Nonsense Story

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ポケットの秘密 4




 初めて靴を切った日から四ヶ月。私はスカートのポケットに、いつもカッターを忍ばせるようになった。ポケットは傷のある左側にあったので、そちらから人が当たって来るようなことはなく、気付かれる心配はなかった。
 あれから、私はたまらなくなると靴を物色した。初めての時は衝動にまかせて持っていってしまったので、次からは慎重にした。あまり私に関わりのある人のばかりをターゲットにしていると、私がやっていることがばれてしまう可能性が高くなるから。
 二回目は別のクラスの女子のもの。三回目は一年生のもの。四回目は二年生のもの。そんな風にして、クラスも学年も男女もバラバラに選び、私は靴を切り裂いていった。
 何故靴だったのかは自分でも分からない。きっと昇降口はいつも人気が少なく、盗みやすかったからだと思う。足に関する物だというのも理由の一つだったのかもしれない。
 その日は、幼馴染のクラスの男子のものを盗み出していた。
 昼休憩のうちに靴を焼却炉の裏に隠しておき、放課後、クラブを終えて、一度幼馴染と一緒に学校を出てから、忘れ物をしたと言って引き返した。
 最近忘れ物が多いね、と訝しがる彼女を残し、来た道を再び辿る。
 靴を切る時は、いつもこの方法を取っていた。
 夏の終わりの日は長く、学校へ戻る道はまだ白く輝いている。
 ポケットに手を入れて、カッターが入っていることを確認する。
 早く靴を切り裂きたいという衝動で、額に汗がにじむ。それと同時に、何故こんなことをするんだろうという疑問が浮かぶ。
 靴を切ったって何も変わらない。なのに、どうして。
 でも、そうせずにはいられない。そのことだけは分かっていた。
 靴を切っている瞬間だけ、私は解放されるような気がする。人の靴を盗んで切りたいという欲求を持っている人間。それが本当の私なのだと思う。
 顔には柔らかい笑みを浮かべていても、心の中は冷たいものでカチカチになっていた。
 靴を切っている時、私は恍惚とした表情を浮かべているかもしれない。それは人が見ると、思わず顔を背けたくなるくらい醜い光景だと思う。
 でも、きっとそれが本当の私。誰にも知られてはいけない、本当の私。
 学校にはまだ人がいるようだった。先生達と一緒に、数人の生徒が昇降口の辺りをうろついている。話し声から察するに、彼らは、私がこれから八つ裂きにしようとしているスニーカーを探しているようだった。
 少し危険かもしれないと思いながらも、延期する気にはなれなかった。私はいつも、我慢の限界ギリギリで靴を盗んでいた。これ以上は待てないと、本当の私が叫んでいる。
 幸い、体育館の裏には誰もいなかった。煤けた焼却炉に駆け寄り、隠しておいた靴を探す。ひょっとして誰かが探し当てているかもしれないと、少し不安だった。
「良かった。まだ見付かってなかったんだ」
 男物のスニーカーを見つけて、思わず笑みが漏れる。まるで迷子になっていた飼い犬が見つかった時みたいな安堵が、胸中に広がる。
 ポケットからシールの貼ってあるカッターを取り出し、スニーカーのメッシュの部分に当てた。切り易い布の部分からどんどん刃を滑らせていく。基本的に、切り易い部分しか切らなかった。切りにくいところを無理に切っていると、苛々してくるから。どのみち最後は焼かれるのだから、切って証拠を隠滅する必要もなかった。
 そろそろおしまいにしようと思った時、刃が靴底のゴムの部分に弾かれて、カッターが手から離れてしまった。刃の欠けたそれは、私から一メートルくらい離れたところに着地した。
 日がようやく傾きかけ、影の長くなる時間帯だった。
 ボロボロになった靴を片手に落ちたカッターへ歩み寄ると、私が向かう方向の地面に影が差した。体育館の影ではない。それは私の入っている体育館の影から、少し離れたところに伸びていた。そして、人型をしていた。
「そのカッター・・・・・・」
 人型が声を発した。まだ低くなりきっていない、男の子の声だった。きっと、私が盗んだ靴を探していた一人だろう。
 私は咄嗟にカッターを拾い上げ、スカートのポケットに入れた。その弾みで、今度はズタズタに切り裂かれたスニーカーが地面に落ちる。カッターではなく靴を隠すべきだったと気付き、苦いものがこみあげてきたけれど、諦めて顔を上げた。
 そこには、あの男の子が立っていた。
 一年生の時、誰とも口をきいてもらえず、教室の隅でひっそりと生息していたあの子。一年生も終わる頃になると、自分から、誰とも話す気はないというオーラを発しているようにも見えた。それがますますクラスメートを遠ざけた。
 私より低かった身長は見上げるほどの高さになり、表情もあの時ほど暗いものではないけれど、間違いなく彼だと分かった。
 急に強い風が吹きつけてきて、思い出から私を引き戻した。砂塵と一緒に制服のスカートがめくれ上がる。私は慌てて裾を押さえつけたが、ムカデが這っているようなミミズ腫れを目撃されたことは確かだった。
 彼は私の方へ踏み出してきた。私が後ずさると、私がいた所に立ち、地面に転がっているかつてスニーカーだった物体を拾い上げる。
「これ、あんたが?」
 私は答えようとして、喉が干上がっているのを感じた。
 とうとう見付かってしまった。きっと明日にはこのことが学校中に知れ渡ってしまう。本当の私が表舞台に立つことと引き換えに、私の居場所はこの学校からなくなる。ううん、そんなもの、もとからなかったのかもしれない。
 そこまで考えると、急になにもかもがどうでもよくなってきた。
「言いたければみんなに言えば?」
 私は彼を睨みつけた。かつての彼の姿から、この子の言うことを誰も信じるはずがないという、暗い自信のようなものもあったかもしれない。
「これ探すように言われてたんだけど、これじゃ見付かっても仕方ないな」
 私を無視するかのように、彼はゴミ同然のスニーカーを地面に戻した。
「これを持って行って、私がやったんだって言わないの?」
「俺はどうでもいいから」
 彼はさらりと言うと、私に背を向けた。どうでもいいはずがないと思った。だって、彼も日が傾くまで靴探しを手伝っていたのだから。
 私は彼の背中に向かって叫んだ。
「私がかわいそうだから、庇ってやろうっていうの? さっき、足の傷を見たんでしょ?」
「かわいそうって思われたいの?」
 私は言葉に詰まった。そして、さっさと歩いて行ってしまう彼の後姿を見送ることしかできなかった。

