Nonsense Story

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彼岸 1




彼岸 1




 田圃の畦道に、彼岸花が咲いている。
 まだ幼かったわたしが下校する時、 緋毛氈 ( ひもうせん ) を敷いたようなその道に、 ( ) まって紅い振袖を着た女が現れた。 ( かお ) には深い皺が刻まれ、頭は総白髪である。どう見ても、振袖を着るような ( とし ) ではなかった。
 女は、不気味だがどこか悲しげな唄を口ずさみながら、花を折っていく。その畦道から彼女の家に向かって、点々と血のような紅い花が落ちている。

( ちち ) の墓参りで訪れた寺の前、一面に広がる彼岸花の群を見て、そんなことを思い出した。

 「初めてだっけ? ここの彼岸花見るの」
 帰り際、見事に咲き誇る彼岸花の大群に呆けていたわたしは、旦那の声で ( うつつ ) に戻った。
「去年はまだ、結婚してなかったもの」
「あ、そうだっけ」
 彼岸の中日である今日、 ( はは ) と三人で舅の墓参りに来ていた。姑は朝から張り切って、おはぎを大量に作ったそうだ。帰りに別居している姑の家に寄って、貰って帰ることになっている。
 その姑は、まだ中で住職と話をしている。
「昔、あの花がわたしの通学路だった畦道に咲いていて、それを摘もうとしたら、こっぴどく怒鳴られたことがあるんだよね」
 暑さ寒さも彼岸までと ( ) うが、正午近いこの時間帯は、まだ半袖でも汗ばむほどである。わたしは羽織っていたカーディガンを脱いで、道端に座り込んだ。
「ああ、おれもおふくろの実家に預けられてた時、摘んで帰って 祖父 ( じい ) さんに怒られた。家が火事になるって」
「そう云えば火事花とも云うもんね。でも、別に持ち帰ろうとしたわけじゃないのよ。首飾りを作りたかっただけ」
 放射状に広がる鮮やかな華の首飾りは立体的で、どんな花で作ったものよりも豪華に思えた。
「けどこれって、毒草なんだよね」
 花弁をちょんと指でつつく。細い花弁は繊細に見えるが、燃えるような赤は毒々しくもある。子供の頃、田圃の畦道に多いのは、 鱗茎 ( りんけい ) の毒によって、鼠や 土竜 ( もぐら ) を作物に寄せ付けないようにする為だと聞いた。
「父方の祖母さんは、戦後の食べ物がなかった時に、これを食べてたって云ってたけど」
 云いながら、旦那もわたしの隣に座り込んだ。
飢饉 ( ききん ) の時の救荒植物としても植えられてたらしいからね。たしか、 澱粉 ( でんぷん ) が取れるって」
「毒草を食べようとするなんて、昔の人はとんでもないこと考えるな」
「あら、食べられるって分かったから外国から持ち帰ったのかもよ? これって帰化植物だって考えられてるみたいだから」
「へぇ。それで、きみを叱った人は、毒があるから危ないって云いたかったのかな」
「うーん・・・・・・そういうんじゃないと思う」
 秋晴れの天の下、女がゆっくりとこちらに面を向ける。まだ ( かお ) を洗うのにも椅子を足場にしていたわたしを見下ろすその貌は、幽鬼とも般若ともつかないものだった。
「その人は近所の小母さん・・・・・・ううん、もうお婆さんだったかな。みんな『ごんしゃん』って呼んでたんだけどね」
「ごんさん?」
「ごんさんじゃなくて、ごんしゃん。本名は関係なかったの。でも、本人もね、小母さんとかお婆ちゃんって呼んだら絶対に振り向かないのに、ごんしゃんって呼んだら返事してたのよ。もういい齢の人だったんだけど、いつも紅い振袖着て、不思議な唄を唄いながら、自分で彼岸花を摘んでたの。精神を病んでるって話だった」
「そうなんだ」
 彼女は若い頃に不義の子を身篭り、無理矢理流産させられたか、産んだがすぐに取り上げられたのだという。子供を失った悲しみから、おかしくなってしまったのだという噂だった。


 ひとごろし。
 映画のコマ送りのようにゆっくりとこちらを向いた女は、赤い花に手をかけようとしたわたしに云った。
 ひとごろし、ひとごろし、ひとごろし。
 罵りの声は徐々に大きくなり、終いには手に持っていた花を投げつけてきた。わたしは驚いて、その場にへたり込んで泣き出した。すると、何者かの手が、優しく頭を撫でてきた。
 どうしたの? 怖いことがあったの? お母さんがいるから、もう大丈夫よ。
 貌を上げると、 先刻 ( さっき ) わたしを罵倒した女が、振袖の裾を汚しながら屈みこんでこようとしていた。燃えるような真紅の着物が、わたしを ( おお ) うように眼前に拡がる。
 わたしは転げるようにして逃げ帰り、母からあの話を聞いた。悪気はないのだから、可哀相な人なのだから、 ( ゆる ) してあげなさいと。


 ぼんやりと赤い絨毯のような花の群を眺めていると、しばらく黙って隣に座っていた旦那が、不意に口を開いた。
「そのごんしゃんて人さ、九州出身だったんじゃない?」
「さぁ、地元の人じゃなかったことはたしかだけど」
 ごんしゃんは年老いた母親に連れられて、わたしの実家のある町へやって来たのだと聞いたことがある。不義の子を身篭ったせいで、元いた土地を去らざるを得なかったらしい。時々、地元の人間では理解できない方言で喋っていた。
「でも、どうして?」
「『ごんしゃん』ってね、九州の何処かの方言で、『娘さん』って意味があるんだ。振袖を着てたってことは、自分をまだ若い娘だと思い込んでたってことでしょう。だから『ごんしゃん』だったんじゃないかな」
「なるほど」
 仕事柄、あちこちに出張している旦那は、妙に方言に詳しい。ただし、本人は標準語しか操れない。
「おふくろ遅いね」
 旦那がふらりと立ち上がった。
「先に荷物だけ車に積んで来ようか。きみはまだ眺めてる?」
 わたしは頷いて、枯れた供花を包んだ新聞紙を旦那に渡した。




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