Nonsense Story

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夢現 2




夢現 2




 自分の悲鳴で目が醒めた。何事かと室の襖を開けてきた弟に、なんでもないと謝罪する。
「ちょっと怖い夢を見ただけ」
 わたしはまだ治まり切らない動悸を整えながら応えた。
 とんでもない夢だ。夢の中の会話はそのまま、今の旦那と見合いの席で交わしたものだ。その夢が、彼の死に ( がお ) で幕を閉じるとは。
「夢? いい齢して、朝っぱらから悲鳴なんか上げるなよ。おれ、今日成人式なんだから」
「成人式って十五日でしょう。今日はまだ八日じゃない」
「姉ちゃん古いよ。今は第二日曜になってんの。おれの成人式に合わせて帰省してくれたんじゃなかったわけ?」
「そんなわけないでしょ。正月に帰ったら混むから、ちょっと時期をズラしただけ。あんたの成人式に合わせて帰ったら、お祝いが ( ) るじゃない」
「なんだよ、ケチ」
 弟は襖を閉めると、どたどたと音を立てて階段を下りていった。モスグリーンのカーテンが、薄っすらと黄味を湛えている。わたしはベッドから起き出して、ボストンバッグを開けた。動悸は既に治まっている。弟の成人式に合わせて帰省したわけではないが、祝いは用意している。成人の日が変わろうと変わるまいと、今回の帰省で渡すと ( ) めていた。
 ボストンバッグの中から、祝いの入った 熨斗袋 ( のしぶくろ ) と一緒に、一本の帯締めを取り出して、ホッとする。最近、昔やっていた組み紐を再び始めた ( はは ) ( ) れた、手製の帯締めである。角台で組んだ四つ組みで、薄桃色と 藍白 ( あいじろ ) がグラデーションになった 正絹 ( しょうけん ) に、金糸銀糸がそれとなく織り込まれている。高台や綾竹で編んだような細かな模様や、同じ角台でも 網代 ( あじろ ) や八つ組のような繊細さはないが、大胆な華やかさがある。組んだ者の人柄が表われているかのような、目の整ったしっかりした仕上がりだった。
「昔はもっと手の込んだのもやってたんだけど、復帰第一作目ってことで、こんなので勘弁して頂戴ね。厄除けの糸があったから、急いであなたにあげたくて。ほら、あの子がどんなものを拾ってくるか分からないから」
 あの子とは、彼女の息子であり、私の旦那のことである。彼は何故か、人ならぬものを引き寄せるきらいがあった。姑は、そのことでわたしの身に良くないことが起こるのではないかと案じて組んで呉れたのだ。
 その帯締めは、わたしが成人式の時に作ってもらった振袖に合いそうだった。振袖は、桃色の地に桜の花びらが舞っており、裾の方に御所車が描かれている。帯は銀を基調とした落ち着いた物と、金を基調にした華やかな物の二本を合わせていた。成人式には金の帯を、見合いの時には今朝方の夢同様、銀の帯をしたと記憶している。貰った帯締めを締めるなら、銀の帯がいいだろう。
 振袖などもう着られないことは重々承知しているが、なんとなく合わせてみたくなって、わたしは遅い ( さと ) 帰りに、その帯締めを持って行くことにしたのだった。
 やはりあれはただの夢だ。わたしは姑の帯締めを握り締めて、安堵のため息を吐いた。


 ポールスミスのスーツに身を包んだ弟と並んで、家の前で写真を撮る。着慣れないものを着てしゃっちょこばっている弟にふきだしそうになっていると、 ( はす ) 向かいの家から振袖を着た娘さんが二人出てきた。二人とも、栗色に染めた髪を洋髪に結ってあるのに、不思議と振袖と調和している。もともと晴れ渡っていた風景が、更に明るくなるようだ。
「やっぱり女の子の方が華やかでいいわねぇ」
 うちと同じように撮影会を始めた斜向かいの家族を見て、母が呟いた。
「華やかな上に、着慣れないもの着ても堂々としてるよね」
 わたしは固まっている弟の肘をつついてやった。弟は悪かったなと ( かお ) をしかめ、カメラを構えていた父はシャッターを押そうとしていた手を止める。
「なんだかわたしも振袖が着たくなっちゃった」
 あの帯締めも合わせてみたい。わたしの言葉に、母が隣で手を叩いた。
「いいわねぇ。そうなさいよ。着付けてあげるから。誰が咎めるわけでなし」
「え?」
 曲がりなりにもわたしは結婚しているのだから、振袖を着ていれば咎める者だっているだろう。しかし母は、なんでもないことのようににこにこしている。
 ふいに、夢の中の彼の死に貌を思い出した。驚いているような、でも、どこか穏やかな死に貌。まさかあれは。
 そんなはずはない。彼は、今晩にはここに来る筈だ。出張で今朝まで仕事が入っていた為、今現在ここに居ないに過ぎない。わたしの左手の薬指に指輪がないのも、金属アレルギーが出ているからだ。何も忘れてなどいない。夢と ( うつつ ) を取り違えるなど・・・・・・。
 でもそれなら、あの会話の後、わたし達はどうなった? 自分が席を立ったのは憶えている。けれど、その後のことがどうしても思い出せない。振袖の裾を踏んづけそうになりながら、急ぎ足でホテルを出たわたしは・・・・・・。
 憮然としたまま玄関前に ( ) ち尽くしていたわたしを、母が振り返った。
「でも、振袖で近所を歩くのはやめて頂戴ね。出戻って来たと思われるから」


 晴れて成人式を迎えた弟からは、その晩、遅くなると連絡があった。友人達と飲み歩いているらしい。
「ひょっとしたら今夜は友達んとこに泊まるかも。 義兄 ( にい ) さんに、おれが帰るまで居るように ( ) っておいて。姉ちゃんは帰っていいから」
呂律 ( ろれつ ) の回りきっていない口調で電話してきて、そんなことを云う。弟は何故か旦那を気に入っている。
 風呂から上がってきた旦那にそのまま伝えてやると、彼は素直に喜んだ。
「おれ一人っ子だから、そういうのすごく嬉しいんだよね。だけど、きみが振袖で出迎えてくれたのはもっと嬉しかった。初めて逢った見合いの時を思い出しちゃった」
 石鹸の匂いを振り撒きながら、無邪気に微笑む。こういう時、彼は二十歳の弟よりも幼く見える。その度に、もっと大人っぽくて、頼れそうな人が理想だった筈なのにと、わたしは自分に首を傾げる。
「あの時は、初めてじゃないとか云ってなかった?」
「そうだけど、生身に逢ったのは初めてだったから」
「人をホログラムか何かみたいに・・・・・・ま、いっか、生きてたんだし」
 わたしは口を尖らせたが、今朝方の夢のことを思い出してツンケンするのはやめることにした。理想であろうとなかろうと、今のわたしには、彼らのいない人生は考えられない。
「それ、きみのこと?」
 不思議そうに旦那が問う。
「ううん。あなたのこと。今朝方、夢を見たの。あなたが車に撥ねられて死んじゃう夢」
「車道に飛び出したきみを引き戻して?」
「どうして分かるの?」
 わたしは驚いて旦那の貌を覗き込んだ。今なら断言できる。夢の中の見合い相手も、あの中で夢に出てきたと思っていた旦那も、全てこの貌であったと。
彼は、わたしの問いには答えず、 悪戯 ( いたずら ) っぽく 微笑 ( わら ) う。
「こりゃいいや。きみの夢で一度死んだなら、おれは長生きできそうだ」







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