G4 (迦) 【たまには、甘える】


日常編 (迦) 【たまには、甘える】



6時。これが私、志貴迦琳という人間の稼働開始時間だ。
染み付いた慣れは他にもあり、例えば家事は朝方済ませるようにしている。洗濯物干し、各部屋の掃除、食事の仕込み等。
すべては仕事後の私を楽にするため。安息を欲するであろう夜の自分のために、朝の内にギアを入れておくのだ。


*

今日も今日とて6時に起き、To Do LISTに何本かの完了線を引いた頃には3時間が経っていた。
休日は細かい部分にも目を光らすことが出来る。窓の桟だとか、排水溝の掃除だとか。
そこに手を付けてしまうと懲りだしてしまい、早く起きた割には遅めの時間に朝食を摂ることになる。
朝食メニューは、その時の気分次第。
今日はなんとなく洋食が食べたかったから、サラダスパゲッティを大目に作り、クロワッサンと併せた。
飲み物はコーヒー。インスタントの日もあれば、豆を挽いて本格的に淹れることもある。大抵前者は平日で、後者は休日。
キリマンジャロを豆から挽けば、香ばしい匂いだけで眠気やストレスを吹き飛ばしてくれそうだ。
ミルを片付けていると、ふとインスタントのコーヒー粉を切らしていた事に気付いた。
そう言えば昨日仕事が終わったその足で買うつもりだったのに、うっかり買い忘れてしまったんだっけ……。
どうせ買い物に行く予定だ。でもその前に、スマホを使って近所のスーパーのWebチラシをザッピング。
鳩屋にてインスタントコーヒー日替わり奉仕価格398円。お1人様2点限り。
しめた。鳩屋は比較的近いスーパーだ。自転車で3分という好立地条件にある地方スーパーは心強い。
裏を返せば、鳩屋はユナイソンの好敵手でもある。
だけど今日の私は給料前。半値以下の値段を見せられたら、黙って買いに行くしかない。
スーパーの一社員である前に、一消費者でもあるのだ。


*

鳩屋の開店時間は朝10時。
開店5分前の段階で、自転車を利用する地元付近の主婦たちが、ドアが開くのを今か今かと待っていた。
10時になりドアが開くと、欲しい物目掛け、彼女たちは奮闘する。
かくいう私も、大きな声では言えないが、歩を強めて今日の目玉であるインスタントコーヒーを求めた。
1人2点なので、在庫にはまだ余裕があった。でもきっとこの調子では10分ないし15分で完売するだろう。
……などと冷静に見積もる悪いクセを、つい、してしまったり。
いけないいけない。ここにはもう用もないのだし、買い物客の邪魔になるだけなので撤退しなければ。
ふと、去り掛けて思う。擦れ違う人の中には老人も多い。欲しい商品を無事に手に取るまでの、なんと不利なことか。
ほら、今だって。おばあさんが杖をついてゆっくりフロアを歩いてる。その間に何人のお客が彼女を追い越して行った?
1回目の清算を終えた心無い客が引き返し、再度同じ商品に手を伸ばしたかと思うと今度は違うレジを通って2個目を手に入れようとしている。
これが10分後ならば、おばあさんの手にはもう行き届かなかったかも知れない。
それはなんて見るに忍びない、切ない光景だろう。
願わくば、どうか在庫が多くありますように。バックヤードから補充されますように。
ちくりと胸に小さなトゲ。あーあ、なんだかな……と思っていたから、油断していたんだと思う。
「インスタントコーヒー、どこにありました?」
擦れ違った人に声を掛けられ、思わずこう口走ってしまった。
「はい、いらっしゃいませ! 日替わり奉仕品のインスタントコーヒーでございますね? こちらでございます。ご案内いたします」
って、しまった! つい条件反射で普段の客対応! なまじ、売り場を知っていただけに!
スマイルに加え、親指を折り曲げた手で堂々と売り場を指し示した私なんて、私服を着た鳩屋の店員にしか見えないだろう。
案の定お客は、『えぇ……? この子、店員でもないのに、一体なんなの……?』と不信そうな顔で私を見ている。
鳩屋の店員だと勘違いされたに違いなく、とは言えユナイソンの店員がライバル店で買い物に来たと思われるのも、それはそれで後ろめたい。
何にせよ、この人を案内しなければ。
「どうぞ、こちらです」
普段の要領で案内をし終えると、ドッと伝う汗を背中に感じながら、そそくさと逃げるようにレジへ向かった。


