のんきにお茶でも飲みながら

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2018年09月07日
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​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​ブログの日付は9月7日だが、もう少し後日に、遡って書いている。
災害が続いてなかなか観劇ブログを書く気持ちになれず。
かといって、キャッツを観劇したのはだいぶ前。
忘れないうちに、書いておきましょう。

待ちに待ったキャッツ!!


8月の、公演開始からそんなに間を開けず観劇した。席はあまりよくなかったが、この世界観にひたれるのがいい。
大井町にできたキャッツシアター。


いやぁ、暑い日だったわ(^^;)でも青空が大好き。
お向かいでは、「ライオンキング」をやっている。
あの、浜松町の四季劇場はもうないのだと思うと一抹の寂しさがよぎる。



知っているキャストは、ジェリーロラム=グリドルボーンの 岡村美南さん くらいかあな、ウィキッドのエルファバの時に彼女を観た。


ジェリーロラム=グリドルボーン は一番好きな役。(←カーテンコールでジェリーロラムが尻尾だけグリドルボーンなのが好き。)落ちぶれた 芝居猫ガス を紹介するちょっぴり哀愁溢れる歌をジェリーロラムが歌う。そして一転して劇中歌、ガスが演じるグロールタイガーを誘惑してだます、 ​白猫グリドルボーン​ に早変わり!そしてグロールタイガーが劇中で力尽きると、また現実に戻る。
その一瞬の早変わりときたら!
また、最初の切ないメロディー、今度はガスが歌う。 それをそっと後で見守るジェリーロラム
去って行くガスに寄り添い、愛おしそうに顔をすりつける号泣

ああああああああああああああああっ。 (←めっちゃ好きの表現。)

人生のわびさび を感じさせる曲まで。ダンスミュージカルで、物語は単なる猫紹介なんだけど、なんだか深いのだ。
私は、ここでいつも心臓を鷲掴みにされる。
そしてラストの グリザベラのメモリー で涙を流してしまうのだ。

グリザベラは 木村智秋
綺麗なグリザベラ。ラストのメモリー、サビの迫力。席が端なので横顔を観ていたが、十分その迫力が伝わる。迫力というと語弊があるかも。 悲しみのエネルギー といえばいいだろうか。
グリザベラが歌い終わった時、でも、誰もまだ、目を合わせてくれない。自分に触れてくれない。
肩を落として去って行こうとした時、真っ白い子猫が、そっとグリザベラの手を取る。
おそらく、グリザベラは一瞬なんのことだか分からなかっただろう。
振り向けば、純真無垢な子猫が自分の手を取っている。
やがて、他の猫達も彼女に触れ、迎え入れ、彼女をジェリクルキャッツとして天上へ送るのだ。

ああああああああああああああああっ。 (←再びめっちゃ好きの表現。)

ふう。興奮してしまった。
そうそう、観劇していて、あれ?違うぞ?と思ったことが2点。
​(その1)​
泥棒猫カップルの歌が違う!!(←ランペルティーザのところ)
​(その2)​
・・・お前、誰?(←笑)

ということで、慌てて幕間にパンフレットを買いに行った。
やはり私の記憶は間違っていなかった。
(その1)は、曲調が変わっていた。昔のマイナーコードの方が馴染みがあるので、ちょっと違和感。
(その2)は、犬のケンカを仲裁する猫なのだが、お前誰???である。どうも、私が初めてキャッツを観た時には、すでになかったシーンらしい。それが復活したそうだ。へ~。

そうそう、パンフレットを買って客席に戻ると、ステージ上にお客さんが!
なんと、 舞台上見学ツアー のようなものをやっていた!
マジか!
舞台汚れないのか。ただでさえキャスト四つん這いなのに。最後モップでふいたのかな。人がいっぱいで分からなかったけど。
うんと昔、幕間にオールドデュトロノミーが残って舞台に並んだお客さんにサインしていたっけ・・・。(←今考えるとそれもすごい。)
今回、もちろん、せっかくの機会なので行ったさ(笑)別に舞台上の小道具が見たかったのではない。
舞台に立ち客席に向かい・・・
(心の中で)「め~もり~♪」(←気持ちはグリザベラ。)
帝劇などなら、「いつかこの舞台に立ってやる!」と思うのだけど、キャッツシアターだと、
「いやいやいやいや無理ですやん、舞台立てませんがな、ってか、そもそも四つん這いですわ!」
とまったく無意味ななんちゃって関西弁で自分に突っ込みを入れる。

やりたい役なら、もちろんジェリーロラム=グリドルボーンだ。
その次がグリザベラ。(←踊らないから。)
と、キャッツの観劇ブログを書くたびに書いている気がする。

つい最近、週刊文春に劇団四季のパワハラ記事が載ったそうだ。
読んでいないが。
スポーツ界にパワハラの嵐が吹いている。しかし、その定義があいまいになってきている気がする。
感情に流されて確かな根拠もないままにメディアやネット上の無責任な言葉が拡散されているように感じる。
一時代を作った浅利慶太氏も亡くなった。色々批判される向きもあったが、功績は非常に大きいと思う。
その浅利氏、それから名演出家故蜷川幸雄氏も、その稽古の苛烈さは有名だった。
暴力は、身体的暴力も精神的暴力も許されるものではない。
しかし、故蜷川氏に対しては、さんざんどやされた役者が涙で感謝していたのは、一体何故だろう。
難しい問題だと思う。憎んでいる役者もいたかもしれないし。
一概に言えない。厳しさを通りぬけないと一流になれないのも確かだ。
演劇など個性と個性のぶつかり合いの世界。なれ合いの舞台など観たくない。それでも、心身共に健康じゃないとね・・・。真実は分からない。週刊誌が書くことがすべて正しいと思っていないので。
ただ、お金を払って観に行くお客としては、素晴らしい舞台を作るのがプロ。
だから、これからもいい舞台を観たい。

​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​





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最終更新日  2018年09月10日 09時27分41秒
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