「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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G3 (潮) 【Don't Apologize!】
日常編 (潮) 【Don't Apologize!】
「お姉ちゃん、これあげるよ」
たった1つの気紛れから起こった、小さな事件。
___01
「それ……」
八女チーフが目敏く私の小指を捕える。
「見せて」
咄嗟に隠そうとしたものの、呆気なく捕らえられてしまい、白日のもとに曝されることになってしまった左手の小指。
そこに光る銀の輪を、八女チーフはしげしげと注視する。
「潮がピンキーリング着けるなんて珍しいわね。シンプルなデザインで素敵だわ」
「ありがとうございます」
会社の服装規定では、指輪は『幅が細いもの、石が付いていないもの』ならば1つだけ身につけてもいいことになっていた。
はめる指に関しては特に書かれていないため、小指でも大丈夫だと勝手な解釈をする従業員は少なくない。
かくいう私も今日がピンキーリングデビュー。
先日、なんの気紛れか、妹の那漣が私の分も買って来てくれたのだ。『いつものお礼を兼ねて』と言って。
普段はそんな片鱗を見せないため、柄にもなく胸を打たれてしまった。
とは言え『まぁ、安かったからね』。その一言は余分だったわよ。
「でもサイズが少し大きいかもしれません。ちょっと隙間が出来てしまって、気を付けないといつか落としそうで困……」
そんなに力を入れたつもりは無かったけれど、指輪は呆気なくどこかへ飛んで行ってしまった。
「あぁ~っ」
「潮、不用心よ? 全く……」
私の不注意を窘めながらも、心優しき八女チーフは指輪を探そうと床を見渡し始めた。
「すみません、ありがとうございます、八女チーフ」
すぐさま私もそれに倣い、腰をかがめる。『どうか見つけやすいよう、照明によって輝きを放っていて欲しい』と願いながら。
「どこへ行ったのかしら……? でも大丈夫よ。この部屋にあることだけは確かなんだから」
確かにそれは心強かった。POSルームの中にある。それだけは確実で、隈なく探せばいつか見付かる。単に時間の問題だけのはずだ。
2人して床に這いつくばっていると、
「失礼します」
断りの文言と共に入室して来たのは不破犬君だった。
仕事の依頼に違いない。でも私と八女チーフが床下を見ているので、自分で操作した方が早いと判断したようだ。
「入力したいんですけど、パソコンをお借りしても?」
「えぇ、いいわよー」
二つ返事で八女チーフが承諾。早々に彼はパソコンを操作し始めた。
「おかしいわねぇ? あっちから飛ばしたんだから、こっちの方向にありそうなものよね?」
事件勃発の際の私の立ち位置からそう判断したのだろう。八女チーフは制服が汚れることも厭わずプリンターの棚下に潜り始めていた。
「あの指輪、贈り物だったの?」
血の気が引くとはこのことか。不破犬君にばっちり聴こえてしまったに違いない。
指輪、贈り物。その単語と私たちの体勢が、全ての状況を物語っていると言っても過言ではない。そして聡い彼のことだ、全て把握しただろう。
「違います」と否定するより、不破犬君が退室する方が早かった。出来事に一切首をつっこまず、完全無視を決め込む形で。
(……別に私、弁解がしたいわけじゃないし? どう誤解されようと構わないわ)
社内旅行以来、不破犬君は私を避けるようになった。それは勤務スケジュールを見れば明らかだった。
私が休めば彼は出勤。私が出勤すれば彼は休み。週2日休みなので、出勤日が重なるのは週に3日。
私が早朝出勤だと彼は遅出出勤。私が遅出出勤だと彼は早出出勤。笑えるぐらい真逆で、わざとらしいぐらいすれ違っている。
あれは絶対、私の勤務計画表を見て立てたに違いない。そうでなければここまで重ならないなんておかしいもの。
誰かに言えば『気の所為だ』とか『気にし過ぎ』と切り返されかねないので黙っているけれど、心の中ではそんな疑念が燻り続けていた。