*

翌日の昼食時、その出来事を杣庄君に話したら、彼は真面目な顔で応じてくれた。
「一種の職業病ですよね。分かりますよ、俺も頻繁にやらかすんだよな」
「杣庄君が?」
彼は眉を寄せると、思い出したくないような口振りになる。
「例えば、よそのお店の鮮魚コーナーに行ったとするじゃないですか。で、刺身が視界に入る。身の切り方が、なってない。
『こんなの商品になるか! 撤去してやり直せ!』と口走りかけて気付く。あぁ、ここ俺の戦場じゃなかったわ……って」
「あるある! 商品の陳列が汚いと、つい直したり」
「あ~、出ますよね、手が勝手に。それとか、賞味期限の日付をチェックしてた自分に気付いたり」
「するする! 『え、これまだ見切らないの?』って心の中で大きな世話なんか焼いたりして」
あるある談義で盛り上がっていると、社員に割り振られているPHSが鳴った。青柳チーフからだ。 
「はい、志貴です」
「休憩中に悪い。店が混んで来た。戻って来れるか?」
「分かりました。今行きます」
通話を終えると、向かいに座っていた杣庄君が「店、混んでるんスか?」と腰を浮かせかけた。
「そうみたい。ちょっと行って来るね」
「俺も行きます」
食堂備え付きの湯呑みだけ返却口へ戻すと、持参したお弁当箱を掴んで社員食堂を後にした。


*

食料品売り場のレジが異様に混んでいた。青柳チーフと不破君は、2人ともレジの応援に入ったようだ。
売場を見れば商品が欠品していたりして、棚ががさがさの状態だった。早速アルバイトを2人集め、商品補充の指示を出す。
自分も出来る範囲で品出しをしようとバックヤードへ商品を取りに行きかけると、「すみません」と声を掛けられた。
「はい、いらっしゃいませ!」
スマイル0円で振り向くと、何故か違和感を覚えた。一瞬デジャヴュ。あれ……?
「このお菓子パックなんですけどね。子供会で配りたいので3箱注文したくって。……あら、あなた確か昨日の……」
昨日の……? そうだ、思い出した! 昨日私がドヤ顔でコーヒー売り場を案内しようとしたお客様だーっ!!
バレてしまった。ユナイソンの店員だということも、失態をおかした変人だということも。
うろたえていると、「志貴」と青柳チーフの声がした。
どうしてよりによってチーフが!? さっきまでレジにいたじゃない!?
「お客様。部下が失礼を働きましたでしょうか」
「いえいえ、そうじゃないの。
昨日はありがとう。とても素敵な笑顔で分かり易い案内だったわ。こちらの従業員だったのね。道理で丁寧に答えて下さったわけだわ。
あなたは、この方の上司? 教育が行き届いてるのね。この子のお陰で、昨日は気持ちのいい買い物が出来たのよ」
「!」
ほ、誉められた……。お客様から、じかに……!
「ありがとうございます。またの御利用をお待ちしております」
隣りでそつなく微笑む青柳チーフ。私は夢心地のまま、ポーっとなる。
「じゃあ、あなたに頼もうかしら。子供会の……」
「は、はい! お菓子パックを3箱ですね。畏まりました。いつ頃の御入り用でしょうか?」
「来週末の土曜までには欲しいのだけど」
「在庫を確認次第、折り返しお電話させていただきますので、こちらにお客様の氏名と電話番号をお願いします」


*

注文のやり取りを終え、商品の発注を掛ける。後は商品が到着次第、お客様に連絡が行けば無事完了だ。
ドライの控室にて仕入れ先に発注の電話をし終えると、青柳チーフが部屋に入って来た。
「休憩中だったのに呼び出して悪かった。残りの30分、行っていいぞ」
「はい」
許可が出たので胸元に再び休憩バッジを付ける。
腕時計で戻って来る時間を確認しながら退室しかけると、「志貴」と名前を呼ばれた。
「はい」
「よくやった」
自分だけに向けられる、青柳チーフのその微笑が嬉しくて。
口元が緩むのを必死に堪えながら、私は頷いた。そしてその顔がバレないようにスッと移動する。
今日は自分へ御褒美をあげたい気分だ。買ったばかりのインスタントコーヒーで、甘い甘いカフェオレを作ろう。
マシュマロだって入れてしまえ。スライスしたチョコだってトッピングするんだ。ホイップを添えてもいいかも。
とにかく、今日の夜はとびきり自分に優しく、おめでとうと祝杯をあげたい気分なのだった。


2012.03.08
2020.02.13 改稿

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