ボクの音盤武者修行

ボクの音盤武者修行

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

アマオケ大好き

アマオケ大好き

2007年06月27日
XML
カテゴリ: 文学
 前回、踊り手の心情がわからないのは作者が踊らないから云々と書いたので、これを読んだ方は「あれっ」と思われたかも知れない。川端作品には所謂「踊り子もの」というべきカテゴリがある。有名な「伊豆の踊り子」もそうだし、前回の「舞姫」も、今回の「花のワルツ」、さらにレビューの踊り子たちを描いた「浅草紅団」など。なかには快活に踊る踊り手の高揚感がきちんと描かれているものもある。
 前回の「舞姫」は踊り手である必然を感じない物語だったが、今回の「花のワルツ」はバレリーナ、それも踊ることに取り憑かれたバレリーナが登場する。

 物語は竹内舞踏研究所の発表会から始まる。チャイコフスキイの「花のワルツ」を踊り終えた二人の花形バレリーナ星枝と鈴子。だが天才肌の星枝は何かが気に入らなく「一生踊らないわ」などと鈴子を困らせながらも、アンコールで再び舞台に立つと、すっと踊りきってしまう。これに鈴子は踊らないと言ってたくせにと逆に怒る。この辺りなんだか少女小説っぽいが、舞台裏を覗いているようなリアル感があるのは川端の筆力なのだろうか。

 こうして鈴子と星枝を中心に物語は、渡欧留学していた期待の星南条の帰朝を契機に、踊ること(=芸術)の恐ろしさや孤独、悲しみなどを語っていく。また踊り手の高揚した気分もうまく描写されていて、これを読んで踊りを習いたくなる子がいるんじゃないだろうか。
 ただ、リョウマチを患い踊りどころか歩くのさえ不自由になっていた南条が星枝の踊る姿に感動し一緒に踊りだしてしまうシーンは、川端の芸術礼賛とも思われるが、星枝の天才ぶりを表現するためだとしたらちょっとやり過ぎかもしれない。(とノーベル文学賞作家にケチをつけてしまった)

 さて、天才でありながら気難しくついには踊ることを止めてしまう星枝に、私は亡き指揮者カルロス・クライバー(昭5~平16)を重ねながら読んだ。
 カルロスは天才と言われながらも完璧主義なのか気に入らないことがあると平気で本番をキャンセルしてしまう(82年のウィーンフィルとの「テレーズ事件」が有名)、お騒がせな人だった。が、一度振り出すとたちまち会場は彼の魔術にかかってしまい、彼の音楽に酔ってしまう。
 それは空を翔るような軽やかなスピード感と、しなやかで力みの無い一筆書きのようなカンタービレ、絶えず沸き起こる生気溢れる演奏だった。レパートリーは極めて限られていたが、一度その魔術にかかると何度でも聴きたくなるのか、彼のチケットは高額で常に売り切れ状態だった。

 このように彼は生前からすでに伝説となってしまったのだが、その最良の形はウィーンフィルとの1989年ニューイヤーコンサートだと思う。決してシリアスな作品ではないJ.シュトラウスのワルツやポルカでのしなかやかさ、リズムの軽やかさ、漂うような夢見るような無重力感から一転してリズミックな場面へ移る転換の早さ。これはもはや曲芸に近いと思う。他のどの指揮者からもこんな演奏は聴けないし、ウィーンフィルだってやらないだろう。彼だからこそできたのだ。彼の残した録音はライブでの凄さの何分の一しか伝えていないだろうが、一度は聴いておきたい。


 ところで星枝がなぜ踊りをやめたのかというと、


「こんなことをしていたら、なんだか自分がちがったものになって行きそうで、こわいからですわ。踊っていると、つい真剣になっちゃって、そのあとが寂しいのよ。」


 晩年のカルロスも同様に「自分を無くすような寂しさ」を感じていたのだろうか。


89年のニューイヤーコンサートのDVD。最上の演奏です。


92年にニューイヤー再登場したときのDVD。上の演奏より勢いが無くなった分、エレガントになったとの評あり。


カルロスはやっぱりオペラ!最高のR.シュトラウス「ばらの騎士」。70年代の勢いと煌くような美しい音色に酔いませう。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2007年06月28日 02時02分41秒
コメント(0) | コメントを書く
[文学] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: