Nonsense Story

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旧校舎の幽霊 2


 あの窓に女の子の影が映っていたとか、笑い声が聞こえたとか、噂は拡大する一方だった。ぼく達は、その噂を小耳にはさんでは笑い転げた。そして、その噂を拡げるわけでも否定するわけでもなく、相変わらず毎日の昼休みを旧校舎で過ごしていた。
 しかし、噂はだんだんと怪しい様相を呈してきた。あの窓からすすり泣く声が聞こえたとか、夜、電気が付いていたとかいうのだ。
 ぼく達は昼休憩しか多目的教室に行くことはない。初めは幽霊を見たいという物好きの仕業だと思っていたが、泣き声までいくとちょっと不気味だ。うそくささも倍増だけど。
 そんなある日、ぼく達は幽霊に出会ってしまった。彼女は地球儀のある前の席の机に、足を組んで座っていた。
「なんでわたし達の名前を知ってるんですか?」
 赤松が、自分のことを幽霊だと名乗る女生徒に訊いた。彼女は幽霊独特の白装束ではなく、うちの高校の制服を着ていた。そして、幽霊である証拠にと、ぼく達の名前を当ててみせたのだった。
「幽霊だからよ」
 自称幽霊は、長い髪をかき上げながら答えた。髪のすき間から耳たぶがのぞく。すばらしい福耳にピアスが光っていた。
 赤松一人なら「あ、そうですか」で終わるだろうが、ぼくがいる限り、そうはならない。
 「ふざけるなよ、一年坊主。おおかた肝試しにでも来て、俺達が話してるのを聞いて、名前を知ったんだろう」
 自称幽霊の胸元には、藍色のリボンが付いている。うちの高校は学年ごとに、女子はリボン、男子はネクタイの色が違う。藍色のリボンは一年生のものだ。
 ちなみにぼく達二年生は臙脂色である。この色は持ち上がりで、ぼく達が三年生になると、藍色は二年生の、臙脂色は三年生の色になる。
 幽霊はちっちっち、と指を振った。
「あたしはあなた達の先輩よ。去年卒業するはずだったんだから」
 たしかに、持ち上がりでぐるぐる回っているのだから、今年一年生の色は、去年の三年生の色でもある。
「じゃあ、この英文訳してみてよ」
 ぼくは持っていた英語の教科書を開いた。今日の午後の授業で当たることになっていたので、ここで予習しようと、もとい、赤松に教えてもらおうと思って持ってきていたのだ。
「えー、いきなり言われてもなぁ」
 幽霊女は、ぶつぶつ言いながらも辞書と格闘し始めた。そして三分後、ぼくの当たる部分の訳文が完成した。ぼくは内心、小躍りしていた。
「まぁ、信じてやってもいいけど」
 もともとどっちだっていいのだ。ぼくは愛想良く言った。
「先輩だって分かったんだから、もうちょっと丁寧な言い方したら?」
 幽霊はえらそうに腕を組んだ。
「じゃあ幽霊さん、どうして亡くなったんですか?」
 赤松が丁寧に訊いた。
「自殺したからよ」
「どうして?」
「さぁ、忘れちゃった」
 幽霊はあっさりしたものだったが、赤松はそうはいかない。だんだん表情が曇ってくる。内気な彼女は、下を向いたまま幽霊に抗議を始めた。
「忘れちゃうような理由で自殺しちゃったんですか。そんなのひどいですよ。もっと生きたくても生きられない人だっているのに。家族のことは考えなかったんですか? わたしだって死にたいと思うこともあるけど、勝手に死んじゃうなんてひどいです。残された人間の気持ちだって考えてください!」
「赤松、もういいから。分かったから」
 ぼくは赤松をなだめにかかった。彼女が泣くんじゃないかと思ったのだ。
「ちょっと、なんでそんなに興奮すんのよ。他人事なんだからいいじゃない。もう済んだことなんだし」
 幽霊は相変わらず平然としている。
「あんたも挑発するようなこと言うなよ。死んだ人間にとっては済んだことでも、残された人間にとっては終わらないことだってあるんだよ」
