トロイメライ

母子おかりな


《トロイメライ》


金曜日の午後、出張の仕事も一段落付いて、横浜は「みなとみらい21」の「ランドマーク・タワー」の
真ん中あたりを散策していたら、一番下のフロアの真ん中のスペースの隅に置いてあるグランド・ピアノに
歩み寄ってきて、ピアノの鍵を開けて、ふたを開けているピンクの袖なしのワンピースの、どちらかと
いえば卵型の顔の20代後半と想われる女性が眼につきました。

それらの一連の姿、振る舞いが、川の流れのようになめらかで、どことなく洗練された気品の良さが感じ
られるのです。

「ああ、これから演奏がはじまるのだな」と想って、まだ時間の余裕があったので、しばらくピアノ演奏を
聴かせてもらおうと想い、ピアノから15mくらいはなれたところのテーブルの椅子に腰かけました。

おもむろに弾き始めたピアノの音色がそよ風のようにソフトで、聴く人の気持ちをやわらげてくれます。
曲目もショパンの夜想曲にトロイメライ、乙女の祈り、と続き、こんな方にオカリナの伴奏をして
もらったら素敵だろうな、パッヘルベルのカノンが聴きたいな、と想っていたら、早速カノンが始まったり
で、だんだん嬉しくなってきました。

1曲終わる毎に、何人かの聴いている人達と一緒に拍手を送りますと、それににっこりと応えて、
メンデルスゾーンの「歌の翼に乗りて」を弾いて下さいます。
次から次へと流れるように数分くらいの曲を、小一時間弾き終わると、また気品のある動きで、ピアノを
しまい始められたので、私もおもむろに、その場を後にしました。
何となく二言三言、言葉を交わしたい衝動にかられましたが、でも、そうするとせっかくの満ち足りた
気分が壊れそうにも想って、そっとお辞儀をして、彼女の横を、そのまま後を振り返らないようにして、
ゆっくり歩き始めました。

言葉を交わさないでかえって良かったな、と想いながら、満ち足りた気分になって、少しはなれた所に
来ると、美味しそうなイングリッシュ・マフィンのお店、”Mrs. Elizabeth’s Muffin”の前に出てきま
した。そこでシューマフィンがとても美味しそうにみえましたので、シューマフィンとコーヒーを飲みたく
なりました。

「シューマフィンとホット・コーヒーをお願いします。」
「こちらでお召し上がりですか?」
「はい。」
「ここでお召し上がりのお方には、コーヒーはサービス致します。」

と言われるので、ひょっとして美味しくないコーヒーかも、と一瞬警戒したのですが、160円のシュー
マフィンに良く似合う、なかなか美味しい素敵なコーヒーでした。
するとそこに、さっきまでピアノ演奏しておられたピンクの袖無しのワンピースのあの女性が入って来られる
ではありませんか!

彼女はおもむろに斜め向かいの席に座って、マフィンとコーヒーを口にしながら、手帳でご自分の予定を
確認し始めておられます。
映画や小説に出てくる運命の再会とは、こんなふうに始まるのかな、と想いながらも、しばらくはなるべく
視線が合わないように努力していたのですが、どうしても視線が避けられなくなって、眼と眼が合って
しまったのです。

「さっきはどうも。」とおっしゃる彼女に「ほんとにお上手ですね。」と応える私。

たったそれだけしか言葉が交わせられませんでしたが、ちょっとはにかんだ仕草で、彼女のほうが先に
お店を
出られました。ひょっとして、このお店のマフィンが美味しくて、マフィンによく似合うコーヒーが
サービスで出ることを知っておられて、いつもピアノ演奏のあとは、このお店でひと息ついてゆかれるのかな。

彼女の品の良さと、なめらかなピアノを想い出しながら、まだ耳元を離れないトロイメライにひたって、
マフィンの最後のひと口とコーヒーを飲み込んで、その店を後にしました。



おれんじおかりな
・・ オカリナRing ・・


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