01話


i NeeD Me -欠けたピースの修復-(第1話)



「何だこの企画書は!」
私の姿を認めるなり、佐々木部長の怒号が一直線に飛んできた。
思わず、今日もなの? と陰鬱な気分になる。1週間の始まり。月曜日の朝だというのに。
土・日の2日間でどれだけリフレッシュを施しても、月曜には最悪の日を迎える。それは52週にも渡って繰り返される、魔の幕開けだ。
「あーぁ。また樋浦さん?」
「毎度毎度、飽きないわよねー。一体どんな企画を出してるんだか……」
「佐々木部長もさー、あれってパワハラじゃないの?」
既に出勤していた派遣社員たちの、私や佐々木部長を交互に見ながらひそひそと囁き合っている声をバックに、私はドアを閉めることも忘れて深々と詫びた。
「申し訳ありません! 再度、やり直ります!」
「もういい! お前にはやれないことが、これでハッキリした! 企画の1つも碌に作れないのか? この馬鹿野郎!」
一語一語が鋭い牙となり、私の心を深く抉っていく。
始めの内は、“何よ、そこまで言わなくてもいいじゃない。”と心の中で反論していたのだが、最近では佐々木部長に無能の烙印を押されたことで、自信喪失に陥っていた。
辞めようかな? 辞めたいな。……そんなことを何度思ったろう。何十回、何百回と繰り返してる。
認められたいな。どうしたら通るのかな? 企画書。……そんな願いも、今まで何度唱えてきたか。
結局はずるずると居続け、もくもくと企画を考案している。そのたびに、リテイクを食らいながら。
でももうそれも終わりだ。やり直しすらさせて貰えず、完全に見切りをつけられた。私の居場所はここにはもう無い。無いも同然だ……。
目の前で引き裂かれるA4レポートの紙片が床に落ちて行くのを、私はぼんやりと見詰めたのだった。

その出来事が他の上司の知るところとなり、私は企画課の佐々木部長配下から一時的に抜ける運びとなった。つまり事実上の戦力外通知だ。
伝票入力の仕事を任されたが、涙で数字が滲んで仕事にならなかった。
体調不良により帰らせてほしい旨を訴えると、事務課の長はうんざりした顔で「あぁそう、良いよ帰って」と言い、手を振るジェスチャーであしらった。
月曜の午前11時。私は会社を早退した。そして次の日も、その次の日も欠勤した。結局丸々1週間の出社拒否。
勿論、このままでいいはずがない。月曜からはまた憂鬱な日々が始まるが、それでも出勤しようと心に決めた。
迎えた月曜日。そこに私の居場所はなかった。

「会社には無断欠勤、仕事はまともに出来ない、それでもノコノコとやって来るとは、一体どういう神経をしているんだ?」
佐々木部長は蔑んだ目で私を見下ろした。社員たちの好奇な視線を背中に受けながら、私はひたすら詫びて詫びて詫び続けた。
「1週間の停職処分だ。来週の月曜日に来い」
果たして佐々木部長にそこまでの権限が与えられているのか限りなく怪しい疑問だったが、上司に言い切られてしまえば部下としては従うしかなかった。

自棄だった。
家に帰る途中、最近オープンしたばかりのショッピングモールに立ち寄り、片っ端から服や装飾品、本やCD、アロマオイルなどを買い漁った。持ち切れないほどの紙袋を両手に携え、ケーキ屋に立ち寄り、バイキングを食す。
それでも気分は晴れなかった。
ゲームセンターでクレーンゲームをしても、映画館でアクション映画を観ても、ちっとも楽しくはなかった。
あろうことか、合間合間に「仕事」という単語がチラつき、なんともやるせない気分になる。
化粧室に立ち寄り、ついさっき買った服や小物に着替えてみた。なにがどう変わったわけでもない。何の意味も持たない行動だった。大枚を叩いて買ったワンピース、ダイヤを散りばめたネックレス。靴。鞄。髪飾り。組み合わせて買ったはずなのに、ちっとも似合いやしなかった。
私は一体何がしたいんだろう?
嗚咽が漏れた。個室に長いこと籠っていたし、泣き声が聞こえたのだろう。「気分でも悪いの!?」――見知らぬ誰かがトイレのドアを叩き続ける。

