２９話【Take Measures！】 | 花夜

２９話　【Take Measures！】

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２９話　（―）　【Take Measures！】

■　ある老婆の独白　■

パーソナルコンピュータ画面に映し出されたヒト型のなりをしたそれは私の体内だと医者は言う。
上下左右、俯瞰、煽り。くるくると回転する3D画像。
「正直に仰って。私はもう長くはないんでしょう？」
老人のガン転移は成人より劣るが、病状が重なれば老い先の短さを受け入れねばならないだろう。
古今東西どの偉人たちも忍び寄る死には誰も勝てなかった。億万長者でさえ、いまだ不老不死の薬を買えないでいる。
憎まれっ子世に憚ると言われた嫌われ婆も、どうやらここまでのようだ。
「いやいや、もう少し頑張りましょうよ、不破さん」
医者は励ますが、延命治療を勧める理由は手に取るように分かってしまう。
「77。随分長生きしたものです。喜寿まで生きられたんですもの、もう十分だと思いませんか？
先生、これ以上治療費を搾取しないで。僅かばかりの遺産を、息子や孫らに遺しておかなければならないから……」
ひねくれた物言いで先生を黙らせる。あながち、当たらずも遠からず。そんなところだろう。
「延命治療は望みません。ねぇ先生、私に残された時間はどれくらい？」
医者は苦虫を噛み潰したような面で、もごもごと口を動かした。よほど言いにくいのか。
そして宣告した。もって1年。
短いようで長いのか。おそらく、長いようで短いのだろう。

