Nonsense Story

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ある日の出来事 1


「金を出せ! さもないと、この娘の喉を掻き切るぞ!」
 奥のカウンターの方から声がした時、ぼくは入ってすぐの所にあるATMから貯金を下ろしているところだった。
 もともと冷房で霜が降りそうなほど冷え込んでいた店内が、一瞬にして氷と化した。
「た、ただいま」
 窓口の若い女性が、とりあえず、と手元にあった札束を袋に詰めている。
「まだ奥にあるだろう」
 このくそ暑いのに、黒いジャンパーに黒いズボン、おまけに黒い目出し帽を被って、見るからに「自分は怪しい者です」と宣伝しているような男が、高校生くらいの女の子の首に腕を巻きつけて、窓口の女性にすごんでいる。人質になっている少女の着ているものは、ぼくの通っている高校の制服のように見えるが、制服なんて何処のも似たようなものだから、きっと気のせいだろう。
 あそこまで怪しい人間が銀行内に入るのを、何故警備員が引き止めなかったのだろうと不思議に思いながら、ぼくはATMから吐き出された万札三枚を手に取った。幸い、「ありがとうございました」というアナウンスは、犯人が行動を起こす前に流れ終わっており、静かな店内に響いたのは、支払機の蓋が閉まるシャーっという音だけだった。
 犯人は興奮していて、入り口付近の人間の動きなど、あまり気にしている様子がない。自動ドアを開けたり、派手な物音や大きな声さえ上げたりしなければ、見咎められる心配はなさそうだった。
 財布の中にはレシートが山のように入っており、万札を入れるためには、それらを出さなければいけなかった。ぼくは犯人に気付かれないように万札を鞄に突っ込み、レシートの束を取り出した。その様子を、隣の両替機を利用していたおばさんが、「今どきの若い子は・・・・・・」という目で見ている。目が合った拍子に、ぼくがヘラっと笑って見せると、彼女はそっぽを向いた。厚化粧の顔を歪ませて、さも人質の子が心配だという表情を作っている。彼女は首に巻いていたスカーフを外して、ゴテゴテの指輪が付いた手で口元に持っていっていた。
 そんなに心配なら、その装飾品の一つでも犯人に進呈して、人質と交換してやればいいのに。ぼくはそんなことを思いながら、彼女を眺めた。
 ぼくが心配したって、なるようにしかならない。それよりも、今下ろした三万を持ってMDウォークマンを新調しに行くことの方が、ぼくには重大事なのだ。今日は終業式で、午前で学校が終わりだったので、帰りに銀行でお金を下ろしてから電気屋を回る予定だった。
 愛用のCDウォークマンが壊れたのは、先週の月曜日。それから二週間弱、迷いに迷った末、とうとう貯金を下ろして新しいウォークマンを買う決心をしたのだ。今度はMDのを。
 ぼくはだんだん腹が立ってきた。
 二週間も悩んでやっと決心したのだから、わけの分からない銀行強盗なんぞに、ぼくの重大な買い物を邪魔されるなんてごめんだった。何も、今日この時間に銀行強盗なんかしなくてもいいのに。
 銀行も銀行だ。つい最近、隣の市で大規模な銀行強盗があったばかりだ。犯人は五人組で、そいつらはまだ捕まっていない。もっと警戒していても良かっただろうに。
 それに、人質の女の子。あの子もグルになってぼくの邪魔をしているとしか思えない。なんてトロイ奴なんだ。
 かくいうぼくにもトロイ友人がいる。どれくらいトロイかというと、履歴書の特技欄に堂々と『何もない所で転べる』と書けるくらいだ。もちろん本人は絶対書かないだろうけど。
 今日もここまで一緒に来ているのだが、銀行の外で待っていた。その選択は大正解だったと胸を撫で下ろしつつ、隣のおばさんの視線の先を見て、ぼくは仰天した。
 犯人に果物ナイフを突きつけられているのは、間違いなく外でぼくを待っているはずの友人だった。


つづく



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