Nonsense Story

Nonsense Story

13





ポケットの秘密 13




 視聴覚室を出ると、砂利が落ちていくような音で、雨が降っていることが分かった。あの教室は防音壁になっているので、外の音が聞こえなかったのだ。
 急いで行かなければならない所があるという彼と別れて、一人で昇降口へ向かった。そこには、私達のクラスの下駄箱にもたれるようにして立っている幼馴染の姿があった。
「どうしたの?」
 疲れきったような表情の彼女に声をかける。すると彼女は、今初めて私が来たことに気付いたらしく、弾かれたように下駄箱から離れた。
「彼に会った? 何か言われなかった?」,
「彼って?」
「私、少し前に焼却炉の前ですごく怖い顔をした彼に会ったの。ものすごく怒ってるみたいだった。瑞葉がどこにいるかって聞かれて、それで不安になって・・・・・・」
「探しててくれたの?」
 彼女はこっくり頷いた。そして顔を上げると、私を覗き込んできた。
「何かひどいこと言われなかった? 目が赤いよ。泣いたんじゃない? 大丈夫?」
「私なら大丈夫。それより、加奈子はいつから気付いてたの?」
 私は静かに幼馴染に訊いた。彼女は目を見開いて、私を見つめた。そしてすぐ、力なくうなだれた。
「・・・・・・やっぱり彼、気付いたから瑞葉を探してたのね」

「それって赤松さんのこと?」
 あの薄暗い視聴覚室で、自分以外にも私のやっていることに気付き、なおかつ庇ってくれている人がいると言う彼に、私は訊いた。
 廊下からの光で逆光の中にいる彼の頭が左右に揺れた。かぶりを振ったのだ。
「赤松もだけど、もっとあんたの身近にいる人間だよ。きっとそいつが赤松のロッカーに靴を入れて、藤田の机にメモを残したんだ」
「どういうこと?」
「赤松への嫌がらせもあるかもしれないけど、みんなの疑いをあいつへ向けることで、あんたを庇おうとした人物がいるってことだよ。そいつもタカヨシがもう一人の犯人だって知らなかったんだろうな。赤松に容疑がかかれば、あんたが靴を盗むのをやめると思ったのかもしれない」
 そんな人物が存在するなんて、天地がひっくり返るほどの驚きだった。目の前にいる人に支えを求めていたけれど、そんなことまでは望めなかった。それなのに、そこまで私を気遣ってくれていた人なんて、本当にいるのだろうか。
「そいつはきっと、あんたが切った靴を焼却炉に捨てる習慣を知ってたんだろうな。さっき焼却炉を覗き込もうとしてた奴がいるんだ。赤松の靴が消えたって聞いて、焦って回収しに行ったんだろう。」
 彼は一人で辻褄を合わせて納得している。私にはとても信じられなかった。
「私なんかを庇う人間なんているわけないじゃない。現にあなただって・・・・・・」
「でも、赤松は知り合って間もないのに、あんたを庇った。人の好意ってやつは、向けられた人間は案外気付かなかったりするもんなんだよ。第三者から見れば、一目瞭然だったりするのにな」
「でも、普通の人なら、私の本性を知って、それでも庇おうなんて気持ちになるわけない・・・・・・。赤松さんだって、犬のことがあったからよ」
 私がぼやくと、彼は軽くため息を吐いた。呆れているのかもしれないと思った。
「杉本は自分のこと『私なんか』って言い方したけど、誰もあんたを蔑んだりしてないよ。みんなあんたに憧れてるんだ。本当だろうが嘘だろうが、あんたは優しくてきれいだからな。少なくとも、中一の時の俺はあんたが羨ましかった」
「うそ・・・・・・」
「本当」
「だって、あなたは誰にも興味なさそうな顔してたわ」
 それに、彼の物言いは至極淡々としていて、とても本当だとは思えなかった。
「だって、そういう演技をしてたから。もっとも俺の場合、それがいつの間にか演技じゃなくなってたけど」
 演技? この人が? 信じられない。
「俺だって、あんたがそういうこと考えてるなんて思いもしなかった」
 暗がりに溶ける低音。彼の顔は逆光になっていて表情は見えなかったので、その真意は分からなかった。
 でも、彼の次の言葉で、私は心の中の霧が晴れるたような気がした。
「ほら、人の気持ちなんて分からないだろ?」
 この人の言うとおりかもしれない。
 そう思うと、私は急にじれったくなった。
「誰なの? その私を庇ってくれてる人って」
「だから、あんたの身近にいる人物。いつも金魚の糞みたいにあんたに付きまとってる人物だよ。金魚の糞してたのも、あんたの行動を見張る為だったのかもな」
 あの日体操袋を持って歩いてたのは靴を入れる為だったのか、とまた一人で納得している彼は、どうやら自分で考えろと言いたいらしかった。
 私は少し考えて、すぐに結論に達した。それは、私の心が猜疑心に覆われていなければ、簡単に気付くはずの人物だった。

