G3 (―) 【Canicular Days!】


日常編 (―) 【Canicular Days!】



[1]

文月、土用の丑の日――。

灼熱地獄の中、5名の男衆が、客から決して見えない位置に設けられた特設プレハブ内で作業をしていた。
そこはユナイソン・ネオナゴヤ店、鮮魚売り場の裏手側。鮮魚専用搬入口と作業場を兼ね備えた通路の、更に奥の奥。
プレハブの広さは10畳ほど。簡易とはいえ、それを手掛けたメンテナンス部には「よくやった」と労いたくなるような出来栄えだ。
朝8時の時点で、小屋の中は白煙と独特な匂いで充満していた。巨大な扇風機が小屋を取り囲むように4台稼働しているが、それでも霧消には至らない。
煙がもうもうと立ち込める中、忙しなく動いているのはネオナゴヤ店の鮮魚社員3人に、本部鮮魚部から今日の為に応援に来ている2人の計5人。
ユナイソン・ネオナゴヤ店は――というより、殆どのユナイソンでは――、土用の丑の日は焼き立ての炭火焼き鰻を提供するのをウリとしている。
ただ、そうなるといつもの作業場だけでは場所も設備も足りないので、こうして毎年特設プレハブを作っては売り場へ運んでいる。
活気もだが、熱気も凄い。職人魂に火が付いたように、5人は鰻を捌いては炭火で丹念に焼き、特製のたれに潜らせていく。
「ソマ、こっち出来たぞ。持って行け」
「はい!」
「炭が足りねぇな」
「この鰻を店に出した後、俺が取って来ます!」
「頼む」
いつもは書類整理に追われている本部陣だが、かつては杣庄のように『現場』を30年勤め上げた、魚売り場の大ベテラン。
腕は衰えているどころか、僅か数時間で昔の感覚を取り戻しており、すっかり現役然。
そんな2人の巧みな技に舌を巻きつつ、杣庄は言われた通り、出来たての蒲焼を台に乗せ、売り場へと急ぐ。
既に開店時間を迎えていたらしい。鮮魚コーナーには出来たての鰻が並ぶのを今か今かと待ち望む人で賑わい、杣庄と鰻を見るなりワッと詰め駆けた。
「ちょ、待っ……」
心の準備が出来ていなかった。狼狽する杣庄を補佐したのは、これまたベテランの女性パート。毎年恒例の事だけに、裁き方を心得ている。
「さきほどお配りした番号表通り、1番から順番にお渡ししますからね! ちゃんと渡しますから、大丈夫ですよ!」
慌てなくてもちゃんと数を用意出来る。なくなっても、裏で沢山作っているから、少し待って貰えれば渡せる。
そんな言葉が客たちに安心感を与え、場の混乱は収まっていった。
「さんきゅ。助かったよ、和瀬さん」
「こんなの朝飯前。ここは私に任せて、ソマ君は裏で作って作って!」
「あぁ」
額に浮かんだ玉の汗を、首に掛けた手拭いで拭うと、杣庄は駆け足でプレハブへと戻った。途中、炭の束を掴むことも忘れずに。
(懐かしいわねぇ)
芙蓉は、売り場とプレハブを忙しなく行き来する杣庄の姿を見て、昔を思い出す。
あれは、杣庄が本部で行われていた新人教育を終え、岐阜店へ入ったばかりの頃だった――。


[2]

「お帰りなさい、芙蓉」
2ヶ月の出張を終えた芙蓉が岐阜店へ戻ると、悪友の馬渕が労いの声を掛けてきた。
「ただいま。私がいない間、何か面白いことはあった?」
「そうねぇ。新入社員が入ったぐらいかしら~」
「へぇ? 今年の新入社員って? 何人だっけ」
「貴女の部下になる子が1人。潮さんって言う子。本来ならFTである貴女が教えるべきなのに、可哀想に、未だ本部で研修を受けてるわ」
「本部に電話しないといけないわね。私が面倒を見るから、引き渡して貰うよう言わなくちゃ」
「先週、鮮魚に1人来たわよん。男の子が! 目がギラッギラしててね、なんかもう、いかにもヤル気に溢れた新人君って感じなの。初々しいわ~」
「鮮魚だけに、イキがいいのが来たってわけね」
「それも、とびっきりの、ね」
うふふと馬渕が眉尻を下げる。恍惚としたその表情は、女である芙蓉すらドキッとしてしまう魅惑的なものだった。


[3]

