Nonsense Story

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夏祭りの夜に 1


 盆祭りの行われる神社と、この辺りを分断するように通っている川を隔てて、反対側にある私有地。全く手入れをされていない木と、背の高い草の生い茂るその土地のどこかに、ぽっかりと穴の開いたような更地がある。そこに死んでしまった人の持ち物を埋めると、盆祭りの夜にそこでその人と再会することができる。
 怪談とも伝説ともつかないこの噂を聞いたのは、小学生の頃だった。その時でさえ「そんなことあるわけないじゃん」と鼻で笑った私が、死者の毛髪をそこに埋めたのは、昨年の秋のこと。
 埋めた毛髪は、当時高校二年生だった長男のものだった。
「お母さん、まだぁ? もうとっくにお祭り始まってるよ。早くしないと花火も始まっちゃうよ」
 今年小学六年生になった次男が、じれったそうに玄関で叫ぶ。
「お父さんと先に行ってて。お母さん、ちょっと寄る所があるから」
 私は盆提燈のスイッチを入れながら答えた。
 提燈の中の灯は、簡素な仏間に、昔見た幻灯のように鮮やかな絵を浮かび上がらせる。
 じゃあ先に行ってるから、という夫の声がして、次男の抗議の声が玄関扉の向こうに消えると、私は立ち上がった。
 玄関の鍵をかけ、通りにひと気がないことを確認すると、神社とは反対方向へ歩き出す。
 もう八時をまわっていたけれど、アスファルトはまだ昼間の熱を保ち、それを少しずつ吐き出しているようだった。
 祭で行われているらしいカラオケの音が流れてくる。少し調子の外れた歌声が、生温かい夜風をかき乱していく。
 時折すれ違う人が、神社とは反対方向に進む私を不思議そうに見る。私は、さも今神社から帰ってきた風を装って彼らに会釈する。そんなことを幾度か繰り返して住宅街を抜けると、小さな川へ出た。
 川には自転車一台がやっと通れるくらいの狭い橋が架かっており、そこを渡ると旧道に突き当たる。その向こうに広がる雑木林が、例の私有地なのだった。
 ちょろちょろという涼しげな川の音を背に、私は草むらへ分け入っていった。
 腰くらいまである先の尖った草を掻き分けながら、ずんずん私有地の中へ進入していく。虫除けスプレーを嫌というほどふりかけてきたけれど、あまり意味がないかもしれない。すぐそこの川で繁殖した蚊が、うようよと潜んでいそうだった。
 長男の髪の毛を握り締めて初めてここを通った時は、何度も引き返そうと思った。自分がひどく滑稽なことをしていると思ったし、この草だらけの土地の中に本当に更地があるのかも分からなかった。でも、踵を返そうとする度に、長男のことを思い出した。
 小さい頃の彼は、ひ弱で泣き虫で、ものすごい人見知りをしていた。それは私たちが、二番目の子供を作るのをためらうほどだった。夫は出張が多かったので、私が第二子を出産をする時は私の両親に預けるつもりだったのだけど、幼い彼はその環境にとても耐えられそうになかったのだ。そのせいで、次男とはかなり齢が離れてしまった。
 しかし、弟が生まれてしばらくは赤ちゃん返りをしてしまった彼も、小学生になると途端に逞しくなった。中学の時には身長が二十センチも伸びて、所属していたバスケット部の中でも三番目くらいの高さになっていた。それでも生来の優しい性格は変わらず、高校では部活に入らなくても友達がたくさんいるようだった。
 あの日、長男はいつものように「行ってきます」と言って家を出た。いつもの朝の、眠気を含んだような笑顔で。
 専業主婦の私は、夕方彼に「お帰りなさい」と言うのだと信じて疑わなかった。
 しかし、その言葉は今も宙に浮いたまま、発せられるべき相手を探している。
 蚊のせいなのか汗を掻いた肌に草が当たるせいなのか、あちこち痒くなりながら草を踏みつけて進んでいると、昨年苦心の末に見つけ出した例の更地に出た。
 粘りつくような緑の匂いに代わって、湿り気を含んだ土の香りが鼻孔を刺激する。その土を蹴る、自分のものではない足音を聞いて、私は顔を上げた。
「正人・・・・・・」
 町の向こうから、花火の開始を知らせるアナウンスが微かに聞こえてくる。
 私は、自分よりもはるかに高いその背中に、長男の名前を呼びかけていた。


つづく



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