何の目的もないまま1階を歩いていた。ただ帰りたくなかっただけで、時間が潰せればどこでも構わなかった。
紅茶専門店で試飲を勧められたり、輸入食材店で試食を摘まんだりした。所持金は1000円程度。商品を眺めるだけに留める。
ペットショップにでも寄ろうかな、と歩き出した時だった。私の視界に、閃くものがあった。
咄嗟に振り返ったのは条件反射だ。何を探しているのか自分でも把握できていなかった。ただ漠然と吸い寄せられるものを捕らえただけ。
だから本能に従うしかなく、次の瞬間には「それ」を見失い、がっかりしている自分がいた。
「なんだったんだろ、今の感覚……?」
首を傾げ、未練たらたらで周囲を見渡すものの、つい今しがた感じたばかりの鋭い感覚はすっかり萎えていた。
どうしたというのだろう。私は一体何に反応したのだ? 何を見たのだ?
考えられるのは、寸前にすれ違った女性である。でも普通の女の人だったと思うし、今やもう数十メートルも先まで歩いてしまっている。
私はペットショップを諦め――好奇心には勝てない――その女性の後を追った。

女性は、私が数分前に立ち寄った紅茶専門店へと入って行く。若干抵抗を感じたものの、再び暖簾をくぐった。
適当な商品を手に取りながら、女性をちらりと盗み見る。
身長は私とそれほど変わらない。ざっと160センチぐらいだろうか。極端に痩せているわけでもないボディが、却って羨望の対象になり得るぐらいだ。
肩につくかつかないかの黒髪はさらさらで、ストレートパーマをかけていそうだ。天然パーマ栗色髪の私とは大違い。
白のストレートパンツを綺麗に着こなし、紫の薄手タートルネック、その上にはツイードのジャケットを羽織っていた。
鞄は見た所ブランド物ではないようだ。それでも彼女自身からは上品な印象が伝わって来た。
彼女は八女玉露と静岡緑茶、紅茶クッキー、セイロンティーをカゴに入れると、暫く棚を行ったり来たりしながらレジへ会計しに行った。
「ありがとうございましたー」という店員の声に「次は買うから」と心の中で詫び、女性を追う。次はカフェで一服するつもりらしい。
私は彼女の後ろに並び、駄目押しとばかりにキャラメルマキアートを頼んだ。体重に関しては、また後日悩めば良いだけの話だ。
1人で来るお客も多いのだろう、1~2人用のテーブルが目立つ。幸いにも彼女の座った席の横が空いていたので、すかさずその場を確保した。
「……私に何か用なのかな? 可愛らしい女性探偵さん?」
いつの間にか態度が露骨になっていたのだろう。彼女はとっくの昔に私の存在を看破していた。
小さく笑ったその女性は、ほんの僅かな距離に座す私に話し掛けてきた。これは予期せぬ出来事だ!
「べっ、別に用なんて……」
「そう? 私の気の所為だったかしら。紅茶専門店に入る少し前から、気配を感じていたのだけど?」
驚いた。序盤から既に筒抜け状態だったとは。
「もしかして、女専門のストーカーさん?」
にっこり笑いながら、彼女は――確かホットカフェ・オ・レを頼んでいたはずだ――蓋を開け、トールサイズのカップを呷った。
「ち、違います! 確かに、あなたの後をつけたのは認めるわ。でも――」
「でも?」
「でも、別にあなたに惚れたからだとか、そういうわけじゃない……と思うし!」
「あらら、もしかして振られちゃった? 私」
そして微笑んだ。まるで私との会話を楽しんでいるみたいに。
「私に惚れたわけじゃないのなら、どうして私の後を追ったりしたの?」
純粋な疑問だったのだろう。彼女はきょとんと綺麗な瞳で私を見つめ返す。
「そ……」
「そ?」
「それが……分からなくて……困ってるんです」
途端、彼女の口の端が上がった。……気がした。満足な回答だとでも言うように。
でもそれは単に私の気の所為だったかもしれない。何せ、今日はいつも以上に自分に自信がない。ゆえに、断言もできない状態だ。
「こうして出逢ったのも、何かの縁だわ」
カフェ・オ・レを啜りながら、彼女は次に驚くべき言葉を口にした。
「あなた、仕事に疲れてるのね?」
図星だった。どうしてそれが分かったのだろう。顔に疲れが出ていたのだろうか?
私が顔に手を当てると、彼女は「違うわ、そうじゃないの」と首を振った。そして、付け加える。「この子が、反応しているの」
