Nonsense Story

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花宿り 2




花宿り 2




 小さな腕にありったけの力を込めて、幼女はわたしに縋るような視線を向けてきた。 ( ひとみ ) の端に、涙が膨れ上がっている。
「ちょっと待って。おえんって何?」
 わたしの問いには誰も答えなかったが、旦那は何かを察したように、全身で彼を拒絶している幼女ともう一度視線を合わせた。
「おれはきみを連れていったりしないから大丈夫だよ。お母さんもきみを他所にやったりしないよ」
 ねぇ、とわたしを見上げる。穏やかな目元が、肯定するよう暗に促していた。
 こんな小さな子に、こんな ( ) をさせてはいけない。捨てられると悟った子犬のような睛をさせてはいけない。そうでしょう?
 面食らいながらも、幼女の不安そうな視線を感じて、わたしは頷いた。一度、二度、三度。しっかりと、たしかに ( がえん ) ずるように。
 それから腰に巻きついている幼女の手を取って、私も彼女と目線を合わせるようにしゃがむと、小さな肩に手を置いた。折れそうに細い肩は、小刻みに震えていた。
「ほんまに?」
 あどけない睛を揺らしながら、幼女が問う。
「本当よ。わたしはあなたを何処へもやったりしない。やるわけないじゃない」
 この子は本気で親に捨てられると思っているようだ。彼女が何をしたのかは分からないが、実の母親だってこう ( ) ったに違いない。
 わたしはしっかりと幼女を抱きしめた。
 そうだ。わたしはこの子を連れに来たのだ。
 小さな温もりを感じながら、ふと、誰か別の女の声を聞いたような気がした。
「やっぱり何処へもやらん。なんぼ苦しゅうても、貧しゅうても、あんたはうちが育てる」
 女の声は、わたしという壁を打ち破るようにして、幼女へと発せられた。
 それを受け、腕の中で幼女は一瞬瞠目した。が、その表情は、すぐに微笑みに変わる。それは、先ほどまでのあどけない笑顔ではなく、自分の立場をわきまえた人間のそれだった。
「おおきに。うそでも嬉しい」
 うそなんかじゃ・・・・・・。
( ) いかけた言葉を、別の意思に押さえ込まれる。これ以上はいけない。これ以上云うことは許されない。
 それは不思議な感覚だった。幼女を抱いているのはわたしなのに、彼女と話しているのもたしかにわたしなのに、わたしは傍観者でしかないのだと認識させられる。たまたまこの場に居合わせた、ただの見物人に過ぎないのだと。
「お母ちゃん、おおきに」
 やがて幼女はするりとわたしの腕を抜けて、桜の樹の裏へ駆けて行った。
 わたしは慌てて後を追おうとしたが、それを押し留めるかのように突風が吹いてきた。吹雪のように舞う花びらに、視界を遮られる。わたしは思わず睛を瞑った。
 旦那の手の感触を肩に感じて睛を開くと、目の前の桜は、まだ五分咲きにもなっていなかった。


 「おふくろがきみを気に入っているわけを、きいたことがある?」
 敷地内の石段に腰かけ、たこ焼きを頬張りながら、突然旦那が問うてきた。わたしは無いと応えた。
 薄桃色のソメイヨシノが、花見客の間をはらはらと浮遊している。
「きみはおふくろの母親、つまり、おれの本当の祖母と同じ名前なんだ」
「本当の」
「うん。おふくろは養女でね、ちょうど今みたいな桜の時期に、今の実家に来たんだって。生まれは中国地方の山陰の方らしい」
 初耳だった。
「この辺りの方じゃなかったのね」
「おえんというのは、その辺りの方言で、駄目だっていう意味なんだよ。枝垂桜の下で、最後に母親に抱きしめてもらったのを憶えていると ( ) っていた」
「それじゃあ、あの子は・・・・・・」
 わたしは云いかけた言葉を呑み込んだ。そんなことがあるはずがない。
「おれには貰われてきたって云ってたけど、本当は ( ) われて来てたんだろうなぁ。口減らしのために。結構苦労したみたいだし。親父との結婚も、決められていたことのようだったから」


 花いちもんめが子購いの唄だとわたしに教えてくれたのは、他でもない ( はは ) だった。
 真珠のネックレスを ( ) れた時だ。
 結構重いものですねというわたしに、姑は微笑って云った。
 これは七ミリ真珠だから、七粒で一 ( もんめ ) 。八ミリなら五粒で一匁だから、もっと重いわよ。そういえば、花いちもんめの唄の意味を知っている?


 「ねぇ、子供作ろうか」
 わたしはたこ焼きを食べ終えて、唐揚げに手を出そうとしている旦那に云った。
「もし女の子だったら、お ( かあ ) さんの名前から一文字いただくの」
 そして、大きくなるまでわたし達の傍から離さず、思い切り甘やかせて育てるのだ。子供はすぐに汚すし散らかすし泣き喚く厄介な生き物だが、あの温もりを抱いて生きていくのも悪くない。
 さっきの幼女のようにおかっぱ頭にしたら、わたし達の子供は怒るだろうか。


 その夜、姑が目醒めたと病院から連絡があった。







花宿り    ・  2 /   目次




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