「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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Nonsense Story
雨月 1
雨月 1
しとしとと雨が
零
(
ふ
)
っている。十五夜である今日、一緒に月見をしようと、仕事帰りに
姑
(
はは
)
の家に寄ることになっているのだが、
午
(
ひる
)
過ぎから零りはじめた雨は一向に止む気配がない。それでも夕飯くらいは一緒に食べるだろうと姑の家に行くと、彼女は泣きそうな
貌
(
かお
)
で縁側を歩き回っていた。
「どうかしたの?」
先に着いていた旦那に訊く。月が見えないくらい、泣きそうになるほどのことでもないだろう。片月見を嫌うなら、十三夜にも見なければいい。
「今日は猫が来てないんだってさ」
「あのいつも来てる野良猫? わたしが来ることを察したのかな」
姑の家には、春先から一匹の雌猫がよく姿を現している。その猫が病気になった時、何度かわたしが病院に連れて行ったのが原因で、わたしは猫に
厭
(
きら
)
われているのだ。
「それならいいんだけどさ。猫は死期が近づくと姿を
晦
(
くら
)
ますって
云
(
い
)
うからなぁ」
「ちょっとやめてよ。それ、お
姑
(
かあ
)
さんの前で絶対に云わないでよ」
わたしは旦那にクギを刺した。
一人暮らしの姑には、猫は家族同然の存在のようなのだ。ただ、自分が先に
逝
(
い
)
った時のことを考えると飼うには
躊躇
(
ためら
)
いがあるようで、猫は野良のままだ。若くて健康な飼い主に出逢える機会を奪うのではないかと危惧しているらしい。姑の死後にはわたし達が引き取ってやると云えば、彼女は喜んで飼うかもしれない。しかし現在わたし達は、動物を飼えないところに住んでいるので、安請け合いするようなことは云えない。
縁側には小机が置かれ、団子や里芋、栗や柿などが供えてある。机の両端を飾るのは、すすきを生けた一輪挿しだ。外は準備が台無しになったのを悲しむように、しくしくと泣いている。
「最近はいつも、五時頃にはご飯を食べに来てたのに」
掃き出しの硝子戸越しに外を見ながら、姑が云った。今はもう九時が近い。
「雨が零ってるから、何処かで雨宿りしてるんですよ。猫は水を嫌うって云うから」
「それならいいけど、何かあったんじゃないかと思って・・・・・・。それこそ雨が零ってるから」
厚い雲に
蔽
(
おお
)
われた
天
(
そら
)
を見上げる。どこからともなく落ちてくる水滴が、街灯に照らされて光の線を描き出す。
「おれ、ちょっと捜してくるよ」
旦那がひょいと縁側に貌を出して云うと、さっさと玄関の方へ行ってしまった。
「あ、わたしも行って来ます」
慌てて旦那の後を追う。とんだ雨月になってしまったものだ。姑には、猫が来た時の為に家に居るように云って、外へ出た。
傘を広げると、ばたばたと頭上が騒がしくなる。その音に負けないように、旦那が大きな声で訊いてきた。
「あの猫の名前ってなんだっけ?」
「さぁ。付けてないんじゃない?」
わたしは傘ごと首を傾げて見せた。新しい飼い主に出逢った時のことを考えて、姑は名前を付けていないのだろう。病院の診察券には、ただ『ネコ』と書いてあった。
「名前がないと不便だな。ネコでいっか」
旦那はそう呟くと、大声でネコーと叫び始めた。
少々恥ずかしいが、そうも云っていられない。わたしも雨音に掻き消されないよう、声を張り上げて猫を呼んだ。
けれど、いくら呼んでも猫は出てこない。姑の家の築山を廻って道路に出ると、わたし達は家の前の坂道を下っていった。下り切った
処
(
ところ
)
にバスの停留所がある。 そこの待合には屋根があるので、猫が雨宿りしているかもしれないと踏んだのだ。
しかし、そこに猫の姿はなく、二人の子供がいるだけだった。
最初わたしは、子供は一人だけだと思った。切れそうな裸電球の下、五歳くらいの幼女が一人で座っているように見えたのだ。ところが旦那が声を掛けると、チカチカッと電球が瞬いて、彼女の横からもう一人、セーラー服姿の少女がひょっこり姿を現した。
こんばんは。
どうやって小さな体の影に隠れていたのか、幼女よりも明らかに年上と分かるその少女は、にこやかに応えた。セーラーは、この辺りにある中学の制服である。よく似た顔立ちから、姉妹と分かる。
幼女はこちらに貌を向けたものの、何も云わない。
猫を見なかったかと訊ねると、二人とも「ううん」とかぶりを振った。二人が座っているベンチの下も覗かせてもらったが、姿はない。
二人は、わたし達がベンチの下を窺っている間、大きな
睛
(
め
)
を見開いて、警戒するようにこちらを見ていた。奇妙な生き物の出てくるアニメーション映画の姉妹を彷彿とさせる。雨の夜に、バス停で父親の帰りを待つ姉妹。たしか、二人とも五月を意味する名前を持っていた。
「こんな時間に、何してるの?」
ひととおり待合所を確認したあとで、旦那が問うた。
「バスを待ってるの」
今度は幼女が口を開いた。旦那は傘を閉じて屋根の下に入ると、幼女と視線を合わせるようにしゃがんだ。
「バスで何処かに行くの?」
「ううん。バスでお姉ちゃんが帰ってくるの。待ってるの」
「お姉ちゃんはもう帰ってこないって云ってるでしょ。早く帰るよ」
少女が諭すように云ったが、幼女はそれを無視するようにそこから動かない。フレアスカートの裾を小さな手で握り締め、その手を
凝
(
じ
)
っと見つめている。
頑なに自分の方を見ようとしない妹に、少女がやれやれと肩を竦める。
わたしは彼女に、どうして? と疑問の視線を送った。どうしてお姉ちゃんはもう帰ってこないの?
旦那も幼女の頭越しに少女を見上げている。
「死んだんです。一週間ほど前に」
わたし達の疑問を汲み取って、少女が云った。
「でも、いくら言い聞かせても、この子、全然ダメで」
心底困っているというように、ため息を吐く。
雨月 1 ・
2
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