そもそもそんな瑣末なことが気に掛かるなんて、私こそどうかしてる。めちゃくちゃ気になってるっぽいじゃない。そんなの絶対認めない。
「潮?」
八女チーフが不審そうに私を見ていた。……なんだっけ? 何か問われていたような気がする。えぇと。
「贈り物……というか、あの指輪は妹から貰ったんです。一応お揃いってことで」
てっきり薄い反応になるものだと思っていた。『なぁんだ、伊神からじゃないのね』と、落胆でもするかのように。
けれど八女チーフは、「なら、なおさら早く見付けないと!」と私以上に青ざめたのだ。
「えぇ? でも、妹からですし……」
「だからこそ大切なんじゃない! 私は素直に羨ましいわよ」
八女チーフは一人っ子。兄弟姉妹への憧れは、人一倍強いのかもしれない。
それからも時間を捻出した割には見付けることが叶わず、
「もしかしたら、清掃員の方が見付けてくれるかもしれないわ」と八女チーフは励ますように言ってくれた。
やがて早番だった八女チーフが上がり、遅番の私が業後30分ほど1人で探してみたものの、結局その日は見付からなかった。
帰宅の途につき、エントランスに設置されたポストを開けると、小さな包みが入っていた。
見覚えのある包装紙はユナイソンのもの。簡素なラッピングを解くと、中から出て来たのはなんと、私が失くしたピンキーリングだった。
指にはめてみると、ややぶかぶかな具合も、デザインも、紛れもなく私のものである。
慌てて包装紙を引っ繰り返すも、特に何も記されてはいない。
それでも差出人にはピンと来た。不破犬君しかいないではないか!
一体いつの間に見付けたんだろう? そもそもどこに落ちていたのか。
あの場ですぐ教えてくれなかったのは、私を避けていたからだろうか? そう思うと、微かに心がざわめいた。
けれどそんなの不破犬君らしくない。
私が居残りをして捜すことぐらいお見通しだっただろう。そんな徒労はさせないはずなのだ。いくら険悪な仲にあったとしても。
このままでは、弁解もさせて貰えないし、お礼すら言わせて貰えない。
指輪の送り主が伊神さんからだと誤解されたままだし、借りだけが残ってしまう形になってしまう。
私はその場で考えあぐね――
やがて包装紙を綺麗に広げると、『ありがとう。妹からのプレゼントだったからとても助かりました』と書き記した。
それを不破犬君のポストに投函する。明日になれば気付いて貰えるだろう。
___02
翌日、仕事から戻るとポストにA4サイズのコピー用紙が投函されていた。二つ折りにされたそれを広げ、書かれた文言を目で追う。
そうだったんですね。引き続き大事になさってください。
指輪は廊下に落ちていました。20時頃POSルームの前を通過した際、通路の隅に落ちていたのを見付け、拾った次第です。
ひょっとしたら僕がPOSルームから退室する際、気付かない内に床に落ちていた指輪を廊下に蹴り出してしまったのかも?
だとしたら本当にすみません。せめてもの罪滅ぼしとしてアクセサリークロスを使って磨いておきました。
文字は紛れもなく不破犬君のものだった。
彼は、自分が蹴ってしまったかもしれないからと謝罪しているけれど、うっかり蹴ってしまったのは彼ではなく、私だったかもしれない。
それなのに指輪のアフターケアもしてくれたし、律儀に詫びてもくれた。
「……謝らなくていいのに」
文章の端々から彼特有の優しさの片鱗を見付け、思わず口をついて出る言葉。
謝らなくてもいいのに。
「元々悪いのは、私なんだから……」
(……一体なにをやっているんだろう、私は)
どうしてこんなまだるっこしいやり取りをしているのか。
とはいえ、自分が蒔いた種なのだから、この事実をきちんと受け止めなければと言い聞かせ、私は天井のライトに指をかざした。
指輪は一切の曇りもなく、光沢を放っている。
それを見たら、なんとなく心が軽くなった気がした。
2014.08.18
2026.04.17
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