海洋冒険小説の家

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甲比丹助左衛門の冒険、天正七年の夏

甲比丹助左衛門の冒険
「天正七年の夏」

 序章 甲比丹助左衛門、海賊船と出会う

 (1)

 南海丸は南からの季節風に乗って軽快に波をかきわけ進んでいた。今は大湾(台湾)の東の沖を走っている。このまま真っ直ぐに行けば琉球の那覇の港に七日後には着くだろう。
 助左衛門は、シャム(タイ国)のアユタヤ、コーチ(ベトナム)のフェフォ、ルソン(フィリピン)などの各地の交易で得た貨物で、七つの船倉が膨れ上がったわが船を見、船尾の「堺 南海丸」の船尾旗を見ながら、心地よい風を頬に受けて、ひとりでに顔がほころんできた。
 歳は三十の半ば、無精髭が伸びてきてはいるが、精悍でひきしまった顔立ち、二重まぶたの眼に輝きがあった。髪は後ろで無造作に束ねてくくってある。背は五尺七寸(約171センチ)ほど、袖のゆったりした、元は白い麻地であったろうが毎日の生活で色が黒ずんだ小素襖(こすおう)を着て、その袖が風にパタパタと揺れていた。下は緑色の、これもゆったりしたカルサン(ポルトガル風ズボン)をはいている。足は裸足だった。
 この自分の船、南海丸は船長十四丈五尺(約43.5m)、船幅三丈八尺(約11.4m)船高は五丈五尺(約16.5m)ある。土佐中村の腕の良い船大工たちに艤装や塗装をさせたのだが、助左衛門は琉球船や唐船(中国船)のように色を塗らせた。
 船体を黒く塗り、縁取りは紅色で縦にも筋を入れ、砲門は白色で四角い太線で囲ませた。船首に大きな鯨の眼を描かせ船尾には勢いよくはねあがった尻尾を描かせた。帆柱も黒で統一し、船全体の印象は精悍な鯨を感じさせた。唐船は鳥船とも言われて、大きな眼が特徴の、本来は鳥のイメージなのだが、助左衛門は鯨にしたのだ。その戦闘能力を知る者は、おそらく、獰猛な虎を思い出させたであろう。大砲(おおづつ、大筒)二十四挺を載せたこの三層甲板の大船は、ジャンクを改造したもので、明国や朝鮮国の軍船やポルトガル船にとっても、恐るべき船なのだ。今は張れるだけの帆を張って、美しくしなやかに、かつ飛ぶように波をかきわけ進んでいる。




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