Nonsense Story

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夏祭りの夜に 6


 二人と別れて家の前まで帰ると、まだ誰も帰っていないことが分かった。私はそのまま家の前を素通りして、祭をやっている神社へと向かった。夫と次男は、まだ私を待っているかもしれない。
 浴衣を着た若い女の子の集団や夜でも分かるほど明るい色の髪をした男の子達、それに、小さな子供をおぶったり手を繋いだりして歩いている家族連れとすれ違いながら神社の近くまで行くと、向かいから夫が一人で歩いてきた。
「直人は?」
 次男の姿を探しながら、私は訊いた。夫は自分の後方にある神社へ顎をしゃくって見せた。
「友達と会って、もう少し遊びたいって。夜に遊べるなんてこんな日くらいだからな。少しくらい許してやってもいいかと思って」
 次男の直人は、もともと今日の祭は友達と行きたいと言っていた。まだ小学生だからと許さなかったのだけど、近所の中学生が責任を持って一緒に連れて帰ってくれるということで、夫も折れたそうだ。
「直人も来年は中学生だしな」
「もうそんな年になるのね。あっという間に大人になっちゃうわね」
 それはとても寂しくて、とても素敵なことに思えた。
 私達はどちらからともなく、神社に背を向けて歩き始めた。
「遅かったな」
 心配してくれていたのだろう。控えめだが少し怒ったように、夫が言った。
「ごめんなさい。途中で赤松さんのお孫さんと会って話し込んじゃって。あの廃神社の近くに住んでらっしゃる老夫婦のお孫さん」
「え? 赤松さんのお孫さんは、たしか亡くなったんじゃあ・・・・・・」
「その亡くなった子の下に、もう一人お孫さんがいたみたいなの」
 決して広いとは言えない町内のこと。私は彼女の祖父母とも町内会などで面識があり、彼女のお姉さんが亡くなった一件も、実は以前から知っていた。不幸な事故だったと聞いていたけれど、あんな妹さんがいることまでは聞いていなかった。
「その子、今高校二年生なんだけどね、ボーイフレンドが少し正人に似てるのよ。雰囲気は全く違うけど、背格好や声なんかが。それでね、その男の子、どうも赤松さんのお孫さんのことが好きみたいなの。正人にもそんな子がいたのかしらね」
 数ヶ月ぶりに私の口から出た長男の名前に、夫は少し驚いているようだった。祭の帰途につく人の流れの中で、一瞬だけ歩を止める。しかし、すぐに何事もなかったように歩き出し、笑顔になってこう言った。
「お前は知らなかったんだよな。実は、あいつが青年海外協力隊に入りたいと言い出した本当の理由は、好きな子が入りたいと言ってたからなんだ。葬式の時、代表でお焼香をしてくれた女の子がいたろう。背が高くて茶色い髪にパーマあててた子。覚えてないか? 母さんに本当の理由を言ったら絶対反対されるから黙っといてくれって頼まれてたんだ」
「あなた、正人とそんな話してたの?」
「安心しろ。俺もそんな理由なら反対だと言っておいた」
「当たり前です。それでも私には内緒にしてたのね」
 夫は、しまったと言って頭を掻いた。私はまた噴き出してしまった。
 私の長男は決して聖人君子なんかじゃなくて、ごく当たり前の十七歳の男の子だった。きっと今日の少年や、多くの高校生と同じ。彼は彼なりに、自分の人生を謳歌していたのだろう。
「そういえば、あの時正人が助けた子に、今日会ったよ。来年小学校に上がるそうだ」
 私達の息子が命と引き換えに助けた子供は、無事に生き延びて、確実に成長している。
「おじいさんと一緒に来てたんだが、大勢人がいる所で何度も頭を下げられてまいったよ。わしの生きがいを残してくれてありがとうってさ。あの時は、この子のせいで正人は・・・・・・って強く思ったけど、あいつのしたことはやっぱり良い事だったんだよなって、改めて思った」
「やっぱりあなたも思ってたのね。私も思ってた。あの子さえいなければって。言ってはいけないと思って我慢してたけど」
「俺もだ」
 あの子の中で正人は生きている。
 そんなドラマや映画のように格好いいことは、とても思えなかった。ただただ、正人の代わりに生き残ったあの子を恨んだ時期もあった。そんな自分が嫌でたまらなくなることも。
 でもこうやって口にすることで、同じ想いをしている人がいると確認しただけで、少しだけ気持ちが楽になる。
 そして、少しだけ素直に、前向きになれる。
 夫の言うとおり、正人は良い事をしたんだ。一人の子供の命と、その家族の心を救ったんだ。そのことを誇りに思おう。彼の捨て身の努力を無駄にするようなことだけはやめよう。
「直人が心配してたぞ。最近、お母さんに元気がないって。お兄ちゃんが死んだ日が近づいてるからかなって」
「直人がそんなことを?」
 やはり、最近の私は思いつめた顔をしていたのだろう。次男にまで気を使わせていたなんて。
「ああ。ただの夏バテだろうと言っておいた。俺もできるだけ力になるから、一緒に乗り切っていこう。こんな想いを克服できる日が来るとは思えないけど、三人もいればなんとかなるさ。いや、なんとかしていかなきゃいけない」
 そうだ。私達はまだまだ生きていかなければならないのだから。
「そうね。一年近く乗り切って来たんだもの。なんとかなるわ」
 私は精一杯の笑顔を夫に向けた。今までの、そしてこれからの戦友に。
 久しぶりに夫婦で歩く夜道は、とても短く感じられた。街灯に照らされた我が家が見えた時には、少し残念な気さえした。しかし少年の言葉を思い出すと、思わず足が速まった。
 胸を高鳴らせながら玄関扉の鍵を回し、ちょっとだけ開けて隙間から家の中の様子を見る。いつもと変わらない上がりかまちに、一足だけ残された靴。仏間から盆提燈の灯りが漏れて、廊下の白壁で踊っている。
 私は大きく扉を開けると、ほのかな光に向かって呼びかけた。
「おかえり、正人」


-終わり-



あとがき



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