28話 【Be Careful!】


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28話 (―) 【Be Careful!】


___01.千早歴side

「……さん。……歴さん?」
自分の名前を呼ぶ声がして、ハッと我に返った。
恐らく私は、ここ最近定着してしまっている『浮かない顔』をしていたに違いない。
申し訳ない気持ちのまま姫丸さんを見ると、案の定、気遣わしげに私の顔色を窺っていた。
「大丈夫? 何だか落ち込んでいるように見受けられるが……」
「いえ、あの……ごめんなさい」
「別に責めているわけじゃ」
「ご、ごめんなさい」
「いや……」
『責めていない』と思いやってくれているのに、またしても謝罪で応じてしまった。
「……ごめんなさい」
消え入るような声で紡いだそれを聞き届けた姫丸さんは、私を安心させるように微笑んだ。
「随分と上の空だが、気になる案件でも? おれでよければ聞くよ」
予想だにしていたかったその申し出は、思わず「本当ですか?」と口走ってしまうほど嬉しかった。
立て続けに起きた目まぐるしい出来事について話せたら、どれだけ楽になれるだろう?
「……ご迷惑じゃありませんか?」
「とんでもない。前にも言ったが、凪からずっと歴さんのことを聞いてきたから、他人のような気がしない。おれには妹のような存在なんだ」
そう言いながら、近くにあった反物をくるくると素早く丁寧に巻く姫丸さん。
私は言うべきか逡巡し……、でも社内旅行の際、姫丸さんにはアドバイスを貰っていた。
自分の気持ちが分からないようなら、相手――麻生さんを――動かしてみるといい、と。
麻生さんは、思った以上に行動を起こしてくれた。ファーストキスを経験するくらいには。
報告は……した方がいいのかもしれない。
「実は麻生さんから、正式に告白されました……」
「つまり、進展があったわけだ。歴さんはどう思いました?」
「私……駄目です。やっぱり答えを出すことができません」
ふるふると首を振り、
「こんなにも優柔不断な私を、お2人は許してくれるんです。
その上で『正々堂々どちらと付き合っても快く祝福しよう』だなんて紳士同盟も結ばれて……。こうなると、さらに焦ってしまいます」
「愛されてるね」
姫丸さんに言われ、顔が熱くなってしまった。自惚れだと思われても仕方ない発言だった。
「大事にされている証拠だと、おれは思うよ。だからそうだな……焦らなくていい。2人とも、分かってくれてると思うから」
姫丸さんの言葉が、どれだけ私の心を軽くしてくれたか。自分のなかに円やかな感情が生まれ、少し余裕が生じたのだろう、やっと微笑むことができた。
「ありがとうございます、姫丸さん」
「きみが出来ることは、素直な気持ちを2人に向けることだ。彼らが誠実であろうとしているのだから、きみも正直に答えないといけない。分かるね?」
「は、はい……」
「どんな結果を伝えるにせよ、彼らはきみが出した答えに従うしかないのだから」
柾さんを選んでも、麻生さんを選んでも。結局はどちらかを傷付けることになるのだ。
どちらかは分からないが、痛手を与えてしまうことだけは決定事項。ならばせめて、引導を渡す私に誠意が籠っていないと、不義理になってしまう。
「そんなに思い詰めないで。さ、堅苦しい話はここまでだ」
私が強張った表情をしていたからだろう。姫丸さんは口調を改めて私を労い、綺麗な所作で立ち上がった。
「例の物、完成しているよ」
「ありがとうございます。とても楽しみにしていました」
そう。今日姫丸さんの店を訪ねたのは、着物を受け取るためだった。
打ち合わせを重ねて完成した着物は、なるべくなら正常な感情の時に見たかった。でなければ、一所懸命応えてくれた姫丸さんや職人の方々に申し訳ない。
どうやら私の感情は姫丸さんのお陰で上手く切り替わってくれたようだ。心中感謝をしながら、姫丸さんが差し出した一式を興味津津のていで眺めた。
襦袢に施された繊細なタッチの刺繍、見る者の心を晴れやかにしてくれるに違いない淡い桃色の着物、灰色地に金色の波模様が映える帯、緋色の帯揚――。
「美しくて溜息が漏れます、姫丸さん。当日がとても楽しみ!」
「喜んでもらえて嬉しいよ。この着物は預かっておこうか?」
「はい! ここで着付けていただけたらと思いまして……。宜しくお願いいたします」
「分かった。当日は、おれの母が着付けてくれると思う」
「京都に住んでおみえのお母様が、ですか?」
「何せ、千早家に一式買っていただきましたから。『是非ともご挨拶をしたい』と母が」
「そんな……。恐れ入ります」
「いやいや」
念には念をと、姫丸さんは完成した着物を広げ、羽織らせてくれた。
白から桃色にかけてのグラデーションが絶妙な位置に入っていて、清楚なのにゴージャスという、いいとこ取りの逸品だ。すっかり舞い上がってしまった。
「本当に……ありがとうございました」
「驚くほど似合ってる。凪より先に見てしまっていいのかな。眼福だよ」
営業トークだと分かっているのに、賛辞の嵐に照れてしまう。
「姫丸さんの見立てのお陰です」
「それは……何よりの誉め言葉だ。呉服屋冥利に尽きます」
穏やかに目礼する姫丸さんに、恭しく着物を渡す。
日程や時間などは後日改めて伝える約束をして、店の入り口へと向かう。三和土に下りたところで姫丸さんの方に振り返る。
「では、今日はこれでお暇します」
頭を下げ、お礼を述べる。姫丸さんが「こちらこそ。またね」と返してくれたものの、暖簾をくぐり終えようとするタイミングで姫丸さんが問い掛けてきた。
「歴さん、さっきの話だが。歴さんの中で、どちらが今、多くを占めてるんだ?」
「あ……えっと……」
「五分五分かな」
「あ、はい。で……でも……」
真っ赤に染まった顔を、クラッチバッグで僅かに隠す。
「実は麻生さんと……少しだけ進展があって……。少しだけ麻生さんに……」
「ほほー。なるほどなるほど……」
思い掛けない報告に、姫丸さんも頬を緩めた。
と、その顔が次の瞬間、険しくなる。
「姫丸さん?」
「あ、いや……。歴さん、今日はありがとう。また今度」
「はい。それでは、失礼します」
日の沈みかけた通りを歩く自分の足取りは、思った以上に軽やかで、改めて姫丸さんへの感謝の思いが募ったのだった。