【01】

「お祖父様、私に用があると伺いましたが」
自宅のなかで最も寛げる場所、茶室で茶を点てていた為葉は、訪れた火香に相向かうよう着席をすすめた。
スーツから着物に着替えていた為葉と同様、火香もスーツから動きやすいスウェットに着替えている。
柔和な顔を火香に向け、「今日も1日お疲れ様」と孫娘を労うと、火香の前に、点てたばかりの茶碗をすいと置く。
「いただきます」
疲れた身体に、温もりと苦みが沁み渡る。幸せなひとときだ、と火香は思った。
「それで、お話とは？」
「実はね火香、きみに婚約者を付けたい」
火香としては青天の霹靂、雷を脳天に落とされた気分だ。
元々姉たちに来たはずの縁談は、ことごとく断われたことによって、ついに火香へとお鉢が回ってしまったようだ。
確か相手は『知人の孫』ではなかったか。メンズ雑誌のモデルを生業としていて、業界では将来性が見込まれているという話は耳にした――。
「年甲斐もなく、モデルだと聞いて、そわそわしてしまってね。帰りに本屋へ寄って買って来たんだ。火香も見るかい？」
ご満悦気味に、為葉は一冊の有名メンズ雑誌を書店の袋から出してみせた。表紙にはメンズシティとある。発行元は大手出版社ではないか。
「お祖父様がメンズ雑誌を買うなんて、明日は雨でも降るのかしら。それにしても、まさか雑誌がお見合い写真の役割を果たすなんて……」
これも時代の流れなのだろうか。思いもよらない媒体を差し出されて面食らったものの、ある意味では新鮮なような気もした。
お見合い写真を受け取るより、雑誌を経由して確認した方が敷居が低くて安心できてしまう点は素直に認めるしかない。
「24ページだそうだよ」
言われた通りに雑誌をめくると、件のページに人物写真が載っていた。
赤いニット服に身を包んだ、黒髪の成年だった。異彩を放つ存在を、火香は見た気がした。
タートルネックを両手で掴み、口元まで引き伸ばしているポーズだ。静かに目を閉じ、耐えながら、何かが終わるのを待っているような静の絵。
醸し出される暗い雰囲気。なのに服が明るい色なものだから、ちぐはぐな印象を受ける。言い知れぬ問題作に呑まれかけ、火香はしばし呼吸を忘れた。
「彼なのですか？」
「アキという名前で活動してる。現在24歳。2年前にスカウトされてモデル入りし、現在人気沸騰中なんだそうだ」
隣りのページには他にもモデルがいたにも関わらず、その存在感は群を抜いていた。
いや、ただの気のせい……或いは、短時間で贔屓の対象へと格上げしてしまっただけかもしれないが。
「この方が婚約相手なのですか……」
（冗談じゃないわ。それが本当なら、平穏な生活が脅かされてしまう）
中には芸能界入りしてしまうモデルもいるではないか。
（そんな煌びやかな世界に、伴侶となった自分が馴染めるとは到底思えない――）
臆した火香は、慌てて雑誌を閉じた。
「そよ香には婚約者がいるし、結婚間近だ。因香からは、結婚しかねる理由を聞かされたよ。火香なら、彼と年も近い」
「えっ？　因香姉さんがお祖父様にLGBTをカミングアウトしたんですか？」
姉妹だけの秘密だったはずだ。因香が打ち明けたということは、本気で生き抜いていくことを宣言したも同じだろう。
「その件については、因香とたくさん話し合ったよ。だからこそ火香、きみに縁談が飛び火してしまったわけだが」
今度は火香が黙りこくる番だった。言葉に詰まり、何も言い返せない。だが、このままでは為葉の思い通りになってしまう。
膝の上で両手を握り締めた。拳が震えている。ごくりと火香の喉が鳴った。今すぐどこかへと駆け出したい衝動を押し留める。
まるで塗り壁のごとく立ちはだかる為葉という存在。今の祖父はまるで審判者のようだ。
為葉にそんな気はなく、火香にも罪などないけれど。それでも2人は対峙する。
「私としては、お断りしたいのですが」
「断るにしても、先方に理由をお伝えしないわけにはいかない。聞かせて貰えるかい？」
一応、聞き届けてはくれるようだ。火香はホッとしながら、心に引っ掛かった個所をすべて伝える。
一つ、今の段階で結婚する気は毛頭ないこと。二つ、モデル業の殿方と付き合っていけるとは到底思えないこと。三つ、――。
「うん？」
三つ目を言い掛けて止まってしまった火香を、為葉は不思議そうに眺めた。
三つ目は存在しないのだろうか。そう思っていると、
「――好きな人がいます」
視線を外し、顔を真っ赤にしながら火香はか細い声で告げる。
為葉はぽかんと呆け、一瞬の間が空く。やがて、軽快な笑い声が屋敷中に響いた。
「ははは！　そういうことか！　わ、分かった。うん、そういうことなら仕方ないね。先方には断っておくことにしよう」
ちらりと祖父を見れば、何やら目尻を指で拭う仕草。まさか孫の片想い報告は、涙が出るほど愉快だったのだろうか……。
「応援しているよ」
思いもよらないエールを送られ、不覚にもうるっと涙が出掛けた火香である。座布団から下りると、その場で三つ指をついて深く謝罪する。
「お断りしてしまってごめんなさい、お祖父様。でも、ありがとうございます」
汲み取って貰えた喜びと、『味方だ』と言外に仄めかしてくれた懐の大きさ。感謝してもしきれない。
「でもお祖父様。こんな素敵な方、お見合いなどせずとも、引く手あまたなのでは？　なぜ鬼無里家に打診があったのですか？」
火香が疑問に思っていると、為葉は「あぁ、そういえば」と言葉を引き取った。
「すまない、伝えていなかったね。彼の名前はアキ。だがこれは芸名だ。本名は不破貴君(アテキ)くん。不破犬君くんの弟さんだよ」
「は……はいぃ！？」
思いがけない爆弾発言を食らい、慌てて雑誌の24ページを広げ直す。
「不破さんの実弟が現役のモデル？　しかも人気沸騰中の？？？」
まじまじと見つめるも、顔半分が隠れるポーズなものだから班別のつけようがなかった。
「他に彼が載っているページはないのですか？」
「いや……。聞いてないけど、あるんじゃないかい？　何ならその雑誌、貸そうか」
「ありがとうございます！」
ミーハーだと自覚しながらも、好奇心には勝てず、火香は雑誌を胸に抱えて自室へと急いだ。
いとこたちはこの事実を知っているのだろうか。
話したい欲に駆られたものの、『いやいや、犬君本人から聞いて知っているだろう』と思い直し、火香は熱心にページを捲り続けた。

