G3 (―) 【Show Me!】


日常編 (―) 【Show Me!】


___01.八女芙蓉side

ソマと休日が重なった、ある日のこと。
彼の自宅にお邪魔して、料理を作りがてら、一緒にお昼ご飯を食べる約束をしていた。
至極和やかなランチタイムだったと思う。とあるニュースを観るまでは。
「次のニュースです。今朝9時頃、愛知県名古屋市××区2丁目の××さん宅から出火していると、近所から通報がありました。
火は2時間後に消し止められましたが、木造2階建ての家と倉庫は損傷が激しく全焼。住宅1階から1人の遺体が発見されました。
家主の××さんとは連絡が取れておらず、現在遺体の身元の確認を行っています。
××区では先月より不審火が3件相次いでおり、警察では一連の事件との関係を詳しく調べています」
「××区ですって。近いわね」
私が呟いた、その時だった。
キンッ! と耳障りな金属音がして、反射的に視線を移す。
食べかけ途中のハンバーグに、まるで墓標のように突き刺さったそれは、ソマが使っていたフォーク。
普段なら絶対にしない行儀の悪さに違和感を覚え、ソマを見る。
「……!」
ぞっとするような暗い表情に、私は息をのんだ。陰鬱のなかに見え隠れするのは、激しい怒りだろうか。
「……クソがっ……!」
彼が漏らした言葉にひやりとした。心臓を鷲掴まれた感覚だった。
ソマをイラつかせたのは私だろうか? だとしたら、何がいけなかった?
テーブルの上に両肘をつき、両手で自らの顔を覆ってしまったソマに声を掛けても大丈夫だろうか?
問い掛けたところで、果たして彼は反応してくれるだろうか? 
「……ソマ?」
反応はなかった。彼は荒げた呼気を落ち着かせようと息を整えている。自我を取り戻そうするかのように。
私もこの時間を使い、落ち付け、落ち着け、と心に言い聞かせる。
「…………悪ィ、……八女サン」
意外にも、ソマのリカバリは早かった。
なんのこと? ととぼけるのも白々しいし、いまソマから逃げるのは得策ではない気がした。
謝罪を述べたということは、本人に悪いことをした疚しい自覚があるからだろう。
「いいえ、大丈夫よ。どうしたの?」
なるべく詮索の嵐になってしまわないよう注意しながら尋ねる。
所が、うながしたものの、ソマは何も言わない。再び口をかたく閉ざしてしまった。
「料理、口に合わなかった? せっかく台所を貸してくれたのに、悪かったわ」
「……そうじゃない。でも……ごめん、食欲ないから……」
「無理しないで。これはラップに包んでおくわね。粗熱が取れたら冷蔵庫に入れるといいわ」
ハンバーグはソマの大好物だった。作っているときも「早く食べたい」なんて楽しみにしていたぐらいだ。
前回は和風おろしだったから、今回はデミグラスソース。市販のものに手を加えただけだから、極端にまずいわけでもない。
作り方だって以前と同じ手順を踏んだ。サラダもライスもコーンポタージュも、失敗してないと断言できる。
だから多分、ソマの機嫌が悪くなったのは私のせいではないだろう。
……と思うものの、『ひょっとしたら……?』という疑念を振り払うことは出来ない。
一方ソマはと言うと、己の痴態の穴埋めをするかのように私の背後に回り、抱き締めてきた。
私の肩に顔をうずめ、しばらくその姿勢のまま。
私はその頭を優しく撫でてあげる。こんなことしか出来ない自分を歯痒く思いながら。
何を落ち込んでいるのだろう? 彼は何を抱えているのだろう? なぜ、突然憤りを感じたのか。
すべてを理解した上で、救ってあげたいけれど……。そう易々と踏み込んではいけない雰囲気ではある。
ソマは顔を上げるとぎこちなく笑った。その顔がごめんと謝っている。
彼の唇が、私のひたいに触れる。
「八女サン、今日は……ごめん」
帰ってくれないか、と彼は言った。


