海洋冒険小説の家

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第六章 助左衛門、陰陽師に会いに行く

  第六章 助左衛門、陰陽師に会いに行く

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 五月十三日に安土から帰ってきてから、瀧は、さわ殿やらん殿と一緒になって、堺中の縫い物師を集め、南海屋の広間、座敷、使える場所は全部使って、衣装と髷などの新しいファッションづくりを始めた。舞台では衣装を着て、踊りを取り入れたショーにするため、琉球の歌舞団とまず交渉し契約した。そして丁度、堺にやってきて評判になっている、日本でいうところの天竺(インド)、ポルトガルの言葉でインディアの歌舞団の音楽を取り入れようと、このインディア歌舞団と早速交渉し、安土行きを承知させた。とにかく天竺という言葉はいかにも古い、これからはインディアでいこうと、」それからというもの、南海屋の屋敷の中では、朝から夕方まで、インディア音楽が流れ、琉球の蛇皮線が弾かれた。
 また、堺の若い踊り手によって、瀧ほか、堺の舞や踊りの師匠たちの指導の下、近くの寺の本堂で綿密なリハーサルが繰り広げられた。助左衛門にも、能舞台の照明の工夫を京の陰陽師(おんみょうじ)の小見(おみ)の公秀(きんひで)殿と相談して作ってほしい旨、注文が出された。それで、京の陰陽師に会いに行くことにした。それに渡すものがある。
 他にまだ、堺ですることがあった。京都に行く前に、今井宗久の近江川舟運を扱ってる店・納屋(屋号)と、堺にある近江・坂本の馬借(ばしゃく)と、京・鳥羽の車借(しゃしゃく、くるまかし)の出店に立ち寄った。人と荷物を運ぶために、二十日は堺から船で近江川を遡り、鳥羽まで行き、鳥羽から安土まで馬車と馬で行くことになる。
                   (続く)




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