海洋冒険小説の家

海洋冒険小説の家

(5)みつけられてしまった。

  (5)

 「助左衛門殿でござるか?。拙者、安土の城から参り申した。安土奉行・菅谷九衛門(すがや・きゅうえもん)の家来、大野孫兵衛にござる。お館様よりの書状を持参いたした」
 うーん、やはり来たか。それにしても来るのが早いな、きのう権大納言殿と、来るでぇと話しとったところや。
 「返事は書状にてお願いいたす」
 たたみかけるように言う。
 まだ、読んでへんちゅうのに。
 首をふって、返事のかわりにしながら、書状を読んだ。口の中はまだ饅頭が残っている。

 海賊衆との合戦の事、御高名申すばかりなく候、御話聞きたく存じ候、安土の新しき天主にて待ち候、御返事使いの者に申し入るべく候、かしく
 五月十一日  
 甲比丹助左衛門殿           押判(天下布武)

 おそらく、この文は、右筆(注1)が書いたもので、信長殿が目を通して判を押したものであろう。
 それにしても、かしく、と書かせたのは何故なのか。えらい親しげだ。それに甲比丹と宛名に書いてある。しかし、最後に「天下布武」では、結局、誰がお前の主人やねん、ということを、明らかにしたものだ。これは気ぃ付けなあかん。いらちで、せっかちという噂の信長殿だから、明後日などと言っても聞いてはくれないだろう。明日にでも行かねば機嫌を損ねることになりかねない。
 瀧が紙と筆、墨をどこからか調達してきて、助左衛門に手渡した。
 それで、

 御文有難く拝見つかまつり候、明日未の刻(注2)に参上いたし、お目に懸かる所存にて候、有難き事にて候、恐惶謹言 
  五月十一日               荒木助左衛門、花押
 前右大臣右近衛大将殿

 と書いた。
 家臣でもない堺の商人が、今をときめく畿内、堺を含む十数か国の領主に書状を出すのに一番困るのは宛名の肩書である。家臣であれば御殿とか上様、御館様で通用するのであろうが、商人であればそういう風にも書けないし、結局、朝廷よりの叙任の官位を書くことになる。昨年、すなわち天正六年の、いつだったか、全ての官職を辞任とゆうか返上したので、前(さきの)と書かざるをえないのだ。助左衛門が、これで良いかどうか、瀧に見せると、
 「うーん」
 とうなり、
 「風日庵様と相談しはったら?」
 しかし、菅谷九右衛門の家来がじっとこちらをうかがっていて、なにやら胡散臭いようなので、
 「まあ、間違ったこと書いてあるわけでなし、これでいくか」
 瀧に言って、別紙に宛名と自分の名前を書き、書状を包んで、その痩せた目の細い家来に手渡した。
 「では、明日(みょうにち)未の刻に参上つかまつる、とお伝え下され」 大野孫兵衛は書状をなめるように調べ確かめ、
 「それでは失礼いたす、御免」
 あたふたと走り去った。助左衛門は、今から安土まで帰るとして何ん刻になるんだろうか、と考えながら、もう明日の用意することが頭の中をかけめぐり始めた。
                  (続く)
[注1=ゆうひつ、秘書、注2=ひつじのこく、午後2時]




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