___02

いつもは『八女サンのひとり歩きは危険だから』と言って大須駅まで送ってくれていたソマだけど、今日は勝手が違った。
玄関先で別れたのだ。
ソマは本当に元気がなくて、『このまま付き添わなくていいのだろうか?』と心配になる。
それでもソマは私に帰って欲しそうだった。私とて、望まぬ長居をして、神経を逆撫でするような真似はしたくない。
だから大人しく岐路に着くことにした。
ソマの家は表屋造りになっているから、数歩も歩けばソマのおばあさまが切り盛りしている古着屋に寄ることができた。
挨拶だけでもしていこうと思い、暖簾をくぐる。店の番台にいたのは、ソマの妹の唄ちゃんだった。
彼女は私を見るなり顔をパァッと輝かせ、「芙蓉おねーさま!」と駆け寄ってきてくれた。
杣庄唄ちゃんは、とんでもないほど容姿が整った子で、大須でも有名な看板娘。
ソマ曰く、色んな業種のスカウトマンから声を掛けられるんだそう。
最近、とあるスカウトマンの熱意に折れて、モデル事務所への所属が決まった、と言う話を聞いた。
そんなモデルの卵である唄ちゃんは、白の膝丈ワンピースを着ていた。それがまたとてもよく似合っている。
そして器用なことに、胸の位置まである髪を、“耳隠し”という古風な技で纏めていた。
「こんにちは、唄ちゃん」
「こんにちは~、芙蓉おねーさま! 今日はお兄ちゃんとデート?」
「そうなんだけど……」
女の勘は鋭い。特に唄ちゃんは、ひとの感情の変化を察知する能力に秀でていた。
「はは~ん。さてはお兄ちゃん、醜態を曝しちゃったのね」
そうだ。唄ちゃんなら何か知ってるかもしれない。
私は安易な考えで、さきほどのやり取りを語って聞かせた。
「いつもと様子がおかしいなと思って。でも料理は問題なかったはずだし、火事のニュースも大須ではなかったし……」
そこまで言って、気付いた。
そこまで言わなければ、気付かなかった。
唄ちゃんの様子が、おかしい。
「……て……」
『許して』? 聞き間違いかと思ったけれど、耳を澄ませばやはり同じ呟きが彼女の口から吐き出されている。
身体はがたがたと小刻みに揺れ、激しく動揺しているようだ。
涙を流しながら「ごめんなさい、ウタを許して、いい子にしてるから」と繰り返す唄ちゃんを見て、私は愕然とする。
同じだ。これはソマと同じ症状だ――! どうしよう、どうしよう!?
「唄ちゃん!?」
ひたすら誰かに謝り続ける唄ちゃんを救う術を、私は持たなかった。
そもそもソマも同じような状態にしたまま、ここに来てしまったのだ。己の浅はかな判断ミスを呪うしかなかった。
「ご、ごめんね、唄ちゃん」
細い身体を抱き締め、頭を撫でる。やがて落ち着いてきたのか、啜り泣く声に変わった。
「芙蓉……おねーさま……ごめん……な、さい……」
「ううん、違うの。あなたは何も悪くないわ。……ごめんね。私が何か言ってしまったのよね?」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
一体、この子たちは……。
なにと闘っているの? どんな闇を抱えているの?
このまま放っておくわけにもいかないけれど、二進も三進もいかなくなってしまったのもまた、事実だった。


___03.千早歴side

出勤した時からずっと不思議に思っていた。
「大丈夫ですか? なんだか元気がありませんね、芙蓉チーフ」
見るからに覇気のない上司に声を掛けると、「……千早ぁ」と半べその状態で抱きつかれた。
「どっ、どうされたんです……か?」
心なしか、頬で胸をスリスリされてるような気がしたものの、気の所為だと言い聞かせる。すると、
「ちょっとね……自己嫌悪。自信喪失」
芙蓉チーフともあろうお方が自己嫌悪!? しかも自信喪失……!?
よほど酷い目にあったのだろうか。訊かずにいられない。
「一体何があったんです? 昨日は杣庄さんとデートでしたよね。トラブルでも?」
「分からない……分からないの」
「二人で何してるんですかー? いつからここはレズの巣窟に?」
「透子さん!」
気だるげに入室してきたのは、遅番の透子さんだった。
「潮! 潮ぉ」
透子さんを見るなり芙蓉チーフは私を解放すると、透子さん目掛け駆け寄り、ぎゅっと抱擁。途端、透子さんの顔が歪む。
「あーん。もれなく私もレズの道ー。千早さん、なにこれー」
「それが、私にもよく分からなくて……」
やれやれと溜息を漏らす透子さん。その格好のままパソコンの電源を入れるという行動をソツなくやってのけた。
「仕事はどこまで進んでる?」
「明後日入る折り込みチラシの本刷り待ちです」
「あぁ、それなら丁度来たとこよ。さっき事務所で貰って来たの。いいわ、私がやる」
「ありがとうございます」
「さぁ、八女チーフ。邪魔ですからどいて下さい」
芙蓉チーフ相手でも容赦なく言い切る透子さんに、「潮ったら、なんて冷たい子なの」と言って離さない。
「仕事させてくださいよ」
「私と仕事、どっちが大事なの?」
「仕事です。仕事は私にお給金をくれます。一方、この抱擁は私に怖気(おぞけ)しかくれません」
「潮ぉ」
透子さん、言い方が不破さんっぽいですよ! という言葉を、すんでのところで飲み込む私。
「本当になんなんですか? 分かりましたよ。話、聞きますから」
「ソマの様子が突然おかしくなって……」
そう切り出すと、八女チーフは順を追って説明し始める。
唄さんのくだりまで話し終えると、八女チーフは透子さんに「心当たりある?」と、一縷の望みであるかのように尋ねた。
残念なことに、透子さんは首を横に振って否定する。「そんな」と芙蓉チーフの悲痛な声が漏れる。
「う~ん……。杣庄は……さほど短気というわけでもないですし、憤りを感じたらその場で解決してしまうタイプです。
今の話を聞く限りでは、ずっと昔から杣庄の心の中に燻っているものがあって、それが何かの拍子で噴火してしまったと考えるしか」
「そう……よね。どうしたものかしら。潮が知らないことは、伊神も知らないでしょうし」
「本人に聞くしかないと思いますけどね」
「そうは言うけど、あの雰囲気は尋常じゃなかったわ。素直に教えてくれるかしら……」
妹の唄さんを泣かせてしまったことで負い目を感じているのだろう。芙蓉チーフは既にナーバス気味で、慎重に動こうとしていた。
「秘密主義者ですからね、杣庄は。言いたくないことは言わないし、踏み込ませない。線引きがハッキリしてる分、難しいかも」
「駄目よ。このまま放ってはおけないわ。どうも根が深そうな気がするの。根本的に解決しないと、また繰り返しかねない」
芙蓉チーフの言い分は尤もだった。
とはいえ、昨日今日蓄積した『浅い闇』などではないだろう。恐らく長い月日によるもののはず。
深さも暗さも嵩増しされているであろう強力な闇に、どう立ち向かえというのか――。
「……あ」
1つだけ、方法を思い付いた。
「千早、どうしたの?」
「私、特殊カウンセラーの知り合いがいるのですけど……」
「特殊カウンセラー?」
「……はい。でも、本当に特殊な方向からのアプローチになるので、治療の保証はしかねます……けど……」
私の頭のなかには児玉絹さんが浮かんでいた。私は彼女の力を100%信じている。
信じてはいるけれど、果たして今回のケースにうまく作用するかまでは断言できないものだから、私のプレゼンは尻すぼみになっていった。
「お願い、千早。その方を紹介してもらえない? お金なら払うから」
切羽詰まった表情で両手を握られ、私としても腹をくくるしかなかった。
そうだ、賭けてみよう。何もしないより、動いてみた方がいいに違いない。
「分かりました。連絡してみますね」
果たして児玉絹さんは応じてくれるだろうか? 
そんな心配は杞憂に終わった。早速絹さんにコンタクトを取ってみると、二つ返事でOKしてくれたのだ。
簡易的説明だったにも関わらず、驚くべきことに「その方が相談なさりたいのは杣庄さんの事かしら」と、向こうから名前があがる。
その凄さに、舌を巻くやら、唖然とするやら。
「相談内容が杣庄さんの件だと言うなら、私よりも玄クンの方が打ってつけよ」
「玄さんですか?」
「えぇ。玄くんと杣庄さんは友達だしね。でも玄くん、いま家にいないから、私から伝えておくわ」
「宜しくお願いします!」
電話越しだということも忘れて、私は勢いよくお辞儀をした。
翌日、早速私は絹さん側から提示された日取り――明日の朝10時、大須観音駅2番出入口――で落ち合う旨を芙蓉チーフに伝えた。
……これは、杣庄さんが抱え続けてきた『闇』だ。
恋人である芙蓉チーフを始め、仲のいい透子さんや伊神さんにも語らなかった、大きな問題。だから私は行くべきではない。
私に出来るのはここまで。玄さんと芙蓉チーフを引き合わせること。その過程で問題解決への糸口が見付かることを願うばかりだ。
芙蓉チーフは、私と透子さんについてきて欲しいと零しつつも、ことがことだけに「1人で臨んでみせるわ」と力強く英断した。
その決意を聞き、「杣庄が話したくなった時に耳を傾けることにします」と、透子さんは優しく微笑んだ。