馬渕にそそのかされたわけではないが、芙蓉は何となく鮮魚に入った新人が気になり、仕事に託けて売り場を覗きに行った。
鮮魚売り場は独特の臭いを放っているが、芙蓉はそういう香りが嫌いではなかった。そこには色んな人が汗水流して頑張った結晶――商品――があるから。
市場から仕入れたばかりの真サバやトビウオといった旬の魚を横目に、芙蓉は件の人物を探す。すると見慣れない男が1人、芙蓉の横を通り過ぎる。
擦れ違いざまに目が合った。時間にして数秒。相手は芙蓉を見て瞠目したように見えたのだが――単なる気の所為だろうか。
声を掛けようとしたが、肝心の『言葉』を用意していなかった。結局、彼がそうなのね、と納得するだけの形で、芙蓉はその場を後にした。


[4]

例の新人がPOSルームを訪ねて来た。入荷したばかりの商品を登録して欲しいとのことだった。
出迎えた芙蓉は、新人の格好を見て顔色をサッと変える。その変化に気付いたのか、若干戸惑った様子で彼は訊ねた。
「あ……俺、何か不味かったですか?」
馬渕に『ギラッギラとして』と言わせしめた目には、今や狼狽の色が浮かんでいる。芙蓉は努めて冷静に言った。
「あのね、ルーキー君。キミの足元を見てごらんなさい」
芙蓉の言葉に、彼は素直に従った。己の足を見下ろし、これが何か? と尋ね返す。
「靴よ靴。それ、鮮魚用の長靴でしょ? 売り場から離れる時は、ちゃんと履き替えなさい。上司から教わらなかったの?」
「あ……。すみません……。そうですよね、不衛生でした」
(あら、素直な子じゃない)
「分かればいいの。これは登録しておくから、持ち場へ戻っていいわ」
「お願いします」
軽く礼をして、踵を返す。その背中を見送りながら、芙蓉は首を傾げる。どうにも馬渕の言っていたような、『ヤル気に溢れた』感が伝わってこない。
(でも、鮮魚に配属された新入社員って、彼のコトなのよね?)
さっき名札を見た。そこには『杣庄』の名。
(杣庄君ねぇ……)
配属されてから今日までの間に、やる気を削がれるような出来事でもあったのだろうか。
自分の時はどうだったかしらと懐古し、配属されたのは今とは違う部署だったと気付く。
もれなく余計な思い出――それも思い出したくもない、最低な――までオマケで付いてきて、芙蓉は慌てて記憶を頭から追い出した。
指は自然と、杣庄から依頼された商品を登録していた。今ではすっかりPOSオペレータねと苦笑を漏らす。


[5]