 赤松は過去にお姉さんを亡くしているのだ。そのショックは、今も色濃く赤松と彼女の家族の中に残っている。薄れることはあっても、一生消えることはないだろう。
「忘れたいことがあったから死んだのよ。死んで忘れられたんだからいいでしょ」
 幽霊は憮然とした。その言葉に、赤松がはっとしたように息を飲んだ。
「ごめんなさい。そうですよね。死ぬほど嫌なことを忘れられたんだもんね。良かったですよね」
 完全に丸め込まれている。
「そうそう。おめでたいことなのよ」
 何がめでたいんだよ、と思ったが、口にはしないでおいた。赤松の涙を見ないで済んだのだから、それでいい。
 幽霊はあっけらかんと言って、話題を変えた。
「それよりさ、きみ達の英語の先生って誰なの?」
「さっき訳してもらったリーダーは川野先生で、グラマーは大橋」
「わたしは両方とも川野先生」
「下の名前は?」
「あんたもここの生徒だったんなら分かるだろう」
 二人とも、この学校の十年選手だ。
「いいから教えなさいよ」
「大橋先生は知らないけど、川野先生は真美子だよ」
 赤松が素直に答える。ぼくは両方とも下の名前までは覚えていなかった。
「ふーん、マミコ、ね」
 幽霊はつぶやいていたが、今度は二人がどんな先生かと訊いてきた。
「川野先生は優しいよね」
 赤松がぼくに同意を求めた。
「生徒にも人気あるし。あの先生、昔お子さんを亡くしてるから、生徒を自分の子供みたいに思って接するようにしてるって言ってた。だから、みんなの話に親身になって耳を傾けてくれるんだって」
 珍しく興奮気味に、しかも楽しそうに話す赤松を見て、当の赤松は川野先生に相談なんてしたことがあるのだろうかと考える。いや、ないだろう。
 こいつは同い年の人間ともあまりまともに喋ることができないが、先生に対しても同じことがいえるくらい内向的だ。赤松が先生に相談するところなんて想像もできない。と同時に、彼女が川野先生に傾倒していることは容易に想像できる。
 赤松はお姉さんタイプに弱い。自分とは正反対に明るく社交的だったお姉さんに、今も憧れ続けているのだ。
 亡くなった赤松のお姉さんは、ぼくの永遠のライバルでもある。
「大橋は鬼だな。あんたもここの生徒だったんなら、噂くらい聞いたことあるだろう。山ほど宿題を出すとか、当てられて答えられないと、チョークが飛んでくるとか。今時いるか? きっと、プライベートがうまくいかない八つ当たりだ」
「大橋先生は結婚されてるの?」
 ぼくの大橋批判を幽霊が遮った。
「さぁ? してないんじゃない? 噂では、昔恋人に捨てられてあんな鬼ババアになったとか、一度結婚したけど離婚して子供を奪われたせいでああなったとか言われてるけど、恋人も結婚も無縁だったと思うな」
 大橋は某有名大学の出身とかで、それを鼻にかけているようなところもあり、生徒達から疎まれていた。
 幽霊は、川野先生に関しても同じ質問をした。
「ううん。お子さんと一緒に旦那さんも亡くされてるんですって」
 赤松が悲しそうに答える。
「何でそんなこと訊くんだよ?」
「ただの好奇心」
 何を企んでるんだか。それは、ぼくがごまかす時によく使うフレーズだった。
「幽霊さん、お名前は?」
 何を思ったのか、赤松が訊ねる。
 名前も忘れてるんじゃねぇの? と目を細めて横目で見るぼくに、そんなことないわよ失礼ね、と幽霊女は憤慨した。
「・・・・・・愛子よ。能島愛子」
「良かった。名前だけでも覚えててくれて」
 赤松がほっとしたように顔をほころばせた。幽霊能島は、不思議そうに赤松を見た。
「能島先輩、あなたは忘れてしまっても、今も家族は悲しんでると思います」
 赤松の悲しみが少しも癒えていないことを、ぼくは思い知った。


つづく



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