【02】

為葉から凪に電話があったのは、帰宅した矢先、21時を少し回った頃だった。
「お疲れのところ申し訳ないね、凪」
「いえ、大丈夫ですよ。それよりどうしました？　こんな時間に電話などいただいた例がないものですから……。火急の用でも？」
ネクタイを緩めながら凪が問うと、躊躇いがちに返答があった。
「実は、知人から見合い話を頼まれてね。そよ香と因香と火香に伝えたが、断られてしまった」
「見合いですか。へぇ……」
だが、そう言われてもピンとこない。話が成立したのなら、祝福をして、結婚式参列の準備に取り掛かることになったのだろうが……。
どうやら話はそれだけではないようだと、凪は受話器に耳をそばだてる。案の定、話は続いていた。
「向こうたっての願いでね。あぁ、凪もよく知ってる人物だよ。不破くんといえば分かるよね」
「……どういうことです？」
なぜここに不破犬君の名が出てくるのだ。どうも、ことは単純ではないらしい。
「不破家の家長とは旧知の仲なのだけど、自分の命が長くないことを知って、『生きている内に是非曾孫の顔が見たい』と仰せなんだ」
「それで……？」
「うん。歴はどうかと思ってね。不破家曰く、『結婚相手は、兄の犬君でもいいし、弟の貴君でもいい』とのことなんだ」
「歴に？　それは……」
うろたえた凪は、次の言葉を出せずにいる。
（妹が結婚？　――俺の手から離れる？）
その間にも、受話器からは為葉のゆったりとした言葉が紡がれていた。
「先方の気持ちは分からないでもないよ。私も曾孫の顔は見てみたいし、不破家なら申し分ない。
しかし、歴には恋人がいるのだろうか？　凪、きみは知らないかい？　直接歴に尋ねる前にワンクッション置こうと思ってね。きみに連絡した次第だ」
その時、天啓が閃いた。上手くいけば歴の周りをうろつく柾や麻生を出し抜けるかもしれない。
これにはキーパーソンである不破犬君を味方につけるしかないだろう。
「そうですか、それなら丁度よかった。歴は、犬君くんと付き合っているんですよ」
『駄目だ、凪！』という姫丸の鋭い声が頭によぎる。
友の忠告は聞く。
だが、忠告に『従う』とまでは約束していない。

【03】

不破家との会合は、意外にも早く実現することとなった。
凪は名古屋市内のホテルで為葉と落ち合った。ホテルランチのゲストに招かれたのは不破家当主そのひとである。名を、不破初子と言った。
当主は浅葱色の着物をエレガントに着こなし、なるほど貫禄もあれば昭和を生き抜いてきた強かさも見て取れ、これは一筋縄ではいかないと凪は悟る。
スーツ姿の凪を見て、初子は目を細めた。凪を通じて、在りし日の為葉を懐古したのかもしれない。
「ハンサムな方ねぇ」
あと60年若ければと笑う彼女をエスコートし、席に着く。
1時間ほど和洋折衷のコースを楽しみ、為葉との馴れ初めを語って聞かせた。
2人が旧知の仲だったことに驚き、その孫同士も面識があることを運命のように思ったが、凪のその言葉を、初子は「ほほほ」と笑ってのけた。
「犬君の就職先を選んだのは私でもあるのですよ。為葉さんが愛してやまないユナイソンならば大丈夫だと思ったの。だから運命ではなく、必然ね」
意外だった。
犬君は、あれで自分の意思を貫く気概を幾度となく見せている。男らしい部分もあるので、てっきり就職先も自ら選んだものとばかり思っていた。
しかし初子によれば、犬君や貴君が歩んできた道は、ほぼ初子が指し示したレールだというのだから驚きだ。
「私はね、孫たちに幸せになって欲しいの。ただそれだけをずっと願ってきた。
私の余命はあと半年。犬君と貴君、どちらでも構わない。最良のお嫁さんを見付けて、添い遂げて欲しいの」
「それで鬼無里三姉妹に縁談を……」
「えぇ。でも断られてしまってねぇ」
「残念ながら貴君くんと三姉妹は縁がありませんでしたが、私の妹と犬君くんの方は、既に縁を結んでおります」
「為葉さんから伺ったけれど、歴さんと仰るんですって？　犬君と交際しているというのは本当ですの？」
「2人の仲睦まじい様子は、見ているこっちが照れてしまうほどです。2人とも恥ずかしがり屋なので大っぴらにしていませんが、確かですよ」
「犬君ったら、そんなことちっとも言わなかった。どうして黙っていたのかしら」
「先に話があったのは、鬼無里三姉妹の方でしたからね。犬君くんは、三姉妹の中から選ばねばと思ったんでしょう」
「まぁ……！　犬君ったら、言ってくれれば……。でもこれで一安心だわ。歴さんにお嫁に来ていただければ、これほど嬉しいことはないもの」
初子も為葉も、凪の言葉を丸々信じたようだ。
あとは犬君と歴に働きかけなければならないが、今まで初子の言に従ってきた犬君だ。いまさら反旗を翻すような真似はしないだろう。
凪の推理によれば、初子は遅かれ早かれ、犬君にこの話をするはずだ。その気になっている初子を諦めさせる方法は、そう容易くないだろう。
そして凪自身も、犬君にアプローチをするのだ。味方にして、何が何でも歴と恋人になって貰う。
凪の頭に、一通りの流れ図が完成した。既成事実さえ作ってしまえば、あとは全て、思い通り。
犬君と見つめ合う歴の姿を見て、柾と麻生が歯軋りしている様子がまざまざと思い浮かぶ。
（悪くない）
これはあの2人を遠ざける、千載一遇のチャンスだ。

2014.05.01
2020.01.23 改稿

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