身延の春(一)その1
母に捧げる
身延の春
[序章]
さよならと千切れるほどに手を振りて
別れを告げる母のふるさと
振り向けば小さくなりぬ母のかお姿
いついつまでも両手振りいる
貧しさのさなか最中にありて
我が母は笑顔たやさず我を育てり
母ありて我の今あり
涙して母の歌いしうた人生歌を歌わん
れんげそう摘みて遊びしふるさとの
四月に似たり身延の春は
[身延山]
この道を母は歩みき
我も今仰ぎて辿る身延への道
朝霧のたちこむ境内ひとけ人気なく
吐く息白しさんぱい身延の朝
たらちねの母の遺影を胸に抱き
御堂に向かう母の子として
母逝きて一七年の歳月流る
今もなお《強く生きよ》の母の声聞く
勤行(おつとめ)の南無妙法蓮華経(どきょう)轟く身延本殿
ひたすら祈る子供の未来
ひたすらにただひたすらに祈りおる
巡礼姿の母に会えたり
息子二十娘十七の春を迎える
母が紡いだいのち生命いとおし
身延の春(一) その2
母衣崎健吾
身延の朝
[七面山]
一歩づつ踏みしめゆけば母の声
《 待っていたよ 》と我を迎える
あさぼらけ朝朗真向かう瞳に映りける
パノラマ画像は抒情詩の如く
昇りくる朝日にむか迎いてあわ合掌す手に
母の顔見ゆ 父の顔見ゆ
富士のみね嶺肩よりいでし朝の陽の
いちばんこう一番光ぞみどう七面山御堂を照らすは
静寂の御堂を揺さぶる声楽曲(カンタータ)
若き修行僧(そうりょ)の音律(しらべ)途絶えず
限りある生命(いのち)見つめて
今日もまた所為なき我を母に悔いたり
(身延山・七面山山中にて)
身延の春(二)その1
母衣崎健吾
蛍
病室に差し込む光
照らしおる細くなりける母の御姿
ひととき一瞬の病消え去り我が子抱く
母の姿は聖母の如し
《 かあさんが逝ったよ 》
納戸に篭り父に告ぐ形見に残せし箪笥に向かいて
たらちねの母と添寝の蒲団焼く
煙を追えば満天の星
千尋(ちひろ)なる慈悲のこころ満ち満ちる
母が逝きたり ははが逝きたり
立ち籠める煙に紛れて涙拭く
蛍も泣けるか飛湍(ひたん)に流され
蛍火よ一人で逝きし母なれば-
野辺の送りの夜道を照らせ
蛍飛べ母の悲しみ抱いて飛べ
わが悲しみ背負って飛べ
身延の春(二) その2
母衣崎 健吾
一番星
死別して三十三年の歳月(とし)流れ
晴れて寄り添う夫婦星(ほし)ぞ瞬(またた)く
春風にかすかに薫る白い花
庭のすもも李は母の面影
のいちごの真白き花が咲きたれば
雨に打たれて母をぞ追想(おも)う
寒椿今年の冬は咲いてくれるな
勿忘草(わすれなぐさ)をこころに咲かしむ
幼き日母と見あげし西の空
一番星の今日も輝く
庭先に春を告げるやふきのとう
父に知らせの便り届けよ
山吹の色に染まりしあげはちょう
あすは弥山の峠を越えるや
村人の列に向かいて我が母は
別れを告げる遺影となりて