Nonsense Story

Nonsense Story

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 片岡は一呼吸置いてから笑い出した。
「俺が殺したって言いたいのか? そりゃ、俺はあの女を憎んでたかもしれないけど、自分の手を汚してまで殺そうなんて馬鹿なことは考えない。それに、もともと薬で自殺しようとしてたんだから、俺が手を出すまでもないだろう」
「そうだな。でも、おじさんの薬を飲んだこと自体、彼女の意図したことじゃなかったとしたら?」
「俺が飲ませたとでも? どうやって? 親父の薬と彼女のバッグに入っていなかった薬はたしかに似てた。でも、薬を入れ替えたって、ヒートを見れば一目瞭然だ。お前だって写真で見たろう。親父の薬のヒートには、『経口糖尿病薬』って書かれていたし、目が悪くてそこまで見えなかったとしても、ヒート自体の色だって違ってた」
「ああ。だからお前はヒートから取り出して、ピルケースに入れたんだ」
 白石久美子のバッグに入っていたピルケースは、曜日や服用時点毎に仕切りで小分けされた作りになっていて、薬はヒートから取り出して入れるようになっていた。よって、ピンクの糖尿病薬をヒートから出して、ピルケースの中のベージュの降圧剤と全て入れ替えてしまえば、すぐには気付かないはずだ。いつも使っているものだし、以前に自分で入れていたはずだから、まさか違ったものが入っているなんて思わないだろう。
「面白いことを考えるな。それで?」
 片岡は興味深そうに先を促した。
「お前は彼女の安否を確かめるために、次の約束を取り付けた。白石久美子が薬の入れ替えに気付いて飲まない可能性もあるからな。約束の時に白石久美子が来ず、連絡もなければ、なんらかの効果があったとみることができる」
 薬の効果については、片岡にも未知の部分だっただろう。自分の父親が糖尿病だったことも白石久美子が高血圧だったことも知らなかったのだから、事前に調べようがない。
 ひょっとしたら全て知った上での計画だったのかもしれないが、ぼくは違うと思った。それなら外に連れ出すようなことはしないだろう。低血糖を起こした時、家に一人でいてくれるほうが死亡率は高くなる。
「でも、彼女はあの日、お前の前に現れた。お前は彼女が元気なまま現れた時のために、次の手も考えて映画館へ行っていた」
「ちょっと待て。あの時、白石久美子は女子トイレで倒れたんだぞ。俺が中に入っていって何かしたって言うのか? ありえんだろう」
 たしかにそれはありえない。片岡は勉強ばかりしているようだが、ガタイがいい。頭こそ小ぢんまりとしているが、化粧をしたところで女らしい外見になるとも思えなかった。
 それに映画が終わった後の女子トイレには、長蛇の列が出来るほど混んでいた。ごく少数しかいなかった観客全てが、トイレに集中したかのようだったのだ。
 白石久美子が倒れたのは洗った手を乾かす乾燥機の前。あの混雑した中では、たとえうまく女に化けたとしても、何かするなんて不可能だ。
「それに、俺はあの日、凶器になるような物だって持って行かなかった。お前だって知ってるだろう。あの時、俺の荷物の中身はほとんど目にしてるんだから」
「それがあったんだよ。あの中に凶器になるようなものが」
 白石久美子が倒れた日、片岡は赤松とぶつかった。その際飛散した彼の荷物を拾い上げたぼくは、中身をほとんどこの目で確認したが、たしかにその中にはナイフなどの物騒なものは含まれていなかった。しかし、それは確かに存在したのだ。
「水筒か? あれで頭でも殴るつもりだったと思ってるのか?」
「近いけど違うな。正確には水筒の中身だ」
「中身?」
「グレープフルーツジュース」
 グレープフルーツは、一部の降圧剤の効果を増強させすぎてしまう。薬物の血中濃度が上がり、過度の血圧低下や心拍数の増加が起こるのだ。その結果、頭痛やめまいなどの副作用を引き起こすことがある。