一瞬、彼女のお腹に宿った赤ちゃんの話かと思ったほどだ。だが違った。彼女が言った「この子」とは、彼女の首にかけられたネックレスだった。
照明の光で眩く光る、1センチにも満たない小さな3つの丸石を連ねたもの。
1つは黒くて透明な石(なんという石だろう?)、もう1つは私も知っている……水晶だ。そしてその水晶を挟むように、赤黒い石(これも、何だろう?)が隣り合う。
「それって……パワーストーンってやつ?」
「えぇ」
「ふぅん……」
私の反応が意外だったのか、女性は目を瞬かせた。
「あら、こういうのに興味はない?」
「全然ないわ。だから、その子に反応したってわけじゃないと思う」
誕生石だとか、パワーストーンだとか。個々の石に意味があることぐらい、私でも知ってる。でも信じてはいない。だからこそ、断言できる。私は別に、彼女のネックレスに反応したわけではないのだと。
では、何に反応した? という話になる。やはり彼女自身だろうか。でも、まさか一目惚れで女性に惚れるだなんて……。ないない、絶対にない。
「きっと、あなたが知り合いに似ていたんだわ。それだけの話なんだと思う」
「まぁ。勝手な人ね」
頬を膨らませ、軽く拗ねるその女性は、確かに魅力的ではある。今までに出逢ったことのないタイプだ。
「それにしても、驚いたわ。仕事で悩んでいたのは本当だもの」
「詳しく言わせて貰えば、更に奥まで突っ込んで、どのように悩んでいるのかも分かったのだけどね」
しれっとした顔で、女性は告げた。私はその意味を咀嚼して……ぽかんとした。何て言ったの? 悩みの原因までお見通し、ですって?
「そ、そんな馬鹿な……」
私の狼狽をよそに、彼女はじっと私を吟味して……頷いた。
「うん、分かる。……でもソレはあなたの所為。あなたが原因。他の誰でもなく」
その言葉に、私は激昂した。佐々木部長は悪くなくて、私が悪いというのか、この女は!
「私は悪くないわ! 悪いのはどう考えたって佐々木部長よ! あいつの威張り散らした物言いの所為で、私は……!」
途端、涙が頬を伝った。さまざまな感情が入り混じった感情と共に。
私が泣いてしまったことが自分の責任だとでもいうように、彼女は「ごめんなさい」と口にした。
何だか頭がぐちゃぐちゃだ。誰を赦すとか赦さないとか、誰が悪いとか悪くないとか。
そんなの決まってる。悪いのは佐々木部長で、許して貰えないのは自分の方だ。
そして今謝っている彼女だって……。すべては私が招いた結果であり、あぁでも彼女は悪いのは私だと指摘して……なんなのよ、もう!
「ごめんなさい。私が気を昂らせてしまったのね。これ……良かったら、付けてみて」
この期に及んで何を、と思っていると、彼女はネックレスを外し、私の首に巻き付けた。
「い、いらないわよ、こんなもの!」
「でも、せめてものお詫びに」
「パワーストーンなんか信じないって言ってるじゃない!」
「信じなくていい。信じなくてもいいから」
そう訴える彼女の顔は必死で。だから私は思わず頷いてしまった。
「良かった。受け取って貰えて。涙も止まったみたいだし」
お得意の微笑みで私を見る彼女。言われてみれば、さっきのやりとりが原因なのか、既に涙が止まっていた。
「あら、もうこんな時間! いけない、私もう帰らないと」
店内放送の「蛍の光」のメロディーに誘導されるように、客数は減っていく。時計を見れば、9時40分だった。
「それじゃあ、さようなら。あなたが再び自信を取り戻せますように」
紅茶屋の紙袋と鞄を持って、彼女は立ち上がる。私は尋ねた。
「ねぇ、あなたの名前を教えて……!」
「私?」
虚を突かれた顔で、彼女は私を見る。そうねぇ、と前置きしてから、こう名乗った。
「コダマよ。児玉 絹」
「こだま……きぬ……」
「いつかまた会えるといいわね」
「そう思うんなら、メールアドレスの1つでも残していきなさいよ……!」
私の言葉に、彼女は笑った。心底面白そうに。
それもそうね、と笑うと、彼女は鞄から口紅を取り出し、カフェに備え付けてある紙ナプキンにメールアドレスを書き付けた。
「よろしく!」
ウィンク1つ残し、彼女は颯爽と去って行った。

