Nonsense Story

Nonsense Story


 2


 ぼくの携帯電話に片岡から着信があったのは、その日の晩のことだった。
 ぼくは久しぶりに自分の部屋で寛いでいた。昨日も一昨日も、ほとんどこの部屋にはいなかったのだ。
 観てきた映画のパンフレットの最終ページに、製作スタッフの名前が連ねてある。そこを開いて赤松のもう一つの名前を眺めていたら、携帯が鳴った。
「珍しいじゃん。どうかした?」
「いや、ちょっと頼みたいことがあってな。赤松さん、あれからどうだった?」
 なるほど。赤松が心配だったわけか。
 ぼくは亡霊のようだった彼女の奇行を簡単に説明した。
「そうとう落ち込んでるな、あれは」
「そうか・・・・・・」
 片岡の声も落ち込んでいる。ぼくは話題を変えることにした。
「そういえば、頼みって?」
「ああ、赤松さんに会えるようセッティングしてもらいたいんだ。直接会って言いたいことがあってな」
「いいけど、何?」
 まさか告る気か? 本にしか興味のなさそうな片岡でも、恋の一つや二つはするらしい。いや、本にしか興味がないからこそ、相手が赤松なのかもしれないが。
 しかし片岡は、ぼくの質問には答えず、全く関係のない奴の名前を出してきた。
「去年俺達と同じクラスだった坂口って、元気してるか?」
「さぁ? たぶん元気なんじゃない?」
 坂口とは、去年ぼくとツルんでいたサッカー部のお調子者だ。クラスのムードメーカーのような奴だったのだが、春休み中に母親の実家へ引っ越すことが決まり、すでに転校してしまっていた。
「坂口が引っ越してから連絡取ってないのか? あんなに仲良さそうだったのに」
「ああ」
 現在、奴がどこに住んでいるのかすら、ぼくは知らない。
「坂口って、お父さんが亡くなったから引っ越したんだったよな」
 少し言いにくそうに、抑えた声で片岡は言った。
「坂口のお父さん、死ぬ時なに考えてたんだろうな」
 ぼくは黙り込んだ。坂口の親父さんに関することは、あまり口にしたくなかった。やっと出した自分の声は、少しかすれていたかもしれない。
「・・・・・・なんでそんなこと訊くんだ?」
「少し前に親父が死んでな。もうずっと会ってなくて、親父のことなんて忘れてたんだけどさ。でも、死んじまったって聞いたら、急に親父はなにを考えてたんだろうって気になってきたんだよ」
 ぼくは何も言えなかった。うちは両親だけでなく、生きている身内はみんな殺しても死にそうにないくらいピンピンしている。かけるべき言葉なんて見付かるはずもなかった。
 お姉さんと死別している赤松なら、うまい慰めの言葉をかけることができるのかもしれないけど。
「赤松さんには、ちょっと謝りたいことがあってな」
 ぼくが黙っていると、片岡が話を戻した。
「お前も同席してくれてかまわない。ただ、できれば学校じゃない方がありがたい」
 知っている人間がいない所がいいということか。
「分かった。赤松に都合聞いてみる」
「安心しろよ。お前から赤松さんを取ろうなんて気はないから」
「なっ・・・・・・。言っとくけど、今日のはデートじゃないからな。別に付き合ってなんかないし。そっちこそ安心したろ?」
 片岡がとんでもないことを言うので、ぼくはどうでもいいことを口走っていた。
 同じクラブに所属しているわけでもクラスメイトになったことがあるわけでもないのに、ちょこちょこ行動を共にしているぼくと赤松の仲を勘違いしている奴は多い。ぼくは面倒なので訂正しないし、陰でこそこそ言われるだけの赤松は訂正する機会さえ与えられないので、憶測だけが一人歩きしている。
 片岡なら説明しなくとも、ぼくと赤松の正確な相関図を描けるかもしれないと思っていたのだが。
「確かに俺も赤松さんは好きだけど、お前とは違う意味だ。正確に言うと、俺が好きなのは赤松さん自身じゃない。作家としての彼女だけだ」
「どういう意味? 作家としての赤松も赤松に変わりないじゃん」
 筆名こそ違うけれど、書いている人間が赤松であることに変わりはないだろう。
 エアポケットに入ったぼくに、片岡が説明を始めた。
「例えば、彼女の本を踏まないと百円払わなければならないとする。その場合だと俺は百円払うけど、それが本じゃなく彼女自身の足だったら、俺は百円を惜しんで足を踏む。そういうことだ」
 百円で足を踏まれる赤松・・・・・・。ぼくは少し彼女が気の毒になった。しかし、ぼくは貧乏の上にケチだ。片岡のように水筒を持ち歩くわけではないが、いくばくかの差額をケチって、自販機ではなくコンビニやスーパーで缶ジュースを購入する人間だ。
「俺だったらどっちでも迷わず踏むな。それか、両方踏まずに後で赤松に請求する」
「うわ、最悪だな。俺が女だったら、お前みたいな奴にだけは引っかかりたくない」
「安心しろ。いくら女の姿でも、誰もお前みたいなのを引っかけようなんて思わないから」
 ぼくはちょっと安心した。片岡の声のトーンがいつもの状態に戻っていて、さっきまでの切迫感みたいなものが消えていたからだ。
 彼の温度はいつもそんなに高くない。声の違いだって、電話じゃなければ気付かなかったかもしれない。それくらいの変化でしかなかったけれど、ぼくは何か不穏なものを感じていたんだ。
「要するに、俺はただのファンだってことだ。お前みたいに特別な感情があるわけじゃない。もっとも、お前の気持ちって、赤松さんには全く伝わってないみたいだけどな」
 片岡は、ぼく達の正確な相関図をさらりと言葉にして締めくくった。
 伝えるつもりがないんだよ。とは言えなかった。だって、そんなこと言ったら全部ばれてしまうじゃないか。もうすっかりばれてんだけど。
 片岡はそのまま、それじゃあ、と通話を終わらせようとした。ぼくは慌ててそれを止めて言った。
「家族のことだよ」
「え?」
「坂口の親父さんは、死ぬ時、奥さんや坂口達のことを考えてたんだ」
 片岡が唾を飲み込む音が、小さな穴から聞こえてきた。
「どうしてそう思う?」
「聞いたから」
 そうか、と呟いてから、片岡は大きく一つ息をついた。
「俺の親父は死ぬ時、一緒に暮らしてた女のことを考えてたんだってさ。親父と駆け落ちした女がそう言った。私のことを考えてたのよってな」
 ぼくは携帯を切ると、ベッドに寝転がって舌打ちした。天井の明かりさえ、ぼくを責め立てているように見える。
 坂口のことは、決して抜けない棘のように、ずっと心に引っ掛かっている。あの時も、ぼくはどうすることもできなかった。
 坂口の親父さんの死から数ヶ月。一学期間学校に通ったって、ぼくはちっとも成長しちゃいない。


つづく


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