Nonsense Story

Nonsense Story


 4


 計らずも片岡の生い立ちを知ってしまった日の二日後、ぼくは借りていた課題の問題集を赤松に返すため、学校や赤松の家のある町のマクドナルドへ向かった。
 JR駅の高架下にある店の前まで来ると、ガラス張りのウインドーから彼女がもう来ていることが確認できた。店の奥の方の席で、ジュースを片手になにやら真剣に読んでいる。顔をうずめているのはいつもと違って本ではなく、A4サイズのコピー用紙のようだった。
「何それ?」
 ナゲットとアイスコーヒー、それにダブルバーガーを乗せたトレイを小さな一つ足のテーブルに置いてぼくが訊くと、赤松は顔を上げた。
「さっき、ネットカフェで印刷してきたんだ。うちのパソコン、ちょっと調子悪くて」
「見てもいい?」
 ナゲットを口に放り込みながら、もう片方の手を伸ばす。赤松は頷いてコピー用紙をぼくの手に乗せてくれた。
 それは、ネットの薬情報サイトの画面を印刷したものだった。
 赤松は、三枚あるコピー用紙のうちの二枚、まん丸い白い錠剤が載っているものとベージュの錠剤が載っているものを指差して言った。
「これとこれが、白石久美子さんに処方されていた薬。彼女、自宅近くの個人病院で、高血圧の薬を処方されていたんだって」
 白石久美子のかかりつけ医院には入院設備がない為、彼女は救急車で搬送された先の病院で、今も治療を続けているということだった。
「このピンクの写真のやつは?」
 ぼくは、手に付いた油を備え付けの紙ナプキンで拭いて、もう一枚のコピー用紙を指差した。それには薬の効能書きの下に、ピンクの錠剤の製品写真が載っていた。
「それは、片岡君のお父さんが常用していた糖尿病の薬。そして、白石さんが意識不明になって病院に搬送された時、バッグに入っていたものだって」
「それってやっぱり・・・・・・」
 自殺だったんじゃないか、という言葉を飲み込みながら、ぼくが勢い込んで身を乗り出すと、赤松は続きを察して首を横に振った。
「それはまだ分からない。白石さんには他に睡眠薬も処方されていたみたいだから、死ぬつもりだったならそっちを使うほうが一般的な気もするしね。こればかりは彼女に直接聞いてみないと」
 赤松は脇に置いていたクリアファイルから、今度は白い粉末の写真が載ったコピー用紙を取り出した。種別として、不眠症の治療薬と書かれている。
「ただ、白石さんに血圧を下げる降圧剤を処方してた病院は、間違えて薬を渡したなんてことはないって言ってるらしい。それでも不安だったんだろうね。同居者がこのピンクの薬を服用してたかもしれないって話したら、すぐにそっちの病院に確認を取ってくれたって」
 結果、やはりピンクの糖尿病薬は、片岡の親父さんが常用していたものと一致した。白石久美子の入院先の医師達は、彼女の状態がもう少し安定したら、詳しい話を聞くつもりでいるらしい。
「とにかく、白石さんが倒れたのはこの薬を飲んでいたことが原因であることは確かだって」
「睡眠薬は飲んでなかったの?」
 なんとなく気になって、ぼくは訊いた。赤松の言うとおり、薬を使っての自殺なら、睡眠薬の方がポピュラーな気がする。だからと言って成功し易いとは限らないのかもしれないけど。
「血液検査では全く検出されなかったから、倒れたこととは関係ないって」
 赤松は『全く』の部分を強調した。
 ぼくは睡眠薬とピンクの糖尿病薬の効能書きを睨みながら、ダブルバーガーを平らげた。赤松は他にも何か印刷してきていたようで、数枚のコピー用紙に目を通しながら考え事をしていた。
 混雑を避けて昼過ぎに待ち合わせしたのが良かったのか、あまりの暑さに出歩く人が少ないのか、店は空いていた。時折トレイを持った人間が行き交う店内を、店員がよどみなく決まり文句を言う声がこだましている。
「低血糖って悪くすると死ぬこともあるんだろ? きっと白石久美子は片岡の親父さんと同じ薬を飲んで、親父さんのところに行きたかったんじゃないかな。だから睡眠薬を使わなかった。やっぱり自殺だったんだよ」
 ぼくは買った物を全て食べ終えると、ピンクの錠剤写真を赤松の方に向けた。片岡の親父さんが飲んでいた薬だ。
「そうだね・・・・・・。ただ、どうして今頃、というのは否めないんだ。片岡君の話によると、おじさんの亡くなったのは何ヶ月も前の話でしょう。睡眠薬なら薬を溜め込む為の期間が必要だったんだって考えられるんだけど」
 睡眠薬は悪用や飲みすぎを避けるために、一度に処方してもらえる数には上限があるらしい。旅行や出張などの特別な場合には多少は考慮してもらえるが、やはり一度に致死量は出してもらえないだろう。もっとも、数件の病院をはしごして処方してもらうという手もあるだろうが、それでも致死量まで集めるにはやはりかなりの期間を要するに違いない、と赤松は言った。
「糖尿病薬で低血糖になるのもすぐじゃないって言ってなかったっけ?」
「それはそうだけど、何ヶ月も飲み続けてたってことはないよ。おじさんの薬なんだから、そんなにたくさんは残ってなかっただろうし。多くてもせいぜい一ヶ月分かそこらくらいじゃないかな」
