Nonsense Story

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金魚 2




金魚 2






 翌日、金魚を引き取る為、 金盥 ( かなだらい ) を持って ( はは ) の家を訪れると、彼女が縁側で池を見つめていた。傍らでは、猫が扇風機の風に当たっている。
「あら、いらっしゃい」
 姑はわたしを見止めると、わたし一人であることを確認して、水饅頭を食べていくように奨めてきた。一個しかない為、昨日は旦那がいたら出せなかったのだと ( ) う。
「でも、お ( かあ ) さんの分がなくなっちゃいますよ」
「いいのいいの。わたしは食べたから。あなたにあげようと思って一個取っておいたのよ。とてもおいしいの」
 姑は嬉しそうに、いそいそとお茶の用意を始める。
 旦那に云わせると、姑はわたしの世話を焼いているのではなく、わたしに甘えているのだそうだ。おいしい物を取っておいてくれるのも、時々服を ( ) ってくれるのも、甘えの一環だから受けてやって ( ) れと云う。
「ありがとうございます」
 冷蔵庫から水饅頭を出してくれた姑に、わたしは少しの罪悪感を覚えながら礼を云った。
 冷たい玉露が喉を通ると、そこからすうっと汗が引いていくように感じる。姑の ( ) れるお茶はいつも、形式ではなく「大変結構な 御点前 ( おてまえ ) で」と云いたくなるほど 美味 ( うま ) い。心の底から 美味 ( おい ) しいと口にすると、姑は水饅頭のことかと思ったようだった。
「昨日はすみません。金魚は苦手だって仰っていたのに置いて帰ってしまって。彼から聞きました。彼がお姑さんのご実家に預けられていた時のこと」
 わたしは昨日、旦那から聞いたことを話して、金魚を連れて帰ることを告げた。これで姑も、嫌な過去と暮らさなくても済むだろう。
 ところが姑は、金魚をこのまま置いておくと云い出した。
「ごめんなさいね。昨日はああ云ったのに。でも、これは償いだと思うから」
「償い、」
「ええ。わたしがあの子と金魚にしなければならない償い」
 姑は、旦那には秘密にしておいてねと前置きしてから、話し始めた。


 姑が旦那の祖父母の家に貰われてきたばかりの頃のことである。
 まだ親に甘えたい盛りの年齢であった彼女は、毎日実の母親を恋しがって泣いていた。貰われた先の家は大きくて、実情は奉公人としてやって来た彼女にはそぐわないような一人部屋が与えられたが、そんな特別待遇は、彼女の孤独を大きくしただけであった。
 この空は、お母さんのところにも通じてるんだよ。お母さんも同じ夕焼けを見てるかもしれないね。
 ある夕刻、年端もいかない幼女を元気付けようと、若い使用人が云った言葉も裏目に出た。彼女は、自分の部屋の窓から紅い空を見ては、ますます ( なみだ ) に暮れるようになった。
 そんな彼女を見て心を痛めた使用人は、子供向けの歌集を彼女に呉れた。北原白秋の『金魚』が載っている童謡集である。
 最初にあの ( うた ) を見た時には、よく意味が分からなかった。ただ、 茫漠 ( ぼうばく ) とした淋しさが襲ってきただけだった。詞の主人公同様、いくら金魚を ( あや ) めても、飛んできてくれるような距離に母親がいないことは、重々承知していた。
 それでもそのうちに、金魚の夢を見るようになった。
 あの ( くれない ) の夕焼けが映る窓辺に、紅い金魚の入った金魚鉢が置いてあるのだ。凸ガラスの中で大きくなったり小さくなったりするそれらは、毎日のように 眼裏 ( まなうら ) に現れるようになった。
 好きなの? 金魚。
 気がつくと、自分より少し年嵩と思われる少年が隣に立っていた。手に紙と ( はさみ ) を持っている。何かを作っている途中のようだ。
 毎日ここに来て見てるよね? 欲しいの?
 いつ部屋に入って来たのだろうと思いながらかぶりを振る。金魚が欲しいわけではない。
 じゃあ、どうして見てるの?
 少年の声は優しい。我慢していた ( なみだ ) が滲んでくる。
 淋しいん。
 彼女はポツリと ( ) った。
 じゃあ、ぼくと一緒だね。
 しばらく二人で金魚鉢を眺めた。忙しなくひらめく尾ひれは、子供の背で揺れる 兵児帯 ( へこおび ) のようだった。
 やっぱり金魚、貰ってもええ?
 彼女の縋るような眼差しに負けたのか、少年はいいよと微笑んだ。
 彼女は金魚鉢を畳の上に降ろすと、金魚を一匹 ( つか ) み出し、少年の持っていた鋏で突き殺した。水から出てもぴちぴちと跳ねていた尾ひれはすぐに動かなくなり、眼だけが異様な光を放っていた。
 その日から、金魚も少年も、夢に出てくることはなかった。ただ、金魚は苦手になった。生きているのも死んでいるのも、眼がピカピカ光って見えるようになった。


 「その男の子って、まさか・・・・・・」
 姑は、そんなはずないのにねと云いながら、お茶のお代わりを ( ) いでくれた。
「でも、あの子がわたしの実家で死んだ金魚の中にいるところを見つかった時、ちょうど夏休みの工作で、型紙の貯金箱を作ってる最中だったんだと云っていたの」
「だけど、彼は女の子のことなんて ( おぼ ) えてないみたいでしたけど」
「それは、わたしが忘れろって云ったから」
 姑の話では、旦那が強制送還されたのは、金魚を殺した為だけではなく、居るはずもない幼女の話をし始めた 所為 ( せい ) もあったということだった。姑の養父母、つまり旦那の祖父母達は、彼が寂しさのあまり、おかしくなってしまったと思い込んだらしい。
「親元から離して一度も再会させずに済まなかったって、あの時初めて 養母 ( はは ) に云われたわ。その頃にはもう、母はこの世にはいなかったみたいだけれど」
 庭の方から盛大な水音が上がった。慌てて縁側に出てみると、猫がほうほうの ( てい ) で池から這い上がってくるところだった。


 その日、仕事に行っていた旦那に、金魚事件の時に幼女を見たかと訊いてみたが、やはり何も憶えてはいないようだった。
「でも、親元に返される少し前から、何故かそんなに淋しくなくなってたんだ。おれはなんであの時、金魚を殺したりしたんだろうね」


 お中元に、上司から葛きりが贈られてきた。水饅頭のお礼に、姑のところに持って行こうと考えている。甘い黒蜜をたっぷりかけた葛きりは、姑のさっぱりした冷たい玉露によく合うだろう。
 ついでに、金魚の餌やりもしてこよう。わたしが度々餌をやりに行くことで、姑も金魚をかわいいと思えるようになるかもしれないと期待するのは、思いあがりが過ぎるだろうか。








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