___04.児玉玄side

『明日朝10時、大須観音駅2番出入口で、八女芙蓉さんと言う方にお会いして。杣庄さんの彼女よ』
『了解。ただ、名古屋に戻れるのが早朝の便でぎりぎりになりそう。一旦帰宅してから準備が出来次第、大須駅に向かうよ』
当日、出先から戻って来た俺が玄関のドアを開けると、絹が立っていた。
「お帰りなさい、玄くん」という労いの挨拶には覇気がなく、状況を考えればそれも仕方ないかと思った。
「……玄クンの胸騒ぎ、どうやら当たってしまったわね」と旅行かばんを受け取りながら、絹は寂しそうに呟いた。
「どうも近い内に進展があるんじゃないかって、嫌な予感がしてならなかったんだ」
4日前から妙な胸騒ぎがして、次の日から熊野古道入りした。
大自然に身を預け、木と水、土、空気など、あらゆる自然界のものたちから力を貰った。
何に備えてだったのか、今なら分かる。杣庄さんを救う日が来たのだ。これは負けられない戦いでもある。
脱衣場で服を脱ぎ、浴室に向かう。ペットボトルに入った真水を2リットル分、頭から注いだ。そしてパン、と柏手1つ。
「清め給え。木、気、祈、器、満ち、溢れ、加護せよ。木霊、小玉、木魂、我は児玉なり」
短く精神統一して、ついでに旅の疲れと汗を流すため、身を清める。脱衣場へ戻ると、絹が洗濯済みの服を用意してくれていた。
軽く朝食を済ませ、身支度を整える。リビングへ行くと、絹が俺を手招きした。
俺の手首にパワーストーンと数珠が連なった革のブレスレットを巻き付けるとそこに優しく触れ、慣れた口調で祓詞を紡ぐ。
「『諸々の禍事/罪/穢/有らむをば/祓へ給ひ清め給へと/白すことを聞こし召せと/恐み恐みも白す』」
「……行って来る」
「うん。行ってらっしゃい」
4日前に俺を見送ってくれた時のように、絹は「信じてるわ」と結び、俺を送り出してくれた。


