G3 (―) 【Come On!】


日常編 (―) 【Come On!】



「ご……ごめんなさい。ごめんなさい……っ」

謝罪の言葉は涙ながらに。
真っ赤になりながらも青褪めた歴を見下ろし、柾は深い深い溜息をついた。
誰も悪くない。
歴が謝る必要など皆無だし、そもそも誰かに責任を取ってもらうなどという問題でもない。
しいて言うなら自分が悪いのだ。
心底そう思いながら、柾は溜息を繰り返す。


*

「明日は、いとこの結婚式なんです。
多分私ひとりでは捌き切れないほどの手土産をいただくことになると思うので、お裾分けをお届けしてもいいですか?」
前日にそう言い残した歴は、宣言通り自分ひとりで抱えるのがやっとの手荷物を持って柾が住むマンションの一室を訪れたのだった。
時刻は20時を回っていた。
式は午前中からだったにもかかわらず、めでたさと親戚一同による久し振りの逢瀬も相まって、宴は盛り上がり続けたと歴は言う。
「ですので、こんな時間になってしまいました」
「僕も7時に帰って来たばかりだし、構わない。むしろこんなに頂いてしまっていいのか?」
「えぇ。私1人では使い切れないと思いますし。あ、でも無理しないでくださいね。どなたかに差し上げてもらって結構ですので」
石鹸やら、お菓子やら、砂糖やら――。袋の中には綺麗なラッピングが施された品々が隙間なく納められていた。
「ありがとう。色々と助かるよ」
ちょうど石鹸が切れかけていたことを思い出し、柾はタイミングのよさに感謝した。お礼の意味も込めて歴の頭を撫でると、彼女はふふっと笑った。
「いいえ。どういたしまして」
「それにしても――歴」
柾の声が、ワントーンだけ低くなる。その変化に気付かない歴ではなかった。
それはまるで、蝶を拿捕せんと虎視眈々狙い定める蜘蛛のよう。無意識に肩がびくっと跳ねるも、柾はその脅えすらも愉しむかのようにうっすらと笑った。
「――素敵だね。とても綺麗だ」
柾に手首を捕まえられ、ぐいっと力任せに引っ張られる。歴の肢体は柾の腕のなかにすっぽりと収まり、そのまま抱きすくめられる。
「あの……あのっ、直近さん……」
「シー。黙って」
柾の唇が、戸惑う歴の下唇を優しく食む。
(これは……まずい。直近さん、エンジンかかってる……!)
歴の背中に回されていた腕は腰へと位置を変えられており、心なしか下半身同士が密着を始めたように思うのは気のせいではないはずだ。
「っ……直近さんっ、だめ……、おね、おねがい」
もしかして、と歴は思った。
結婚式に出るため、今日は着物を着ている。
呉服問屋の若き店主、姫丸二季と何度も打ち合わせをして作った、歴のための一張羅。
歴の魅力を最大限引き出してあげると請け負ってくれた姫丸は、宣言通り、それはそれは見事な訪問着をこしらえてくれた。
燃えるような、赤の、色を。
(直近さん、私がいつもと違う出で立ちだから、とか、そういうこと……?)
だとしたら、姫丸の願いはある意味叶ったことになる。
魅力を最大限引き出しすぎて……歴にぞっこんの柾には効果覿面すぎるほどの効き目だ。
欲情させるために作ったわけではなかったのに。こんなはずではなかったのに。
(さしもの姫丸さんも、『まさか』だろうな……。って、こんな展開になってしまったことは絶対に言わないけど! 言えないし!)
色々と考えているうちに、柾は背後の帯をほどきにかかっていた。
「あ、やっ、」
気付いた歴は身じろぎ、手をどけようとしたが、相も変わらず柾の胸のなかにいる彼女は男の力に勝てずにいる。
このまま一気に脱がされ、ことが進むのかと思いきや、どうも様子がおかしい。
柾の手はもぞもぞと動いているものの、帯がほどける気配はなくて。
(直近さん……?)
柾の顔を見れば、少し拗ねた様子だった。どうやってほどくんだ、これ? と言っているかのような。
(あ……ひょっとして……)
着物は姫丸の母親が着付けてくれた。
しっかりした帯結びは、さすがプロによる手法。きつく、かたく結ばれ、しかもその折り方は複雑で難解だ。素人がササッと剥ぎ取れるものではない。
