります。しかしまあ、それは前の店と比較しているからこその感想であって、そうとは知らずに席に着いた時点においては、S氏に対して路地裏の情緒を説いてみたりとそれなりに好意的に語るのは無理ではない、そんなお店なはずです。それこそ情報ひとつで感想が変化するなんて、己自身の現場での体験に基づく感想より他人の評価を鵜呑みにしているようで、情けないことなのであります。 ところで、移転前の記事があっさりと見つかったので、興味のある方はこちらからどうぞ。
2018/03/24
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近頃はニューウェーブ系の珈琲店が進出したり勿論、紀伊国屋文左衛門の邸宅があったとかいう清澄庭園などの観光施設もあったりするわけだけれど、どうも印象の曖昧な町であります。何度足を運んでも、ここが清澄白河だという明確な印象を把握できかねているのです。だからこの夜は明確な目当てがあったから訪れる事にしたのですが、知人の車で菊川駅を通り過ぎて、もうすぐに木場公園という辺りでおろしてもらっても今ひとつここがどこなのかピンときませんでした。交差点の隅に「実用洋食 七福」とかいう印象的な冠を配したお店があり、この段になってようやくここがそうだったのだと気づかされるのです。でもまあ車で通って気付けなかったのも無理のないこと。かつて枯れた佇まいに惹かれてお邪魔した店舗はすっかり様変わりしてしまっていました。この日もそこがすぐ目と鼻の先であることを知らずにかねてから宿題店としていた「洋食・中華 ことぶき 本店」を訪ねる予定だったのですが、休業中であるとの貼紙がされていました。無念だが仕方なし。清澄橋通りの裏手、深川江戸資料館のある通りに行ってみることにしました。この辺には気に入っている酒場が2軒あっていずれかにお邪魔するつもりでした。 でもまず「八仙苑」というガラス張りの儚げな暗さに覆われた中華料理のお店があったので、入ってみることにしました。背広姿の二人組が何やら深刻そうな顔を寄せ合って、熱心に話し込んでいます。この店には確かに大きな声で馬鹿話をしてはならないような軽い緊張感が支配しています。その割にはガラスには宴会や呑み会を狙った貼紙がべたべたと貼り巡らされています。店内は庶民的と言えばそうなのだけれど、古くとも揃いのテーブルや椅子で配置されていれば、見事な調和が感じ取れるというものだけれど、ここのはそうした統一感もなく田舎のじいさんやばあさんの家のようにどこか雑然としているのでした。店のご夫婦もどことなく暗いムードを演出するのに貢献しているようで、とにかくどんよりとした沈んだ雰囲気なのです。それはそれでまあ味わいと呼べなくもないのですが、呑み始めの一軒としてはどうしても気勢が下がらざるを得ません。料理も手頃というでもなく旨いというでもなしのまあこんなものかなというもので、お客さんに入ってもらいたいという意気込みが少しもないように思われました。どんよりとした店で過ごすのはむしろ好きですが、余りに長居するとこのムードに当てられて悪酔いしてしまいそうです。実際、同行していたT氏はこの後の店の余りのギャップにすっかり酒が回ってしまい、とんでもない不運に見舞われることになるのですが、それはまああまりに気の毒だからここには書き残さぬことにします。 さて、再訪狙いの目当ての一軒「居酒屋 だるま」にお邪魔することにしました。すでに8時を回ってお客さんも一巡したものと期待しつつ戸をくぐったのですがどうも考えが甘かったようです。やはりこちらの酒場が町一番の人気店のようです。なんとかカウンター席に潜り込ませていただき、早速一息吐くことにします。膨大なまでの短冊の品書きには酒呑みが好むに違いない品がずらずらとあるのです。迷った末に一番に頼んだのがピザだったりして、とにかくどんな酒呑みでも頼みたい品が5、6品は必ずあるのがすごすぎます。で配膳されるのが絶妙なタイミングで、酒が切れるといったことになるものだから必然、お代わりを繰り返す羽目になります。こういうお店、近くに一軒あったら毎晩のように彷徨う必要もなくなるのだけどなあ。
2018/03/17
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亀戸には数多くの宿題店を抱える身であります。別に自宅からそう遠くもないから、もうちょっとマメに足を運んでも良さそうなものだけれど、どうもなかなかその気になれぬのです。その理由は実のところハッキリしていて、町の枯れた風情に似合わず若者で溢れているからなのです。若者が溢れるその理由もまた判然たるもので、餃子やホルモン焼な有名店にそれら若者たちがこぞって出向くからであるようです。近頃はますます賑わいが増しているようで、店の前に列を成しているのを見掛けることも少なくない。少なくないという位であれば足繁く通っているというかというとそんな事はなく、多分に想像を働かせた上で導かれた結論なのです。想像であるからそこに確たる根拠はないのは自明な事なのであります。でも多くの人にとって先入観や早とちり、誤解なんかが足枷になることは少なくないはずです。だからこそぼくはそういった偏見をかなぐり捨てんとサイコロを振ってみたりするのです。というのは全く嘘で、しかしなるべく不得手な町にも足を向けようという気持ちはあるのでありました。なんて亀戸なんて好きな方なんですけどね。 とりあえずは宿題店でも駅から遠隔な店に行っておくことにします。亀戸天神の参道にある「呑飲(のんの)」は、呑み屋らしい店名を名乗っているけれど、見た目には土産物屋と食事のできる休憩所といった風で、観光地の休憩所の事は嫌いどころかむしろ好きでよく立ち寄る方だけれどここのモダンな構えに少しも惹かれません。まあせっかく来てみたのだから寄っておくことにするか。店の奥には案外広いテーブル席が並んでいます。お客さんは馴染みらしいおばさまだけで店の奥さんとお喋りしているばかりです。空きテーブルばかりなのでお好きなところにどうぞとすればいいのに、指定されます。まあ、そこも広々しているし一向に構わぬのですけど。店の印象は休憩所のまったりした雰囲気は少しもなくて近頃てきたばかりのカジュアルなレストランといった感じです。そんな店でチューハイと煮込みというのもちょっとばかり違和感があるものです。こんな感じの店でお通しというのもどうかねえ。こうした観光客相手の店なら一杯で切り上げられるようにした方が良くはないかな。チューハイは甘くて余り進みません。なのに煮込みはちゃんとしてるのが意外なのですよね。いやまあもともと煮込みはそれほど好んで食べぬのだけれど、臭みがなくて非常に食べやすいのです。結局ウーロンハイをお代わりして引き上げることにしたのだけれど、場所柄をもう少し考慮してくれれば使いやすいと思うのだけど。この雰囲気で居酒屋使いするのは厳しいです。 もう一軒行っとこう。「大衆酒場 うまかっぺ」は立ち食い風のしかしまあ椅子も用意された蕎麦屋の二毛作の店といったところでしょうか。蕎麦も魅力があるけれど、それ以上に目を引くのがチューハイが100円という驚きの安価で供される事であります。これはもうこれだけで好感を持たぬわけにはいかぬのです。店内はいたって当たり前の表情しか見せてくれぬけれど、品書きの激安表示が平凡な店内を一転して清潔で居心地の良い環境へと変貌させてくれるのです。肴にはネギトロに韓国のりを添えた品をいただくことにしました。このネギトロも韓国のりもぼくの見立てでは我が家でも愛用する肉のハナマサの業務用仕様であるかと推察するところではありますが、組合せの妙もさることながら、木の葉型に模った盛付けの工夫が脇に添えられたグラスのチューハイをとても100円とは思わせぬシロモノへと化けさせるのでありました。いやはや、ここはもう少し居座って思いがけない驚きと発見を汲取ってやらんと思ったところに、メールが飛び込むのでした。知人からの呼び出しです。義理のある人からの呼び出しには嘘を吐けぬ性格なので、やむなく席を立つことにしました。それにしても亀戸ではいつも突発的な出来事が生じて長居することが叶わぬのは、ぼくが亀戸に対して抱くアンビバレントな感情の所以とするところからでしょうか。
2018/03/10
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酒場好きなら門前仲町は、見逃せぬ酒場が少なくないはずです。ばくもそのご多分に漏れることなく、ひと頃はせっせと足を運んだものです。それ以前は滅多に足を向けなかったかというとそんな事もなく、それは例によって映画絡みで通っていた訳で、今はどうしているのだろうか、無声映画研究会というマツダ映画社というフイルムの貸出を主なる生業としている会社が定期的に門仲―地元の人は仲町と呼ぶ、そして決まって門仲と口にする者を小馬鹿にするのだ―で上映会を開催していたから、まあ嫌でもちょくちょく顔を出すことになるのでした。ここでは女性弁士が無声映画に解説を加えるのでありますが、これは物語の理解を助ける一方で自由な解釈の余地を奪うということで、ぼくはかなりの部分後者よりの見方をしていたので、正直余り好きな催しとは言えなかったのであります。そこでは未だに付き合いのある連中たちの間でささやかなドラマが繰り広げられたのであるけれど、それはぼくの口からは語れないのであります。その後、長く厳しかった映画との付き合いに一旦の終止符を打ってからというもの、この町はすっかり酒場の町となったのです。世評の高い酒場をひと通り巡り終えてもそれはこの町ではまだトバ口に過ぎぬのでしょう。まだまだ門仲の酒場巡りは取っ掛かりに過ぎぬのだ。 そんな気持ちに「山幸」はさせてくれるに充分な良い酒場でありました。すぐそばには数年前に店を閉じてしまった味わいある酒場がありましたが、そこほどストイックなムードはないけれど似た味わいを讃えた清酒酒場があったのですね。この酒場については、しかしこれまでずっと勘違いし続けていたのでした。これまで2回赴いては満席と断られていたのですが、そのどちらも階段を登って2階の暖簾をくぐったのですが、ご存知の方は苦笑なさるだろうが実際には1階こそが本体なのですね。例のごとく2階から入ると一杯ですと断られたのですが、この夜は何としてもとの気持ちが高まっていたため、それなら1階の店で頃合いを図ろうという気持ちになったのです。最初、広くはないけれど色んなシチュエーションに耐えうる実に良い造作の酒場であるなあと感心してしまいました。入口そばの大きなテーブルを囲むのも良し、数名が座れるだけのカウンター席も素晴らしい。また奥の個室のように仕切られたスペースも密談にうってつけに思われます。店の女性たちも親切だ。と眺めているうちにどうも出たり入ったりが多いし、インターホンでの交信も多い。ここに至ってここはまさしく「山幸」そのものなのだなと思い至るのだから鈍すぎる。これまでも1階であれば難なくお邪魔できていたかもしれぬ。さて、冷え込んできたので一番安価な銘柄を燗をつけてもらう。栃尾揚げは品切とのこと、これで安心してホタルイカの干物やら簡単なものでいいのだ。これはローソクで炙るというちょっとしたイベントも楽しめるので、独り呑みには恰好の手慰みになるのでした。さっき清酒酒場と書きましたが、ぼくは酒の種類はほとんど頓着しません。そういう店は銘酒酒場と呼ぶのでしょうが、こうした決まった銘柄を出すほうが好みです。当然、地方の限定した土地の酒を提供するだけに郷土料理店に多いのですが、こちらも鮎を名物にしているようです。「酒ぐら 浅七」なき後をこの地でしぶとく続けてもらいたいものです。
2017/12/28
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木場の事を思うと不思議と気持ちがざわつくのはどうしてだろうか。木場なんていう町はそうは出向くなどないし、この夜のように酒場放浪記でこの町の酒場でも登場でもせぬ限りはまずは思い出しさえしないのです。それなのにどうしてこんなにも気持ちがざわめくのか。どうやら一つにはこの町のと映画でしか知らぬ須崎パラダイスとをどう抗いようもなく重ねてしまうのですか、実際にその実物を目にするとその眺めのギャップにもうしようもない無力感を覚えるのです。もう一つはスバリ「河本」なのですが、もう二度とあのくたびれた暖簾が下げられることはないと分かっているというか、納得しているはずなのに、それでもついフラフラと足が向いてしまうのです。結果がわかっている事をそれでも飽きもせず繰り返す不毛さを何と評するべきか。これを他人がやっていたらきっと嘲笑で応え、呆れ返る事でしょう。だから木場は嫌なんだよ、そんな事をこれから幾度繰り返すことになるのやら。 でもこの夜は行き先が決まっていました。決まっていなければ来ようとはそもそも思わなかったと思います。「かわ野」は、木場からはかなり外れた場所にあり、そのそばには盛大に煙を撒き散らすお気に入りのもつ焼店があった事をここまで来てようやく気付いたのでした。木場のことをさっきまで酷く語っておいてどういう事だ、という指摘にはここは木場じゃなくて東陽町なのだとか言って誤魔化すことにしようか。気取った風ではあるけれど格調はどうこういう程の構えでないから、そう気張る必要はなかろうと引き戸を引くと、店内は外観を裏切らぬ程度に小奇麗さなのでありました。酒の品書きがないなあ、こういう場合は瓶ビールでも頼んでゆっくりと対策を練るのが得策です。奥のテーブル席の配置が独特だなあなどと余計なことを考えてしまうけれどここは何を肴にするかという一事に集中すべきであります。高いというほどではないかもしれぬけれどぼくの基準としてはやはり安くはない。幸いにも後押しがちょっぴりのゆで落花生といちょう切りに薄切りされた大根の煮付が3枚とはなかなかなに切ないのお。なのでボリュームのあるトマトコロッケを注文したところ女将さんに時間かかりますよ、玉こんにゃくとか早くできますけどと仰るけれど、玉こんにゃくは好きで自分でもよく作るから小芋煮を頼んだらこれも時間が掛かるとかで困った表情を浮かべられますが、まあ仕方ないわねといった様子を隠しもせずに受けてくれました。そしたら2、3分後には出てきたから、だったら何が悪かったのかよく分からないのでした。芋だけというのもなんだかなあと思いつつ、それなりにお腹に溜まりそうだったので