___05.八女芙蓉side

当日はいてもたってもいられず、9時半には待ち合わせ場所で初対面となる児玉玄君を待ち侘びていた。
千早に「どんな子?」と訊ねたら「ハンサムな方ですよ」と返された私は、男性の美醜に疎い面があるので内心困っていた。
9時45分に「あの」と声を掛けられた。相手は私と同じ年ぐらいだ。
「お1人ですか? もし宜しければ一緒にお茶でも」
ナンパだったのか。紛らわしいわね。私は何も言わず、にっこり笑う。男は失礼しましたと頭を掻いていずこかへと去って行った。
「すみません」
今度の声掛けは、黒髪が特徴的な、長身でスラリとした大学生ぐらいの男子だった。
さらりとした髪質、白のポロシャツに黒のパンツという出で立ち。全身から清潔感が漂っている。
「児玉玄と言います。八女さんですか?」
誰かに似ていると思ったら、雰囲気が柾さんにそっくりだった。容姿がではない。落ち着いた話し方が、だ。
「えぇ。八女です。今日は来てくれてありがとう!」
「とんでもないです。俺も、杣庄さんには恩があって。それにしても、杣庄さんの関係者は美しい方ばかりですね」
「あら、お上手」
「本心です」
前述の通り、私は美醜に疎いので、「千早が貴方をハンサムだと褒めてたわ」と伝えると、顔を赤らめた。
「歴さんが? 嬉しいです。……ところで今日は、このまま杣庄さんの家へ向かうんですか?」
「えぇ、そのつもりよ。とは言え、アポなし突撃なの。もし居なかったら空振りになるかも。その時はごめんなさいね」
「いえ。寧ろ、アポなし突撃の方が好ましいと俺も思ってました。警戒されて、逃げられても困りますし」
ありがたいことに、玄君とは気が合うみたいだ。このまま調子よく物事が進めばいいのだけど。
たびたび覗かせる弱気を、ヒールのかかとをカツンと鳴らすことで蹴散らしてみせる。
大須観音を通過し、観音通へと踏み込む。大須2丁目から3丁目が『大須商店街』と称される区域だ。
4つの主要な通りがあり、1,200店もの商い場を誇る。その中で、ソマの店兼住居があるのは大須本通。
玄君は友達と一緒に、ソマのお婆様が営んでいる店へ訪れたことがあるらしい。私たちは迷わず目的地へと辿り着くことができた。
ビルと家屋、店舗が混じり合い、独特のアンダーグラウンドを展開している界隈を突き抜けた先に、ソマの家はある。
店は開いているようだった。店先には商い中の札が下がっていたし、誰かまでは判り兼ねたけれどガラス越しに人影が動くのを確認した。
玄君とのアイコンタクトで、訪問するのは自宅の方と決めた。ブザーを押して応答を待つ。現れたのはソマ本人だった。
彼が着ている草木染めのTシャツは、店で買い取った時点で一目惚れしたため自ら購入したという、松葉色のオーガニックコットンだ。
ジーンズも古着屋を通じて手に入れた品だった。ビンテージ物だから値が張ったと彼は言っていた。
この服装から考えるに、さては出掛ける用事でもあったのだろうか。
挨拶も忘れ考察を組み立てていると、当の本人は突然の訪問に虚をつかれたようで、困惑した表情を浮かべる。同時に警戒心を抱いたようだった。
「なんだか珍しい組み合わせだな」
「突然ごめんなさい」
あんな別れ方をしたのだから、神妙な顔つきになってしまうのも仕方ないかなと思う。屈託なく笑うなんて私には出来ない。きっとソマにも。
「いや。この間は悪かったと思ってる。それで、どうしたんだ? 玄と一緒に来たのか、玄とは偶然一緒になったのか」
「一緒に来ました」と玄君。
尋ねられた質問には誠実かつ素直に答えようという姿勢が見受けられ、私はなかなか好青年だと思った。
「へぇ、一緒に。これまたどうして」
口の端はにやりと笑っているかのよう。でも目は嘘をつけない。彼の双眸から窺えるそれ。ソマは笑ってなどいない。
正面から向かい合うと決めてきたのだ。こっちだって退かないんだからね、ソマ。
「あなたの様子がおかしかったから、心配で見に来たの。玄君の力を知ってるわよね? 千早から教えて貰ったのよ」
「千早さんか。なるほど……。すまねぇけど、帰ってくれ」
にべもない言葉だった。ほんのついさっきまでの決意が挫けてしまいそうになる。
「どうして……」
「カウンセリングのつもりだろうが、俺は一切話さないと過去に誓ったんだ。その方針を曲げる気はないね」
いつもよりワントーン低い声だった。玄君はここまでぞんざいな口調で話すソマを知らないのだろう。不安げに私を見つめる。
「過去に誓った? 未来を信じる気はないの?」
「悪夢から解放してくれるのか、八女サン? 出来もしねぇことは口にしちゃいけねぇよ」
「貴方がどんな過去を生きてきたのか知りようがないんじゃ、私だってどうしたらいいのか分からないわ」
「放っといてくれ。あんたには関係ないだろ」
「杣庄さん! さすがに言い過ぎじゃ……」
「いいのよ玄君。あのね、覚えておいて。『あんたには関係ない』。これってS.O.Sサインなの」
「S.O.S?」
玄君が怪訝な表情で私を見た。にこりと微笑む私。
「そう。心の奥底ではこう思ってる。『俺を助けてくれ』」
「あんたなぁっ……!」
カッと頬を赤く染めたソマが1歩前に出る。私はひるまないし、退かない。動じないと決めたもの。
と、何者かが廊下の奥からどかどかと大きな足音が近付いてきたかと思うと、ソマの背中を蹴りつけた。
「玄関先でなに喚いてんだ、てめぇ!」とソマをなじりながら。
ゆるく巻かれた黒髪のポニーテール。敷居の高さを差っ引いても明らかに長身だ。ダークグレーのパンツスーツを見事に穿きこなしている。
唄ちゃんに似ているけれど、どちらかと言えばソマに似た造形だ。そして口調からは想像もつかないけれど、間違いなく女性だった。
「いってぇ……」
床の上で四つん這いになり、痛みに耐えているソマに対し、迫力美女はヤンキー座りをしてソマの顎をクイッと右手人差指で持ち上げる。
「お客様が見えたなら、もれなく応接間にご案内しておもてなしするのが常識だろ。土間で門前払いしやがって。ふざけてんのかてめぇ」
「そのお客様の前で乱暴狼藉を働いてるのは誰なんだっつー話だよ」
「うっせぇよ。なぁ、あなたたち、進のダチ?」
言いながらこの女性、なんとソマの背中にそのまま座ってしまった。
「ばっ……ふざけんな、すぐ降りろ、その尻どかせ!」
ソマの訴えに耳を貸す気もないらしく、にやにやと薄ら笑いを浮かべている彼女は、恐らくソマの親近者だ。思うに――杣庄茨。
「お邪魔しております。同僚の八女芙蓉と申します。杣庄君とはお付き合いさせていただいております」
「ほぉ、あなたが進の彼女さん! 美人過ぎやしないか? で、そちらの美形くんは?」
「こんにちは。児玉玄と言います。大学生です」
「はい、こんにちは。姉の杣庄茨だ。よろしく」
案の定だった。それにしても、苛烈な女性だわ。
「お噂はかねがね……」
「どんな噂だろ? ま、こいつのことだから碌なものじゃないだろうが」
完全にソマを椅子扱いしている。足を組んだその姿勢は完全にリラックスモードだ。
「先ほどはこの馬鹿が失礼した。代わって謝るよ。すまなかった」
「く……っの、どきやがれ!」
渾身の力で起き上がったソマ。椅子を失った茨さんはそのまま立ち上がると今度は壁に寄り掛かる。
「さっき帰ってきたばかりだろ!? 寝てろよ、茨!」
「ノビの容疑者にバンカケしたらあっさり歌ったんでな~。今日は気分がいいんだ」
専門用語の羅列に首を捻っていると、茨さんがそのことに気付き、言い直した。
「住居不法侵入の容疑者に職務質問をしたら、あっさり『とある事件』の犯行を自白したんだ」
茨さんの職業を思い出す。詳しい所属先までは知らないけれど、刑事だった。
「そのご機嫌麗しい最中に、だ。ヤサでぎゃんぎゃん吠えられちゃ構わねぇんだよ、このタコ」
言葉遣いは悪いけれど、言っている内容は至極尤もな話だった。
夜勤明けでお疲れのところに訪問してしまったのは、完全にこちら側の落ち度だ。
常識を優先しなければならなかった。アポを入れるべきだったのだ。
「ごめんなさい、私ったら……」
「あぁ、あたしはあなたに怒ったわけではなくて、一方的に大声を張り上げた進を叱ってるだけだから気にすんな。
それと、別に出直さなくてもいい。つか、なに揉めてたんだ?」
「茨には関係ない」
「進には訊いてねぇんだよ。それに、関係あるかないのかはあたしが判断する。さ、どーぞ?」
促された私は言葉につまる。話してしまった方がいい。それは分かってる。
でも、もし訊ねて、ソマや唄ちゃんのように取り乱すようなことがあったら?
肝の据わった人に見えるけれど、私にはその『万が一』の展開になるのが恐ろしい。
「構わねぇから言ってみ? あ、ちょい待ち。上がんな」
この人……。私が――それこそ――『歌う』ことを確信してるんだわ。
「……分かりました」
あぁ。この人の前では、黙秘し通せるわけがない。