(『こうするんですよ』って、私が手伝うべき? でも、でも、……それって恥ずかしい……!)
真っ赤になった歴は、柾の胸に顔を埋めた。その衝動で柾の身体はグラつき、衝動と相まって帯にかけていた指が結び目をほどき終える。
柾にしてみれば怪我の功名。歴にとっては次のステップ突入の予感。
その後は時代劇に出てくる濡れ場のワンシーンのようにグルグルと帯を剥ぎ取られ、着物だけになった歴は後ずさる。
「な、直近さん。落ち着いて……ね?」
帯だけで時間がかかったことにプライドが傷付いたのか、柾は新たに立ちはだかった試練に早速取り掛かる。今度は着物だ。
伊達締めをあっさり外すと、今度は腰紐へと手を伸ばす。
(あ、でも、これって実は次の試練だったり……)
腰紐は、着物の裾が落ちてこないよう、しっかりときつく結ぶのが常識だ。姫丸の母は容赦なく、まるで絞め殺すように強く結んでいた。
しかも腰紐は着物で2本、さらに襦袢で2本の、計4本。それらを取るのは柾を困らせることになりそうだ。
案の定、柾の指は歴の上半身に食い込んだ紐を取るのに苦労していた。
何せ指一本の隙間すら許さないのが腰紐の正しい在り方。歴の細い指ならともかく、柾の指はそれよりも太いのだから、なかなか取れないのは当然だ。
(ど、どうしよう……。殿方に恥をかかせてしまうなんて……私の馬鹿……っ!)
服を脱がすのに時間を掛け過ぎ。そんな男の姿は滑稽だ――。
もし柾がそう思っているのなら、歴としては心底申し訳なく思う。
「ご、ごめんなさい」
「……何が?」
外せない焦りを悟られまいとしているのか、しかし内心ではイラついているようで、柾の返事は少しだけ素っ気ない。
(あぁ、やっぱり気にしてるんだ、直近さん……!)
だってこれが洋服だったら既に全てを剥ぎ取って愛撫を始めている頃合いだもの、と思い。
そう思ったことに対してもボボッと顔を赤らめる。歴としては、もう色々といっぱいいっぱいだ。
柾に恥をかかせたこと。その柾とこれから行為を行おうとしていること。
歴のなかで芽生えた罪悪感が、謝罪となって口から漏れる。
「っ……ごめんなさい。ごめんなさいぃ、直近さん……」
この子は一体何を急に謝り出すんだ、と柾は呆気に取られ、手を止める。
あれやこれやとしているうちに2人はベッドの上へと移動していたわけだが、押し倒した歴を見下ろせば、潤んだ瞳に見つめ返された。
恥ずかしさで顔を赤く染めるのは毎度のことで、でも今回は青褪めてもいた。
その理由は柾が着物を脱がすのに手間取っているからだろう。恥をかかせてしまってごめんなさいと言っているのが、歴の態度から読み取れた。
「……いや、僕の方こそすまない……」
寧ろ歴に恥をかかせてしまったような気がして。柾は、はぁ、と溜息をついた。
「衝動を抑えられなくて……」
着物姿の歴を目の当たりにした瞬間、美しさに目も心も奪われた。
はっきり言ってしまえば、その時から既に彼女を抱くことしか考えていなかった。
(オスのサガだと言ってしまえばそれまでだが……)
ところが、だ。
昔から憧れていた『帯回しプレイ』は意外に難しいし、着物にいたっては紐すら外すことが困難で、ちっとも脱がせられない。
幻想と現実の違いに打ちのめされた形だ。
ふと、今日はもう諦めるか、と思った。腰紐は一向にほどけそうにないし、無理強いした感も否めない。
半泣き状態の歴の瞼のうえに軽くキスをして、「ごめんよ」と謝る。
「さぁ、起きて。歴」
手首を掴み、立ち上がらせようとした、その時。
歴が自らの腰に手をやり、腰紐を外し始めた。
1本。そしてさらにもう1本。着物がはだけ、桃色の襦袢が姿を現した。
驚きのあまり目を瞠る柾に、小さな声で歴は言った。
「あの……襦袢のほうの紐は……着物より、きつく結ばないことになっているんです。……だから……」
だから――外して。直近さんが。
言外に匂わせた、なけなしの勇気を振り絞って告げられた“おねだり”。
「分かった」
柾の手は、再び腰紐へと近付く。


2015.08.24
2020.02.21 改稿

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