2017/12/16
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亀戸にまたもや呑みに来てしまいました。先日、2軒の驚嘆に値する酒場について非常に淡白な語り口で報告しましたが、実はかなり気に入っていたのです。だけれど、それに味をしめて再びやって来たわけではありません。単にこの夜の呑みの相手が亀戸が都合が良いというそれだけの理由です。本当は団地の一階の蕎麦とジビエを看板とした素敵な店に再訪する事も考えたのだけれど、あそこはきっと夜には予約でもせぬ限り入れぬだろうという予測が成り立ちます。まず間違いのない事です。なので、流れで亀戸天神方面に行くことになれば覗いてみても良かったのだけれど、この書き振りから容易に推測できるようにそうは上手くいかなかったのであります。かと言って行き着いた店が良くなかったかといえばそんなことはなくって、亀戸の底力を見せつけられることになったのでした。 まずは早くも売り切れで店を閉めつつある「亀戸餃子」の斜向かいにある「とり金」にお邪魔しました。さほど古い店ではなさそうだけれど、ぼくのような古びた店の雰囲気を好む客を当て込んでいるのか、パイプ椅子の目立つ地方の町の片隅の食堂のようなうらびれた感じを演出しているらしい。それにまんまと乗せられるのもどうかと思うのですが、好きなものは好きだからどうにもならぬのです。ぼくにはどうにも嫌な例え方をしてしまうことがままある。例えと言うのはちょっと違っているけれど、どんな事を語るかと言えば、この町に出張させられても一泊するのは厳しいなあ、だったり定年後、大阪にウィークリーマンション借りて、2ヶ月位過ごしてみたいなどという、他愛なくも無礼極まりないものです。これって端的に町の規模を宿泊数という数値に置き換えているだけなのですね。おっと道を踏み外してしまいました。七輪が目の前にあると使いたくなるのが人の性としても今晩、火を入れた炭に値するだけの食欲を持ち合わせるものなどいはしません。ほとんどの焼物や呑み物が300円というのもチェーン店以外にはあまり見掛けないけれど、これは分かりやすくて良いな。値段の割に味もいい。鳥のタタキはニンニクが物凄く効いていて、これまた酒が進む。でもこうして改めて七輪で肉を焼いてみると、それが鶏肉だろうと旨いものなんだな。牛や豚、羊でも質の良し悪しなんかも吹っ飛んでしまい、酒が危険な位によく進む、要注意の食べ方だと肝に銘じます。 その一本裏手の人通り少ない路地に「Standing Bal Eight Bird 八鶏」というのがありました。表から見た限りではよく分かりませんでしたが、店内はカジュアルなバルのようなちょっと洒落た雰囲気です。若いお客さんが多く、店の人もお若い。店を間違えたかもと思ったけれど、お通しの貝類のバター焼きがどっさり盛られていたのに興奮します。ムール貝、アサリ、ハマグリ、どれも肉のハナマサの冷凍食品にあるものなのだろうあ。ムール貝はチリ産、アサリなどは中国産なのは分かっているぞ、だけど大量に調理するとそれなりに旨くなるのだよなあ。勿論一方で食品の危険性を意識してしまうのであるけれど、それは酒で誤魔化すしかない。肴は500円くらいからで、レバーペーストなどのバル風というかブラッスリー風のカジュアルな料理がほとんどです。同伴者は何十年振りとかでコロナビールを呑んでいて満足そう。ライムを瓶内に押し込んでほくそ笑むのだが、これって引きずり出すの面倒だろうなあ。ぼくも似合いもせぬモヒートなど頼んで見たけれど、これはダメね、やはりちゃんとしたバーで作ってもらわないと甘いばかりです。こう書くと仕切り直して呑みに行きたくなるかというと、東京はすっかり寒くなり、秋を通り越して冬になったかのような気候だからそうはならぬのです。
2017/10/27
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亀戸には、思い付いたように足を運びます。隣町の錦糸町はどうも気が乗らないけれど亀戸はホルモン系の通りは若い連中で脂切って感じられるけれど、そこを離れるとかつての花街な名残りも気配としては残っているのだろうか、門前町と歓楽街がどぎつくない程度に留まっていて、憂鬱な気持ちになることも余りない。そんな好きな町ではあるけれど近頃、駅の周辺、とりわけガード下辺りがどんどんと変貌を遂げているのが詰まらない、というか見たくないがために遠ざかってしまっていたのです。たまたまこの夜は、ちょっとした用事があったからあまり気乗りはしないけれど亀戸に行かなきゃならない。そうなると否が応でも町の変わりように失意を隠せぬのであり、そうなると酒もきっと美味しくないんじゃなかろうか。ところが、ぼくは亀戸なことなどごく一端のみ見ていただけらしいのだ。あゝ書いていてそんな事どうでも良くなってきました。この後、二軒をハシゴする事になるのですが、そのいずれもがタイプこそ違えども、驚愕させられたのであります。 約束ついでに亀戸で浪曲の会合に行っているというO氏と合流する事になったのですが、少しばかり早く着きすぎたようです。ならば以前からどういう情報源から得たものかは記憶にないけれど、評判の良いらしい店があるので行ってみることにしたのでした。亀戸天神にもう少しの場所にこんな団地があるとは知らなかった。「亀戸・養生料理 高の」は、そんな団地のテナント店なのです。こういう店は、評判でも聞きつけぬ限りは何某かの情報がないと来れるものではありません。ぼくのような団地飲食店を好んで巡るものでも、その団地そのものを知らない限りは辿り着きようがない。団地が好きとか言いながら、その定義が分からないのだから余り偉そうに語れぬのだけれど、ここを初見ですごい店だと見きった人は疑って掛かるのが当たり前だと思う。もしかすると団地の裏から漏れ出す湯気とか煙でその実力を察してしまう破格のグルメがいるなかもしれないけれど、どうかなあ。にわかには信じがたい気がする。世の中にはすごい人がいるのを知ってはいるけれど、そんなに多くはないよなあ。とにかく凡人でかつ俗物なぼくはどこぞで仕入れた知識をもとにかの地を目指したのだ。思いのほかちゃんとした店なのに怯むのであるけれど愚図グズしている間などない。すかっと入ってカウンター席の隅っこに座ると目についた一番安い酒の麦茶割280円位と卵焼き350円位を頼むのである。これが大正解なのだ。いや、もしかするとこの程度で興奮するのは早すぎるんじゃないか。だけどそうしている間にO氏から着いたとの連絡あり。それがなければここで独り呑みたいくらいだ。きっとここなら売りにしている蕎麦とジビエも違いないはずといつになく強く確信して、合流を約する店へと急ぐのでした。 開店数分前に到着。「うまいもんどころ 味一番」はこれまでにも何度か振られているお店です。その理由はただ一点と言い切っても過言ではないと思う。とにかく何を頼んでも安いということなのだ。安価であるというのはそれだけでとりあえずは正義なのだ。表で待つO氏は珍しくもついさっき予約すら取ったというのだからただ事ではない。ぼくの知りうる限りこの男は予約なんてことをするようなタイプではないのだ。しかし予約がなければ入れぬところだったことをすぐ後に知ることになるのであった。時間前だけれど店の前に立つとすでに店内に入る客がいる。というか戸を開けると半席ほどはすでに埋まっているのだからどこから彼らは降って湧いたのだろう。O氏が開店10分前に予約に来たときには客など居なかったということなのに。ともあれ、席を確保できているので安心です。安心しすぎたのかO氏がここでもらしくない失策を仕出かします。ここは靴を脱ぐようになっているのにそのまま上がってしまったのです。大体いつも戸を開けて先に入るのはぼくの役目なのだが、すでに入っている気安さで注意が散漫となっていたらしい。まあ、その後に来た客も繰り返していたから判りにくいのは店側にも改善の余地があるかと。ともかく店内は居酒屋らしからぬソファ風のくつろぎ空間でそれがちっともオシャレじゃないのは救いとなっている。すると大量の魚介やステーキ肉などの食材を見せにワゴンが運ばれて来るのだ。思わず勢いで刺身とステーキを頼んでしまったけれど安心あれ、値段の事をわれらが失念するなどあり得ぬのであります。つまりはそんな安価で、酒と肴が楽しめるのだから人気があって当然なのであります。だからわれわれは時間制限の二時間を堪能したかというと、さにあらず、たっぷりと時間を余して勘定したのであります。こういうの、どうも性に合わない、少なくとも酒場をこよなく愛するおっさん二人で来るような店じゃなさそうだ。
2017/10/16
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門前仲町駅から永代通りを西に向かって、しばらく歩いてみてください。あまりの退屈さにすぐに嫌になってしまうのではないでしょうか。少なくともぼくなどは嫌気が差してすぐさま立ち去らんと、足早に通り抜けるばかりだったのです。だけれどもゆめゆめ駆け足で通り過ぎてはならないと気付かされるのでした。清澄公園から隅田川に流れ込む運河の袂によもやこれほどまでに愛すべきバラック店舗が残されていたとは思いもよらぬのでした。ぼくなどは常日頃キョロキョロと視線を落ち着かせることもなく、四方八方隈なく眺め倒しているという自負があったにも関わらず、それでもなお見過ごしていたのだから、やはり根拠のない自惚れは死角を広げるばかりなのだなあと反省至極なのでした。 やがて視界に飛び込んできた「おはる」はまさに理想的な佇まいです。無機質な運河に寄り沿うようにポツネンと放置されたその佇まいは今が平成の時代にいることを忘れさせてくれるに充分なものでした。普段なら川など邪魔っけな存在でしかないのです。昔から川には何度も酷い目に合わされてきました。だから川などなければないであまり困らない。なんてそれは嘘であって、少なくともぼくとって風景としての川はなくてはならない存在です。生活する上では厄介な存在に違いないのですが、しかいのどこかしらに川の流れがある事で、どれほどか風景が豊かなものとなっているか知らぬ程には情緒を知らぬことはないのです。このお店など町中にポツンとあってすら孤高の存在感を示すに違いないけれど、そこに運河ではあるけれどせせらぎがある事で、その存在の孤立感を一層際立ったものにしています。このバラック店舗のある素晴らしい光景を一枚の絵として残してみたいものですが、その技量がぼくにはないのが無念です。まさに絵になるお店です。いやこのバラック店舗こそがかの素敵な景色を形作っていると言っても過ち外れてはいないはずです。この店舗を失った時にこの眺めはたちまち精彩を欠くことは必至であるし、むしろ絵に描くどころか写真に収めようとすら思わぬでしょう。さて、店内はカウンター席とテーブル1卓のみの外観を裏切らぬこぢんまりとした造りで、案外こざっぱりとしているのは有難い。ぼくは古い店舗は好きだけれど、汚らしい店はけして好む者ではないのであります。連れがいたのでテーブル席をセレクト。すでに呑んだ後だったので看板商品のラーメンはパスすることにします。チャーシューなんかの肴もあるから困ることはありません。意外なのは店主が思いのほかにお若かったことでした。愛想は少しも良くないけれど全く支障はない。残念なのは酒類が缶チューハイなんかしかないことです。そんなにあれこれなくてもいいから乾き物とかあと焼酎、清酒くらいあってくれるともう少しのんびりしたくなるのですが、むしろそれを嫌ってのメニュー設定なのかもしれません。しかしそんな事はこの素晴らしい建築遺産を堪能できることを思えばほんの些細な瑕疵に過ぎません。
2017/05/15
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菊川駅と錦糸町駅のちょうど中間地点、地図上を線で結んでちょうど真ん中に点を打った辺りまで来るとさすがに飲食店の数も減ります。そこで、これから向かう居酒屋さんより目立っているのは、お隣の喫茶店です。錦糸町駅の向こう側にもあったっけ。以前から「Cafe & Restaurant ポプラ 緑町店」の存在は認知していました。しかしここは、店内が丸見えのせいもあって長らく敬遠していたのですが、思ったよりずっとちゃんとしていて、オールドファッションのファミレスみたいなところが少し気に入りました。錦糸町界隈の喫茶店の残念なのは競馬中継が喧しかったり、ガラの悪い客の多いところで、ここもやはり相当目つきの悪い客がいたりして店内撮影は控えさせていただきます。余計な言い掛かりを付けられちゃ叶いませんから。また来る機会があったらそのときは店の人に頼んで撮ってくることにします。 さて、呑む前に休息を終えて向かうというのもどうかと思いますが、お隣の「す吾六」に移動しました。外観は平成以前に生まれた日本人の多くが居酒屋と言われれば、凡庸にも想起しがちな田舎家風の一軒家であります。店内も描写が不要な位に当たり前すぎるほどにフォーマットに則っていて、これはこれで安心できて良いのです。奥は座敷になっていて子連れの家族達が大いに賑やかしております。もしかすると子供たちはこうした店の雰囲気で田舎家というものを知ったつもりになるのかもしれません。ぼくのじいさん、ばあさんの家はそれこそ田舎家の2つの典型例としてお示したいほどで、父方は豪農風の大きな家で、工務店をやっていたせいもあって増築に増築を重ねて子供にとっては迷路のようで大いに刺激的でした。母方の家も商売をやっていましたが、それはそれは狭くて荷物で一杯でしかも大いに古びていました。どちらも酒場に改装していたら間違いなく呑みに行ったのにと、話がどんどん逸れていく。子供はやがて飽きて疲れたのか横になってイビキをかきだしました。そして突然立ち上がると便所に駆け込み、大いに人を並ばせたのでしてた。こういうの親がちゃんとしてもらいたいものです。というかこういうマナーをしつけないバカ親たちは子供だけじゃなく親も含めて出入り禁止にすべきだと思うのです。こういう躾のなってない子供たちが酒場に通い出したら、どうなってしまうのか想像するだけでゾッとします。バカ親の事を書くのに夢中になり過ぎてまたもや紙幅が尽きてしまいそうです。肝心のお店のことを書くとするなら肴の質の高さにまずは驚かれることでしょう。白身魚のフライそのものも上質であることがそのまま齧っても感じられるほどなのに加えて、添えられたタルタルソースがとてもいい。これそのままご飯に乗っけて食べても上手いだろうし、そのままちびりちびりと摘んでも立派な一品として通用しそう。実際ぼくはそうして呑んだのだから間違いないのであります。というようなわけで繁華街外れにあるにも関わらず人気のお店なのでありました。
