05話 【Of Course!】


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05話 (―) 【Of Course!】


___01.同日/AM9:58/ネオナゴヤ店

開店2分前、麻生は家電売り場にいた。広告に掲載された目玉商品はレジ横に高く積まれ、あとは客の入りを待つのみ。
既にマニュアル通りの完璧な待機姿勢を取っていた麻生は柾から呼び掛けられ、その綺麗な体勢を呆気なく崩した。
「麻生、僕のマーチャンはどこにある?」
「お前の? さぁ?」
マーチャンの正式名称はマーチャン・ダイジングであり、MD書とも呼ばれる。
流通業界には欠かせないアイテムであり、バイブル的存在だ。一種の指標である。
「その台詞は、お前に非がない時に言うんだな」
「あん?」
怪訝な顔をした麻生の胸元に、柾はクリップで留められた紙の束を押し付ける。一瞬で麻生は表情を変えた。
「俺のマーチャン? なんで柾が……」
「昨日作業してる部屋が一緒だったろう。解散する際、間違えて僕のMD書を持って行ったんじゃないか?」
麻生は作業台の引き出しから紙の束を取り出した。
その表紙には『コスメ部門』と印刷されており、Mのイニシャルマークもある。確かに柾のものだった。
「……悪ぃ」
開店のチャイムさえ鳴らなければ、蚊の鳴くような小声の謝罪に対し「聞こえないな」と意地悪く切り返せただろうが、生憎とそれも叶わない。
今回は簡潔に「あぁ」だけで済ませる柾である。
「おはようございます」
やけに近くから挨拶が聞こえたので柾と麻生が声の主を見ると、POSオペレーターの潮透子が背後に立っていた。
彼女との接触はほぼ皆無と言ってもいい。仕事の依頼は、その気安さから2人とも千早歴に託していたからだ。
とは言え、透子がどういう女性なのかは不破犬君経由で聞き及んでいる。2人は珍しい来客に好奇心をくすぐられつつも挨拶を返した。
「おはよう、潮さん」
『他人からの評判は無用』が信条の透子は、普段通り無表情のまま述べる。
「こちら、ヘアドライヤーのマネキンの方です。場所が分からなかったのか、POSルームの前を行ったり来たりしていたのでお連れいたしました」
透子の背後から、おずおずと様子を窺う大学生らしき女性がいた。
麻生が「迎えに行けなくてすまんね」と詫びると、その言葉に安心したのか女性は「いえ、今日1日よろしくお願いします!」と頭を下げた。
マネキンの仕事は試食販売や実演販売。彼女の場合は新製品のヘアドライヤーの紹介だった。主にカツラを使ってPRするらしい。
「潮さん、ありがとう。助かったよ」
「いえ……」
不破犬君から、『透子さんは他人への興味が薄い』と聞いていたが、なぜかいまは麻生たちに対し、必要以上に視線を這わせている気がした。
まるで『2人がどんな人物か見抜いてやる』と言わんばかりの強い意思を感じる。
もちろん彼らは知る由もない。数日前の女子会の際、『柾と麻生が気になる』と歴が告げ、その発言によってどんな人物か確かめたかった――など。
透子は今まで伊神至上主義だった。伊神の情報さえあればいいと本気で考え、他人に関して無頓着だった。
けれどそれだけでは納得できない自分に、最近になってようやく気付いたのだ。『あれは誰? どんな人? ちょっと話をしてみたいかも』。
そう思えるようになったのは、岐阜店時代の仕事仲間と仲が深まったり、歴という今までにいなかった予想外な人物に出会えた賜物だった。
前向きな姿勢は評価できる。透子は透子なりに成長を遂げつつあるのだろう。だが余りにも不躾すぎた。これではもはや凝視、ガン見である。
「あの……潮さん?」
困り果てた麻生の声に、やっと己の落ち度を思い至る。
「あ、失礼しました。では私はこれで」
透子は身を翻すと、そそくさとその場を去った。
「あれが潮透子嬢……。なるほど、納得」
何に合点がいったのかは分からないが、麻生なりに得たものはあったらしい。
柾はここには用事がないとばかりに背を向けた所だった。麻生は「あ」と呟いてから尋ねた。
「そう言えば、柾のところにもマネキンが来るんじゃなかったっけ? 昨日そう言ってたろ」
女性に必要な荷物を手渡しながら、麻生は柾を見やる。柾は小さく頭(かぶり)を振った。
「そのはずだが、どうやらまだのようだ」