 それからしばらくは、いつばらされるのかとびくびくしながら過ごさなくてはならなかった。
 彼とすれ違う時は、まるで片思いの相手とすれ違う時のように、心臓が跳ねた。もちろん恋などではないので、その時胸の中に広がるのは、甘く柔らかな感情などではなく、どうしようもない緊張感と恐怖だけだった。
 それでも私の目は彼を追っていた。見ていないと、彼の口から私の名前が零れ落ちるのではないかと思った。
 彼は、一年生の時とは別人のような学生生活を送っていた。廊下で友達と笑い合う姿をよく見かけた。一年生の頃はずっと同じ教室にいたのに、彼の笑い声を聞いたことなんてなかった。あの時の彼には、話す友達がいなかったのだから。
 思い起こしてみれば、彼がまともに喋る姿を見たのは、焼却炉の前で会った時が初めてだった。
 彼は徹底的に私を無視した。目が合っても、向こうの目には何の感情も浮かんではいなかった。恐怖も軽蔑も、憐れみさえも。私達の間には何事もなかったかのように、他人を見るのと変わらない目で、彼は私を見た。
 そのうちに、それは、ばらす気がないということなのだと理解した。
 許されたと思った。
 庇ってくれていると言えるのかどうかは分からない。でも、守られているかもしれない。ゆるやかに絡まる、何の感情も映らない視線に、本当の私が受け入れられるのを感じた。
 私の傷を見てもやっていることを知っても、憐れんだり軽蔑したり、陰口をたたいたりしない人がいる。許してくれる存在がある。そのことは私に、大きな安らぎを与えてくれた。
 ポケットに入れたカッターを握り締めて私は思う。私の居場所はここにある。
 もう、切る靴を物色する必要はなかった。