2017/05/05
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住吉って町は、ここを目的に訪れるということはまずなくて、よその町から歩いてきたらいつの間にかここに辿り着いていたというような、まあ一言でいうと影の薄い町のように思われるのです。影が薄いっていうの陽の当たらぬことと同義であり、つまりはスポットライトで照らされることがまず持ってない、とまでは言い切れぬにしろ相当稀有なようです。酒場にしてもそうで、住吉目当てで来たことだってなくはないけれど、なんの手掛かりもないままにはとても思い起こせそうにないし、メモなりネットの情報を見て見たりしたとしてもはっきりと想起できるか心許ないのです。むしろ喫茶店の方が数軒記憶しています。しかしそれらの店にしたところでどこにあったかということは少しも記憶していないのだからいきなり住吉に放り出されてしまったら途方に暮れるのがオチでありましょう。ところがそういう事態に自ら飛び込んでしまう無鉄砲さがぼくにはあるようです。そういう無計画さ、でどれだけの失敗を重ねてきたか忘れたわけではあるまいに、お恥ずかしいことです。 とあるお方の車の助手席から風情ある食堂を見止めてしまい、急遽送り届けてもらうはずの店まではまだ遥かな場所なのに慌てて停車を促してしまったのです。手短に礼を述べて人通りも少なく車通りも少ないそれなのにやけに道幅広く立派な道路の信号が青に変わるのをじれったい思いで待つのでした。道の対面から暗い夜道の先に見たほどには枯れてはいませんが、開店当時は洋風の洒落た食堂であったと思われるような味のある構えです。品よく程よいサイズのショーケースも眺めて心安らぎます。純粋な酒場らしい酒場に出会えることが稀有なことに引き換えて、大衆食堂然としたお店は幸いにも遭遇率が高いようであります。店内は幾分平凡な印象ですが、なになにやはり落ち着けます。「金来軒」という中華料理店寄りのこの食堂は、ビールを頼むとちょっとしたお通しも付けてくれたりして、酒呑みの琴線をくすぐる術を心得ている。大体において酒場ではお通しは金を取るものと相場が決まっているようだが、食堂では半々程度の確率であるけれど酒場のお通しなどよりずっとちゃんとしてもらえることがある。中華系のお店だとチャーシューやメンマなどが出されることもあって、酒の肴にピッタシ、何だか酒場巡りより食堂巡りのほうが間違いないとすら思えてくるのです。ここの特筆すべきは餃子がなかなか旨いことで、このところ当たりが続いているので、ぼくの味覚への不信感は高まりそうであるが実感なのだから仕方がないのです。ここでは時の流れるのがゆっくりとして感じられます。実際にはそう長い時間ここにいたわけじゃないけれど随分と長くを過ごした気になり出るときに思わず腕時計に目をやったものです。って、腕時計してないけど。 すると、しばらく総武線目指してあるき始めると「喫茶 茶々(ささ)」が目に入りました。おやここは以前目掛けたことがあるなとやっているようなので立ち寄ってみることにしました。店内はまあ特にこれってことはないけれど、入ったからにはコーヒーの一杯でも頂いてみようか。カウンター席がメインのこぢんまりしたお店であまり飾り気はありません。入ると店を閉める寸前だったらしく座り心地の良さそうなチェアから立ち上がったばかりのママさんが、もうお終いなんですけどと仰るけど、思い直されたのかコーヒー位ならといさせてもらえることになりました。ブックマッチがグラスに刺さっていたのでそっと引き出してみるとそれはよそのお店のものだったのでそっともとに戻しておきました。しばらくしてコーヒーとともにトーストを焼いてくださいました。おいしいマーマレードも添えてあります。優しいママさんのいるお店で好ましいのですが、もうすぐやめてしまうかもと悲しい話を聞かされました。帰りしなには可愛い猫ちゃんもお見送りしてくれました。
2017/05/01
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もともと都内の観光スポットということもあり、以前もそれなりには賑わっていた門前仲町でありますが、夜になればまあ昔からの有名酒場などに人並みができたりする程度で歩くのにも難儀するような活況が見られるようになってからは足が遠のくようになりました。まあそれでも思い出したように来ていましたが、さほど気乗りして訪れたわけじゃないのです。この夜もやはり知人の獣医さんの足の便が良いという理由で門仲に来たのです。何軒か目星を付けてきたのですが、どこも一杯で入れやしない。有名酒場の何軒も覗き込みますが、いずれも混み合っているのが明らかです。とてもじゃないけれど並んでまで呑む気にはなれぬのです。そんな時はやむを得ないので取り敢えず辰巳新道を歩いてみることにします。1軒や2軒、ちょっと気が利いている空いた店があるかもしれぬという淡い期待はいつも裏切られます。この小路の酒場など確かに何軒か混む店もあったけれど大概は閑古鳥が鳴いていたように記憶する。 何だか前回も同じような境遇に陥って最初の一杯がやけに遠かったことをぼんやり思い出しながら、何軒かでは断られ、何軒かは伺うまでもない盛況ぶりでありました。そんな中にもどういうわけだか空いている店も交じっているもので、前回お邪魔したのもそんなお店だったのですが、そこがどうして空いているのかという理由はやはり判然としないのです。ぎゅうぎゅう詰めで窮屈な思いまでして呑むよりは、落ち着いてゆったりとできる方がよほどありがたいというもの。「とん亭 志ん作」もまた奇妙な位に人の気配がしません。ガラス戸越しに店内を覗き込んでみると先客は2名おられます。門前仲町駅前に限らず各地の闇市露店がGHQの露天商撤去法に伴い整理されており、いずこにも似たような呑み屋街が形成されました。このような整理事業は画一化された間口の狭いお店が立ち並ぶことになりますが、ここもやはり似たり寄ったりの造りになっているのですが、席にはまだ余裕があります。L字のカウンター席は10人入れるかどうかで、普通ならこれで混雑していると相当窮屈そうですが、どういうことか不思議と狭い気がしないのです。加えて空いてることもありかなりリラックスできます。常連たちもここはいい選択だと褒め称えてくれます。酒場の選択眼を褒められるのは案外誇らしい気持ちになります。さて、品のいい女将さんが語るには、もともと早稲田大学出身の旦那さんの退職後にもつ焼店を始めたものの、数年前にお亡くなりになり、手が回らなくなったので、もつ焼をはじめ面倒な肴も置かなくしたとのことです。魚肉ソーセージの卵炒めも常連さんからの指南により始めたものでありますが、小さな酒場に豪勢な肴など不要なのです。ついついこの緩いムードに乗せられてすっかり呑み過ぎになるのが難点という素敵なお店なのです。
2017/04/24
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門前仲町にはもう嫌というほど通ったし、どうもぼく向きの町ではなさそうだとは悟ってはいたけれどそうと結論付けるにはまだ経験が尚早であるという酒場に出会うことができました。いや、何度も通いたくなるような酒場というわけではない。忘れた頃にふと立ち寄ってうっかり立ち寄って、ちょっとした思い出話の弾みだったり、情けないことながら帰宅後のメモで確認して初めてあぁ、ここにはいつか来たことがあったんだなと振り返るようなそんなお店なのでした。辰巳新道という通りはそれなりに味はあるけれどその知られた酒場の店内には常連というよりは、冷やかしの一見客が多いようです。万年一見客をしているぼくなどが言える立場でないことは重々承知していますがどうも気乗りせぬ店が多いのです。だから今回はあえてその両者をしゃぶり尽くすことにしたのでした。 ということなのでまずはそれなりに人気のある「ニューもつよし」とかいう立ち呑み屋にお邪魔する事にします。辰巳新道の裏手の入口にある人気立ち呑み店で以前から知ってはいましたがどうも気乗りせず素通りしていました。今回は、辰巳新道という町で呑んでやろうと腹を決めているのでそんなメジャーな店も行っておかねばと蛮勇を奮ったわけなのです。だってよほどの店でないと立ち呑み屋っていうのは退屈なんだから、できる限りは見て見ぬふりをしたい。いやいや、値段だけ考えれば安価な立ち呑みは便利で、こうして義務のようにブログを書くような人種にとってもありがたい存在であることは否定しません。でもおのれの普段の行動を翻ってみると、急激に市場を拡大している立ち呑み店でも繰り返し訪れる酒場はごく限られているのです。安く手早く呑めるのが立ち呑みの真価である以上、画一化されるのは仕方のないことですがそれにしても似通いすぎているのは退屈です。でもこの門仲の人気店はそれらとは一線を画しているようで、窮屈な店内には客が一杯で、ほとんどが通い慣れた風に振る舞っており、表情は酒場には相応しからぬ溌剌とした方が多いようです。そう、どうも路地の中程にある酒場には躊躇してもここならイケそうだと入門店として訪れる人が多いようにお見受けしました。だってオヤジだってぶっきらぼうだしーそれに対して含むところはない、極めてまっとうな態度ー、肴も旨くはないし、値段も安くはないのだから、サクッと呑んで店を移るべきだと思うのですが、どうも入門者たちに限って居座る人が多いのってどんなもんなんだろうね。外の店がモヤモヤと浮かぶ透明テント越しに早くもぼくの気持ちは次なる酒場へと向かっているのでした。 何軒か店を覗いて回りますが、やけに混んでとても入り込めなさそうな店のある一方で、一人の客もいない店が入り混じっていてはてさてどこにするべきか。混んでる店で待たされるのは嫌だし、居酒屋で並ぶなんてことはできれば避けたいものです。第一ぼくは人気店より客のいない侘しい位の店のほうが好みだから、そんな静まり返った中から「はし喜」を選びました。共同便所の二軒くらいお隣だったかな。暖簾をくぐると想像通りの狭小空間です。カウンターのみせいぜい6、7名が入れば窮屈になりそうな狭いお店です。女将さんはかなりのご高齢みたいで、お孫さんが様子を見に立ち寄っていました。席に着くと早速酒を注文、特に品書きらしいものもなく適当に数品が出されます。そのお通しいずれも美味しいから一安心、旨くなくてもいいからせめて食べられる品を出してよと言いたくなる店もこうしたタイプのお店には多いですから。お孫さんは食事をした後にわれわれーああそうだ、仲良しの獣医さんと一緒ですーに気持ちのいい挨拶をするとネオンのきらめく町へと去って行かれます。さてここは女将さんとのお喋りが楽しいのです。戦後すぐに屋台からこの一角に移されて以来お一人で店を守ってきたその経緯は大分忘れてしまいましたが、さすがに激動の時代を生き抜いただけあって、豪快でたくましいこと。
2016/08/30
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正直言って門前仲町という町のことがあまり好きになれません。なぜってまずは地元の方たちを差し置いて観光目当ての人たちが町を我が物顔で跋扈しているーかく言う自分もまさにこれに当たるーのが目障りなのであります。それは町のみならず数多くの有名酒場も似たりよったりの大混雑、うかうか呑みに入ると胸くそ悪くなることも覚悟しておく必要もありそうです。一方で一部の地元住民にも何を勘違いしたものか、己が町の代表であるかのような物言いを声高に述べ立てる者が少なくないのです。そういう連中が決まり文句のように語ってみせるのが、世間の奴らはここをモンナカって呼びやがるけど、ありゃ他所もんだね、地元の連中はナカチョーだろ、と排他的かつ選民意識ありありの発言を時には直接にある時は間接的に聞かされるものだからウンザリしてしまう。しかもそういう連中が集まるのは観光目当ての人たちと変わらぬのだから、情けないことです。 そんな両者ともに不幸にしかなれない情けない選択をするくらいならいっそのこと町外れの町中華で呑むのがよほど理に適っているというものです。「南光軒」またそんな実用的な町中華の一軒で、外観も内装ももう一踏ん張りすればそれなりに風格、いや違うか枯れた興趣をたたえたお店となるのではないかと思われるのです。どっか余裕のある席間を観察しているとここが満席になる様子がどうも脳裏に思い描くことが困難です。それなりに客は途切れぬけれどすべての席が塞がるなんてことはまずないのではないか。ぼくとしてはこの程度の入りが適当なのに思われるのです。混んでる店は鬱陶しいけれどー近頃鬱陶しいばかりをボヤくのはやはり梅雨でしか気温も夏本番みたいというというやはり鬱陶しい気候が作用しているらしいのですー、あまりにも空いていると店の人に監視されているような気分になるのは自意識の過剰さとは無縁のはずです。それなりに品揃えのある酒の肴ですが、チャーシューはあまりお勧めしません。だって値段の割にかなり貧相なんだもの。居酒屋メニューのようなどうでもいい品で呑んでいるとこよなく幸せな気分になれます。どうってことのないお店では有りますが、わが町の近所を思い起こしてもやはりないなあ。どこって語りませんがわが町よりはずっと過ごしやすそうです。
2016/06/28
