G3 (潮) 【Impudent Talk!】


日常編 (潮) 【Impudent Talk!】



「潮さん、ちょっといいかな」
そう言って私に声を掛けてきたのは、業務部として事務所に詰めている1つ年上の先輩、常盤さんだった。
常盤さんは千早凪氏のもとで忠実に働く勤労社員。
気さくな性格が万人受けするらしく、事務所に頼みごとがある時は『常盤さんだと頼みやすい』と評判だ。
ゆえに、上は上司から下は部下にいたるまで重宝がられている。
そんな事務方の人間が、微妙に畑違いな同部署POSルームを訪ねてくるなど珍事に等しい。だからこそナニゴト!? と身構えてしまった。
それが杞憂だと分かったのは、常盤さんが低姿勢を貫いたからだ。常盤さんは言う。
「八女さんも千早さんも休みで、潮さん1人のところ申し訳ない。今しがた、本部からとある売り上げデータを集計したいという要請があってね。
今日は凪さんが公外でいないから、俺には出力方法が分からなくて……。悪いが助けてくれないか?」
その言葉と共に差し出された1枚の用紙を見やる。売り上げ個数と金額の欄が空白になっていた。
(つまり、ここを埋めればいいわけね)
私は自分の席に常盤さんを座らせる。彼の正面に、パソコンが鎮座している形だ。
私の案内に従った常盤さんは、おっかなびっくりの手付きでマウスを動かしていたものの、1分後には空欄箇所を埋めるのに成功していた。
「……なんだ。思いのほか簡単に出力できるものだったんだね。それなのにいつも凪さんに任せっ放しで……申し訳なかったなぁ」
常盤さんは心の底から詫びるような声を出し、重ねて私にも御礼の意を述べるのだった。
最後に再度「ありがとう」と言って退室した常盤さんを見送りながら私は椅子に座り直し、いち方向へと回転させた。
「あなたと同じことを、同じ方法で教えたのに、あちらさんは一度こっきりで覚えてくだすったわよ? どこかの誰かさんとは大違いね」
首をすくめ、毒を吐くようにせせら笑う私。
POSルームの奥で一人寡黙に書類整理に励んでいた不遜な男、不破犬君は、動かしていた手をピタリと止めるとその身体を私に向け、にっこり笑った。
「ふぅん……? 常盤さんにはかからなかったのかな? 透子さんのテンプテーション。
僕にはかかりっ放しで、今でさえ2人きりというシチュエーションに、何をしでかすか分からない状態ですけど」
「な……っ!」
くっ……。このバカ犬。
やり込めたつもりが逆にやり込められ、挙句、千早さんや八女先輩、杣庄という名の助け船は出そうにない。
だからといって、勢いに任せて部屋から出るなんてのはイヤだ。だって、なんだか癪だから。
結局、生まれたての羞恥心を抱えたまま無言で机に向き直った。
反論しない私がおかしかったのか、不破犬君はくくくと忍び笑い。
(……うぅっ、覚えてらっしゃい。絶対近い内に逆襲してやるんだから)
それまで精々歯の浮く寒々しいセリフを、湯水のように垂れ流すがいいわ!
まるで決意表明するかのごとくキーボードのエンターキーを人差し指で叩きつけると、中断していた仕事を再開させる私なのだった。


2011.09.19
2020.02.19 改稿

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