 昨日、グレープフルーツジュースを持ってきてくれた従兄の父親も、その類の薬を常用していた。
 ぼくは叔父が高血圧の薬のせいでグレープフルーツジュースが飲めないことを思い出し、昨日の電話で、白石久美子のバッグから出てきた白い錠剤がおじさんの飲んでいる薬と同じかどうか、従兄に訊いた。先程メールで入ってきた従兄の解答によると、薬は違うが、同じくグレープフルーツとの飲み合わせを禁止されているカルシウム拮抗剤系の薬であるということだった。
 片岡はピンクの糖尿病薬とベージュの降圧剤を入れ替えた際、もう一つの白い降圧剤の形やヒートに書かれた名前も見覚えていたのだろう。そして、白石久美子が元気なまま現れた時のために、その成分を利用することを考えた。
 少しジュースを飲んだくらいでは倒れるようなことはないだろう。しかし、めまいや頭痛で彼女がフラフラしている時、人混みに紛れてあの交通量の多い車道に押し出す、というくらいの計算はあったかもしれないとぼくは思った。
「ものぐさのお前が、よく調べて考えたな。それくらい勉強すれば、宿題も自分でできるんじゃないか」
 片岡は感心したように皮肉ったが、ぼくはかまわず続けた。
「白石久美子が糖尿の薬を飲んでいなかったと思ったお前は、彼女にジュースを飲ませた。でも、彼女はお前が見ていない所で倒れてしまった」
「倒れた原因は低血糖だろ?」
「ジュースをちょっと飲んだくらいじゃ症状が出なかったのかもしれないし、めまいで倒れてから低血糖に陥ったのかもしれない。そこはよく分からないけど・・・・・・」
「曖昧な推理だな」
 片岡が鼻で笑う。
 ぼくのは推理というより、想像に過ぎない。それをもっともらしく口にしているだけだった。
 黙り込んだぼくを、再び片岡が促す。
「とにかく彼女は倒れた。でも、すぐには死ななかった。それで次に俺はどうしたんだ?」
「それでお前は塾をさぼって彼女の病院へ行った。一昨日明代ちゃんが駅のホームに見たのは、お前に間違いなかったんだ」
 しかし片岡は、一昨日は何もせずに帰った。赤松がどう思っているのか気になったからだ。疑われていると思っていたのかもしれない。
 そして、赤松の口から「自殺だと思う」という言葉を聞いて安心した片岡は、昨日、再び白石久美子の病院へ出向いた。彼女の入院している病院は、片岡の家や塾もあるこの学校の最寄り駅から、ぼくの帰宅方向とは反対の電車を利用することになる。昨日あの電車に乗っていたのは、やはり彼だったのだ。
「一昨日までに白石久美子の病室なんかを確認していたお前は、誰にも見つからないように、暗くなってから忍び込んで・・・・・・」
「窓から突き落とした?」
 片岡が歌うように言った。
 薄暗い教室内にもう一枚見えないベールがかかり、のどかな夏の午後は、ぼくの周りだけ更に暗さを増す。
 ぼくは唾を飲み込み、ため息を吐いた。握り締めていた左手が、力を失くして緩んでいく。掌には自分の爪あとが白く並んでいた。
「やっぱりお前だったんだな」
「何だよ、今更。ずっとそう思ってたんじゃないのか」
「でも、確信があったわけじゃない。今までのは全部、俺の勝手な想像だし」
「それで、今は確信が持てたのか?」
「ああ。俺は、『昨日、白石久美子が死んだ』としか言わなかったのに、片岡は自分が突き落としたと思っているのかと訊いてきた。どうして彼女が転落死だったと知ってるんだ? 少なくとも、お前は白石久美子が死んだことを知ってた。そのことを隠してたのは、自分がその場にいたからじゃないのか?」
 今度は片岡がため息を吐く番だった。
「たしかにそうだけど、お前の考えとは少し違う」
 閉め切った窓を突き破って、埃っぽい教室に蝉の声がこだましている。
 片岡は穏やかな調子で続けた。
「他にもお前の推理は細部が間違ってる。これからそれを訂正していこうか」


つづく



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