「ごめんね、守ってあげられなくて」
 俯いたまま、幼馴染の田口加奈子は言った。その声は、白々しい蛍光灯の光に照らされた空間に、私の心に、暖かい灯を点した。
「本当は中学の時から気付いてたの。ちゃんと言ってやめさせるべきだって思ったけど、それで瑞葉が私のことウザイって思うんじゃないかって考えたら、なかなか言い出せなくて」
「私のこと、怖かった?」
「違うの! あれは、怖いって言ったのは、自分がやったことを隠すためだったんだもん。でも、疎まれるんじゃないかって怖かった。昔は瑞葉になら何でも言えてたのに、いつの間にか言えなくなってた」
 私は初めて、彼女も私と同じように感じていたことを知った。
 でもきっと、その溝を最初に築いてしまったのは私。勝手に疑って、口先だけの親友だと思い込み、口を閉ざしてしまったのは私。いつからかは分からない。だけど、きっと私から。
 私は彼女に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「そのうちに靴の紛失もなくなったから、落ち着いたんだって思って安心してたけど、最近また・・・・・・」
「それで、私の為に赤松さんを犯人にしようとしたの?」
 彼女は小さく頷いた。
「あの前の日、体育の後で瑞葉が消えちゃって、藤田君の靴も無くなっていたから、ひょっとしたらって思ったの」
 中学の頃の記憶から、私が切った靴を焼却炉の捨てると推測した彼女は、そこへ行ってみることにした。すると案の定、焼却炉の辺りを靴を持ってウロウロする私を見つけたらしい。
 このままでは、いつか私が犯人だと分かってしまうと思った彼女は一計を案じる。赤松さんを犯人に仕立て上げることにしたのだ。
「よく一緒にいた彼は、最近、藤田君と靴を探していたから、赤松さんは一人でいることが多かったし、他に彼女と仲の良い人もいなかったから、みんなに犯人だと思わせやすいと思ったの」
 そこであの日、幼馴染は先に帰ったふりをして焼却炉に靴を回収しに行った。赤松さんのロッカーに入れるために。彼女は靴を入れて運ぶため、前日に体操袋をわざと置いて帰っていたらしい。
「あの日の放課後、赤松さんは荷物を置いたままどこかに行ってた。藤田君と彼が二人でコソコソしてるのを見かけてたから、彼女は一人でいる可能性が高かったし、まだ校内にいるなら、犯人になってもらうには好都合だった。これほどのチャンスはないと思ったわ」
 幼馴染が焼却炉に着いた時、私はまだ靴を切っている最中だった。それで私がいなくなるのを待ってから、焼却炉から靴を取り出し、教室へ運んだのだった。
 幸い教室には誰もおらず、赤松さんを犯人にするという作戦はスムーズに運んだ。
「汚いよね、私」
 加奈子は話し終えると肩を落とした。私はその肩に手をかけて言った。
「ありがとう」
 自然と優しい声が出た。演技などではない、心から落ちた言葉。
 今なら素直に思える。彼女が母に言ったことも今回のことも、私を困らせる為ではなく、私を想ってのことだったのだと。
 彼の最後の魔法。あの人は私の思っていたような人ではなかったけれど、全て私の独りよがりだったけれど、最後に彼女への猜疑心を取り払ってくれた。  しかし幼馴染はふるふると首を横に振った。
「・・・・・・私、お礼なんて言われる資格ないの。瑞葉の為だなんて言いながら、赤松さんを犯人にしようとしたのは、嫉妬のせいもあったんだもの。彼と仲が良かったから。彼女なら犯人にしやすいと思ったのも確かだけど、赤松さんが犯人ってことになれば彼も彼女から離れるんじゃないかと思ったの。それに、瑞葉まで彼女に取られちゃうような気がして・・・・・・。私のこと、軽蔑したでしょ?」
「するわけないじゃない。悪いことかもしれないけど、私はそれでも嬉しかったよ。ありがとう」
 捨てられた子犬のように怯えながら本心を打ち明けてくれた彼女の存在を、心から嬉しく思った。
 人の気持ちなんて、本当に分からない。私は十七年もの間、彼女の何を見ていたのだろう。
「私、赤松さんに謝ってくる」
 私はそう言って教室へ引き返そうとした。赤松さんの荷物がまだ教室にあったのを見ていたので、教室にいれば彼女に会えると思ったのだ。
 そんな私を、幼馴染が引き止めた。
「瑞葉は赤松さんには何もしてないじゃない。謝らなきゃいけないのは私よ」
 驚く彼女の方を振り向いて、私は言った。
「ううん。私だって、濡れ衣だって知ってたのに黙ってたんだもの。それに、やっぱり私があんなことしなきゃ、彼女が犯人になることもなかったんだし」
 強い人間なんていない。だから、正しい方法で守ろうとしてくれるとは限らない。そこに自分にとって好都合な打算が働くこともあって当然だと思う。
 それでも、私のことを考えてくれたことに変わりはない。赤松さんには悪いけど、こうして庇ってもらったことを、嬉しいと思う。彼女の罪は私の罪だ。
「だけど、赤松さんが犯人にされるのを防ぐために、今度は彼女の靴を持って行ったんじゃないの?」
「ああ、加奈子は知らなかったのよね」
 視聴覚室での彼の独り言を思い出した。
 そいつもタカヨシがもう一人の犯人だって知らなかったんだろうな。
「私は藤田君の靴しか盗んでないわ。他の靴を盗んでたのは犬だったの。赤松さんは、それを回収してたみたい」
 幼馴染はもう一人犯人がいることさえ気付いていなかった。全て私の仕業なのではないか思い、かなり前から悩んでいたらしい。疑っていてごめんね、と彼女は謝ったけれど、私はむしろこちらの方が謝りたい気持ちになった。いらない心配をかけるようなことをしていたのは、私なのだから。
「じゃあ、一緒に謝りに行ってくれる?」
 おずおずと加奈子が右手を出してきた。
「うん」
 私はその手を握り締めた。
 私と彼女は、いつかのように手を繋いで教室へ向かった。雨音に包まれた校舎は肌寒く、私達の手は冷えていた。でも、繋いでいる手からは、たしかな温もりを感じた。あの日の陽だまりのような温もりを。