___02.姫丸二季side

歴さんが遠ざかるのを確認すると、おれは歩を強めて店内を横断した。
この店には入り口が2つある。1つは今し方彼女が利用した正面にあたる南口。もう1つはL字に相当する西口だ。
反物棚の側面にひとの気配を感じて覗いてみれば、そこに佇んでいたのは凪である。
「凪……ッ」
いつも遊びに来る時の顔つきとは全く違う。口は一文字、目は凍てつくように寒々しい。
「凪、まさか今の話を立ち聞きして……」
「立ち聞きじゃない。たまたま聞こえただけだ」
しゃあしゃあと言ってのけるが、聞き耳を立てていたのは間違いないだろう。
「やはり麻生と何かあったのか。あの嘘付き男め。何が『何もなかった』だ」
「なぜ頑なに否定するんだ。麻生さんも柾さんも、お前が言うほど酷い人間には思えない」
その凪は、まるでここにはもう用などないとばかりに店の外へと歩き出す。
「凪!」
おれの声は、凪を止める力を持っていなかった。
それどころか、その場に固まってしまったのはおれの方だ。
「仲を裂く」
去り際の凪がとても小さな声で呟いたのは、そんな言葉だったように思う。
またしても策謀を巡らし、罠を用意するというのか? 対柾用、対麻生用の?
「歴さんに……伝えるべきなのか?」
慌てて座敷に戻り、文机の上に置いた携帯電話を取り上げ、アドレス帳のタ行を繰る。
逡巡は数秒。
凪とは親友だが、だからこそ止めなければならないことがある。
――目を覚ませ、凪!
数コール後、歴さんが出た。受話器の向こう側からは、「先程はありがとうございました」と柔らかい声。その声を聞いて確信する。
――そうだ、おれの行動は間違っちゃいない。
「歴さん、聞いてくれ。実は凪が――」


2014.04.03
2025.10.04


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