11話 【匂ひ包み】


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11話 (―) 【匂ひ包み】―ニオイヅツミ―



___柾直近side

出社して更衣室の個人ロッカーを開けると、メッセージカード付きの花束が入っていた。
花束は小じんまりしたもので、花屋の入り口付近で600円そこそこあれば買えるような代物だ。
花弁が瑞々しいところを見ると、置かれてからそんなに時間が経っていないのかもしれない。
メッセージカードには“From A”とだけ書かれていた。心の中で、バイト雑誌(*1)かよと軽くつっこむ。
この手のくだらない悪戯を、湯水のごとく思い付いては人に試しにかかるコイツを、僕は昔からよく知っていた。
とうとうやって来たのだ、アイツがここに。
これはその挨拶であると同時に、たちの悪い嫌がらせに違いない。


___千早歴side

1階事務所内では、多くの従業員がそこかしこで新年の挨拶を交わしていた。
出会った順に片っ端から。目が合った、そのたびに。
私も右にならえとばかりに店長、副店長、社員と順に挨拶をしていった。
もう少し、あと少しで柾さんのところに辿り着く。
柾さんはPCがずらりと並ぶ一角にいたのだけど、その手はキーボード上に置かれていない。
腕組みをしながら、険しい視線をディスプレイに向けていた。
「柾さん。あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします」
新年の挨拶を告げながら、深々と頭を下げる。
ところが柾さんからは、期待していた返事がもらえなかった。
「おめでとう。こちらこそ宜しく」
言葉こそ返してもらえたものの、心ここにあらず。ちっともめでたくないような口ぶりですらある。
笑顔で応じてくれると期待していただけに、芳しくない結果に気落ちしてしまった。
(せっかく従業員が嫌厭しがちな元旦にシフトを入れて、早めに出勤して顔を見に来たのにな……)
この出だしでは新年早々挫けてしまいそうだ。落胆した私はとぼとぼと事務所を後にした。


___柾直近side

事務所に入ってから、何十回もの新年の挨拶が繰り返されていた。
最初こそ丁寧に返していたが、PC席に座り、作業を始めた瞬間からおざなりになってしまった。
その内に“From A”のことを思い出してしまい、頭から追い出すため我武者羅に入力に没頭する。
(――っと、しまった)
気付けば、どこかの時点で入力する欄を1行ずつずらして打ち込んでしまっていたようだ。
(どこまで遡って直せばいいんだ?)
視線が細かい数値を上に下にと行き来する。
「XXXXXXXXXXXXXXXXXXX」
背後から掛けられた声に答える。新年の挨拶のようだった。
「おめでとう。こちらこそ宜しく」
(……あった、ここだ)
素早くカーソルを動かし、修正する。
やれやれと思ったのも束の間、はて、いま挨拶に来てくれたのは誰だったろうと、遅まきながら気に掛かる。
(さっきの声、まさか千早か? しまった) 
小走りで追い掛けるも、既に人影はない。
それもこれも、花束の差出人である“From A”のせいだと思うと、返す返すも憎々しい。