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先般行きそびれてしまった錦糸町の酒場があります。その酒場とは特に屋号らしきものを持たずシンプルに居酒屋を名乗っているようでありますが、それては何かと不便であろうと名物をもって店名としているということが酒場放浪記で放映されたのはつい先だってのことだったはずです。やはり先般もそこを目指して店のあるロールプレイングゲームのダンジョンの地上階のような花壇街に訪れてその際に随分と綿密にこの雑居ビルを散策したものだから、もはやその目的の酒場に入ることなどどうでも良くなりつつあったのですが、誘われたとあっては断る理由もないのでありました。 改めて断るまでもありませんがそのお店は、とりあえずは「馬刺し 居酒屋」と番組にならって記しておくことにします。L字の窮屈なカウンターと小上がりに2卓あるだけの狭いお店なのでまずは入れた事に喜ぶことにします。けして安いお店でないことは当然分かっていることなので、ついつい呑み方も控え目になります。熊本への寄付の足しになるとは思わぬけれど、少しでも消費の面で支援したいという気持ちがぼくにだって少しはあるというものです。あまり品が良いとは言えませんが、先頃会津て頂いた量の1/3の量で3倍の値段とかいうことも知ってて入ったのだから気にはしません。そんなことはどうだっていいのです。ただ困った事には、カウンターの背後から鳴り響くテレビの音があまりにもやかましいのです。しかもそこで流れるのは酒場放浪記の放映回を録画したものがエンドレスで繰り返されるのです。しかもカウンターの向こう側からは主人がさも誇らしげにこれ、うちが紹介されてるんだと来る客ごとに語って聞かせるものだから、おちおちくつろいで呑む気にもなれぬのでした。こうして一見で来てる客はほぼ例外なく番組を見ているはずだから店であえて再生してみせる理由が理解し難いのです。まあ遠からず常連さんが忠告してくれるのでしょう。訪れるなら主人の興奮が覚めた頃にしておくのが無難なようです。
2016/06/21
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錦糸町は都内東部を代表するの巨大歓楽街で、学生の頃は楽天地のビルにある映画館を目当てにせっせと足を運んだものですが、この町のいかがわしくて猥雑な雰囲気に慣れるのにはそれなりの人生経験が必要だったように思い起こされます。実のところ今でもこの町の全容を見切ったなどとはとても言えぬのであって、今でも錦糸町という町に対しては及び腰であると告白せねばならないのが残念です。何しろ全体像を掴むには夥しいまでに町に巣食う酒場たちと対峙せねばならぬのだし、それらの酒場は小汚い雑居ビルの奥深くに身を隠していたり、看板すら出さずただ口伝のみで門戸が開かれるような店もあったりして、簡単に言うとそれら危なげな、いや間違いなく危ないに違いない酒場をも臆することなく踏み入る勇気がない者にはいつまで経っても錦糸町は遠い町であり続けるのでしょう。ぼくにはとてもではないがそこまでの気概はありはしないので、どなたか錦糸町に絞って探索する猛者が出てこられる事を悲願します。 とにかくかねてからその存在はよく知っていたもののついぞ呑む機会のなかった花壇街に足を運ぶことにしたのでした。いやいや、ここの喫茶店にはお邪魔したことはあるのですが、夜のこのビルは初めてです。花壇街というビルの名称からも察せられるようになかなか興味深い来歴を携えているようですが、それを語り尽くすだけの知識を持ち合わせているわけでもないので、他に譲ることとします。今回ここに来ることにしたのは酒場放浪記でこのビルで永年営業を続けてきた馬刺しを出すことで知られる一軒の酒場が紹介されていたからで、早速そこを訪ねたものの満席で謝絶されるのでした。そうなったらもうどこだっていいじゃないかとこのどれだけの店舗が巣食っているか確認するのすら難渋しそうなうちでは比較的見つけやすいと思われる「喰い処 ちぐさ」に入ることにしたのでした。店内は明るく比較的健全な雰囲気で安堵する一方でなんとも無難な店に入ってしまったものだと幾分残念に思うのです。いや別に危険な店を求めて錦糸町に呑みに来ているわけではないのだからこれでいいのですが、一応言わずにおれなかったのであります。さて、店はおばちゃん二人でやっていて、そんな店だから大した肴があるわけでもなく、その割に値段もそこそこなのてすが、まあそれはいい。今夜の勘定は友人持ちなのだから。だからなおさらもう少し気の利いた店にしてばよかったとの思いが脳裏をよぎるのですが、この友人、スイッチが入るともう止められないのです。特に店の人を巻き込んだ居酒屋のスナック使いが大好物なのです。なので後はもうカラオケ大会へと突入するばかり、一人の客も来ないから貸切の店で4人は熱唱の人たちとなるのでした。あゝ疲れた。
2016/06/07
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森下という町がどうも好きになれないのは、ごく個人的な人間関係がもたらすものてしかないのてすが、実際この森下という町にはそれほどに心惹かれるようななにものかを見出だせずにいます。地名は時代小説なんかでも度々見掛けたような記憶があって、ちらっと調べてみたら江戸時代には深川神明宮ーそんなのあったかなーの門前町として栄えるとともに、隣町の猿江と併せてドヤ街としての顔も併せ持っていたということです。今ではその面影すら見る影もなくなり果てていて、無機質な高層住宅が立ち並んでいます。そうこの町には居酒屋好きであれば避けて通れぬ店があり、ぼくも御多分にもれず酒場巡りを始めた頃に何度か足を運んだものですが、そのこの店の真価はぼくには捉えかねないままなのです。 そんな森下駅からそう遠くないビルの一階に「かねまん」はあります。これまた森下の名酒場ーらしいー同様に真新しいビルなのが興醒めさせられるのですが、この日はともかくにもここに来ると決め込んでいたので、さほど気乗りせずにお邪魔することにしたのでした。そんな乗り気でないなら入らなければいいじゃないかというご意見はごもっともです。でもぼくにはこうと決めたら多少の問題があっても当初の予定を愚直に押し通すという不自由な性格があるのです。ともあれ店内に入るとまあ外観を裏切らぬ極めてありふれた内装なのでした。早くも見切った気持ちになって腰を据えて呑む気分は早くも失せていたのでした。値段も安いとは言えませんが、ホッピーの中が1合徳利で出されるのでこれはちょっとお得かも。と、消極的な言い方になっていますが、それもしばらくして出されたチーズ入りのメンチカツの登場で一気に好意的なものに変わるのです。これが大変美味しいのであります。でも量が多いのでそうそうあれこれ注文できないのが惜しい。一人用の肴も用意してくれればいいのに。ただ、店の造りがらして独り客を当て込んでいないのかカウンター席が少なくなっていて、ここに来るならとにかく人数を集めて来るようにしないといけなさそうです。カウンターには古顔のでも若くて綺麗な女性がお一人でおられて、こんな女性にも受け入れられやすい酒場はやはりいい店なのでしょう。ふと見上げるとボトルキープの棚があって、そこに置かれた一刻者の一升ボトルに「飲んでいいよ〜」と書いてあるのでした。それを貰って、呑み切って、同じ書き置きを残して立ち去ったらなかなか粋じゃないかい、なんてことを思いますがもちろんそんなことはする度胸と予算はないのでした。 森下駅の周辺を散策していたら、「鮮魚 なかちょう 森下店」という古くからやっていそうなお店がありました。森下店というのがチェーンぽくて気にならないこともないのですが、枯れた外観につられてお邪魔することにしました。店内は外観を裏切らぬよい雰囲気でいかにも大衆酒場然としたよい雰囲気です。カウンターには、サラリーマングループ以外は、みな一人で来られていて、いずれも顔見知りのようです。この中のお二人は以前から顔を合わせてはいたものの言葉を掛け合う機会がなかったようで、ぼくも交えていただき楽しく会話させていただきました。看板通りに魚介系が充実していてしかも安くて大振りで旨いと三拍子揃った良店です。ついつい楽しくて次々と盃を干してしまいます。手の空いたところでご主人も会話に加わって来られます。見掛けは厳しそうですがなかなかに雄弁で愉快な方のようです。話によればこの店はもともとは近隣に数店舗構えた魚屋さんで、いつしか居酒屋に転身されたとのこと。奥には10名程度は入れそうなテーブルスペースもあって便利そうですが、なにせオヤジさん一人なのであまり大人数はお勧めできません。いや~、思いがけずいい酒場に出会えて大満足の一夜でした。少しだけ森下が好きになったようです。
2016/02/03
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錦糸町ってしょっちゅう来ている割にはどうにも馴染めず、町を彷徨うのが嫌になる理由は少しも難しくなくて、場外馬券場に出入りする連中のせいであるわけです。彼らのすべてが質が悪いというのではないけれど、ここ錦糸町の客層はとりわけ酷い気がする。なので、町はどうにも好きになれないものの酒場は悪くない店もある。ただ質の悪いのがくだを巻いているのを見ると途端に憂鬱な気分になるものだから自然と足は遠のくのです。だったらJRAとは逆の北口方面に行っておけば良かったはずですが、何度か呑んだこともあるそちら側は喫茶店巡りでそれなりに酒場があるのは知らぬではないはずなのに、なせか訪れようとはあまり思ったことはないのでした。それなのに今回北口にやって来たのはたまたま自動車に乗せてもらって通りがかった車内から眺める視線の先に良さそうな酒場が目に留まったからに過ぎぬのでした。急に気が変わって降ろしてもらったのてすが、その店からはカラオケの音が漏れ聞こえてくるので大人しく見過ごすことにしました。 次に目に付いたのが「鳥平」でした。遠目にも目立つ大きな看板に釣られて店の前に立つと、うんなかなかいい雰囲気。店内も賑わっているし、枯れた風情もあってこれは間違いなさそう。カウンターもほとんど埋まっていますが、独り客が多くて気兼ねすることもない。おっと、反対隣は三人組か、しかも遠慮なく距離感を置いていやがる。こういう環境では、見知らぬ物同士のほうが絶妙な距離感で各々が自分だけの自由を満喫できるのであって、そうした礼儀を知らぬ愚かなグループ客は群れていながらも互いの距離感を迷惑など顧みず席間を開くことで己のアイデンティティーを保とうというのが大人気ない。そんなガキオヤジには洗礼を浴びせないと我慢ならぬところですが、それじゃこのガキオヤジとなんら変わらない。あっ、なんだか意味なく長くなってしまったのでグルメレポートをしてみると、ここの焼鳥、けしてアベックに居心地いいとは思えぬはずなのにしっかりそんな酒場向きでない二人組も来たくなるだけの美味しいお店です。グルメレポートであれば表はカリッと中はジューシーとか焼きごろを見極めた熟練の技とかいう結局垂涎とは至らぬ言葉を弄する必要もない。何でもない焼酎割には、この焼き鳥があれば十分だということさえ語っておけば、真正の呑兵衛はそれだけでわかってしまった気分になれるのです。お通しも何だかあれこれ入っておいしかったしね。重要なのは値段がやや高めなところ。いつものことですが、皆んなお金持ってんだね。 次は「北国の酒 お食事処 はな笠」です。こうした店は勝負前の緊張感を味わえるし、勝ち負けの判定も非常に難しい。まず、渋くて良さそうな雰囲気ですが、ただ単に古いだけということも多いものです。しかも良心的なんだか無頓着なんだか小さいけれど引き戸がガラス張りで店内は見渡せてしまって客のいないことなど一目瞭然。それでも入ってみたんですね、で親父は実直かつ堅実そうではありますが、油断ならない。でもこの方、いい人なんですね、うっかり話し込んてしまいました。じきに数十年来通われているというじいさんも姿を見せますが、この三人で語りの境地に至りました。3杯が4杯へと至る辺りで我に返りますが、この日は体調がいいのかまるで良いなど感じない。適度な喋りは悪酔い予防にも機能するようです。ちゃんと酔いたければ独りで呑むべし。頼んだ煮込みが恐るべきボリューム。独りでこれを平らげるにはぼくは年を取りすぎているようです。とにかく愉快に呑んで食うのは諦めてということになりましたが、会計は思ったより高かったのが残念。
2015/11/18
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今回は情報をいただけるかもと思い、すでに報告させてもらっているお店に伺うことにしました。まだまだその全容を知るには至っておらぬこの町ですが昨年暮れからちょくちょくお邪魔しているので、ちょっぴりともういいかという気分になっていますが、とりあえずの締めくくりとしては、古典的な東京の酒場を代表する一軒にしばしの別れを告げずに済ますわけには参りません。その一軒は言わずとしれた「河本」なのですが、近頃開いていないとの噂を聞きつけすぐさま参上したのです。と言いながらそれも早、数ヶ月も前の出来事となってしまっていてとうの昔に旬を過ぎているのですが、やはりこの日も店の扉は固く閉ざされていたのでした。今、営業は再開しているのでしょうか。もしご存知の方があればぜひおしえていただきたいのてす。 とまあやっていなかった店に落胆しながらも呑みに行かねば気が済むまい。T氏が合流したのでまだ行ったことのないとのことでありし日の須崎パラダイスの入口ゲートがそばにあったであろう場所に当時からそのままのような姿を留める「江戸っ子」に入ることにしました。以前お邪魔した時は入口付近のカウンターの隅っこでそこはこの店の場末らしい濃密な気配を強く感じることができましたが、奥の座敷席は古いお店である空気感はありますがどこか生易しいムードです。あまりの緩いムードにいると呑み方までが弛緩してしまうようです。それはそれで酒場らしいのてすが、ぼくの好みは緊張感を切らさずにグイグイ酒を流し込み、焼き鳥をたぐるという手合の呑み方なのです。なのでここであれば最初はカウンターで1人孤独を堪能するうちに、誰かしらから連絡が入ってそのまま座敷に流れてのエンドレスの呑みへと移行したりするのが良さそうです。店の方も入口付近はきつそうなお兄さんが多いのですが、奥の従業員は柔和な表情の方が多くて多少酔っ払っても許されそうです。でもこう書いてはいますがそんなことはしないだろうな。
2015/10/07
