つづりがき

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2017年01月31日
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28章。ソクラテスはいきなりこう始める。動きというのは2種類あると思う。場所の移動を意味する「運動」と、年を取るとか変色するとかいった「変化」とだ、という。
いやいや、ダメでしょ。
あなた最初にテアイテトスにどう言った?
知識とは何か、って質問に、「知識には学問もあれば靴作りの技術もある」という答をしたら、それじゃダメだと言ったじゃないか。
ヘラクレイトスの徒が言う「動きとは何か」をまず語らなきゃいけない時に、運動と変化の2種類があると言い出すのは、テアイテトスに禁じたことを自分はやっていることにならないか?
そもそも2種類に分けたが、知らないそれ以外もあるかもしれないし、こんな勝手な区切りかたでよいのかという疑問が多く生じる。
ソクラテスもここは強引に持っていくのだ。「もっとも、これはただ私にそう思われるというだけではいけないのです。あなたも一緒に私の見方へ仲間入りをしてくださらなければいけません」と。
これは議論どころではないなあ。

彼らが「万物は動く」という場合、運動と変化、片方の仕方で動くのかねえ、それとも両方なのかねえ、という。どっちもじゃないかと思うんだけど、という。テオドロスはそうだねという。それに応じて、ものが動くと同時に変化するということは、たとえば「白いもの」が「白い」を保ったままでいるということはないはずだ、という。

そして、じゃあ感覚はどうでしょう、と話す。
「見る」とか「聞く」という時の感覚も運動し変化する。これもとどまっていやしないものではないか、と。
で、テアイテトスの最初の主張を持ち出して、「感覚は知識である」と言っていたけれども、何が知識であるかという最初の疑問に対して、それが知識であったのか、それとも知識ならぬものであったのか、ということはどっちがどっちと決められないことになってしまうというのである。
まあ、万物が流転するなら、知識だって流転するだろうよ。運動し変化するだろうよ。つまり、つかみどころがないものなんだ、と言ってるに等しいのだよなあ。
で、結局流転主義者にとっては「そうだ」と言っても「そうではない」と言っても変わりがない。そもそも「そうだ」とか「そうではない」とかいうのは彼らの語彙では想定できないことで、せいぜい「どうということもない」といった表現しかできない。

だからプロタゴラスのいう「万物の尺度は人間である」は承認できない、というのである。
まあ、なんつうか、流転主義者は尺度というものを放棄している禅問答者だか相手にしなけりゃいいだけじゃないの、と思うんだよなあ。

知識とは感覚である、というテアイテトスの説は、「万物が動く」という道をたどる限りにおいては、承認できない、とソクラテスは重ねる。
テオドロスはようやくほっとする
これでお役御免だ、プロタゴラス説に関する話が終わるまで付き合うことになっていたから、と。
ところがもう少し続くんじゃ、というのが29章。





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最終更新日  2017年02月01日 02時02分58秒
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