___千早歴side

POSルームに戻ると、見知らぬ男性が私の席に座っていた。
その人物は私の入室に気付くなり、椅子を僅かに回転させて身体をこちらに向け、私を見据えた。
「おはよう」
言いながら、笑顔を浮かべている。
「お、おはようございます……?」
(気さくな方だわ。どなただろう?)
30代前半? 柾さんと同じぐらいの年齢だろうか。
スーツを着こなす身体は、スラリとしている反面、スポーツを嗜んでいそうに見えた。
世の女性ならこの人をハンサムと評するんじゃないだろうか。私自身、ひとを惹き付ける、魅力的な男性だなと思った。
男性は、聞き取りやすい声音で会話を続ける。
「んでもって新年おめでとう、千早さん。今日からヨロシクな」
「おめでとうございます。こちらこそ宜しくお願いします。……『今日から』?」
奇妙な挨拶だった。恐らく間抜けな顔を、初対面の男性に曝しているに違いなかった。
「そ。今日付けでここに配属された、家電担当、チーフ代理の麻生だ」
「挨拶のために立ち寄って下さったんですか? ありがとうございます、麻生さん」
「円滑な人間関係の第一歩は挨拶からってな。ふむ……成る程、柾の野郎がすっかりやられるわけだ」
なぜここに柾さんの名前が出てくるのだろう。
「なぁ、柾には会ったか? 今日のあいつ、すこぶる機嫌が悪くなかったか?」
「あっ……」
「お、その様子だと会ったみたいだな。かなり無愛想だったろ」
「無愛想というか……素っ気なかったです」
「あー、千早さんには申し訳ないことをしちまったな。実はさ、あいつの機嫌が悪いのは、俺のせいなんだ」
「麻生さんの?」
「あぁ。挨拶代わりに柾のロッカーに花束を置いて来た。今日が誕生日だからな、あいつ。お祝いも兼ねてさ」
くくくと笑う麻生さんの言葉に、私は目を丸くしながら反芻した。
「誕生日? 今日が……柾さんの?」
1月1日――。元旦が、柾さんの誕生日だったとは。
(そうと知っていたら、新年の挨拶じゃなくて、先にお誕生日のお祝いを伝えたのに……!)
でも、麻生さんがいなかったらその事実すら知り得なかったのだ。そう思うと、感謝しかない。
それはそうと、麻生さんが気さくに話しかけてくれることが私には嬉しかった。
私にはそもそも、ユナイソン自体に仲よくしている社員やパートさん、アルバイトがいない。
帰り道に誰かと一緒にどこかに食べに行ったり、休日を共に過ごしたり、それどころかメール交換したことも、実は、ない。
あくまでも仕事の付き合いに留まっているだけに、なおさら『会社の友達』という存在に憧れを抱いていた。
今まで気軽に話せる社員もいなかっただけに、麻生さんの気さくさは眩しくて、同時に羨ましくもあった。
そして出来るなら、麻生さんのようなひとと仲良くなれたら楽しいだろうな、と思った。
(柾さんはいいな。ちゃんとこうして、麻生さんという親友がいるのだから)
どちらかと言うと、柾さんには孤高なイメージが強かった。
有能な社員だからこそ一目置かれ、遠巻きに見られるタイプ――、そう思っていたのは私の大いなる誤解だったらしい。
「誕生日にお花をプレゼントだなんて、柾さん今頃喜んでますよ。麻生さんは柾さんと仲がいいんですね」
「柾と俺が? いやいや、違うから。さっきも言ったろ? 『あいつの機嫌が悪いのは俺のせいだ』って」
「え、でも――」
(友達だから誕生日も知っていて、なおかつ花をプレゼントしたんじゃ……?)
きょとんとしていると、当の本人がPOSルームに入って来た。
「柾さん! あの、あの、お誕生日おめでとうございます!」
今度こそと息まき、言いながら深くお辞儀をすると、柾さんにくすりと笑われてしまった。は、恥ずかしい。
「ありがとう。嬉しいよ。でも、堅すぎだ」
なおも下げたままの私の頭に手を置くと、頭を撫でる柾さん。
私はというと、そのまま赤面状態になってしまい、顔を上げられなくなってしまった。
「よぉ、柾」
「くたばれ麻生」
さっきの優しい口調はどこへやら、まるで別人のような冷たい低音ボイスで柾さんは言う。
ぎょっとして、顔をあげる。本当に、どんな仲なのだろう?
ハラハラとしながら麻生さんの方を見れば、目が合った彼は『ほら、これだもんな』とばかりに肩を竦めているし。
「大丈夫だよ千早さん。挨拶みたいなもんだから」
麻生さんが私に安心させようとしていることが分かり、ほっと胸を撫で下ろす。
「さっき俺と柾が仲良いのかって訊いたよな? この通り、ま、腐れ縁……悪友ってやつかな」
柾さんは柾さんで、『ひょっとして千早は、僕と麻生が喧嘩を始めたと誤解している?』と思ったのか、
「麻生が用意した花束を見付けて、男にしか祝って貰えない自分が情けなくて落胆していたところだ」
つまりさっきのは八つ当たりだ、と言い添えてくれたお陰で、すとんと腑に落ちた。
危ない。男性特有の『挨拶』にも疎いがゆえに、またしても大きな勘違いをしてしまうところだった。
気を取り直して、私は柾さんに向き直った。
「柾さん。私も何かプレゼントを差し上げたいんですけれど、リクエストはないですか?」
友達もいない私だけれど、唯一、柾さんには社内でよくしてもらっている。
日頃のお礼も兼ねて、お祝いの品を贈りたい気持ちが、既にむくむくと膨らんでいた。
「いや、気持ちだけでいい」
私の申し出を単なる社交辞令だと思ったのか、柾さんは固辞した。でも、ここで引き下がりたくはなかった。
「お正月にお誕生日ですよ? おめでたいこと尽くしじゃないですか。私に祝わせてくれませんか?」
「そうか……。では、キミの使っている香水が欲しい。確かその香水、男女兼用だろう?」
「さすが、売り場担当者ですね。ご名答です。はい、承りました」
「あぁ、楽しみにして待ってる」
(柾さん、この香水のことが気になってたのかしら)
だとしたら、この香水を選んで良かった。
だって、柾さんとお揃いの香りだなんて、歯痒くて、でも嬉しい。
本当は……そう、本音を言えば、今日の夜は柾さんの誕生日を一緒にお祝いしたかった。
だけど断られたら? もう既に他の予定が入ってて、しかもその相手が女性だったら?
そんな答えを聞かされたら、きっと凹んでしまう。
聞くのが怖くて仕方がない。臆病者の私は、だったらせめて、いまの関係を大事にしようと思う。
「そうだ、麻生さん! ありがとうございます。柾さんのこと教えてくださって。あの――」
「ん? お礼? いいよ、ハグしようか?」
ほらおいで、と両手を広げる麻生さんに向かって、柾さんの「くたばれ麻生」という低音ボイスが再び炸裂した。


___柾直近side

香水が好きだからじゃない。『キミがつけている香水』だから、欲しいんだ。
今はまだキミを抱けないから。だったらせめて、香りだけでも掴まえていたい。
目を閉じたときにキミの姿が浮かべばいいと、柄にもなく思っているんだ。
(もっとキミの傍にいれたらいいのに。本当は、今日だって一緒に居たいんだ)
でも、気持ちを伝えて断られてしまったら? 2人の間がぎくしゃくしてしまったら?
脆そうな関係だけに、壊れてしまうかもしれないと思うと、怖くて何も言えないんだ。
いつから僕は、こんなに弱くなってしまったんだろう。



(*1)フロムエー。リクルート社が管理しているアルバイト雑誌。ローカルじゃないと思いたい。ちょっと自信がない。

2007.01.01
2020.11.09


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