___06

案内された応接間で私たちが来訪したあらましを告げている間、茨さんは口を挟むことなく静聴していた。
ソマは黙って茨さんの横に座っている。こちらもまた、正座を崩す格好で。
私が唄ちゃんにも迷惑を掛けたことを詫びると、茨さんは「ふぅん」とだけ呟いた。
しばらく無言の間が続く。その静寂を打ち破ったのは、ひょっこりと顔を覗かせた唄ちゃんだった。
「お兄ちゃん、店番交替してくれるんじゃなかったの? もう30分も超過して……あっ、ごめんなさい。来客中?」
相手が私と玄君だと気付いた唄ちゃんは、驚いた顔をする。
その顔に悲観的なものは浮かんでいなかったけれど、私はどうしても謝りたい衝動に駆られた。
「唄ちゃん! 先日はごめんなさい」
「芙蓉おねーさま、そんな……。寧ろ、あんなに取り乱したりして、私こそ謝らないといけないなって思ってて……」
「ありがとう、唄ちゃん」
その気配りにじんときてお礼を言うと、唄ちゃんはふるふると首を振り、微笑んだ。
「唄、シンを連れて来な。あんたたちにも同席して貰うよ」
「お店は、お婆ちゃんに任せていい?」
「どうせ誰も来やしねぇよ」
茨さんの言葉に唄ちゃんは肩をすくめ、パタパタとスリッパ音を鳴らしながらいずこかへと去って行った。
『シン』とは、少し前に逮捕された万引き犯の1人息子のことだろう。見受け人が正式に決定するまで杣庄家で預かっているという話だ。
そのシン君が現れた。見ず知らずの大人がいたことで臆したのか、入り口で止まってしまったのを、茨さんが入室するよう手招きする。
黒Tシャツにベージュのカーゴパンツという出で立ちのシン君は、年の離れたソマの実弟に見えなくもない。
「適当に座んな」
促され、ソマの隣りの位置に正座をして待機の姿勢を取る。
やがて唄ちゃんが、急須とお茶受けを載せたお盆を持って入って来た。お茶受けは北海道の名産、三方六。
「お客様からお土産に頂いたの。どうぞ、召し上がって下さい」
そう言うと、慣れた手つきで6等分に切り分けて配膳してくれた。
唄ちゃんも正座したのを確認すると、茨さんは言った。
「昔話をしよう」


