Nonsense Story

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夏祭りの夜に 5


「帰りましょうか。この世で待っている人のところに」
 どれだけ二人で空を見上げていただろう。夢から醒めたように、少女が言った。夜空からは、既に人工の光は消え、自然の星が瞬いている。
「あなたにも心配されているご家族がいらっしゃるんでしょう」
「そうね」
 そうだ。正人は大切な私の宝だけれど、私が必要とし必要とされる存在は、彼だけではない。生きているというのはそういうことだ。
「でも、あなたを心配しているのは、ご家族だけじゃないんじゃない?」
 私の言葉に、少女が首を傾げる。私は悪戯っぽく微笑むと、少年のいる茂みに顔を向けた。
「ひょっとして・・・・・・」
 少女が私の知らない名前を口にすると、風もないのに茂みがざわついて、先程の少年が姿を現した。
「言わないでくださいっていったのに」
 彼はぼやきながら私達の所へ歩み寄ってきた。私が肩をすくめて少女を見ると、少年も少女へ顔を向ける。
「どうして俺だって分かったの?」
「誰かがついてきてるのは分かってたんだ」
 私は、少年の一人称の変化にぎょっとしたが、少女は当たり前のように答えた。きっと普段から彼女と話す時には『俺』と言っているのだろう。
「毎年おじいちゃんが来てたけど、今年は動けないはずだから、おばあちゃんかなって考えてた。だけど、さっきこの人が、息子さんに似た人に会ったって言ってらっしゃったから、ひょっとしたらと思ったんだ。途中で気配が消えたから心配して少し探してたんだけど、きみなら心配いらなかったね」
「気付いてたのか。おじいさんがついてきてたことも」
 拍子抜けしたような少年の言葉に、少女は頷いた。
「うん。悪いとは思ってたんだけど、ここに来る理由を説明できなくて、気付かない振りをしてたんだ」
 うなだれる少女を見て、少年がため息を吐く。
「お姉さんに会いに来てたんだろ。おばあさんは何も言ってなかったけど、たぶん感づいてると思うよ。心配かけたくないと思って言わないんだろうけど、何も言わずにこんな行動を取る方が、よっぽど心配かけることになってんだよ」
「・・・・・・ごめんなさい」
 少女は素直に謝った。私もつられて謝ってしまいそうになる。
「俺に謝らなくていいけど。でも、どうしておばあさん達が何も言わずに見守ってたのか分かった。家を出る時に比べたら、憑き物が落ちたみたいにさっぱりした顔してる。これじゃあ心配でも止められないよな」
 少年は寂しそうに言った。まるで置いてきぼりを食った犬のような彼の顔を見て、私はますます申し訳ない気持ちでいっぱいになった。彼は少女に言っているのに。
「だけど、他の人達だって、お姉さんを失った悲しみは同じじゃないの? そりゃ微妙に違いはあるかもしれないけどさ。人より大きなものを背負っちまったのも分かってるけど、残された家族は一人だけじゃないだろ」
 俺は偉そうなこと言える立場じゃないけど。そう言ってそっぽを向く少年に、少女は激しく首を横に振った。
「そんなことない。きみには十分言う権利あるよ。それに、言ってることも正しいと思う」
 彼女は分かっているのだ。全て分かっていてもやめられないのだ。しかし、それでも彼女は俯けていた顔を上げると、私を見て言った。
「そうだね。お母さんは、もっと悲しんでるかもしれない」
 私も少女を見た。
 私は彼女とは違う。私は今、やっと思い出した。
「そうね。次男もお兄ちゃんを恋しがってるかもしれないわね。彼の言うとおりだわ。自分だけが辛いわけじゃないのよね」
 長男の消失で心を痛めているのは私だけではない。
 そんな当たり前のことを、私は忘れていたような気がする。
 私の家族は、大切な一員を失った上に、それを引き摺ったままの私を見続けなければならなかったのだ。私と同じ喪失感だけでなく、この少年のような不安を感じていたに違いない。
 私はどんなに酷なことを彼らに強いていたのだろう。彼らに、どれだけの寂しさと心労を抱えさせてしまったのだろう。正人を忘れられない気持ちは同じなのに。