今日は色んなことがあったな。
ベッドに仰向けになると、今日1日の出来事を回顧した。停職を食らったこともそうだが、何より彼女との出逢いが大きかった。
私は首にかかったネックレスを手繰り寄せ、石を見詰めた。見れば見るほど普通の石だ。
「……なんの石なんだろ?」
ふと調べてみたくなり、ノートパソコンの電源を入れ、ネットに接続した。パワーストーンを石の色ごとに紹介してあるサイトにアクセスする。
20分かけて、私はこの3つの石の種類を突き止めたのだった。
水晶→万能の強運石。
アイオライト→思考をすっきりさせ滞りを除去し、心身を引き締める効果のある石。
ガーネット→瞬発力と粘り強さで真の力を発揮できる石。
言われてみれば確かに今の自分に必要な石なのかもしれない。でもだからと言って、行動に移したくなるだとか、そんな都合のいい解釈にはならなかった。
「……まぁいいや。せっかくだし、暫く身に付けていようかな。……あ、お風呂に入らなくっちゃ……」
服を脱ぎ、ネックレスを外した私は、あることに気付いた。意外にも、留め具部分の近くに更なる石があったのだ。
詳しく説明するならば、それは「木」。小さくて丸い木の珠。それが1つ、ぽつんと付いていたのだった。
基本的に留め具は首の後ろにくるので、せっかくの「木の珠」も隠れてしまう。
「……変わったデザインね……?」
お世辞にも可愛いとは言えない。でもどことなく愛嬌を覚える。彼女……『児玉 絹』の手作りだろうか? 
くしゅん、と大きなくしゃみ1つ。裸だったことを思い出し、慌てて浴室へと移動した。

その夜、私は変な夢を見た。
起きてからずっと、その夢の内容が気になって仕方がなかった。何らかの警鐘を鳴らしているかのようにしか思えなかったからだ。
だから私は火曜日から日曜日にかけて、一心不乱に「あること」をした。月曜日の出社に備えて……。
日曜の夜。寝る間際に私は彼女宛てのメールを送った。「明日から、仕事頑張るからね」と。
彼女からの返信は「絶対大丈夫!」。たった5文字だったが、何にも勝るエールだった。

月曜日、私はA4のキャリーケースを携え会社に赴いた。企画課のドアを開ける前、ブラウスの上から彼女に貰ったネックレスを触る。
(行くよ、私――!)
息を整え、ドアノブを掴んだ。
「おはようございます!」
威勢のいい挨拶に、中にいた社員たちが目を点にして私を見た。その中には佐々木部長もいる。
私は佐々木部長の机まで行くと、90度のお辞儀をした。
「佐々木部長、おはようございます。そして、先週は大変失礼致しました。不肖・樋浦円、今日から心機一転頑張る所存です。
どうか御指導・御鞭撻のほど、宜しくお願い致します!」
「……ひ、樋浦……くん?」
呆気にとられた佐々木部長の声がした。ごほん、という咳払いの後で、顔をあげるようにとの指示が下った。
「きみの籍はもう、企画課ではないんだがね――」
最後まで言わせなかった。私は佐々木部長の言葉を遮り、一気にまくし立てた。
「毎週金曜日に提出すべき企画書はたったの1枚。しかも、却下がくだるたびにプラスアルファを付け加えるだけと言う進歩の無さ。
愚かにも1枚しか提出せず、覇気も何もあったもんじゃありませんでした。
停職中はその点を深く反省すると共に、企画を100パターン考えて参りました。どうかお目通しを」
そう。私に足りなかったのは熱意だ。悪いのは佐々木部長ではない。自分だ。正に、児玉 絹が指摘していた通りだった。
これで駄目なら私は会社の方針を素直に受け入れよう。そういう意味での直談判だった。
佐々木部長は私が机の上に置いた100枚のA4用紙を1枚1枚手に取り……やがて、ふ、と困ったように笑ったのだった。
「……なんだ……ちゃんと出来るじゃないか、樋浦」

あの夜、私は変な夢を見た。
それは、正にこの現実そのものの夢だった。私が仕事を真面目にすれば、首も異動も免れる――そんな予知夢めいた不思議な夢。
信じる・信じないのは自分の勝手であり、私はなぜか信じる気分になったのだ。
それもこれも全て、児玉 絹のお陰だろう。彼女と、彼女から貰ったネックレスの。
昼休憩になり、私は彼女にメールを送った。だが、メールは届くことなくエラーとなって返って来てしまった。
まるで私の悩みを解決した代わりに、雲隠れしたように――。
「馬鹿……! 私は、あなたと友達になりたかった……だからメールアドレスを訊いたのよ……!?」
向こうはそのつもりがなかったということか。
それはそれでショックだったが、考えてみれば始めから彼女はどこか風来坊のような、どことなく風変りな雰囲気を纏っていたではないか。
『いつかまた会えるといいわね』。その言葉を信じよう。
願えば叶う。それを教えてくれたのは、他でもない、児玉 絹なのだから――。
(END→2話へ続く)
2009.10.26

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