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近頃、足繁く通っている木場ではありますが、けして気に入っているというわけでもなくて、かの名酒場が休業状態とあってはそれこそ勤勉に通うべき理由もありません。この夜はいつものTさんが付き合ってくれることになったので、彼の指定する木場向かうことになったのでした。駅の近くまで来るとちょっとばかし趣向がある方が面白かろうと先に呑み始めているTさんはほっておくことにして、しばし木場を散策します。木場といえば須崎パラダイスがよろしかろうと偵察のつもりでとある酒場に潜り込むことにしたのでした。 薄汚れた小汚い、でもぼくにとってはこれ以上ないほどに嬉しくなる建物があります。歴史はありそうですが、正直万人が好むような店ではないことは一見しただけでも見て取れます。雑居建築なだけあって何軒かの酒場がそこにはありますが、その中では比較的無難な屋号を持つ「にこみ屋」にお邪魔することにしました。って言ってはみましたが、屋号はともかく間口の狭さがもたらす怪しげなムードはここが並びでは最たる店かもしれません。実際それは紛れもない場末酒場の様相を呈していたのでした。カウンターだけで10席ほどもないだけの狭い店に常連度の異常なまでに高い客ばかりがすし詰めになっているのです。でもそれは極めて想像通りの光景であって、まさに須崎パラダイスで呑むには相応しいのでした。排他的な印象のあるオヤジたち、実はよそ者のことが気になって仕方ないらしくやたらとちょっかいを出してくるのがそれはそれで愉快なものです。結局お替りを2、3杯もご馳走になりながらお勘定はきっちり呑んだ分だけというのもまあなんたかおかしな話しではありますがそれもお愛嬌というものです。女将さんによるとこちらは須崎パラダイスの当時から開く最後のお店だとか、単なる壁にしか見えぬ共同の小便所がそれを物語るのかもしれません。常連の一部はわれわれ部外者の出入りを気に入らぬふうに思っていると勘違いしましたが、曲は忘れてしまったものの彼らの歌うカラオケの画面にはまごうことなく川島雄三の名作が映し出されるのでした。ちなみに店の脇にある男性用共同便所の潔さは見ものであります。 気分良くなったついでに須崎パラダイスの今はなきアーチを越えた辺りに「おけさ」というお店がありました。赤提灯がなければとても酒場とは思われぬ構えなのであります。きっと古くからやってきた店なんでしょうが建替えをされたんでしょう。古い家屋を維持するのは大変な苦労が伴うに違いありませんが、町の中でこの酒場自体も居住まいが悪そうです。地元の常連さん相手に最低限の実入りで十分といった女将さんの割り切りは、一見のわれわれに対しても変わることがなく、肴としてお願いしたお新香は大変な量でこれだけでも持て余すほど。しかもおけさという店名が想像させる北国らしくやたらと塩っ辛いのですが、それもまた店の個性です。木場らしさなど微塵もない酒場で北国の酒場にいるような気分になりました。いつしか常連たちがカウンター背面の大きなテープルに集い出しました。よそ者はそろそろ引き上げることにしましょう。
2015/08/04
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どうしてこれまで気付かなかったんだろ、標題に酒場放浪記で紹介された店に行ったんであれば、それをそのままタイトルという最も目立つ場所に据えてさえおけば、この番組に興味のない方は無駄な文章を読まなくて済むではないかと閃いて、早速実行に移したのでありました。本来このブログは、自らの脚と嗅覚でよき酒場と出会おうという意図から図らずも外れている、他力本願でマスコミの言いなりになってみましたよという脆弱な目的がこうしておけば、より明確になるはずです。とまあそんなことはどうでも良いことであって、今更ながらの所信表明も状況次第で如何様にも変化することと思われます。 さて、それはともかくとして東陽町駅に到着したところ、これまで少なくとも5回は振られている「COFFEE & PUB 峰」が開いているのでお邪魔しておくことにしました。スナックでもなくラウンジでもなく、喫茶店というにはアダルトに過ぎる外見は店内に入ってもさして印象を変えることはないのでした。天井で瞬く照明は、雑色や大泉学園の純喫茶のそれほどにキッチュではないものの、出来損ないのプラネタリウムのような―出来損ないこそが純喫茶の真骨頂―不思議と憩える空間なのでした。たまたま夜訪れましたが、こちらは充実にわたって店の印象が揺るがぬタイプのお店のようです。レースのカーテン越しだったり真鍮製のパーテーション越しに心地良い陰影を形づくるタイプのお店では全くありません。どちらが良いかという問題ではなく、こちらがいつ来ても変わらない母胎のようなメルヘンめいた場所であるということです。こんないかがわしくも懐かしい場所でも日中はサラリーマンたちが小難しい表情を浮かべて打合せなんかしていることを思うと、少し滑稽な気がします。そうそうこれまで知らなかったのですが「珈琲 あんず」なんて店も近くにありました。 さて、永代通りを渡って「くろ兵衛」に向かいます。ここには実は件の番組の放映前、昨年の暮にやって来て満席ゆえに入れなかったということも記憶に鮮明です。この夜も危うく入りそびれるところですが、辛うじてカウンターに空きがありました。実際続いて来られた2人組は、ぼくが出た時も表の立ち呑みコーナーにいたのですから、運が良かったと言えましょう。店内は至って平凡で客席を継ぎ足し継ぎ足ししたかのような出鱈目な工夫が見て取れますが特筆すべきでもありません。この店の真価は雰囲気より何より肴一品ごとに凝らされたアイデアに見て取るべきなのでしょう。周囲を見渡すと確かにあれもこれもと頼みたくなるところですが、同時にその量の多さも注意するべきです。とにかく多いのでここであれこれ頂きたいと思ったら最低でも3名以上で来るのが正解でしょう。実際ぼくなどは看板メニューの一つである牛すじ煮込みをたべるのにサワー3杯を要しましたし、それだけで満腹してしまったのでした。
2015/07/30
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西大島というと都内でも指折りのあの名酒場が控えており、そこにばかり気持ちが傾いて他所を散策する気になれないという弊害もあります。なので今回敢えて日本を代表するビールと同じ名を持つその酒場を避けて、別な西大島を見つけてやろうと思ったわけでは消してないわけです。その夜、たまたまT氏と呑むことになって、西大島で落ち合うことにしたのですが、先に到着したT氏がすでにその名酒場で呑んでいてそれなりに満足したらしいメールを着信するのとのと、ぼくがたまたま路地の向こうに見える赤提灯に引き寄せられて、人を待たせているのに遠回りしてしまったら、それがわれわれ好みの何とも言えず怪しげな酒場だったこともあり、これは入って置かぬわけにはいくまいと判断するタイミングが一致したことがこの夜の行動を決めたのでした。 その怪しげな酒場とは、「酒処 まんべえ」のことてす。と書いたところでそんな酒場のことをご存知な方はまずいらっしゃらないでしょう。恐らく日中は酒場であることなどおくびにも出さず、夜になって初めてその存在が明らかになるというタイプのお店です。そういえばいつもお世話になっている喫茶ブログの作者さんから業平橋にあるとある喫茶店を教えていただいて昨日訪れたばかりなのですが、そちらは置き看板のみがそこが喫茶店であることを表していて、それも日中のごくごく短時間に店を開けるときにだけ看板は出され、またたく間に営業を終えると看板はしまい込まれてしまうようです。何度もこの界隈には呑みに訪れていても気付かぬはずです。「まんべえ」もまた、月のように夜にならないと姿を見せてくれないようです。二重サッシの北海道かと突っ込みたくもなる厳重な関門を開けて店内に入り込むとカウンターだけの店内には高齢者が5、6名ほど談笑しています。当然ながらみな顔見知りらしく、珍客であるぼくが入り込んだところで意に介さない辺りがさすがの人生経験というべきか。肴は手の掛からぬ簡単な品が10品あったかどうか。ゆるりゆるり焼酎割などすすりつつカラオケに興じるというスナック寄りのお店ですが、見てくれは酒場そのものだからそれでいいのです。T氏がやって来たようです。ぼく同様にもたもたと戸を開けて入ってきた時に分かりましたが、この恐る恐る戸を開ける物音で客たちはああ一見の客が来たのだなと察するのでしょう。 さらに路地を進むと「西大島裏酒場 かくれん坊」がありました。店の前に立っても物音一つせぬので、若干の躊躇を感じつつも今更酒場探しも面倒なので入ってみることにしました。やはりお客さんはおらず店主も寡黙を通すためわれわれの会話も必然的に声を潜めてということになり、それも億劫なので会話ま途切れがちになります。酒も肴もそれなりに揃っていますが、お値段はやや高。味もそこそこ。とまあ店に入ってしまうと誠にありふれたお店でしかなく、この立地の悪さでは何かしら工夫がないと厳しいのではないかと、いつものように余計なこと思ってみたりするのでした。これ以上は語れない。
2015/07/25
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住吉にはこれといった目的もない割にはちょくちょく訪れていて、待合わせまでしばらくの間があるので酒場か喫茶店にでも入ろうかしらと町をうろついてみます。この辺の喫茶店はまあ大体は訪れているし、大抵夕暮れ時には店は閉まっているはずなので、必然、酒場を目指すことになります。歩き回っていると何だか来たことがあるようなないような、でもやはり寂れた店舗家屋が溜まらなく魅力的なその店に入ることにしたのでした。 その酒場は「栃木屋」といい、入った瞬間にやはりここだったかと思わず身構えてしまいます。以前お邪魔した時には3人で来ていて、それでもこちらの価格設定には怯まされて控えめかつ、恥ずかしくなるような注文で勘弁して頂いた―客なのにこの弱気さはどうしたものか―のでした。品書きをさり気ない風を装って素早くも集中して眺め倒していわし刺身が無難であろうと判断します。他に120円の焼鳥もありますが、これを頼むのはこの店では御法度なムードを感じ取ったのでした。悶々としながらビールを含むようにちびりちびりやっていると、知人からメールが届きます。返事を書くついでにスマホでスケジュールなどチェックしつつ、美しく盛られた刺身をおっ、こりゃうまいなんて思いながら口に運んでいると、親父さんから突然声を掛けられます。お客さん、うちの魚は鮮度がすごいんだからスマホもいいけど早く食べてくれなきゃ味落ちちゃうんだよ。ハァハァごもっとも、大変美味しゅうございます。ここまでは確かに言われたとおりと恐縮したものですが、その後がいけない。わざわざ築地まで買い出し行ってるんだよ。そりゃ立派ではありますが、わざわざなんて言い方で押し付けがましいことを言うのはどうかしてるんじゃないかしら。以前の感想では好印象だったのに今回の件でぶち壊しになった気分です。よほどスマホが嫌いなんでしょうかね。
2015/07/03
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本来であればこうした酒場は自らの足を駆使して出会いたかった。それが自己満足でしかないことは言うまでもないことですし、ここでこうした文章を書くうちにもっともらしい逸話でも絡めてみればそれはそれで自らの嗅覚で見つけたことにもできるのでしょうし、近隣の酒場の常連のオヤジに勧められたなんて言ってみればさらにリアリティーを裏付けてくれる逸話にもなるはずですが、ここは正直にテレビで見てわざわざ出向いたのであることを最初に告白しておきます。まあ酒場好きの方に限らず食べ歩きの文章を書く多くの方に見出されることですが、プロならそれなりに面白可笑しくもしくはドラマティックなエピソードを交えることが求められたりもするのでしょうが、ぼくのように趣味の記録としてこうした文章を残している者があからさまな捏造をしてどうなるのか、なんてことを述べてみたくなるのですが、それは脱線にすぎるのでやめておくことにします。アド街で見てどうにも気になったので出かけたと語っておけば済んだものを引き伸ばしてしまいました。 それにしても何度も清澄白河には来ているのに「居酒屋 だるま」があることを全く知らなかったのは、自意識過剰ながら恥ずかしいことです。それ位に外見だけでも入らずにはおられぬ素敵な構えであります。わが家のいまだブラウン管のアナログテレビで晩酌しつつアド街を眺めていると、デジタルの4Kどころかハイビジョンにさえ対応しておらぬキメの荒い画面が案外ハマっているという気がするのは、やっぱり悔し紛れでしかないようてす。実際のお店はテレビで見るよりずっとショボくてなんだか雑然としています。これはけして不満を述べているわけではなくむしろ褒め言葉のつもりなので誤解なきよう補足しておきます。キャメラという機械を通すと、どんなに醜いものであれ、汚れ爛れたものであれ、綺麗になってしまうのだから油断がならない。多くの映画作家が世にも不快な映像を希求しつつもどうも上手くいっていないことからもそれは明らかです。だからこそ動画や静止画をメディアで眺めてそれで良しとするわけにはいかないのです。これもどうてもいい。どうも脱線してばかりいます。とにかくこの酒場は素晴らしい。久々にぼくにとって居心地の良い酒場に出会えた気分です。品数多く、値段も大いに手頃でしかも利用もあって旨い。加えて雰囲気も抜群ときたらこれは行かないほうがどうかしているというものです。こう書いてる間にも行きたくなるのですが、ぼくの行動範囲からは大きくはみ出ているのでした。
2015/07/01
