Nonsense Story

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「なんだか皮肉だな」
 塾に行くという片岡と別れて赤松と駅までの道を歩きながら、ぼくは言った。まだ日は高く、街は熱気と排気ガスで揺らいで見える。
「何が?」
「白石久美子って人。駆け落ちした相手は血糖値を下げるために薬なんか飲んでたのに、彼女は血糖値が低すぎて倒れたんだろ?」
 言ってからぼくは、あっ、と呟いた。
「そうか、ひょっとして・・・・・・」
 赤松はかすかに寂しげな表情でぼくを見ると、軽く頷いた。
「わたしもそう思うんだ。だからそれを確かめたくて」
「そっか、そうだな。それなら映画は関係ないもんな」
 そうと分かれば、赤松だって大手を振って安心できるというものだ。
 人間の血液中にはブドウ糖が含まれているが、これは通常一定量に保たれているらしい。この量が多くなりすぎると、すい臓のエンゲル・・・・・・じゃなくて、ランゲルハンス島からインスリンというホルモンが分泌され、ブドウ糖の細胞への取り込みと分解を促す。そのインスリンの量や作用が不足して、血液中のブドウ糖量の多い状態が続くのが糖尿病だと、生物の教師が授業で言っていた。
 低血糖とは、反対にブドウ糖が不足してしまった状態のことらしい。
 片岡の親父さんは糖尿病で血糖値を下げる薬を服用しており、亡くなった後も薬は残っていた。そして、一緒に暮らしていた白石久美子が低血糖で倒れた。これの意味するところ、それは、彼女が残っていた親父さんの薬を飲んだのではないかということだ。
「白石さんは、きっと片岡君のお父さんをとても愛していたんだよね。あの冷静な片岡君が嫉妬を露わにするほど、幸せそうだったんだ」
「そうだろうな」
「でも、彼女は一人きりになってしまった」
 街路樹が濃い影を落としている。排気ガスと暑さの中でも青々とした葉は、やはりだるそうに木からぶら下がっていた。
「わたしね、少し調べてみたんだけど、いくら血糖値が正常な人でも、糖尿の薬を一回や二回規定量を飲んだくらいでは意識不明になるまでには至らないみたいなんだ。もちろん個人差はあるだろうから、一概には言えないけど。でも、そういうことから考えて、もし薬が原因だとしたら、一度に大量に飲んだか、ある程度の期間は服用を続けていたんだと思う」
 どちらにしても、彼女はわざと糖尿病薬を飲んだのではないか。赤松はそう言いたいようだった。
 白石久美子がどういった交友関係を持っていたのかは分からないが、身寄りもいない彼女が急に長年連れ添った相手を亡くすのは、半身をもがれたような痛みだったのではないだろうか。
 片岡のおばさんが、旦那さんを失って気力を失くしたした時と同じように、彼女も絶望したのかもしれない。いや、もしかしたら、おばさん以上に。白石久美子には、片岡の親父さんしか家族と呼べる人がいなかったのだから。
 そして一人ぼっちになってしまった彼女は・・・・・・。
「ゆるやかな自殺だったのかもしれない」
 赤松は、太陽がようやく傾きはじめた空を見上げて、眩しそうに目を細めた。
 今回は公衆の場で倒れたから助かったが、一人きりの家で誰にも見つけられないまま何日も昏睡を続けていたら、きっと命はなかっただろう。
 しかし、それは賭けの連続に思える。まず、残った薬が無くなるまでに昏睡に陥ることができるか。そして、手遅れになるまで誰にも見つからずにいられるか。
 ぼくは、そこまで想像がついているならもう調べなくてもいいんじゃないかと喉元まで出かけていたのだが、はっきりしたことが分からない限り、赤松は納得できないのだろう。ぼくはよく分からないが、赤松が片岡にあれだけ質問を浴びせていたところをみると、低血糖になる原因は他にもいろいろあるようだ。映画のせいでないとは思い切れないでいるのかもしれない。頑固とマイナス思考が手を繋ぐと、厄介な人間が出来上がるものらしい。
 白石久美子もどうせ死ぬ気なら、確実に自分の家で倒れるようにしてくれりゃ良かったのに。
「ゆるやかな、ね」
 ぼくは歩道に転がっていた石ころを、思い切り蹴り飛ばした。


つづく



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