岐阜店の閉店時間は21時だが、それはレジを閉める時間であって、従業員が帰れるのは21時15分以降。
その日、芙蓉は16分に退室の旨をIDカードにて記録していた。
更衣室で服を着替え、帰る準備を済ませた彼女は、消したはずのPOSルームに灯りが点っていることを不思議に思い、ガラス窓から部屋を覗いた。
(……誰?)
見ない顔だった。明らかに自分より年下の男が、芙蓉の席に座っている。ドアノブに手を掛けると、スムーズに開いた。パスワードが解除されている。
パスワードはチーフ職の人間に聞けば答えられるような簡単な4桁の数字で、確かにあってないようなものに思えるが――。
それでも、POSルームは特殊な部屋に違いない。そんな部屋で、こそこそと何をしているのか、この男は。
「何してるの?」
突然の芙蓉の声に、男がハッと顔を上げる。バツが悪そうな表情だった。
「あ……すみません。俺、売価変更の依頼をしたかったんですけど、POSオペレータさんの姿が見えなかったから……」
「あなた、誰?」
「俺――じゃない、僕は杣庄です。鮮魚に配属された新入社員です」
(昼間のルーキー君か。帽子と作業着を脱いでるから分からなかったわ)
「POSオペレータ以外の人間が勝手にシステムを操作するのは感心しないわね。新人なら尚更よ。不正だとかセキュリティだとか、そういう面を考慮すると」
「すみません」
これで、杣庄から聞いた謝罪の言葉は何回になっただろう?
1度注意すれば素直に聞くタイプのようだし、お小言を食らわせるのはそこで勘弁することにした。
「代わるわ。紙を見せて。……あぁ、本部からの緊急FAXね。どこまで入力――」
杣庄を立ち上がらせ、いざ自分の席に座り直すも、それら全てが無駄な行動だった。
FAX用紙にびっしりと書かれた訂正箇所は、既に杣庄の手によってレ点が打たれている。
芙蓉が21時に離席してから約20分。その間に杣庄はパソコンを立ち上げ、これらを入力し終えたと言うのか。
「あなたが入力したの?」
「すみません」
「違うわ。責めてるわけじゃないの。完璧に入力してるから、『凄い』って言いたかっただけよ」
若干興奮気味の芙蓉に、杣庄は僅かに顔を赤らめる。その反応が初々しくて、芙蓉はその顔を見詰めた。
「いや、あの……本部研修で教えて貰いましたし……。それに俺、じゃない僕、パソコン操作には慣れてるから」
「俺でいいわよ。一人称」
いちいち言い直すところが可愛くて、芙蓉はくすくすと笑う。杣庄の顔は、更に赤みを増した。
(よく見ると……顔が整ってるわねぇ。帽子・作業着の時の印象とは、大分違うわ)
さらさらの髪は柔らかそうだ。決して染めたりはしない、硬派な黒艶。仕事柄なのか、目にかからないその髪は、清潔感を与えている。
半袖から覗いた腕はバランスのいい肉付きで、スレンダーに見えるが、スポーツを難なくこなす風にも見える。それなのに、理系にも文系にも見える。
(不思議な子ねぇ……)
でも、芙蓉的にはイケメンの部類に入る。
とは言え、同期の伊神を皆が『イケメン』と評す中、芙蓉だけが首を縦に振らないので、自分の審美眼についてはイマイチ自信が持てないのだが。
(まぁいいわ! 私が好ましいと思えば、それでいいのだし。うん、ジャニーズっぽいわねぇ、ルーキー君♪)
己の顔を観賞されていることに気付いたのか、杣庄の顔には困惑の色が浮かんでいる。
「ねぇ、困ったことでもあった?」
「は……?」
唐突に尋ねられ、杣庄は答えに窮した。
「馬渕があなたのことを、『目がギラッギラしてて、いかにもヤル気に溢れた新人君』って評していたの。
でも私が見た限り、そんな風には見えなかったから……。困ってることがあるなら、相談に乗るわよ?」
「あ……いえ……」
ふい、と顔を背ける杣庄。芙蓉は「それならいいけど」と言い、その件についてはそれ以上言及しなかった。
「期待してるわよ、ルーキー君。じゃあね」
パソコンの電源を再度落とし、芙蓉は手荷物を持って部屋を出る。慌てて杣庄が廊下まで出ると、その背後に「お疲れ様でした!」と声を掛けた。
「お疲れ様。明日も頑張ってね。お休みなさい、ルーキー君」
「……ルーキーなんて呼ぶなよな……。ちぇ、完全に部下扱いだ。こっちは一目惚れして、八女さん相手に緊張しまくりだってのに……」
そんな呟き声が杣庄の口から漏れたことなんて、一切知るよしもなく。芙蓉は一つ大きな背伸びをして、岐路に着く。


[6]

(あの頃は初々しかったわよねぇ、杣庄も)
今ではすっかり凛々しくなった。年下だけれど、誰よりも頼りになる、立派なジェントルマン。
彼は今、暑さと闘いながら手の甲で汗を拭い、やっと日陰での15分休息に漕ぎ着いたところだった。
「ソマ」
呼び掛けた芙蓉の声に気付くと、杣庄はふっと柔らかい笑みを浮かべた。
日に照らされて赤くなってしまった肌を、汗が伝っている。アスファルトの地面にぽたりぽたりと落ちていく雫たち。
「はい、これ」
水に潜らせた冷たいタオル。芙蓉の差し入れを受け取ると、杣庄は顔を拭き、首に掛けた。
「うわー、極楽! 気持ちいい……」
「お疲れさま」
「これしき平気だよ。あ、八女サン」
「ん?」
「今日の夕飯は、俺が焼いたうなぎ食べて」
「ソマ、それ、最高の口説き文句」
「ははっ。楽しみにしてな! 美味しいの焼くから」
そして笑う。芙蓉だけに向けられた笑顔。
立ち上がった杣庄は芙蓉の頭をぽんぽんと叩き、駆け足でプレハブ小屋へと戻って行った。
その背中を、芙蓉は誇らしく思う。

文月、土用の丑の日。
蜃気楼に揺らめくアスファルト。
灼熱地獄の中に見る、今となっては誰よりも愛おしい人。


2011.07.21
2020.02.21 改稿

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