Nonsense Story

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夏祭りの夜に 2


 とても優しい子だった。本当に虫も殺せないような。少しタレ気味の目はどこか微笑んでいるようで、その瞳は凪いだ夜の海を見ているようだった。海の水面には、いつもキラキラとした光が踊っていた。
 しかし、私が呼びかけた相手は、長男とは全く違う瞳をしていた。
「どなたですか?」
 そう言って振り向いた少年の目は、一発目の花火に照らされても、底なしの暗さを帯びていた。何もない空洞を見つめているような気分になる、そんな瞳。
 背格好や声は似ているけど、こんなの正人じゃない。私の長男じゃない。
 昔観た映画で、ペットの亡骸を埋めたら生き返るという伝説のある土地に最愛の子供の死体を埋めたら、とんでもないフリークスになって帰ってきたというのがあったけど、まさか正人も。
 私は一歩後退した。
「正人じゃないの?」
「正人って?」
 私の背後で次々と花火が上がり、目の前の少年を照らし出す。浮かび上がっては闇に溶けていく彼の顔は、はっきり見て取ることはできない。でも、どことなく長男よりもあどけなさを残しているように感じた。落ち着いて観察すると、身長は同じくらいでも、彼は正人よりもひとまわりくらい細っこい。長男はもっと筋肉質だった。
「こんな所で何をしているの?」
 少年の質問には答えずに、私は言った。長男よりも幾分か貧弱に見える彼に、最初に感じた恐怖心は薄らいでいた。化け物だろうが幽霊だろうが、私が育てた子供よりも弱そうだ。母は強し、なんだから。
「人を探しているんです。高校生くらいの女の子。肩くらいまでのストレートの髪で、身長が百六十センチくらいの子なんですけど、見かけませんでしたか?」
「その子、あなたの恋人だったの?」
 彼も失った命を求めてここに来たのだろうか。大切な人を失ったから、暗い洞穴のような瞳になってしまったのだろうか。
「違います」
 彼は、私の考えを一蹴するかのように素っ気なく答えると、私の横を通り過ぎようとした。
「どこに行くの?」
「彼女を探しに。そこの川にでもハマっているのかもしれません」
 私はにわかに不安になった。
 川にハマっているかもしれないということは、その少女は生身の人間であるということだ。彼は私のような目的でここに来ているわけではない。
 では、祭の夜にこんなひと気のない場所で、恋人でもない少女を探しているのは何の為?
 最近の少年犯罪が頭を過ぎる。彼はその少女を見つけて、どうするつもりなのか。
 再び炎の華によって映し出された洞穴の瞳に、私は戦慄した。
「少し話しをしない?」
 この少年に少女を見つけさせてはいけない。これ以上、私のような悲しい母親を増やしてはいけない。そんな想いから、私は彼を引き止めていた。
 洞穴の瞳を持つ少年は、少し考えてから承諾した。
「どうせ彼女も最終的にはここに来るだろうし」
 私達は立ったまま話を始めた。花火は小休止に入っており、あたりは暗く静かだった。
「その子とはどういう関係?」
「学校が同じなんです」
 意外な答えだった。本当かどうかは分からないが、少年の口からさらりと出たその言葉に、私は少なからず驚いた。てっきり今日の祭でナンパでもした相手だと思っていたのだ。
 どこの学校か尋ねると、この近所にある高校の名前が返ってきた。
 会話はほとんど、私が質問して少年がそれに答えるという面接のような形式になった。
 学校楽しい? 別に。クラブは何かやってるの? いいえ。将来なりたいものは? 特にありません。 したいことも? 別に。友達はたくさんいるの? 多くはないですね。
 少年の答えはどれも短く、一言で終わってしまう。私は、それとなく少女との関係にも探りを入れてみた。
「探してる子とは仲良いの?」
「別に普通です」
「仲良くもないのに、こんな時間に一緒にいたの?」
「一緒にいたわけじゃありません。後を尾けてたんです。あなたはこんな所で何をしていたんですか?」
 少年はなんでもないことのように自分の不審な行動を告白し、私へ水を向けた。
 草むらでこおろぎが鳴いている。花火が上がっている時には気付かなかった蛙の合唱も、木々に囲まれた空間に盛大に響き渡っていた。
 私は少年の顔を見つめた。月明かりに目が慣れ、彼の顔立ちをぼんやりとだが確認することができる。やはり正人より幼い印象を受けるその顔は、子供特有の瑞々しさを持っていた。そして、瞳だけが世捨て人のように乾いていた。
「あなた、生きてて楽しい?」
 私はまた、彼の問いを無視して質問した。
「楽しい時もあれば、そうでない時もあります」
「死にたいと思うことは?」
「ありますよ」
 無表情な瞳に微笑さえ添えて即答され、私はふいに頭にきた。訊いたのは私だけど、そんなに簡単に言っていいことではないと思った。
 気がつくと、私は彼の両腕を掴んで揺すぶっていた。
「じゃあ代わってよ! 死にたいなら正人と代わってよ!」
「正人って・・・・・・?」
「私の息子よ。去年の秋に死んだの。まだ高校二年生だったのに。池で溺れた子を助けようとしての溺死だったわ。正人は優しい子で、友達もたくさんいて、いろんなことに目を輝かせてた。あなたみたいに何もかもを諦めたような目はしていなかったわ。死にたいほどつまらない人生なら、あの子にやってよ!」
 無茶苦茶なことを言っているのは分かっていた。でも、不公平だと思った。犯罪を犯しているかもしれないようなこの少年がのうのうと生きていて、人命救助をしようとした私の息子が死んでしまっているという事実が許せなかった。
 私は少年の腕を掴んだまま、洞穴の瞳にわめき続けた。
「正人は高校を卒業したら青年海外協力隊に入りたいって言ってた。貧しい国の子供達の力に少しでもなれたらって。どうしてそんな子が若死しなくちゃならないの。どうしてあの子なの。夢も目標もないあなたじゃなくて、どうして正人が死ななきゃならなかったの。ねぇ!」
 教えてよ・・・・・・。
 何度こんな問いを飲み込んできただろう。
 ニュースで高校生の犯罪を聞くたび、コンビニの前でゴミを散らかしながらたむろしている若者の集団を目にするたび、どうして正人が、と叫びだしたい衝動を抑えるのに必死だった。一年近く抑え続けていた間に、それはどす黒い澱(おり)となり、出口を見つけた今、いちどきに噴き出してくる。


つづく



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