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木場の駅のそば、基本的には立ち呑み屋だったらしいのですが、実際入ってみるとそこが、立ち呑み屋でないことは椅子があることから明白であるとして、どうもこれまであまり経験したことのないちょっと風変わりな酒場であることを認識せざるを得ません。そこは店の女性たちの振る舞いがキャバレーとかキャバクラなんていう業態のサービスであるはずもなく、居酒屋と言うにはあまりにも居酒屋であるべきはずの指標もなく、じゃあその中間のスナックかと言うとまったく持って見当外れというしかない、まあどうにも他所とは比較できない妙な酒場なのでした。 そこは「大衆酒場 晩酌娘」という何だか想像力を逞しくするに充分なインパクトある店名のお店で、かと言って外観はというと怪しげな気配のかけらすらない明るくて開放的なお店です。ファーストフードというかラーメン店のような味わいのないカウンターだけのお店であります。カウンターの内側には女性―恐らく外国の方―ご数名おられます。やけにフレンドリーな様子で語りかけてこられるので、まああまり好みのタイプでもないし、正直ちょっと面倒臭いという気持ちがありますが、どうやらこのスナックみたいな応接がこの店のスタイルのようです。ああ、今巷で人気のあるらしいガールズバーの世代を上げたヴァージョンと考えれば良いのでしょう。ガールズよりは安くても、それなりに酒や肴の値段にサービス料が加算されているという印象です。寂しい夜を過ごしたくない向きには使えるかもしれませんが、ぼくはもう遠慮しておこうかな。
2015/05/27
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木場にはこのところちょくちょく足を向けていて、職場からも自宅からもけして便のいいとは言えぬこの地をあえて目指すのには、それだけこの土地への獏とした期待があるとしか言えないわけですが、ここで正直にみみっちい話を告白しておくと、近隣に住む職場の人が落っことしてくれるという実利的な理由もーいや敢えて正直に言うと理由のかなりの割合を占めているのでありましたーあるのでした。いつも通りを変えてもらったりという工夫も欠かさず、こちらはいつも通り助手席に座する者の勤めとして、リップサービスは絶やさずそれでいて視線だけは三方を微塵とも見逃すまいと集中を切らさぬのでした。 すると東京メトロの木場駅まではまだ500mはあろうかという二車線道路のとあるオンボロ木造家屋からモウモウと煙が立っているのが目に飛び込んできました。「夢乃家」という観光地なんかの冴えない食事処のような屋号ですが、外観はまさしく僕の志向のど真ん中です。遺産で店内に入りますがカウンターは隙間なく埋まっており、4人掛けテーブル2卓と奥の広いテーブルも塞がっています。相当な人気店のようです。他所で時間調整してから改めて出直すつもりでしたが、ちょっときつい感じの女将さんが入口そばのテーブル席に相席するよう指示しました。それは有り難いと地元常連間違いないちょっと風変わりな二人は当たり前のように席を詰めてくれたので、これはこの店では当たり前の流儀のようです。チューハイだったかをもらったのですが、品書には記載のないジョッキサイズもあるようですが、実際出されるのは小振りなグラスだったのでやや割高に感じられます。これならジョッキにすべきだったか。しばらくして届けられたもつ焼は確かに人気のあるはずですがこれまた幾分高いと思われました。でも客たちは気にする風もなく楽しげでその後も客足は絶えず入口付近で待たれていました。これは程々にして席を譲るべきと思っていると!女将さんがてんてこ舞いでしばらく待たされる間に相席のお二人が急にしたしげに語りかけてきます。せっかくなのでこの界隈のお勧めはないか伺ってみたところ、ここも旨いけど、あすこはこの界隈ではピカイチだととあるお店を絶賛します。オヤジは偏屈で気を遣うけどねとちょっと気になることを仰るのが余計だったかも。ただあと1軒のお勧めが以前お邪魔してあまり感心しなかった店名だったのが気がかりなところ。 素直に常連の言葉に従いもつ焼と九州の味を看板とする「もつ蔵」に伺う事にしました。開店してさほど歳月を経ていないことがありありな店構えを見てこれはちょっとハイクラスのお店ではないかと思わず身構えますが来てしまった以上入らぬ訳にもいきませんーそんなこともないんですけどねー。テーブルメインのお店かと思いきやカウンターだけのお店で、こちらも混み合っているものと覚悟していたのですが案外空席が目立ちます。これは先程の店以上に値が張るのであろうと恐ゴワメニューをめくるとさほどの価格ではなくて一安心。味は絶賛するほどのものではないかなと思いますが、主人の仕事ぶりは丁寧だし、聞いていたほどには癖もなさそうです。問題は客の顔ぶれで、この夜がたまたまであったことを願いますが、嫌な客ばかり。いちいち酒や肴に薀蓄を述べずには我慢できないタイプにそれを嬉しげに聴き入ってみせる女性客や横柄さを隠そうともせず仕事の話を大きな声でガなり散らすー話題には多分に機密情報も混じっていたはずーオヤジとそれに追従する太鼓持ちとまさに彼らの毒気に当てられて呑んでいてもちっとも楽しくならないのでした。
2015/04/07
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錦糸町という町は相当に呑み屋も多く個性的な店もあまたあるのですが、何度来てもここぞと言うほどの店はなくて、しかも競馬が開催される日にはJRAの開いているうちこそ町は活況を呈しますが、それ以降はパッタリと逆脚が途絶えるのか、一挙にゴーストタウンのような人気のない暗く物悲しい呑み屋街に変貌するのでした。そんな町が変貌を遂げんとする狭間の時間帯に錦糸町駅前にS氏と降り立ったのでした。 どうしてこれまでこの酒場の存在を知らずにおられたのか、そんな風に思ってしまうほどに駅からすぐにあって、しかも大いに目立っているというのにこれまで視界に入ってこなかったようです。「手造り 丸源」という屋号を読んだだけではなんの店だか判別するのは困難で、普通に想像してみればおでん種の練り物店とか豆の問屋さんとかいう辺りが正解な感じですが、紛れもない立ち呑み店なのでありました。店に入った途端にあと10数分でラストオーダーだよと目つきの鋭いオヤジにいきなり気勢を削がれるのでしたが、気にしている時間はなさそうです。それにしてもこれほどまでに活気があってしかも典型的に盛り場の立ち呑み店らしい雰囲気が横溢した酒場に気づかずにいた事が今更ながら残念に思われるほどです。一見の客には止まり木でやるのが気楽ですが、注文を通すのも難しそうなのでコの字カウンターの空きスペースに陣取ります。案の定注文はすんなり通ったわけですが、その理由はあまり嬉しくない形で間もなく判明するのでした。と勿体振るまでもなく隣のオヤジというのがかなり質の悪いおっさんで、周囲の彼に負けず劣らずの濃いオッサンたちをも鼻白ませるほどの強烈なアピールでわれわれを急速に疲労困憊へと追いやるのでした。 ということもあって次の酒場を決めるのは、瞬く間であったのでした。「加賀屋 錦糸町店」です。 暖簾分けの店でも一定のルールを遵守しつつ、独自の営業ポリシーが感じられる「加賀屋」系列は玉石混交と言えども一度は行っておいても良いと思っているのですが、さすがのぞうしよくぶりになかなか追いつけていないのでこれはまあちょうどいい好機と考えるべきなのでしょうか。真新しいビルの地下へと降りていってもこの系列で感じる興奮はまるきり芽生えることもなく、機械的に店の味気ないテーブル席に通されて、品書きを眺めるにいすれも系列の相場からは大いにはみ出て高価なり、ここは錦糸町では高級店の一軒なのかと瞬時にウンザリさせられるのでした。唯一の救いと言えばここが高級店であったためか、ものすごく可愛い女の子が男性二人を従えて、しかも端から眺めるといかにも手玉に取っていることはあからさまに、彼らに感情移入しながらも虚しい結末が待ち受けるのを見守ることができたことぐらいでしょうか。
2015/03/21
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昨年の暮に木場には来ていますが、どうにも消化不良のままで呑みを終えることになってしまったので、出直して改めて木場を満喫することにしました。木場の町って場末のイメージが付き纏うのですが、実際に町を歩いてみると整然と整備された古い建築のほとんど残らぬ味気ない町並みが広がるばかりで、イメージと現実とのギャップが大きいのはとうに知っていたこととはいえ、何度か歩けば思いがけぬ出会いがあってくれてもいいのではないかと甘えたくもなりますし、きっとそんな風景もあるに違いないのですが、今回は入りがちょっと遅くなってしまったので、あまりグズグズと散策している暇はありません。 そんなことから一軒目は、目についた酒場に迷うこともなく吸い込まれたのでした。目に留まったのは「食事処 おでん 和」てした。格別どうという店ではないのですが、真新しいビルばかり立ち並ぶこの地にあってはそれなりの風情を感じさせてくれます。店はせいぜい5、6席ばかりのカウンターだけで、先客はお一人だけ。女将さんは迫力のあるきつそうな感じの方に思われました。おでんを数種注文して店内を見渡すと、あゝ、またしてもまいうーの色紙が飾られています。まいうーのおデブな人は一体どれほどの飲食店を巡り歩いているのだろうと、うそ寒い心持ちになることしばしで、しかもこちらのおでん、けして悪いというわけではないもののとりわけ美味しいということもないわけで、こうしたごく平凡極まりない酒場の一軒に訪れるという理由が不可解でならないのです。それでもそう長くない滞在でしかめっ面の女将さんと常連さんと親しくなれるのがここ下町の良さなのだろうなと思うことにして次なる酒場を目指すのでした。 次に行ったのは「食べ処 飲み処 諏訪」というお店でした。かなり長くて奥にも座敷だかがある思った以上に広いお店で、基本的には食事処なわけてすが酒呑み向きの肴も非常に充実していて、これはもうはっきりと酒場のカテゴリに分類してしまって支障はなさそうです。客の入りはさほど良くもなくしばし肴に問題があるのではないという不安に駆られるのですが、出される肴はハズレがなくて実機結構なことです。揚げ物類は特にお値ごろです。酒場にあっては人々の会話を盗み聞きしてそれ肴に呑むというのがをこの上ない楽しみであるわけですが、ここでは一人客が主体なためそれは期待すべくもありません。なので店内をキョロキョロと眺めて呑んでいると一匹の猫が入ってきました。猫のジュピター、店の人に言わせると最近デブと呼ぶようになったらしいのですが、彼女の連れなさぶりをぼんやりと眺めて呑むことが、近頃珍しく仕事で忙しいぼくにとってはこよなく贅沢なひとときに思えたのでした。
2015/03/18
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錦糸町で競馬開催日に呑むのは非常に面倒かつうっとおしい。というのも良さそうな酒場の多くが5時を過ぎる頃には、店を閉めてしまうからです。逆に言えば多少環境の悪いことにさえ目をつぶれば昼呑みにはもってこいという事にもなろかというところですが、残念ながらぼくは昼酒というのがどうも体質に合っていないようです。ところで、環境の悪さという点をフォローしておくこととします。とりわけ目新しい治験や発見がある訳ではないのですが、世の中の善男善女にとっては単なる酒場であろうがギャンブル場を間近に控えた酒場であろうが一括に悪所であることに大きな開きはないと思われがちです。実際には両者には全く別物と言ってもよいほどの開きがあって、前者が買ったり負けたりでもあったのでしょうか、ごく少数の恵比寿顔のオヤジとその他の大部分を占める殺伐とした表情を浮かべるもの、そして恵比寿顔を眺めて殺伐オヤジはさらにいきり立つ。そして恵比寿顔をハイエナのように食い物としようとするものなどで、雑踏の中で冷え冷えとした思惑が交錯するのでした。そんな様子を人事のように眺めながら呑むのも悪くないわけですが、やはりぼくはギャンブル場とは無縁の単なる町場の酒場で静かに、しかしどの客からも満足げな気配を感じつつー例えある客の頬が緩むことがなくともその気配は伝わるもののようですー、呑むのが至福に感じられます。 ともあれ、最初に訪れたのは明らかに前者よりの馬券買いのオヤジたちが集う店です。はじめその場末の会員制クラブのような木製扉で頑丈に封印された「立ち呑み ぐいっと」に入ることに躊躇います。どう考えてもここはぼくが思い描くような酒場とは程遠い店であるはずもなく、しかしこれまた錦糸町らしいというただその一点のみを理由に入ることを決めました。同行するA氏の表情からは入りたくないという意思がありありと窺えますが、ここはわがままを押し通します。開けた扉の向こうからは早速にカラオケの大音量が炸裂します。スナックめいた店内であることは想像通りですが、止まり木卓を配したりして思っていたよりはくだけた印象です。ただ案の定かつてのスナック的な店で使用していたと思われるスツールが置かれ、これはどう考えても立ち呑みという看板の気安さに惹かれて来る客を当て込んだものだなと容易に想像できますが、あの外観でそれを期待するのはかなり無理があるというものです。やはりこちらも間もなく閉店となるらしく、ママさんはあまりわれわれを歓迎していないようですが笑顔は絶やすことなく優しいムードです。値段は立ち飲み屋としては幾分高め、安価なカラオケを目当てにした客が主な常連のようです。美人の娘さんはママさんの店仕舞い待ち。終えてからどこかにお出かけなのでしょうか。やさぐれたオヤジたちにも物怖じすることもなくすっかり溶け込んでいるのが錦糸町ッ娘ということでしょうか。 創業が大正8年という「鳥の小川」は、かねてから来たいと思っていた酒場の一軒で先ほどの店はその時間つぶしに近かったわけですが、何とか辿り着いてかうんたに腰を落ち着けたものの、心はちっとも落ち着かず、それは最後まで変わることはなかったのでした。と言うのもテレビを見たらしい夫婦連れがすでにびっしり入っていて、われわれの後も次々と訪れて来られるのでした。それはまあ想定していたわけですが、それにしても普段と比べると込みすぎているようで、店主はオーダーミスを連発、すぐさま奥さんを応援に呼び、しばらくしてやって来た奥さんとも連携はいまいち。それはそれで眺めていて楽しくなくもないのてすが、最後の勘定まで狂ってしまっては、冗談では済まされません。世知辛い現代では明細を出すのは常識となるやもしれません。長年愛された焼鳥は味わい深いものの、やや油臭くて胃に応えたのは単なる好みの差なのでー実際周辺の夫婦たちはぼくらからすれば食いすぎにしか思われぬ程の串を平らげていましたー、うまかったけど油に弱い人は気を付けてと言うのが報告すべき事項です。健啖な方は焼鳥の全部盛りというのを頼まれてはいかがでしょう。貼紙には15種とあるのに、卓上のメニューでは17種あるのはどうしたものでしょう。われれの話題はそこに終始しつつもてんやわんやの店主夫婦に伺うきっかけはつかめぬままもなりました。