___02.同日/AM9:46/ネオナゴヤ店

小学生以下を対象にした風船を配布するとあって、今日は子連れの客が催事場に多く集まった。
風船を貰った子供は満面の笑みを浮かべ、親に手を引かれながら各売り場へと散って行く。
柾が「あのぅ」という客の声を聞いたのは、そんな親子を何組も見た後のことだった。
「はい、いらっしゃいませ」
いわゆる『待機の姿勢』を取り、客からの質問に備える柾。一番多いのは、オープンしたてということもあり、フロアについての質問だった。
今度はどの売り場を尋ねられるのだろうかとフロアマップを頭の中に描く。だが客の言い分は、およそそれとは掛け離れていた。曰く、
「すみません。あっちの通路にある、……えぇと、薬剤品を扱っている売り場の……。正露丸をひとつ、取って来て貰えないでしょうか?」
柾が担当しているコスメ売り場の隣りは薬局である。客は見た目50歳ぐらいで、健脚そうだった。
腑に落ちないものを感じたが、断る理由もないし、そもそも客のニーズにはすべからく応えたいのが、柾やユナイソンの考えである。
「正露丸ですね。分かりました。恐らくサイズがあると思うのですが、ご希望はございますか?」
「一番小さい箱のものでいいの。ごめんなさいね」
そう謝る客は、心の底から詫びているようである。柾は「少々お待ち下さい」と言うと、目的の品物を取りに行った。
やがて、正露丸を持って柾は帰って来た。
「お待たせしました。
失礼ながら、お客様は小サイズをお求めでしたが、中サイズのものが今月はお安くお買い求めいただけます。一応、念の為に持って参りました」
「あら、中サイズが安いの?」
「はい。小サイズは定価の1,050円ですが、中サイズは1,890円の所、期間限定で1,298円です。
ただし200粒もいらないと仰るならば、100粒入りの小サイズをお勧めさせて頂きますが……」
「わざわざ気を遣って下さって有り難う。家族が使うものだがら、中サイズを頂く事にするわ。助かりました」
そう言って、笑顔を見せる。しかし客はすぐ眉根を寄せるのだった。
「本当にごめんなさいね、変なことを頼んでしまって……」
「とんでもございません」
「あなたに頼んだのにはワケがあってね。私ね、風船が駄目なんです。昔あれで嫌な目に遭って……。それ以来、風船が怖くて。
今日はほら、子供が風船を貰っているでしょう? 自分で買いに行こうとしたんだけど、近くに風船を持った子供がいてね。それで怖くて怖くて」
「左様でしたか。お気になさらず。ではお会計はあちらのレジでお済ませ下さい。風船が飛んでいる気配はなさそうですし」
柾の機転に、客は顔を綻ばせた。
柾が客を見送っていると、バタバタと慌ただしい足音とともに「すみません!」という女性の声が聞こえてきた。
私服だが、客には見えない。それは手に持っていたのが化粧メーカーのロゴ入りクリアファイルやトートバッグだったからだ。
「ひょっとして、9時から入る予定だった庄野さん?」
尋ねたのは柾ではない。レジで香水を包装紙に包んでいた三原が問い掛けると、女性は勢いよく頭を下げた。
「は、はい。今日1日、ファンデーションのマネキンとして派遣された庄野です。遅れて申し訳ありません……!」
「遅刻の理由は?」
「はい、あの……店を間違えまして……」
マネキンが派遣先を間違えることは少なくない。十中八九はそうだろうと、柾も予想をしていた。
過ぎたことは仕方がない。「1分でも早く持ち場についてね」と三原が告げ、その場は収まったのだが……。