「わたし、年に一回あそこで花火を見たら、あとはずっとお姉ちゃんのことなんて気にしてない風を装ってたつもりだったんです。なるべくお姉ちゃんの話はしないようにして」
 帰る道すがら、少女が言った。
 まだ祭は完全に終わっていないのだろう。人通りの少ない住宅街を蛙や虫達の声だけが支配していた。夜風はいつの間にか涼しくなり、汗を掻いた肌に心地良く流れていく。
 少女の家はうちからそう遠くない所にあり、方向が一緒だった私達は、なんとなく連れ立って帰ることになった。
 少女は鈴虫のように澄んだ声で続ける。
「だけど、もっと自分の気持ちを家族に話すべきだったのかもしれません。そうすれば、おじいちゃんやおばあちゃんにこんなに心配かけることもなかったかもしれない。きみに迷惑をかけることも」
 最後は少年に向けて、少女は言った。私は頷き、少年は、別に、と肩をすくめた。少し投げ遣りな調子で。
 私も彼女と同じだった。この一年弱、ずっと長男のことには触れないようにしていた。家族を守る立場にある私が、いつまでも弱音を吐いていてはいけないと思った。その名前を口にするだけで、家族が、自分が、砂のように崩れてしまうような気がしていたのだ。
 だけど、それは反対だったのかもしれない。正人の話題を避け続けることで、私は却って傷を生々しいままに留めていたのかもしれなかった。
「来年は俺と祭に行くって言えばいいよ。これでも一応、おばあさんには信用されてるみたいだし。今度は川に落ちないように、ちゃんと見張っててやるから」
 まだ火薬で霞がかっているような空を見上げて、少年が言う。まるで独り言のように。
「ありがとう」
 彼女は小さく呟いて、遠くに見える祭の明かりを見つめた。高台にある神社は、暗闇に浮かんでいるかのようだ。
 少女と肩を並べて歩く少年は、ごく普通の明るい高校生に見えた。ただ、少し退屈を持て余しているだけの。
 先程まで不気味に見えていたのは、私が心のどこかで長男の幽霊なのではないかと思っていたからかもしれない。だから、長男とのギャップを底なしの闇のように感じたのだろう。
 きっと、私の中で息子は普通以上に輝いていて、その光は別人のものでは代用できないのだ。多くの親がそうであるように。
 しかし、今あの少年の瞳の闇が薄らいでいるのが、あの少女のせいだとしたら。彼女の存在が、彼にこの世界への関心を与えているのだとしたら。
 もしそうならば、彼の想いが少女に受け入れられることを祈ってやまない。
 どうか、正人に少し似たあの子の瞳に、光が舞い踊る日が来ますように。乾いた洞穴が、優しい水で満たされますように。
「ひとつお願いがあるんだけど、聞いてくれる?」
 少女達と別れる三叉路に差しかかった時、私は少年に言った。
「何ですか?」
「一言だけ『ただいま』って言って欲しいの」
 少年はすぐに意味を理解したらしく、厳しい顔つきになって考え込んだ。
「・・・・・・悪いけど、さっきも言ったように、ぼくは正人さんの代わりにはなれません」
「一言くらい、いいんじゃない? それで救われる人だっているんだから・・・・・・」
 少女がたしなめるように彼を見上げる。
「でも、俺が言ってもきっと同じじゃないよ。がっかりするだけだ」
「それはそうかもしれないけど・・・・・・」
「いいのよ。彼の言うとおりかもしれないわ。ごめんなさいね、変なこと言って。さっきあの花火を見たばかりなのに、まだ気が済まないなんてね」
 うなだれる少女に、私は必死に笑いかけようとした。
 私の長男を求める気持ちは貪欲で、きっと一生涯、満たされることはないのだろう。どんなに望んでも、本物の正人はもう二度と戻ってこないのだ。
 そう思うと絶望的な気持ちになる。
 だけど、この気持ちを共有している人達がたしかにいるのだ。私は一人ではない。さっきそう気付いたのだから。
 笑いかけたはずがよほどひどい顔をしていたのか、少女が心配そうに私を覗き込んできた。
「大丈夫ですか?」
「本当にごめんなさいね。もう大丈夫だから」
 もう一度笑顔を作って答えると、少年が空を見上げたまま言った。
「でも、ぼくなんかが代わりに言わなくても、正人さん、今日あたり家に帰ってきてるんじゃないですか? お盆だし」
「へぇ。きみって、そういうの信じるタイプなんだ?」
「俺は別に信じてないけど。誰かさん達は噂を信じてあそこに行ってたくらいだから、そういうのも信じてんじゃないかと思って」
 少女は感心したように頷いた。
 そんな遣り取りをしていた二人が、弾かれたように私を振り向いた。私が突然笑い出したからだ。
「本当に大丈夫ですか? ぼく、家まで送っていきましょうか」
 眉間に皺を寄せつつ、少年が言った。それを聞いて、私の中でまた笑い玉が弾けてしまう。
「ごめんなさい。だってあなたさっきから、ぼくになったり俺になったりして、忙しいなと思って」
 少女は噴き出し、少年はむくれた。
「だって、一応、目上の人だし。ぼくには、あなたの方が怒ったり泣いたり笑ったりして忙しそうに見えるけど」
 律儀な子だ。私の前だから『ぼく』になるんじゃなくて、この少女の前だから『俺』になるんじゃないの? という突っ込みは、しないでおいてあげよう。私でも、声を上げて笑えるのだということを思い出させてくれたのだから。
 正人は私達の前では『ぼく』と言っていた。でも、友達や好きな子の前では『俺』と言っていたのかもしれない。この少年はたしかに私の長男ではないのだけど、同い年くらいの子供であることに変わりはない。
 少しだけ、私の知らない正人の成長を垣間見ることができたような気がした。


つづく



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