Nonsense Story

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 午前だけの授業が終わり、昇降口で従兄からのメールを確認していると、赤松がやって来た。久しぶりに再会した級友達と楽しそうに騒ぐ集団の間を、押し潰されそうになったりぶつかったりしては頭をペコペコ下げながらぼくの方へやってくる。日焼けして健康的に見えるようになったかと思った赤松の顔色は、海や山で派手に焼けている集団に紛れると、やはり少し不健康な印象を受ける。肩で切りそろえられた髪の毛は、人ごみでぼさぼさになっていた。
「ね、片岡君が今日来てないって知ってた?」
 赤松はぼくの所に辿り着くなりそう言った。ぼくはかぶりを振った。
「知らない。どうかしたの?」
 たしかに一昨日「登校日に会おう」とは言ったが、それは社交辞令みたいなもので、会って話をしようとか遊びに行こうという約束をしたわけではない。だからぼくは、今日の学年登校日に片岡がきちんと出席しているかどうかなんて気にも留めていなかった。しかし赤松は、わざわざ片岡の教室まで行ってみたらしい。
 彼女はぐるりと首を巡らせると、周りの人間が誰もこちらを見ていないことを確認して声を潜めた。
「昨日の夜、白石さんが亡くなったらしいんだ。六階の病室から飛び下りて」
「自殺ってこと?」
 ぼくも声を潜める。赤松はためらいがちに頷いた。
「遺書らしいメモも残ってたって」
「メモには何て?」
「『私が自分で薬を入れ替えて飲みました。ご迷惑をおかけしてすみません。』って。たぶん、かかりつけの病院が調剤ミスの疑いをかけられるのを懸念したんだろうね」
 病院の調剤ミスを、ね。
 ぼくは心の中で呟いた。
「このことを早く片岡君に伝えようと思って教室に行ってみたんだけど、クラスの人に休んでるって言われたんだ。白石さんが亡くなったのは残念なことだけど、これで彼女が倒れたことは片岡君には全く関係ないってはっきりしたわけでしょう。片岡君は気にしてないようなこと言ってたけど、やっぱり気になってるんじゃないかと思って」
 一刻も早く片岡に伝えたかったのだろう。赤松はじれったそうに話した。
「そうだな。じゃあ、このことは俺から連絡しとくよ」
「本当? わたし、片岡君の電話番号って携帯のも家のも知らないから助かるよ」
 心底ありがたいという表情をする彼女に、今日中には片岡に知らせると約束した。赤松は今すぐにでも連絡して欲しそうだったが、ぼくはまだ学校に用事があるからと言って、彼女を先に帰らせた。

 赤松を見送ると、ぼくは学校の敷地の最奥にある旧校舎に向かった。
 自然と足の動きが速くなる。赤松には何も言わなかったが、ぼくにはある予感があった。
 気付くとぼくは走り出していた。
 旧校舎は山の根にある。他の校舎よりも暗い感じのする建物の中に入ると、ぼくは最上階の多目的教室を目指した。
 多目的教室は、現在はお役御免になっている放置教室だ。そのため、長い間閉め切られていた教室特有のカビ臭さと埃っぽさを発酵させて、熱気で溶かしたような状態になっていた。この空気を一掃するには窓を開け放つしかないのだろうが、ぼくがここにいることを人に知られるのは避けたかったので、外界との遮断物を開けるようなことはしなかった。
 逸る気持ちを抑え、携帯電話を取り出して片岡の番号にかける。
 旧校舎は芸術系の教室が入っているため、夏休みでも美術部や吹奏楽部の人間が出入りしている。しかし、先日定期演奏会を終えたばかりの吹奏楽部は、今日の部活は休みのはずだった。美術部は活動している可能性があったが、美術室はこの教室からは離れているので、声を聞かれる心配はないように思えた。それでも自分の声が校舎外に漏れて人の耳に入ることを懸念して、ぼくは山側に立った。
 そこまでしたにもかかわらず、携帯から聞こえてきたのは、現在は電波の届かない所にいるか電源が入っていない為、というアナウンスだった。
 三回掛けても結果は同じで、ぼくは舌打ちをしながら片岡の家の番号を呼び出した。苛立ちを紛らわせるため、机の埃を払って腰かける。留守電に切り替わりもしないが、誰かが電話に出る様子もない。
 呼び出し音が二十回に達したところで、一度切ってまたかけなおした。
 携帯を持つ手に汗がにじむ。ぼくは空いている方の手を握り締めた。
 コールは続いている。十回、十一回、十二回・・・・・・。
 ぼくは下唇を噛んだ。呼び出し音が二十回を超え、諦めて切ろうとした時、受話器を取る音がした。
「あの、篤史くんお願いします」
「片岡でございますが。あの、何でしょう?」
 気品のある老女の声に、相手が片岡のおばあさんであることを確信する。ぼくは勢い込んで挨拶をすっ飛ばしてしまったことを激しく後悔した。ここで切られてしまっては元も子もない。
 慌てて謝罪し、改めて片岡に代わってくれるよう頼む。第一印象を良くしていたお陰か、おばあさんは機嫌を損ねた風もなく、反対になかなか電話に出なかったことを詫びてきた。
「ごめんなさいね。私は出掛けようとしていたものだから、ベルの音が聞えなくてね。篤史なら朝から体調が悪いと言って寝ているから、部屋にいると思うわ。ちょっと待っててね」
 そう言って、おばあさんは保留にしないまま片岡を呼び始めた。携帯からは片岡の「子機で取るから一度保留にしてください」という叫び声まで聞えてくる。しばらくして保留音が流れ始め、すぐにそれも止んだ。
「どうかしたのか?」
「それはこっちのセリフ。今日はどうしたんだよ?」
 片岡の落ち着いた声音につられるように、ぼくも平然とした喋りになった。冷静な奴に感情的に物を言っても、馬の耳になんとやらだ。
 彼の温度にあわせるように、息を深くして冷静さを呼び戻す。
「ん。ちょっと体がしんどくてな」
「夏風邪か?」
「そんなもんだ」
「・・・・・・夏風邪ひく馬鹿」
「切るぞ」
「昨日、白石久美子が死んだ」
「え?」
 電話を切られないように一気に本題に突入すると、ぼくの意図どおり、片岡は受話器を耳に戻したようだった。
 カーテンをひいたままの薄暗い教室が、もう一枚布を被せたように急に暗さを増す。
 ぼくは、白石久美子が六階の病室から飛び降りたことや、遺書らしいメモが残っていたこと、そのメモの内容など、赤松に聞いたとおりに説明した。
「そうか」
 片岡は無関心そうに呟いた。ぼくは思い切って言った。
「知ってたんじゃないのか?」
「どうして? 今日休んだから?」
「お前が彼女の死んだ現場にいたから」


つづく


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