___07

「20年前、あたしらと両親の5人は県内某所に住んでた。
子供会の集会の時だったかな。同級生の親がこんな会話をしてきたんだ。『杣庄さん家も大変ね。越してきたばかりなのに』って」
「大変?」
「隣家がゴミ屋敷だったんだ。町内会では常に問題視されててな。特集番組を組むからってテレビクルーが撮影しに来たこともあった。
老婆が1人で暮らしていたんだが、まぁ、これが気の強い御仁でね。どれだけ苦情を入れても物集めをやめようとしなかったんだな。
だがある日、とうとう年貢を納める時がきた。強制執行だ。住民の訴えに、行政がやっと腰をあげて立ち入り調査が入った。
『どいつが先導者だい!?』『俺だ、ババァ!』なんて具合に、当日は相当、揉めに揉めたよ。
トラック数台分に乗せられた品々を見て、ゴミ屋敷の主は打ちひしがれていった。
やれやれ、これでやっと問題が片付いたと思いきや、主は懲りずにゴミを溜めだしてなぁ。またもやお宝の山を築き上げていったとさ!」
「それはまた……やりきれない話ですね」
「だろ? その『町内会に訴えた先導者の男』っつーのは、ゴミ屋敷の斜向かいに家を構えててな?
車庫から車を出す際に、ゴミ屋敷から溢れ出た『壊れた洗濯機』が原因で、愛車のボディをガガガッと削っちまったんだと。
それで腹の虫が治まらなくて発起人になったわけだが、こいつがまぁ、再び累々と積み上げられたゴミを見て、怒る怒る!
行政が介入しても改善しないどころか、悪夢の再来。怒りは沸点に達して、ある日、男はゴミ屋敷に火を点けた」
「……!!」
「昼間だったが、生憎と風が強かった。
火は瞬く間にゴミ屋敷のありとあらゆる物体を舐めるように溶かし、やがて杣庄家にも飛び火――。我が家は類焼した」
「そんな!!」
「命辛々逃げ出した老婆は生きてた。だがもう家にはいられない。何せ全焼だからな。
老婆と杣庄家の5人は公民館を借りて寝泊まりすることになった。
『こんな事件を起こしてしまって申し訳ない。もう品物は集めない』。
今更謝罪されたって、耳に入ってこねぇよな。心にも響かねぇ。突然の出来事に、我が家全員、茫然自失だったんだから。
そんな矢先、事件が起きた。その夜、公民館にくだんの男が入って来た。
『ババァ、まだ生きてやがったのか! もう1度火を点けてやる!』と言い出したそいつを、老婆は『この放火犯め!』と罵った。
しばらく罵り合いが続いて――逆上した男は、持参した刃渡り20cmの包丁を使って、老婆を刺殺した」
「……うそ……」
衝撃の告白を聞いて二の句が出ない私に、茨さんはサラッと続ける。
「本当だ。当時はニュースにもなったんだぜ。この辺の描写はしないから安心しな。話してるこっちも、いい気分じゃないしな。
それに人の興味関心なんざ、新しいネタに上書きされていくもんさ。翌日には人気アイドル密会報道のお陰で報道されなくなったしな」
ここで一端口を閉じると、茨さんはソマや唄ちゃんへと視線を向ける。2人は項垂れていた。
先日のようにうわ言を呟いたりはしなかったけれど、唄ちゃんは静かに涙を流し、ポケットから取り出したハンカチで目元を押さえている。
居た堪れない気分になったけれど、ここまで腹を割って話して貰ったからには最後まで聞き届けたい。
覚悟を決めて茨さんを見ると、再び回想が始まった。
「切っ先は今度、母に突き付けられた。男の目は完全にイッちまってたよ。恐怖に駆られた母は――」
そこで話し手が変わる。驚いたことに、茨さんの言葉を引き継いだのは玄君だった!
「『お願い、やめて、やめて下さい。どうか……! 私じゃなくて、子供たちを……!』」
私は二重の意味で驚いた。
母親が恐怖の中で口走った一言がもし本当にその言葉だったのなら、子供を犠牲にしてまで命乞いをしたのと同じだからだ。
そしてその言葉を紡いだのが杣庄家の誰でもなく玄君だったものだから、余計に混乱せざるを得なかった。
茨さんが目を剥いて呆然としている。「なぜそれを知っている……?」とうめいたことで、玄君の発言が事実なのだと判明した。
「急に……女性の声が、頭の中に流れ込んで来たんだ」
玄君も玄君で、衝撃を食らったみたいだった。よろめきながら立ち上がった玄君は、ソマに近付くなり、手首を掴んだ。
「そう、これだ! これが教えてくれたんだ」
「な、なんだ……!?」
戸惑いの色を隠せないソマは、玄君の視線が己の手首にあることに気付いた。パワーストーンと数珠が連なったブレスレットに。
「この家に来てから、石が呼んでる気配を感じてたんだ。これだったのか……」
千早が言っていたのは、この風変わりな能力のことね。
私とソマは事前に知っていたから話についていけたけど、茨さんや唄ちゃん、シン君はぽかんと口を開け、呆けていた。
玄君は間髪入れずにはっきりと言った。
「3人にお話しがあります。あなた方の母親は、決してあなた達を見捨てたわけじゃない! 完全な誤解なんです」
「な……なに言ってんだ、玄?」
「玄くん、ウタに気を遣わなくていいよ……?」
戸惑うソマと唄ちゃん。一方で、茨さんは目尻を上げた。
「やいやい、どういう意味でぇ!? 
あいつは……あの血も涙もない母親はなぁ、『どうか私じゃなくて子供を』って、こう言ったんだ! 何がどう違う!?
母は辛うじて生きてる。切っ先は心臓から離れた位置だったからな。そのお陰で一命を取り留めた。とは言え、重症で寝たきりだが。
事件後、あたしらが一緒に暮らすのを拒んだんだ! 誰が子供を売るような母親と一緒に居たいと思う!? そうだろ!?」