「膀胱炎になったら、きみのせいだ!」
 多目的教室の扉を開放すると、赤松はそう捨てゼリフを残して女子トイレに駆け込んでいった。
 ぼくは舌打ちをするしかなかった。ちっ、バレてたか。
 トイレから出てきた赤松は、明らかに怒っていた。
 しかし、それは多目的教室に閉じ込められたからではなく、ぼくが全ての真相を探り出し、杉本に言ってしまったからだった。
「わたしは犯人でいいって言ったのに、どうしてそんなこと・・・・・・」
 非難の色を帯びた赤松の瞳から、ぼくは逃げるように顔を背けた。雨がくぐもった音を立てて、旧校舎に降り注いでいる。
「・・・・・・陸上部に入りたくなかったから」
「え?」
「藤田と賭けてたんだよ。赤松が本当に犯人だったら、俺は陸上部に入らなきゃならないところだったんだ」
 嘘だった。こうでも言っておかないと、赤松はまたぼくに部活に入って自分と離れろと言うかもしれないと思ったのだ。
「でも・・・・・・」
「一番や速さに憧れてたのは、ガキの頃の話。俺、部活の人間関係とか、体育会系のノリとか苦手だもん。トレーニングとかも面倒臭いし。それより」
 呆気に取られたような顔でこっちを見ている赤松に、ぼくは訊いた。「全部知ってたのに、なんで自分が犯人になろうなんて思ったの?」
 藤田の靴を盗んで切ったのは杉本だったが、それを焼却炉から回収して赤松のロッカーに入れ、藤田の机に赤松が犯人であるようなメモを残したのは田口だった。その他の靴を盗んでいたのは、犬のタカヨシだ。
 赤松はやはり全てを見ていたらしい。杉本が靴を切って焼却炉に捨てたのも、それを田口が回収して行ったのも。もちろんタカヨシのコレクションも。
 実は、杉本が靴を切る前日にも、藤田の靴を持って焼却炉の所にいる彼女を見かけたらしい。しかし、杉本がどこに靴を隠したかが分からず、翌日、ぼくに藤田の靴は返ってこないだろうという発言をしたのだった。
 赤松はいつものように俯くと、ぼそぼそと理由を並べ始めた。
「・・・・・・藤田君に問い詰められてる時、二人は助けてくれたから。それに、お弁当一緒に食べようって誘ってくれたし」
 そんなことで? と思う人間もいるだろうが、彼女にとっては人生で十番以内に入るくらい嬉しい出来事だったのだろう。しかし。
「赤松、おまえの行動は何か間違ってるぞ」
「うん・・・・・・」
 彼女が望むような友人関係を手に入れる為には、黙って庇ってたんじゃダメなのだ。不言実行では何も伝わらない。言わなければ、気持ちは伝わらない。
 きっとそんなことは、本人も気付いているのだろう。

