Nonsense Story

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片岡家の災難 4


 全部ゴミ袋に押し込みたくなる。
 ぼくは片岡の持ってきた半透明のゴミ袋に、ティッシュペーパーと破れた障子紙だけを拾って入れていた。それらの下からは、一輪挿しをはじめ、写真立てやこけし、風鈴などが姿を現した。
 それらと顔を合わせる度、ぼくは障子の破れた箇所をきれいに切り取っている片岡に、どこに何が置かれていたのかを聞かなければならなかった。
「この花どうする?」
 ぼくは倒れた一輪挿しとそれに挿してあった花を拾い上げながら、片岡に訊いた。
 一輪挿しの下には薄い紙のシートが転がっていたのだが、そのシートは表面がメッシュに覆われた三層構造になっており、吸水効果のあるものだったようで、一輪挿しの中に入っていた水はそこに全て吸い取られていた。そのお陰で畳は無事だったのだが、挿してあった花はしおれてしまっていた。
「ああ、花はうちの庭のだから、同じのを摘んでくる」
 シートは何だか分からないが、捨てても構わないだろうとのことだった。
「でも、赤松に片付けを手伝わさせなかったのは正解だな。あいつに片付けさせたら、もっと散らかりそうな気がする」
 ぼくは、今度は美容クリームの瓶を鏡台の上に置きながら言った。
「赤松さんの部屋って、そんなに散らかってるのか?」
「いや、俺が見た時は、いつもきれいに片付いてたけど」
 赤松のドジ具合を考慮しての人選ではなかったのか。
 ぼくは散らかる物のないくらい殺風景な赤松の部屋を思い出しながら、足元のティッシュの塊を拾い上げた。最近ティッシュが高い、という母親の嘆きが浮かんできて、一瞬ゴミ袋に入れるのをためらう。すると、自分がティッシュだけでなく、何かもう少し硬い紙を手にしていることに気付いた。
 何か大切な物を握りつぶしてしまったかもしれない。ぼくが慌ててティッシュペーパーを開くと、中からは葉書大の紙が出てきた。ぼくが握り締めていたせいでしわくちゃになっている。
 その時、急に片岡が声を上げた。
「気付いてはいけないものを見てしまった」
 その言葉に、ぼくは心臓を吐き出しそうになった。ぼくが今、手にしている物のことを言ったのかと思ったのだ。
 しかし、恐る恐る振り返ると、片岡が見ていたのはぼくの方ではなかった。彼はこちらに背を向け、隣室に続く襖の隅を屈みこんで見ていたのだ。
 ぼくは手に持っていた物が何なのかを確認して、ズボンのポケットに仕舞い込むと、心臓を押し戻すように唾を飲み込んだ。
「何があったんだ?」
「ここに引っ掻き傷ができてる。猫が開けようとしてたらしい」
 片岡が指差している所を覗き込むと、襖の木枠の下の方だけ、木を剥いだような数本の引っ掻き傷ができていた。焦げ茶の縁に、明るい薄茶の線が入っている。
「げっ。こりゃあ、どうにもならないぞ。どうする? 茶色い絵の具でも塗っとく?」
 片岡は思案顔で立ち上がると、思い切ったように宣言した。
「仕方ない。放っておく。何か言われたらアルジャーノンのせいにしておこう」
「あるじゃ・・・・・・ジーラ?」
「アルジャーノン。昔、ネズミ捕りに引っ掛かってたのを俺と明代が見付けて、ばあさんに隠れて飼ってたんだ。でも見付かったらしくてな、ある日、ばあさんがアルジャーノンの尻尾だけを捨てているところを見てしまった。それ以来、アルジャーノンの姿を見ることはなかった」
「えっ、それって・・・・・・」
 片岡はいつもどおり淡々と語ったが、内容はひどく衝撃的なものだった。片岡の顔を窺うと、彼は無表情のまま頷いた。しかしその瞳は、心なしか愁えているようにも見える。
 片岡のおばあさんは、怒ると怖そうな人だとは思っていたが、そこまで酷い仕打ちをする人間だとは想像もしていなかった。いくら嫌いだからって、小動物の尻尾をちょん切るなんて。
 敵は思ったよりも残酷な人間なのかもしれない。
「片岡、やっぱり指を刎ねられないように気をつけてな」
 ぼくが片岡の肩を叩くと、彼は顔をしかめた。
「お前、何か勘違いしてないか?」
 それから片岡が掃除機をかけ、一輪挿しに飾ってあったのと同じ花を摘んできても、明代ちゃんは帰ってこなかった。ところどころ、外の景色を切り取ったように見える障子がもの悲しい。ぼくはきれいにくりぬかれた穴から、外を見て呟いた。
「障子紙、貼れないな」
「どこかで油を売ってるのかもしれない。だから、あいつに買いに行かせたくなかったんだ」
 苦い表情でそう言うと、片岡は箪笥の一番上の抽斗を開け、黒い携帯電話を取り出した。電源を入れ、慣れた手つきで何やら操作している。どうやら、例の没収されたという彼の携帯らしい。
 しばらくして手の動きを止めると、片岡の表情はより一層苦味を増した。ドロドロのブラックコーヒーを飲んだかのようなその顔に、ぼくの中の小さな悪寒がたちまち大きく膨れ上がる。
「どうかしたのか?」
 聞きたくないが、訊かないわけにもいかない。
 無言で携帯の液晶画面をこちらに向けられ、ぼくは逃げ腰になりつつ、それを覗き込んだ。
 そこには、絵文字とわけの分からない記号がひしめいていた。いわゆるギャル文字というヤツだろうか。
「なんて書いてあんの?」
「竹中先輩に会っちゃったんだけどぉ、先輩も猫飼ってるからぁ、餌分けてくれるってぇ。だからぁ、ちょーっと遅くなるけど、待っててね。ハート。明代」
 片岡は無表情のまま、気持ちの悪い裏声を作って暗号のようなメールを読み上げた。そして、鳥肌を立てているぼくに視線を戻すと、地声に戻ってこう言った。
「逃げられた」
 ――午後五時八分。共犯者逃亡。


つづく



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