2015/02/19
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木場に来るとついついあの名酒場に立ち寄りたくなりますが、この日の夜はもうすっかり遅い時間であったので入れてもらえることもなさそう。そうなれは勝手もよく知らぬこの町ではありますが、かつて須崎パラダイスで栄えた古い町のことだからきっとまだまだ知られざる酒場があるはずです。この夜は獣医師のK氏が一緒です。年はかなり離れていますがとても仲良くしてもらっていて、呑むときは互いの自宅との兼ね合いから総武線や東西線の沿線で呑むことが多く、今回はそんなことから木場駅界隈で呑むことにしたのでした。そう言えば前回はお隣の東陽町で呑んだのでしたね。 ところがこの夜は ようやくここぞと言う店を見掛けても、 混み合っていたり休みだったりしてことごとく門前払いを食ったあとで、ようやく「えちご家」という酒場に入ることができたのでした。ビルの二階にある新しいお店で、出遅れたこともあってか店の方は何だか面倒臭いという表情あらわにあまり気分良くなく迎え入れられました。テーブル席ばかりの愛想の欠片もないお店です。窓際は窓に面してテーブルが置かれ窓越しに人通りも眺められそうですが、先客の残した残骸が手付かずのまま放置されているので、そこで呑むことは期待できそうにありません。まあ、しゃべる相手もいるのにあえて窓外をオッサン二人で眺めてみたところで詮無きことです。これと言った持ち味もない店ですが、ようやく安住の地を見出した気分なので思った以上に長居してしまったようです。何度か便所に通ったことだけは思い出せます。酒場の思い出こそ希薄ですが、K氏と過ごした一時は忘れがたい思い出として断片的ながらいまだ記憶に鮮明です。 もともとさほど酒の強くないK氏ですが、この夜は会話を肴に呑み過ぎてしまったようてす。木場駅に見送ってぼくは再び独りで町を彷徨います。やはり何軒かで振られた挙句、ようやく入れてもらえたのは「居酒屋 たつみ」というお店でした。こちらは一軒家で幾分新しすぎるきらいはありますが、先程よりはずっと風情のあるお店でした。長細いうなぎの寝床のようなお店で長いカウンターが伸びていますがそのカウンターには早くも一人の客もいません。店の方もそろそろ店仕舞いという様子でぼくの来店を消して喜んではくれていない様子です。静まり返ったカウンターに遠くから漏れ聞こえる馬鹿話を肴に呑むものの寛いでいる暇はなさそうてす。店の方は客たちの振る舞い伺いつつも早めに引き上げて欲しいというオーラが滲んでいます。そんな時は店の方の気持ちを察して早々に引き上げるのが上策と考えるぼくはこの先のことなど考えることもなく、的確なタイミングてお勘定することばかりに思いは至るのでした。
2015/02/18
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これで昨年の単発の報告は、ようやく終了ですー通常の二本立て(ハシゴ)及び旅の報告は今しばらくお付き合い下さいー。世の多くのサラリーマンたちの仕事納めの夜、滅多に立ち寄ることのない東陽町で呑むことにしました。獣医師のK氏が一緒です。滅多に来ないと言っても日中はしばしば来ているのですがそれはまあ置いとくことにします。路線バスで見掛けた古い居酒屋が気になったから、行くことにしたまでで、ここが酒場放浪記で紹介されていたとは、迂闊にも知りませんでした。たまたま呑むことになったK氏が 東西線が便利ということで、お付き合い願った次第であります。 ともあれやって来たのは、 昭和42年創業の老舗酒場 「東陽」です。橋に伸びる緩やかな上り勾配の道に埋め込まれたようになった段差がお気に入りの半地下めいていて嬉しい。うらびれた感じもまたよし。いそいそと暖簾をくぐってみると想像よりずっと盛況でした。カウンターが開いていたので並んで座ります。世代の違う二人がカウンターに掛けるとき、どちらに座るかで値踏みされたりする事もあるようですが、なんだか懐かしい酒場の雰囲気にすっかり満足したーまだ呑んてもいないのにーぼくはそんなこと気にする暇もありません。年功序列を態度で示しやすい小上がり席は2卓だけとはいえ塞がっており、テーブル席もどういう訳だかこの店の雰囲気にそぐわぬ若者たちが占めています。ともあれカウンターに落ち着いたわれわれは茄子炒めだの焼鳥だの幾分しみったれた品ばかり頂いたのですが、これがなんだかとても旨い。家で作ってもどうにもこの味は出ないよねから始まった二世代も上の人生の大先輩との会話に火がついてしまい、二軒目として考えていた酒場のことなどすっかり忘れて酔いしれてしまったのでした。それにしても思いの外若い店のお二人の呑兵衛好みの味付け、これを身に着けられたら多少は外呑みも減るんだろうなあ。
2015/01/08
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随分前のことだったとしか覚えていないのですが、東陽町から南砂町方面にかけて喫茶店散策をした際に、得も言われぬ良い雰囲気の酒場を見掛けていたのてした。その時は真っ昼間ということもあって、指を加えて見送らざるを得ませんでした。しかし、そんなことはすっかり忘れて久しいとある日に亀戸駅から東陽町駅行きの都営バスに揺られていると、どことなく見覚えのある寂れた商店街を走っていることに気付きました。どの駅からも歩くにはちょっと遠い場所にあって、よほど思い立たなければ行くこともなさそうです。バス通りの脇道にもし酒場があればその店に違いないと分かる程度には記憶も蘇りつつあります。南砂町が最寄りの駅だったようです。しばしのバスの旅を終えその帰途に立ち寄ることにしました。営業していることを祈りながらそこを目指します。人通りの少ない夜道を歩いて、脇道を逸れると嬉しいかな、営業しているようです。 赤提灯の下がる外観からは間口が広く感じられるのですが中に入ると奥に深い造りの店です。カウンター席だけのいかにも下町風の大衆酒場そのものであることにひとまず喜びで頬が緩みます。「遠州家」というシンプルな屋号も板に付いています。客の入りもさすがに多く、入った時には先客2、3名であったのに、ほどなく満席になりました。他には近隣に居酒屋が少ないこともありますが、これほどの客に愛されるのはうれしいことです。値段はいささか高めではありますが、肴の品数多く、酒呑み好みのものが多いのに店の実力が感じられます。まずは肉豆腐からスタート。食べごたえ十分のよい味付けの品で人気のあるのもさもありなんです。やや濃い目の味付けで、ついつい酒がすすみます。そんな間にも次々お客が来ては無念そうに帰っていかれるのであまり長居するわけに行きません。残念ではありますがまたあらためてゆっくり訪れたいきいと思います。
2015/01/05
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大島はぼくにとってはアクセスの悪いとにかく不便極まりない町です。そんなことは大抵の人が決まった一箇所に拠点を設けなくてはならぬという現状がある以上はいかんともし難いことではあるのですが、なんとも不自由なことこの上ない。できることなら何人かの同士を募って、月に一度は住居を代わる代わる住むなんてことができたら楽しいのに。まあ、大島の近隣に住む知人がいない以上、このプランもさほど魅力的には思えないわけですが、そんな同士がいてくれることを願わずにはいられない名酒場がここにはあります。 言うまでもなく「大衆酒場 ゑびす」のことですが、このところ大島には日中訪れることが殆どで、何度もこの東京の酒場の王道と言っても過言でない店を素通りせざるを得なかったという悲しい事実を受け入れるわけにも行かず、とうとう面倒などこの店の素晴らしい店に来るには、些細なことであると考えられるようになったわけです。久々に夜に開いている店を見たぼくには何ひとつかつてとは変わっていないように思われます。ただひとつ違って見えたのが、驚くほどの入りの良さ。とても通い詰めるとまでは訪れておらぬぼくにとっては、ここまで入りの良かったことは初めてのこと。なんとか一席のみ空いている場所に腰を埋めると、ようやくこの店にいるんだなという幸福感に包まれることができます。とにかくここは古い酒場では例外的に、肴の種類が多いのです。しかもどうやら壁によってメニューの内容にビミョーに違いがあるらしく、店内をぐるり見渡すとさっきの壁の品書が気になって何度も周囲を見わわす度にあれやこれやと食べたい品のリストが増えてしまうのでした。なんだか何も語らぬうちに文章ばかりが長くなっていますが、この常連とそうでない客が、案外違和感なく同居できるのはまだ若いと言ってもいい女将さんの采配ぶりの見事さ。初めて来た際はおっかないと感じたその振る舞いも、若いながらしっかりと経験を積んだ熟練ぶりが感じ取れるのでした。初めての盛況を見ると、こうした酒場では空いてる時と混雑した両方を見るべきと思うのでした。そして名店というのは、いずれの状況でもやはり名店であることを認識させてくれるのでした。 名店を堪能してもまだまだ呑んだというにはもの足りぬ気分です。近所を物色していると路地裏にちょっと良さそうな居酒屋がありました。お邪魔してみることにしましょう。「居酒屋 鳥和」です。客のいる気配も感じられるので、思い切って戸を開くと2卓あるテーブルのひとつに男女4名がいます。カウンターに腰掛けて、酒を注文しながら様子をうかがうと、どうやらオヤジ二人は隠居していて、毎晩のように女性二人が勤めるスナックに出入りしているようで、この日は同伴出勤と洒落込んでいるようです。それにしても毎晩毎晩飽きもせず同じ店に通ってうんざりしないものだろうか。会話もかなりえげつない下ネタばかり。われわれ現役世代の収めた金をこんな風に使われたくないものだと思いはするものの、ひたすら溜め込んでいる連中に比べると遥かにマシかと思い直します。さて店の方はといえば、これと言って特徴のないごくありふれた店で、いい年をして嬌声を上げるオヤジたちを適当にあしらってしまうような逞しさを見せるものの、彼らが店を出ると一転して憂いを帯びた表情を見せてくれそうな感じです。とまあこれという取り柄を見出すことができませんでしたが、名店で満足して帰るより、ぼくにとってはずっと陰影のある記憶として鮮明に印象に残っているのでした。
2014/12/25
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大島はぼくにとってはアクセスの悪いとにかく不便極まりない町です。そんなことは大抵の人が決まった一箇所に拠点を設けなくてはならぬという現状がある以上はいかんともし難いことではあるのですが、なんとも不自由なことこの上ない。できることなら何人かの同士を募って、月に一度は住居を代わる代わる住むなんてことができたら楽しいのに。まあ、大島の近隣に住む知人がいない以上、このプランもさほど魅力的には思えないわけですが、そんな同士がいてくれることを願わずにはいられない名酒場がここにはあります。 言うまでもなく「大衆酒場 ゑびす」のことですが、このところ大島には日中訪れることが殆どで、何度もこの東京の酒場の王道と言っても過言でない店を素通りせざるを得なかったという悲しい事実を受け入れるわけにも行かず、とうとう面倒などこの店の素晴らしい店に来るには、些細なことであると考えられるようになったわけです。久々に夜に開いている店を見たぼくには何ひとつかつてとは変わっていないように思われます。ただひとつ違って見えたのが、驚くほどの入りの良さ。とても通い詰めるとまでは訪れておらぬぼくにとっては、ここまで入りの良かったことは初めてのこと。なんとか一席のみ空いている場所に腰を埋めると、ようやくこの店にいるんだなという幸福感に包まれることができます。とにかくここは古い酒場では例外的に、肴の種類が多いのです。しかもどうやら壁によってメニューの内容にビミョーに違いがあるらしく、店内をぐるり見渡すとさっきの壁の品書が気になって何度も周囲を見わわす度にあれやこれやと食べたい品のリストが増えてしまうのでした。なんだか何も語らぬうちに文章ばかりが長くなっていますが、この常連とそうでない客が、案外違和感なく同居できるのはまだ若いと言ってもいい女将さんの采配ぶりの見事さ。初めて来た際はおっかないと感じたその振る舞いも、若いながらしっかりと経験を積んだ熟練ぶりが感じ取れるのでした。初めての盛況を見ると、こうした酒場では空いてる時と混雑した両方を見るべきと思うのでした。そして名店というのは、いずれの状況でもやはり名店であることを認識させてくれるのでした。 名店を堪能してもまだまだ呑んだというにはもの足りぬ気分です。近所を物色していると路地裏にちょっと良さそうな居酒屋がありました。お邪魔してみることにしましょう。「居酒屋 鳥和」です。客のいる気配も感じられるので、思い切って戸を開くと2卓あるテーブルのひとつに男女4名がいます。カウンターに腰掛けて、酒を注文しながら様子をうかがうと、どうやらオヤジ二人は隠居していて、毎晩のように女性二人が勤めるスナックに出入りしているようで、この日は同伴出勤と洒落込んでいるようです。それにしても毎晩毎晩飽きもせず同じ店に通ってうんざりしないものだろうか。会話もかなりえげつない下ネタばかり。われわれ現役世代の収めた金をこんな風に使われたくないものだと思いはするものの、ひたすら溜め込んでいる連中に比べると遥かにマシかと思い直します。さて店の方はといえば、これと言って特徴のないごくありふれた店で、いい年をして嬌声を上げるオヤジたちを適当にあしらってしまうような逞しさを見せるものの、彼らが店を出ると一転して憂いを帯びた表情を見せてくれそうな感じです。とまあこれという取り柄を見出すことができませんでしたが、名店で満足して帰るより、ぼくにとってはずっと陰影のある記憶として鮮明に印象に残っているのでした。