茨さんが明かした杣庄家の背景、そして現状に、玄君は顔を強張らせる。
「……そういう事でしたか」
茨さんと対峙し、ふーーーと深く息を吐く。頼もしいことに、既に玄君は、柾さん譲りの冷静さを取り戻していた。
「どうかあなたたちに、今から俺が言うことに耳を傾けて頂きたい。真実はこうです。
『お願い、やめて、やめて下さい。どうか……! 〝あなた……、私じゃなくて、子供たちを……先に逃がしてあげて”」
「あなた、私じゃなくて子供たちを先に逃がしてあげて……?」
思いもよらなかったのだろう。ソマは呆然としている。
「呼び掛けてる『あなた』ってのは……俺らの親父のことか?」
「そうです」
「そんな……馬鹿な! あた……あたしはてっきり……『子供たちを狙え』って言ったとばかり……。……う、嘘だろ?」
「本当です。信じて下さい。お母様は恐怖で声が震えていた。当然言葉だって、全てをはっきり言えたわけではない。
お母様の声があまりに小さかったが故に、届かなかったんです。あなた方には聞こえなかった」
「あ……」
心当たりがあったのか、唄ちゃんが口元を押さえる。
「確かにね? 言われてみれば……お母さんあの時……がちがち歯を鳴らしてた……。そうだよね、お姉ちゃん? お兄ちゃん?」
「……あぁ……」
「だな……」
「あなたたちに届かなかった言葉こそ、最も重要で、尚且つ肝心な文言だった。だからこそ俺は、この真実を受け取って貰いたいんです」
「し、玄……。おい、本当か……?」
ソマは震える声で念を押す。玄君は静かに首肯した。そして再び茨さんに尋ねた。
「事件の後、お母様は否定なさらなかったんですか? 『あなた方を先に狙って』なんて、一言も言っていないと?」
「あぁ、何度も否定してたよ。だがあたしらは猜疑心に苛まれちまって、到底母の言い分を信じる事が出来なかった」
「……どうしよう……。私、お母さんに捨てられたんだと思って……何度も何度もお母さんにひどい事言っちゃった……」
「唄、それを言うならあたしも同罪だ。進だってそう思ってる。今は、取り敢えず今は、しっかり気を持て」
嗚咽を漏らしながらも、唄ちゃんはこくこくと頷く。
「それともう一つ。不躾な質問で恐縮ですが、お父様は御存命ですね?」
玄君にまっすぐ見つめられ、茨さんはぐっと顔を歪めた。
「あぁ。生きてる。
犯人は母を刺すと、すぐに包丁を抜いて身構えた。怒った父は走った。相手のパーソナルゾーンまで距離を詰めると、手首を狙って蹴り上げた。
包丁は転がり……捨て身覚悟で突進して来た男の太ももを、拾ったそれで刺した。正当防衛が認められ、犯罪不成立で刑期0年、無罪釈放だった。
とはいえ、もうそこには住めなかった。逃げるようにして出て行ったよ。親父はいま県外で寝たきりの母親と2人で暮らししてる。
あたしたちは祖母が住まうこの大須に身を寄せるしかなかった……」
あぁ、なんてこと……。何から何まで驚くことだらけだった。
これだけのものを、3人はずっと、こっそり抱え続けてきたと言うの?
先日放火のニュースを聞いて取り乱したのも、事件を思い出してしまったから?
「ねぇ、ソマ。迎えに行きましょう」
私の口からは、自然とそんな言葉が漏れていた。
「……八女サン?」
「ソマのご両親は身を挺して庇ってくれたのよね? 近い内に……呼び寄せて……家族と一緒に暮らせたらいいなと思って」
ソマは無言だった。
相手は正当防衛とは言え、人を傷付けた過去を持つ父親と、誤解の所為で離れて暮らすしか道がなかった母親である。
真実が詳らかになったとは言え未だ混乱中で、すぐには『1つ屋根の下で暮らそう』などと思えないかもしれない。
或いは、今まで信じて疑わなかった母親の痛烈な言葉が、真実と真逆だったことを受け入れるだけで精一杯なのか。
「ふえぇぇ。玄くんありがとう。ほんとに、ほんとに、ほんとに、ありがとうっ!」
唄ちゃんはお礼のハグを玄君にしたまま泣き続け、茨さんはやりきれない現実の到来を前に、深い溜息をつく。
それでも場は少しずつ正常さを取り戻しているように思えた。
「おい、シンはどうした?」と、茨さんが気付くまでは。
皆が一斉に部屋を見渡すも、シン君の姿はどこにもない。
まずは茨さんが駆け出し、次にソマ、玄君。私と唄ちゃんも後を追った。
「シン!」
彼がいたのは玄関から出た数十メートル先の道路だった。
じたばたと暴れるシン君の襟首を背後から掴んだ茨さんは「大人しくしろ!」と一喝し、「なぜ急に出て行った!? 心配するだろ!」と叱る。
途端、シン君の顔がへにゃっと崩れ、泣き顔になった。
「嘘付き! 茨さんは嘘付きだっ! 僕と同じだと思ってたのに! 母親が実は味方だったとか、なんだよそれっ、ふざけるな!」
「シンっ」
「どうせ僕だけボッチだよ! 母親から見捨てられたのは、僕ぐらいなもんだっ。なんだよ、なんであんな話聞かせたんだよっ。自慢か!?」
「あたしはシンを裏切ってない。自慢してもいない。そもそも、こうなるなんて思ってもみなかった。こんな展開が待ってるなんて……。
あたしはシンにも真実を知って貰おうと思ったんだ。家族一員のように。ただそれだけだ」
うぅ~とうめくように泣く。孤独に耐えられず、不安が押し寄せたに違いない。
「シン君。つまり茨さんはね、こう言いたかったんだ。『何でも一緒に』って」
「シン君も、1人じゃないのよ」
玄君の後、私も言葉を添える。瞳を潤ませた少年は、茨さんの胸に飛び込んだ。