___03.同日/AM11:48/ネオナゴヤ店

手に納まるタイプの発注機(ハンディコム)を操っていた柾は、商品のバーコードを読み取りながら棚から棚へと移動していた。
角を折れ曲がると、視界に入った庄野の様子がどうもおかしい。
本来ならばカゴを持ち、通り掛かる女性をターゲットにサンプルを配らなければならない。しかし彼女が手にしているのは小さなメモ帳だった。
庄野の前を、サンプルを渡すに相応しい女性客が何人も通過するが、メモ帳を真剣に読んでいる彼女の視界には入っていないようだ。
仕事内容の確認だろうか? サンプルの説明を必死に叩き込んでいるのかも知れない。予め覚えておくのが常識だが、度忘れということもあり得る。
たしなめる程度にしておくか。そう考えた柾が近付く。背後からだった為、メモ帳に書かれているのが何なのか、嫌が応にも目に入る。
「Governments have steadily deregulated industries and developed infrastructure. ……英語の勉強か?」
「!! あ、あの……ご、ごめんなさい……! 明日、英語の試験で……」
さすがの柾も温厚を貫くわけにはいかなかった。女性相手とは言え。いや、女性が好きだからこそ、こういう姑息な手を使う人間が余計に許せない。
「店を間違え遅刻した上、仕事中にテスト勉強とはね」
「あの……仕事します! だから派遣先には言わないで……。昼休憩もいりません!」
これ以上卑怯な真似を続ける気でいる女性に対し、掛ける言葉などない。柾は携帯電話を取り出すと、派遣先の電話を押した。
だが彼女は咄嗟に柾の携帯を奪うと、その場を駆け出した。
「あ――おい!」
発注機を掴んだまま、柾は後を追う。彼女はバックヤードへ向かっているようだ。
客にぶつからないよう小走りに、しかしバックヤードに入ってからは全速力で通路を駆け抜ける。
「どこだ……!?」
分かれ道。右か左か? 天の恵みか、平塚が通り掛かった。柾は尋ねる。
「女子大生を見なかったか? 忠告しておくが、彼女を庇おうなんて思わない方がいい」 
「なんだ残念、問題児だったのかぁ。事務所に行きましたよ」
「助かる」
方向転換し事務所に入ると確かに彼女がいた。乱雑に開けたドアの音に、千早凪が「……何事だ? 騒々しい」と顔を上げる。
どうやら彼女は凪に庇護を仰ぐつもりなのか、凪が座っている椅子の後ろに回り込み、隠れるような素振りを見せる。
「庄野さん、僕のスマホを返してくれ」
「おい、柾」
「少し黙っていてくれないか。というより、背後にいる彼女を渡して貰いたんだが?」
言いながら、柾は距離をどんどん縮めて行く。脅えた庄野は目元に涙を浮かべ、ひ、と短く漏らした。
「何がどうなってるんだ? そもそも彼女は誰だ」
「いいからその女性を早く引き渡してくれ」
声に怒気を含ませ、柾は女性を見据えたまま答えた。
柾の様子がおかしいことに気付きつつも、何の事情も知りはしない凪だから判断が鈍った。水に油を注ぐ質問をしてしまう。
「いや、だが……彼女は泣いてるじゃないか」
「彼女にそんな権利はない」
冷気を含んだ柾は苛立たしげに腕時計に視線をやりながら舌を打つ。
「あと2分か」
11時58分。カウントダウン2分前と知るや僅かに眉根を寄せるも、ちょうど事務所に入って来た不破犬君を目聡くとらえた。
「不破、発注頼む!」
大きな弧を描いて犬君のもとへ飛んで行くのは、左手に持っていた小型のバーコードスキャナ付ハンディ――発注機である。
「柾っ、それ15万だぞ!? 壊したら始末書だからな!」
日々、総勘定元帳と睨み合いをする立場にいる凪の焦りを余所に、犬君は両手で発注機をキャッチすると画面を確認する。
商品によっては昼の12時ジャストで発注の締め切りを迎えてしまう。
柾は発注数までは入力していたようだが、肝心の完了ボタンを押していなかった。これでは発注を落としてしまう。
犬君が託された使命を果たしたことで危機一髪、間に合った形だ。
その危うさを熟知している犬君だからこそ、『発注を受け付けました』の文言にホッとする。
そんな阿吽の呼吸もばっちりな犬君は、柾と凪、涙を流している女性という奇妙な組み合わせを見て――、
(……君子危うきに近寄らずだな。凪さんに尋ねたいことがあったけど……出直すか)
正しい選択を下し、時間を置いて再訪することにした。


___04.同日/PM15:39/ネオナゴヤ店

「へぇ~、そんなことがあったんですか」
ネオナゴヤ店の従業員食堂。マネキンがしでかした内容が気になった平塚は柾に声を掛け、事の顛末を聞き終えたのだった。
平塚の正面で食事をとっていた犬君も、苦虫を噛み潰したかのように冴えない表情で耳を傾けていた。
いつなんどき第二の庄野が現れないとも限らないのだから、いい気分はしない。
「で、その子どうなったんだ?」
麻生が尋ねる。麻生の昼休憩は残り10分を切っていた。結末はすぐにでも知りたい。
「帰らせた。派遣先にも電話した。真面目に仕事をしている同じマネキンに対して、余りにも失礼な話だからな」
「そうか。ま、サンプル渡しなら俺も手伝ってやるよ」
「俺も俺も!」
願ってもみない麻生と平塚の申し出に、柾は頬を緩ませた。
釈然としないのは犬君である。誰よりも柾の役に立ちたいのに、自分は女性客と接する機会に恵まれない。少し考えて――。
「あ、女性社員はどうですか? 社員割引も利くだろうし、受け取ってくれる人は多いかも」
「不破、その案貰うよ。ありがとう」
「俺ら、少しはお前の役に立てたかよ?」
ニヤニヤと笑う麻生に、柾は口元を緩めた。
「勿論だ」
小さく、そう呟いて。


2010.02.16
2025.12.09


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