2014/12/25
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とある暇な土曜日、暇つぶしに都営バスの一日乗車券を使って滅多なことでは行けない町に行ってみようと思い立ちました。その過程は長くなるのでここでは割愛します。池袋駅を出発し、途中寄りたいところもあったので結局10本近い路線バスを乗り継いで辿り着いたのは、最寄り駅というと潮見駅になるのでしょうか、停留所名は忘れてしまいましたが、木場の南側をずっと南下した広い道路と工場や倉庫のような施設ばかりのガランとした場所です。なんとも気分の萎える光景が広がるばかりで、早くも下車してしまったことを後悔します。 ところが現金なもので「Myウェイ」というプレハブ造りの倉庫みたいなタバコ屋を兼ねた喫茶店を見て、一挙に機嫌が直ってしまうのです。ところが店内に入ると、、、これから行かれる方の気分を萎えさせては申し訳ないので多言は避けておくことにします。 さて、気を取り直して辺りを散策していると、どこかで見かけたような店がありました。テレビ版の「孤独のグルメ」に登場した「食事 & Coffee レストラン アトム」でした。この番組、オリジナルのマンガの愛読者ではありますが、テレビ版はさほど良いとは思われずー主演の松重豊は『地獄の警備員』の頃からのファンですー、熱心な視聴者ではありませんが、この回はたまたま見ていました。どう見ても場末の食堂、廃店寸前のドライブインといったムードです。そんな中にも常連のタクシードライバーに混じって女性二人がコーヒーを飲んでいるのがなんとも不可思議に思われます。酒もお手軽な酒の肴もあって、この雰囲気はコーヒーを飲んでいる場合ではないなと、遅いランチのつもりだったのを路線変更、一杯呑むことにしました。客の出入りも頻繁で、他に店がほとんどないからということもありますが、なかなかの繁盛店のようです。カウンターと店内の行き来ができず外を回って料理を運ぶ姿が面白おかしく演出されていましたが、実際にその現場を見ることはありませんでした。それにしても店の方はわれわれを番組を見てきたのだと思ってるんだろうな、ホントたまたまなんですけどね。
2014/11/29
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砂町銀座商店街は、東京都内に数多ある商店街の中でも、とりわけ活気のある人気商店街として紹介されることが多いわけですが、確かにこの商店街を訪れると多くの人たちが集まり、賑やかなわけですが、ぼくが何度か訪れた経験ではそれぞれの店舗の魅力はさほどではないと感じられました。どうやらそれは東京の大規模商店街に共通しているようで、東十条、中延、大山なんかの人気商店街より駒込の田端銀座などの小さな商店街のほうが帰りの荷物は多くなりがちです。砂町銀座商店街の集客の要因はもしかすると立地の不便さこそにあるのではないかと思ってみたりします。都営新宿線の大島駅や西大島駅、東西線の南砂町駅のいずれからも1.5キロメートル程はありそうで、ちょっとした旅行気分を味わえることが逆に魅力となっているのかもしれません。そんな商店街を久しぶりに散策、これといった買い物もせずにブラブラと立ち並ぶ店舗の商品などを冷やかしているうちに、商店街の脇道にそれて眺められる居酒屋の赤提灯が灯り始めました。 まずお邪魔したのは、「大船」です。酒場放浪記にも出ている老舗感が濃密に感じられる実に良い雰囲気のお店でした。この土地に根付いて、長く商売してきたことが一目で認められるこの構えを見れば、テレビ番組で知らずとも思わず立ち寄っていたに違いありません。店はカウンターと奥にごちゃごちゃした茶の間のような8名程入れそうな座敷があり、これから宴会でもあるらしく溢れんばかりに魚介の盛られた鍋がすでにスタンバイされています。カウンター席にはかなりご高齢のご夫婦がおられ、親密な距離感を絶やさずに小声で会話しては、ビールを口に運んでいます。店は母娘でされているようで、もつ焼の店ではあまり見掛けません。以前はオヤジさんが居られたのかもしれません。もつ焼は標準的でこれといった個性があるわけでもないのですが、静かで落ち着いた時間を過ごさせていただきました。やがて遠からず団体が来るのでしょう、この好ましい静寂感を記憶に刻み店を立つことにしました。 商店街を突っ切って自動車道にぶつかって右手に進むと「大松」がありました。自宅でこの店のことを調べてみたら、どういう訳か「大升」と登録されています。最近になってやごうを変更したのでしょうか。なんにしろ店に入ってみることにします店は土間の床が酒場らしくて大好きです。ザバっと水を撒いてデッキブラシでゴシゴシと掃除する様が脳裏に浮かびます。長いカウンターに客はおらず、奥のテーブル席でグループ客が盛り上がりますが、広い店内なので騒がしさがさほど気にならないのは嬉しいこと。店は家族で切り盛りしているらしく、男性衆は調理を出際よくこなす様が眼前にあり、それを眺めるだけでも目を飽きさせません。肴は多種多様でついつい迷ってしまいますが、何となくフライドポテトを頼んでしまうのがわれながら貧乏性です。やがて綺麗な女性がひとり店に入ってきました。つたつたと店の奥に進み、カウンターの中に入っていきました。彼女もご家族なようです。見ると茶碗にご飯をよそったりしています。カウンターの資格にお子さんが大人しく腰掛けていたようです。用事を済ますまで店に預けているのでしょうか。そんな下町らしいのどかな夕暮れを過ごすのに最適ないかにも大衆酒場らしい良いお店でした。
2014/11/25
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森下の町っていうのは、東京の下町を象徴する地名の一つであると思うのですが実際範囲を地名の森下に限定すると至ってとりとめのない、これと言って東京下町を印象付けるだけの何があるわけでもないありふれた住宅街というのが正直なところ。何軒か高名かつ人気も高い居酒屋があったりもするわけですがそれほどのものとも思われません。そういう印象は今回も拭えぬ結果となるわけですが、唯一収穫だったのは思っていたよりは場末の匂いも留めていることが感じ取れたことです。なお、この夜はA氏とT氏が一緒です。まあ、あまり文中では顔を出すこともないとは思いますが念のため。 と、長々前置きを書いたが最初にお邪魔したのが「陸中」というお店、入ってみてぞくり、なんと貧乏人の酒呑みには鬼門である寿司屋だったようです。入ったからにはしょうがない、適当に安く済まして引き上げようという方向で行くことを二人と目配せします。刺し身の三点盛りがお手頃なのでお願いすると、中トロなどの値が張るいくつかのネタ以外から好きなものを選べとのこと。あっ、〆鯖切らしてるなど結局選んだんだか選ばされたんだかよく分からぬまま注文を済ませ、待つことしばし。いずれもちんまりと2切れづつなので2人は一切れづつトレードしていましたがぼくは大人しくトリ貝をつまみました。刺し身以外も今日はそれはできないと、出せるものを言い当てるほうが難しいくらい。恐らく客の入りが悪いー実際オヂサン一人がいただけーから仕入れは控えめにして、ネタが限られるから客はつまみたいものをつまめず不満が溜まるという悪循環にはまり込んでいるように感じられます。いや、もうそれなりに長くやってるお店のようだから、ひたすら食虫植物のように、愚かな客がごくまれにはまり込むのをじっと待っていればいいと思っているのかもしれません。とにかく客に出せない品があるなら掲示しないでいただきたい、単に短冊を剥がすだけなんだから。 太平洋側の「陸中」から、次いで日本海側の秋田に店を替えました。「秋田料理 藤」です。かねてから注目していた相当に老朽化のレベルの高い飲食店長屋の一軒で、なかなか夜に森下に来る機会がなかったものですから、ようやく念願が叶いました。こうした外見のインパクトの強い店は、往々にして入ってみるとなんでもないことが多いので、過度の期待は控えるよう心掛けてはいるものの、どうしてもはやる気持ちを抑えることができません。入るとおおよそ予想したとおりの女将さん一人だけ、だから一人でも切り盛れる程度の10席程度のカウンターだけのお店です。壁や天井はしっかりと年季に応じてくたびれていて、新しい店では出せない哀愁が漂っています。女将さんも他の客も無言でわれわれの口も否が応でも重くなります。でもその沈黙がけして嫌ということではなく、むしろ清々ささえ感じるほどに心地よいのでした。
2014/10/17
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亀戸にはちょくちょく出向いていますが、最近大きく変化したのが総武線の高架下の風景です。端的には古くからあった小さな酒場の多くがいつの間にやら姿を変えて、そこらにあるのとさほど変わり映えしないような、味気のない風景へと変貌してしまったのでした。それでもせっかくなので新しい一軒にお邪魔することにしました。 「鳥乃家」もまた、最近開店したばかりのお店のように見受けられます。従業員にやけにアジア系の色っぽい雰囲気の女性が多かったように記憶しています。もしそうであるならこの今時の居酒屋らしからぬ殺風景さもわかるような気がします。って単にテレビで見掛けるアジアの店の外にやけに清潔さをアピールしようとした素っ気のない様を知っているだけで、ホントはまったくの勘違いかもしれません。お節介ないいざまですが、高架下などありがたがるのはアジアの他国の方には伝わりにくい感性かもしれませんが、われわれとしては高架下の猥雑な環境を活かしてもらいたいと思わずにはおられないでした。それにしてもこの店の従業員のゆる~い仕事っぷりはどうしたものでしょう。やることやったらとっとと引っ込んで雑談に興じるのです。これもお国柄なんでしょうか。それ以外はチェーン店とさほど変わらず、再訪はなさそうです。
2014/09/13
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特にこれといった目当てがあったわけではないので特に不満があるわけではありませんが住吉に到着して、フラフラするうち見かけた店で気になったのが喫茶店であったため、それに誘われていつの間にか清澄白河まで歩くことになりました。 はしめに目に留まったのは「パナール」というお店でした、が店内からはか細くも明かりが漏れているにもかかわらず店を閉めたばかりだったようです。こうなると喫茶店の一軒でも行っておきたくなるのが貧乏性のぼくの悪癖。ちょっと歩くと今度は「琥珀」なる喫茶店があります。看板の明かりもついています。勇んで店に入るのてすが閉店内には男性二人がやけにリラックスしてくつろいでいます。落ち着いた口調で語るにはこちらすでに店を畳んだようです。こうなっては何としても喫茶店に行かねば気がすまぬとばかりにひたすらズンズン歩くと、古典的なパーラーらしい看板が素敵な「みどりや」というお店があります。盲滅法に歩いてこんなに良さそうな喫茶店に出会えるとは何とも幸運なことです。後で調べると喫茶本でも紹介されているその筋ではよく知られたお店とか。茶のレザーソファが貴重のシンプルで落ち着いた空間が心地よい居心地です。入ったときには一人のお客さんもおりませんが、やがてポツリポツリ来店があり、店を出る頃には随分と賑やかになりました。 そうこう歩いているうちに清澄白河までもうすぐという場所までやって来ていました。大通りの交差する角地に何やら古めかしい建物がありそこには実用洋食なる見慣れぬ文字がありました。これまで何度も通過しているのに気付かなかったのは、逆方面からやって来たからでしょうか。きっと呑むことも可能でしょう。楽しみは後回しにして今日はこの辺りで呑むことにしました。 しばらく彷徨いていると、裏通りの一本に呑み屋らしき看板がありました。さらに横道を折れて民家の立ち並ぶ細い路地に「おでん やすだ」がありました。こういう民家に混じったお店は、スナックめいたカラオケありの店も多いのですが、ここは大丈夫そうです。まだ時間も早いのにそこそこのお客が入っています。多くがポロシャツにチノパンに突っかけ姿のご近所さんのようです。夫婦連れもいて近隣では隠れた良店として人気があるのではないでしょうか。カウンター7席位にテーブル1卓ほどの小ぢんまりして清潔なのも奥様たちの好感を得ているように感じます。品書きを見てもいずれもお手頃で、普段遣い、それこそ夕食の支度が億劫なときにもぶらり出掛けられるような気安さがあります。オヤジさんは職人風の良い面構え、いかにも江戸っ子風で、案外によく喋られますがきっぷの良さそうなチャキチャキした方でした。その息子さん?は、物静かで黙々とフロアー仕事をこなします。良いお店です。マッチも貰いました。飲食店のマッチは文字だけの素っ気ないものが多いのですがこちらのものは洒落ています。 さて、続いてはお楽しみの「実用洋食 七福」です。ここは何と言っても巨大な看板の外観にすごいインパクトがあります。スッキリと白地に黒文字で店名の入った暖簾もいいです。目の前で母子連れが入っていきます。店内はテーブル席が多く、中央には相席用の長テーブルが2つ。壁に沿って置かれた4人用テーブルは塞がっていて大層活気があります。客層は多岐にわたっていて、その分用途も様々。母子や学生さんは夕食として、独り客のサラリーマンは間食として、カップルは開店前の時間調整、そしてぼくのような独り呑みにグループ呑みと便利に使われています。でも心なしか、お客さんたちは皆どことなくくたびれた風に見えるのは夏バテだからだけではないようです。肴としてもらった白身フライは野菜もたっぷりで、確かに呑みの実用に足るおいしい洋食でした。
2014/09/09
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