___08

帰り道、私と玄君は名古屋駅地下にあるカフェに入店した。
テーブルいっぱいに何種類ものスイーツを並べたのは、無性に食べたくなったからだ。それほどへとへとだった。
一番甘そうなチョコレートのデザートを食べる私も、ソイラテを飲む玄君も、しばらくは無言だった。
やがて、どちらともなくほぼ同時に、「はぁ~~~~~~」という、深くて長い溜息をついた。
「……お疲れさまでした、八女さん」
「玄君も。お疲れさま」
私たちはお互い持ち上げたコップをコツンと鳴らし合う形で祝杯をあげた。改めて目の前の人物に御礼を言う。
「玄君、本当にありがとう。何もかもあなたのお陰よ」
「そんな。お礼を言うのは俺の方です。
冬の頃から杣庄さんが助けを求めてるんだって気付いてたのに、俺なんかが力になれるのかなって不安で、何も出来なかった。
今回こうして八女さんが声を掛けてくれたお陰ですよ。歴さんにも感謝しないといけないですね」
弱々しい笑みを浮かべる玄君は、己の不甲斐なさを嘆いているかのようだった。
「ものごとにはタイミングというものがあるのよ。それが丁度いま重なっただけ。玄君が深く考えることないわ」
「……気を遣ってくださって、ありがとうございます」
「あら、本当よ? それに結果オーライだったじゃないの。ね!」
はい、終わり! とばかりにピーチタルトをフォークで一口サイズに切ると、玄君の口の前へ運ぶ。
「はい、あーん」
え、と一瞬固まるのが分かった。でもそこは私に恥をかかせてはいけないと思ったのか、素直に食べてくれた。
「美味しいです」
「よしよし」
「……惨劇の発端となったのは放火です。
包丁は、目の前で老婆と母親を刺した忌むべき媒体ではありますけど、その包丁のお陰で彼らは助かってもいるんです」
「父親が正当防衛を成功させていなかったら、一家皆殺しという結末もあり得たものね」
その光景を考えるだに恐ろしい。
「そもそも包丁が苦手ならば、杣庄さんはユナイソンで鮮魚売り場を希望したりはしなかったはずです」
「そうよね。言われてみれば確かに」
「『火事』と『放火』は全くの別物です。八女さんの話を聞くに、杣庄さんたちが反応を示したのは、後者でした」
これにて一件落着、とばかりに私たちは再度「ふぅ」と息を吐いた。心なし、タルトはいつもより甘く、いつもより優しい味がした。


2013.08.01
2026.05.04

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