 赤松の荷物を取りに彼女のクラスへ行くと、杉本と田口がいた。
 二人に謝罪され、赤松は困惑して目を丸くした。しかし、彼女が全て知っていたことが分かると、杉本と田口はもっと目を丸くした。
 それからは、三人の謝罪合戦だった。
 「私がやったのに黙っててごめんね」と杉本が言えば、「私も濡れ衣を着せるようなことしてごめんね」と田口も謝り、「わたしこそ、バレるようなことになってごめんなさい」と赤松が頭を下げる。そんなやり取りが、ぼくが止めるまで延々と続いたのだ。
 藤田から助けてもらったお礼がしたかったという赤松に、杉本は言っていた。
「私はそんな風に感謝してもらえるような人間じゃないわ。あの時声をかけたのだって、ただの偽善よ。全部演技。本当の私は人の靴を切り裂いて、人に罪を押し付けるような卑怯な人間だったのよ。それにね、私は指摘されるのを望んでたの。中学の時からの罪を、本当の私の姿を、彼に思い出して指摘して欲しかった」
 『彼』という言葉を発する時、彼女はぼくを見た。
 ぼくは、杉本瑞葉を田口加奈子に押し付けたことになるのだろうか。
 二人ともぼくのことを支えにしていたと言っていた。それを無視したような形になったことに関して、あまり悪いとは思っていない。二人の中にいたぼくは、本当のぼくではないからだ。
 しかし本当の自分がどんな人間なのかなんて、実際のところは分かっていない。ただ一つ分かっていることは、ぼくは二人に関心が持てないということだ。
 今現在、身内を除いてぼくが大事に思える人間は三人しかいない。一人は中学の時ぼくに立ち直るきっかけをくれた奴。もう一人は去年のクラスメート。そして赤松だ。
 前者の二人は、現在どこで何をしているのか全く分からない。ぼくの中にいる赤松も、本当の彼女とは違うのかもしれない。それでも彼女だけは、手離すわけにいかなかった。
 職員室に自首しに行くという二人と別れて反対方向へ進もうとした時、赤松が振り返った。
「偽善でも何でも、助けてくれたのは事実だし、わたしは嬉しかった。本当の杉本さんも演技の杉本さんも、杉本さんであることには変わりないんだよ。わたしは好きだよ、どっちも。迷惑かもしれないけど・・・・・・・」
 遠慮がちに、たどたどしく発せられた赤松の言葉に、杉本がマリア様のような顔でふわりと笑った。
「ありがとう」
 それは演技などではなく、心からの笑顔のように、ぼくには思えた。


つづく



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