「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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Nonsense Story
来る年 1
来る年 1
かつおの香ばしいかおりがする。
姑
(
はは
)
が年越し蕎麦を作っているのである。
「昔は蕎麦粉を打って、麺から作っていたんだけどねぇ」
市販の蕎麦を茹でながら、姑が云う。わたしは水屋から蕎麦用の椀を出しているところだった。
「本格的だったんですね」
「お父さんは上手だったけど、わたしは下手でね。切るのも茹でるのも失敗ばかり。混じり気のない蕎麦粉って、気を付けないとすぐ団子になっちゃうのよ。だから、お父さんが亡くなってからは手抜きしてるの」
蕎麦を
笊
(
ざる
)
に移して湯切りしながら、ふふふと笑う。
旦那も姑も、亡くなった
舅
(
しゅうと
)
の話をすることは滅多にない。会ったことのないわたしは、少し興味を惹かれた。
「お
舅
(
とう
)
さんがご健在の時は、ずっと手打ちされてたんですね」
「あの人は、そういうことにうるさかったから。仏壇と神棚の掃除は十三日にするもんだとか、元日は風呂に入っちゃ
不可
(
いけ
)
ないとか」
「変なところで古風だったよね」
ふいに背後から声がした。居間でテレビを見ていた筈の旦那である。
「餅をつくのも、二十六日と二十九日は駄目だとか」
「二十九は『苦をつく』で分かるけど、二十六はどうして?」
「
碌
(
ろく
)
なことがないんだってさ」
「信心深い方だったのね」
「変わり者だったのよ」
わたしが適当に取り分けた麺に、姑が汁をかける。
予
(
あらかじ
)
め作っておいた海老の
天麩羅
(
てんぷら
)
と、
蒲鉾
(
かまぼこ
)
を入れ、ねぎを散らして完成である。
「昔、年越しには蕎麦の代わりにうどんが食べたいって
云
(
い
)
って、親父にこっぴどく怒られたことがあったなぁ」
旨味
(
うま
)
しそうに蕎麦を啜りながら、旦那が云う。「そんなもんは邪道だって」
「うどん好きだったの?」
「どうだったかなあ」
「転校生の家が、年越しにはうどんを食べるっていうから真似したがったのよ、たしか」
「そうだったっけ?」
「そうそう、小浜の方の高級マンションに越してきた子。ノブくんとか云ったかしら。近所の子供がみんな、その家の真似をしたがってね」
「ああ、それ香川から越して来た奴だ」
旦那が箸を立てて云う。
「思い出したの?」
「うん。そいつ、中学の時に亡くなったんだよね」
「ああ、事故で亡くなったのって、あの子だったの」
姑は云って、箸を置いた。まだ、椀の中には蕎麦が残っている。「もういいわ。こんな時間にものを食べると、胸がしんどくて」
「じゃあ、おれが貰う」
「天麩羅を入れたのが良くなかったんでしょうか」
わたしはほとんど空になっている旦那の椀に、姑の蕎麦を移しながら云った。実際は、話の内容のせいで食欲が失せてしまったのかもしれない。自分の子供と同い年の少年が若くして死んだ話など、いい心持ちはしないだろう。
「
齢
(
とし
)
のせいよ。昔はこんなことなかったんだけどね。それこそ夜中でも、うどんと蕎麦の両方を食べられたくらい」
「そういえば、どうして年越しには蕎麦なんでしたっけ?」
どこかで聞いた気がするが、思い出せない。わたしの問いに、旦那も姑も
頸
(
くび
)
をひねった。
「ああ、親父がなんか云ってたけど、もう忘れちゃったなあ」
「わたしも忘れちゃった」
旦那が食べ終わる頃に、除夜の鐘が鳴り始めた。
姑の家の玄関を出ると、刺さるような空気に身が縮んだ。暖冬と云えど、夜中は冷える。しっかりとマフラーを巻き、防寒する。旦那は帽子まで被っている。姑の家の箪笥からでも引っ張り出してきたのだろう。彼の物ではない、手編みのニット帽である。
「お姑さん、本当に来ないのかな。折角だから、一緒にいらっしゃればいいのに」
「もう齢だから、この寒さは堪えるんじゃない。夜が明けてから行くでしょ」
初詣のことである。年越し蕎麦を食べてから、旦那とわたしはこの近くの神社に行くことにしていたのだ。
其処
(
そこ
)
は小さいながらも、大晦日には近所の人々が集って、それなりに賑わうらしい。
姑の家の前の坂を左に出て登って行く。登り切ったところに三叉路があり、突き当たりが神社である。午前零時前だというのに、この日ばかりは何処の家にも灯が点いている。
近所の人と
思
(
おぼ
)
しき家族連れが、石段を登っていく。ようやく坂を登ったと思ったら足場の悪い石段という仕打ちに、小さな子供が駄々をこねている。眠いのかもしれない。父親らしき男が、子供を負ぶって石段を登る。
「あなたもお
舅
(
とう
)
さんに負ぶってもらって、ここに参ったりしてたの?」
「いいや。親父は、除夜はずっと起きてないと不可ないから、眠りを誘うような真似はしないなんて云って、絶対に負ぶって
呉
(
く
)
れなかった。本当は結構な齢だったから、負ぶるのがしんどかったんだろうな」
旦那は、舅が齢を取ってからやっと出来た一粒種だと聞く。齢がいってからの子供というのは可愛いというが、体力的にしてやれないことも多いのだろう。
「親父は本当に変なところで頑固な人でね、どうでもいいようなことに拘るところがあったんだ。今の、除夜は起きてないと不可ないって話もそう。おふくろが欠伸をしただけで、『今寝たら白髪や皺が増える』とか云ってね」
「そう云われると、今のわたしだったら起きてるかも」
「でもおふくろは、寝ない方がシミや皺が増えるって云ってた」
「あはは。たしかにそのとおりだわ」
ごつごつとした石段に足を取られそうになりながら登っていると、上の方がそれまでになく騒がしくなった。新年の挨拶をする声が、あちこちから上がる。年が明けたようだ。一段先を登っていた旦那が振り向く。
「明けたみたいだね。おめでとう」
「おめでとう。今年もよろしくお願いします」
「こちらこそ、今年もお世話になります」
旦那と二人、階段の途中で頭を下げ合う。
貌
(
かお
)
を上げると
睛
(
め
)
が合った。へへへと笑い合う。
来る年 1 ・
2
/
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