 つまり、白石久美子がピンクの錠剤を飲み始めたのは、早くても一ヶ月前くらいからということになる。赤松は、半年近く前に亡くなっている親父さんの後を追うには、少し遅すぎる出発ではないかと言うのだ。
「でも、単に決心するのに時間がかかったってことかもしれないじゃない。何がそんなにひっかかるの?」
「糖尿病の薬は一週間分のを曜日毎に分けて入れる形のピルケースに入れてあったらしいから、きっと毎日飲んでいたんだと思うんだけど、こっちのベージュの降圧剤は常用してたのにピルケースには入ってなかったんだ。それがちょっと気になるかな」
「じゃあ、その薬と間違えて飲んでたってことも有り得るわけか」
 ぼくはベージュの降圧剤とピンクの糖尿病薬の用紙を手前に引き寄せた。たしかに二つの錠剤の色は、似ていないと言えなくもない。
「うん。でも、分かって飲んでいたとみて間違いないとは思うんだけどね。だいたいは意識不明で倒れるまでに、もっと軽めの症状が出るはずなんだ。めまいとか手足の震えとか。中には出ない人もいるみたいだから絶対とは言えないけど、糖尿病薬のヒートにはそのまま『糖尿病薬』って書いてあるし、降圧剤とはヒートの色も違うから、ピルケースに移す時に気付かなかったはずないんだよね」
 写真のピンクの錠剤も、たしかに『糖尿病薬』と書かれた銀色の台紙に収まっている。そしてベージュの降圧剤は、青みがかったシートに貼り付いていた。
「それでも、どのみち赤松が気に病む必要はなくなったってことだよ。誤飲か覚悟の上かは分からないけど、映画は関係なかったんだから」
 どちらにしても、人の命がなくなりそうになったということで、赤松は心を痛めているのだろう。理由がどうあれ、彼女が納得することはない。それでも、調べている間は何か良い方向へ向かうんじゃないかと信じることができるようだが、それもあまり長引かせるべきではないような気がした。期待が大きくなりすぎた後の落胆には底がない。
 ぼくは彼女にコピー用紙を返した。
 赤松は紙を受け取ると、そうだねと言って薄く微笑んだ。そして、口を「あ」の字に固定させた。
「何?」
 赤松の視線の先はぼくより少し後ろへ届いているようだった。それを追うように振り向くと、几帳面そうな眼鏡付きの顔が驚いたようにぼく達を見下ろしていた。
「片岡、こんな所で何やってんの?」
「飯食いに来たに決まってるだろ」
 片岡はハンバーガーだのポテトだのが載ったトレイを掲げて見せた。
「こんな時間に?」
 時刻は四時をまわったところだ。昼飯にしては遅いし、晩飯にしては早すぎる。おやつの時間だってとっくに過ぎている。
 なんて考えつつ、ぼくもさっきバリューセットを食べたんだけど。
「塾の休憩時間なんだよ。今食っとかないと、終わるまでに腹が減るからな。俺の通ってる塾、すぐそこなんだ。そっちこそ何やってんだよ?」
「赤松に課題の問題集返そうと思って」
 ぼくは自分の鞄から問題集を出して赤松に渡した。彼女はそれをコピー用紙と一緒に端に寄せ、片岡がトレイを置けるようにテーブルを空けた。
「あの女の件、どうなった?」
 片岡はぼくの隣に座ると、赤松に向かって口を開いた。
「はっきりとは分からないんだけど・・・・・・」
 言葉を濁す赤松に代わり、ぼくがさっきのコピー用紙を片岡に渡して聞いたことを簡単に説明する。
 白石久美子が倒れた原因は、亡くなった親父さんの薬を飲んでいたせいであるらしいこと。彼女の所持品のピルケースに、常用していた降圧剤の一つが入っておらず、代わりにその薬が入っていたこと。入っていなかった降圧剤と糖尿病薬は色が似ていること。
 最後に、それでもぼくは誤飲ではなく、覚悟の上での服用だったと思うということを付け加えた。
「自殺するつもりだったってことか」
 片岡は無表情でコピー用紙を見つめていたが、ぼくが話し終えると気の抜けたように呟いて、Lサイズのジュースのストローに口をつけた。彼はしばらくそうやってストローを口に含んでいたが、やがて顔を上げて赤松に向き直った。張り詰めたように真剣な顔をしている。
「赤松さんも自殺だと思う?」
 赤松は、少し困ったように顔をうつむけてから小さく頷いた。真相は分からないけど、わたしもそう思うと。
「それに、白石さんはあそこで倒れて正解だったんだよ。家で倒れて誰にも見つからないままだったら、今頃本当に亡くなってたかもしれない。わたしは、片岡君が彼女をあの映画に誘ってくれて良かったと思ってる」
 片岡はほっとしたように表情を緩めた。
「そうか。良かった。それに、あの女の件も、赤松さんが言うならきっと自殺なんだろうな」
「ちょっと待て。俺が言ったんじゃ、信じられなかったってのか」
 ぼくは片岡に抗議した。片岡は横目でちらっとぼくを見ると、ため息を吐いてぼそりと言った。
「人の課題を丸写しするような奴の言うことが信じられるか」
 片岡は自分のせいで赤松を落ち込ませてしまったと思い、罪の意識を感じていたのだろう。本人の言ったとおり、白石久美子のことよりも、赤松に責任を感じさせてしまったことを気に病んでいたのだ。
 赤松が、白石久美子が昏倒したのがあの映画館で良かったと言ったことで、片岡は安心したようだった。


つづく


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