 ゴミ集積場の前で、曇天を見上げるように、タカヨシが仰向けに寝転がった。ぼくが腹をなでてやると、嬉しそうに甘えた声を出す。
「今、お弁当の残りをあげるからね」
 赤松が自分の鞄の中から、弁当袋を取り出してゴソゴソし始めた。鞄を膝に乗せてしゃがみこみ、前のめりになって弁当袋の中をまさぐっている。
 その姿を見て、こりゃ危ないぞと思っていたら、予想通り、彼女はそのまま前に転倒した。おにぎりと玉子焼き、半分になったベビーハムなどが、地面に散らばる。タカヨシはぼくの手を離れて、そちらへ走り寄った。
「気遣ってくれるんだ? ありがとう」
 傍へやってきたタカヨシを赤松がなでようとすると、犬はそれを無視して散らばった食べ物に口をつけた。
「赤松じゃなくて、弁当を気遣ったんだよな。タカヨシは」
「ひどい・・・・・・」
 赤松は顔を歪ませてそう呟くと、制服に付いた土を払い、赤くなったおでこを片手で押さえながら立ち上がった。もう片方の手で鞄を持っていたのだが、その口がひらいていたので、今度は教科書類が地面に散らばる。
 あーっ、と情けない声を上げながら落ちた物を拾い集めている赤松を手伝っていると、ふと既視感に襲われた。いつかもここで、何かを拾おうと身をかがめなかったか?
 ゴミ集積場はブロックで仕切られており、プラスチックゴミ、不燃物、缶ビン、それぞれの場所に蓋付きの巨大なポリバケツが置いてある。燃えるゴミは、横にある焼却炉に捨てることになっていた。
 赤松に貰った弁当の残りを食べ終えたタカヨシは、集積場の裏へトコトコ歩いていってしまった。
 ぼくはブロックの蔭に消えていくタカヨシの尻尾を見ながら、帰るか、と赤松に声をかけた。今日の昼は赤松がクラスメートと弁当を食べていたので、放課後になってから、タカヨシにお裾分けをしに来たのだ。
「どうだった? 女同士の昼飯は?」
 自転車置き場へ向かいながらぼくが話を振ると、赤松は俯いたまま、顔をぼくとは反対側へ向けた。
「楽しくなかったの?」
 予想に反して黙り込んでしまった赤松に、遠慮がちに声をかける。
「そういうわけじゃないんだけど・・・・・・」
 赤松はぼそぼそと話し始めた。「やっぱり、何を話していいか分からなくなっちゃって。質問されてもうまく答えられなくて」
「そっか。まぁ、急に馴染めるわけないし」
「うん。そうなんだよね。他の人達は、今までもずっと仲良くしてたわけだから、よけい話に入りづらいというか、話題についていけないというか」
「そのうち赤松もついていけるようになるよ」
「でも、もう嫌われちゃったかも。せっかく誘ってくれたのに、面白いこと一つ言えなかったもん」
「人はそんなに思ってないもんだから、大丈夫だよ」
 良くも悪くもな、と頭の中だけで付け加える。
 なんだか、初デートがうまくいかなかった友人を慰める女友達みたいになってきた。『お熱いのがお好き』じゃあるまいし。
「そうかなあ?」
「そうそう」
 まずい話題を振ってしまったと思い、話を切り上げるように明るく言ったのだが、赤松はしょげ返ってしまった。俯いたまま、情けない声を発する。
「・・・・・・どうやったら、普通に人と話せる?」
「どうやったらって・・・・・・」
 別に相手に嫌われてもいいと思ったら。とは言えない。
 ぼくの場合はそうなのだ。一人になっても構わない。基本的に、誰に何と思われようと平気な人間なので、深く考えずに誰とでも喋れる。相手に嫌われたくない、好かれたいと思っている時は、反対に考えすぎてうまく喋れなかったかもしれない。
 しかし、赤松に「人に嫌われても平気な人間になれ」とは言えない。
 ぼくにとって数少ない嫌われたくない人間の一人が赤松なのだ。
「共通の話題を探すとか」
「どうやって?」
「人が話してるのを聞いて」
「人が話してるのを? あとは?」
 赤松は今にもメモを取り始めそうなほど真剣だ。こっちは適当に答えているというのに。
「・・・・・・・笑っとけば?」
「笑ってるつもりなんだけど、そう見えないかなあ?」
 見えないことはない。しかし彼女の場合、全ての表情の変化は俯いた状態でなされるので、周りは気付かないことが多いかもしれない。
「場馴れすればなんとかなるだろ。それより、誰が靴なんか持ってっちゃうんだろうな」
 ぼくは適当なことを言って話題を変えた。ちょっと苦しい話題転換だったかもしれないと思ったが、彼女は意外な反応を示した。
「わたし、分かったかも」
「え?」
「ね、タカヨシの宝物って知ってる?」
「は?」
 どうしてこいつは話が飛ぶんだ? ぼくが頭を抱えていると、「赤松さん」と呼ぶ声がした。
 そちらを振り返ると、昨日のデコボココンビが立っていた。


つづく



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