ある病院から


『今ボランテイアの登録と行事予定の計画をしているところなのですが、岡梨奈さんは,登録なさいますか?』

岐阜市街からちょっと離れた病院の婦長さんからのお電話です。
そういえば去年も登録の案内の郵便が来て、
―今後、ボランテイアをされる予定のお方は、必ず登録をしてください―
と書かれていました。

私自身、ボランテイア以上の意味付けをして、その病院での演奏を、すでに5回していましたので、どうしてわざわざ『登録しなければボランテイア演奏は出来なくなります』と言われなければならないのか?という複雑な気持ちになってしまいました。
婦長さんが代わってから、何となくよそよそしさを感じることもあって、心からコンサートを歓迎してくださっているのか、理解に苦しむム-ドが感じられるのです。
今までと同じようにコンサ-トをしていても、患者さん達と看護婦さんお一人だけ。
今までは関係のないスタッフの方々や、患者さん達が集まってきてくださったこともあったのに..............

昨年のコンサートを最後に、もうこの病院でのコンサートはやめよう、最後のコンサートとなると、『これぞ岡梨奈孝至のコンサート』と胸の張れる、自分に出来る最高の音楽性の高いコンサートをしたい、と決心したのです。

そのコンサートに際し、もちろんピアノは調律し直していただき、病院に近在のピアノをよくなさる方を、伴奏者としてご紹介いただきました。
音合わせもいつも以上に入念にして、プログラムも工夫して行ないました。
第1回目から、ずっとお手伝いいただいているボランテイアのおばさんとは、『お久しぶりですね。こちらでコンサートをしていただくようになって、もう何年になりますかね。』
『そういえば,前の婦長さんの時など、春と秋にコンサートをさせていただいていましたね。』
などと、何気ない会話のなかに、とても温かみが伝わってくる会話をしながらの準備で、そのコンサートは無事、終了しました。

もうこれがこの病院での最後のコンサートなんだ、と想うと,私自身とても感ずるところの多い病院コンサートであっただけに、寂しさと、私の気持ちがいつのまにか伝わらなくなっていった哀しみが、込み上げてくるのです。

こんなコンサートもありました。
私が演奏を開始すると、いろんな職種のスタッフの方が,次々と集まってこられ、勤務時間中にもかかわらず,一時病院の機能が停止するのではないか?と心配になったほどです。
ところが,最後のコンサートでは、『どうぞ勝手にやっておいてください。』と言われているように感じてしまうのです。
スタッフは、今は懐かしい年老いたボランテアのおばさんひとりと、患者さんのお世話に必要な看護婦さんひとりだけ。
他は誰一人聴きにきてくださいません。

こうして何度かの感動的なコンサートの想い出を、そっと大切にしまって、その病院から私の心がはなれていったのです。








そしてこのお電話をいただいたのです。

『私は出来ればまた、そちらの病院でコンサートが出来ると嬉しいですが、《ボランテイア登録をしないとコンサートをしていただけない》、というのでしたら、去年のコンサートを最後に、もう終わりにしよう、自分に出来る最高の音楽性の質の高いコンサートを、という想いを込めて、昨年コンサートをさせていただいたのです。

私はそちらの病院でのコンサートは、ボランテイア・コンサートとは想っていないのです。
何か私に課せられた大きな大切な仕事、このために生を受けたのではないか、と想うほどの気持ちで、コンサートをさせていただく大きな喜びを感じていたのです。』

いろんな病院でコンサートをさせていただきますと、『やりたければやらせてやる』というのはまだましも、『しろうとさんはお断り』、と言葉少なに冷たくことわられたことも、一度ならず経験してから、少し距離を置くようになったのも事実です。

ボランテイアコンサートって何なのでしょうか?

私のオカリナを聴いて、涙を流して下さった方々と共感出来た喜び。これに勝る報いはないのです。








『またお願いしたら、コンサートをしていただけるでしょうか?』
『そりゃあ喜んでさせていただきます。そちらの病院でのコンサートは、ボランテイア以上の深い思い入れをもって、ずっとさせていただいてきたことに感謝しています。』
『じゃあ、ボランテイア登録なさらなくても、またお願いしますわね。』
『ええ喜んでさせていただきます。少しでもよいコンサ-トにしたいですので、出来ましたら時間的に余裕をもって、予定を組んでいただければありがたいです。』









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