Nonsense Story

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きみのこと 7


 高町はすぐに出てきた。玄関の扉を開け、驚いた顔を覗かせた。口元に手をあて、何を言ったらいいのか分からないというような表情を浮かべている。
 久々に見る彼女の体型は、以前と変わらないように見えた。妊娠していると言っても、まだそんなにお腹は出ていないようだ。
 ただ顔つきは変わっていた。言葉では言い表せないが、明らかに以前の彼女とは違った。それは不安や辛さのせいかも知れないが、母性や強さといったものからきているのかも知れなかった。
 智樹はバラの花束を差し出して、先制攻撃に出た。
 両の目で、しっかりと高町の瞳を捕らえる。今日の千晶のように。フジコちゃんのように。
「結婚してほしい! きみとそのお腹の子は俺が守る」
 ここに来るあいだ中、ずっとそればかり考えていた。別れているのに、いきなりこんな言い方をしていいものかとも思ったが、他にどう切り出せばいいのかも思いつかなかった。
 今や、高町への想いと子供への感情は、智樹の中で同等の大きさになっていた。
 永遠とも思える沈黙のあと、彼女はこっくり頷いた。目に涙を溜めた顔をほころばせて。
 智樹は力が抜けていくのを感じた。嬉しいという実感はまだ湧かなかった。それよりも、今日のこと全部が夢なんじゃないかと思った。夢なら覚める前に、もう一言いわなければ。
「実は、もう名前も決めてあるんだ」
「え? 何て?」
 今日始めて、高町が智樹へ向けての言葉を発した。少し期待のこもった彼女の声音に勇気付けられて、智樹は言った。
「未来の未に希望の希で、未希」
「ぷっ。勝手に女の子って決めてるの?」
 高町は吹き出した。
「女の子だよ。間違いない」
 智樹は自信満々に言って、花束を渡した。手が空くと、かがみこんで高町を見上げる。「お腹、触ってもいい?」
「いいけど・・・・・・」
 まだ目立たないお腹におそるおそる触れてみる。すると、中の赤ちゃんが動いた! なんて劇的なことは起こらなかったが、自分の中に芽生えた感情の名前を、智樹は確信した。
 子供に対する新しい感情。きっとほとんどの男性が、子供が産まれてくるまで実感できない感情。父性。
 その時、頭に雫が落ちてきた。雨かと思い、高町を家へ入るよう促そうと立ち上がると、彼女が泣いていた。
「本当はずっと待ってたの。あたしから別れるって言ったけど、本当は別れたかったわけじゃない。一人で産もうって決めたけど、家族も承知してくれたけど、本当はずっと心細かったの。この子がいるからあたしは大丈夫って思ってたけど、本当は智樹に会いたかったの。そばにいて欲しかったの。子供のことがなくても、智樹に会いたかったの」
 高町の望んでいた答えが、今やっと分かった気がした。それは、別れを承知することでもなければ、付き合い続けていくために待ってほしいということでもない。ついて来てほしいという一言だったのではないか。
 意地っ張りな彼女は、今まで必死で我慢してきたのだろう。誰にも本心をはっきりとは打ち明けずに。それは、菅田や千晶が口出ししてくる程、痛々しい姿だったに違いない。
 思えば、彼女の涙を見たのはこれが初めてだった。堰を切ったようにあふれる涙を必死で拭いながら、一生懸命に訴える高町を、智樹は改めて愛しいと思った。
「ごめん。これからは一緒にこの子を見守っていこう」
 そっと彼女を抱き寄せる。自分の中の、高町への想いと新たに芽生えた子供への感情を抱きしめるように。二つの命を守るように。
 雲間からのぞく星が、微笑むように瞬いていた。


 一つだけ約束する。
 きみの気持ちには応えられないけど、今度きみがこの世に生まれてきた時は、俺が守るから。きみがもっと好きな人を見つけて、その人とずっと一緒にいられるようになるまで、そばにいて、悲しいことや辛いことからきみを守るよ。
 だから、もう一度生まれておいで。きみの愛したこの世界に。俺たちのもとに。


-終わり-



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