幸せになれるオマジナイ

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入院中の日記。。退院まで


ひよ



ここからは 入院中の日記をもとに
思いついたまま、そのときの気持ちを書き綴っています。


9月19日 入院



朝、会社に挨拶をして病院に向かった。病室は6人部屋。
しばらく、だんなしゃんがついていてくれたけど
昼前には帰ってもらった。
仕事が忙しい時期なのに 
ここのところずっと私についてくれてたから・・

CT、骨シンチ、採血、心電図 の検査があった。
昼食は全部食べた。
少しご飯が多かったけど、貧血すると良くないと思いがんばって食べた。
でも・・自分で作らないで食事できるっていうのもいいかも。。。

入院一日目から人の優しさに触れ、感激している。
なんで入院したの?と聞かれる。乳がんと答える。
岩崎のおばあちゃん・・手術は全然恐くないからとゲキをくれた。

蔵本のおばちゃんは手術できないくらいのガンだったけど
それから25年生きてきたと話してくれた。
医者がダメだというなら、自分の力でガンに勝つと
あらゆることをやったという。
気持ちを強く持ったら絶対大丈夫だと。。。

ガンになったことはつらいけど、いろんな人の励ましを受け
優しさをもらい、勇気をもらい、
これは病気にならなかったら体験できなかったことだろうなぁ。
初日から感動しているが・・これからが大変なのだ。


9月20日 入院2日目



今日は朝食抜きで 午前中は検査。
お義父さん、お義母さん、おばあちゃんがやってきた。
おばあちゃんには病気のこと話してなかったので、
ビックリしているようだ。
けど、おばあちゃんに負けないくらい長生きするんやから大丈夫やで~~
(おばあちゃんは80を過ぎているというのにメチャ元気なの。。。)

このままでは運動不足になると思い、
院内を歩いたり、屋上に行ったりした。
風がとても気持ちよかった。屋上で携帯の電源を入れると
友達から電話がかかってきて、うれしいひとときだった。

先生から・・・遠隔転移はないとのこと。一安心だ。
お兄ちゃんが本とMDを持ってきてくれた。
曲はバックストリートボーイズ。ノリのいい曲で好きだ。


9月23日 手術前日



1時間経つのはとても遅いのに、1日過ぎるのは早い気がする。
今日は毛剃り、シャワーがあった。
シャワーのときに ああ、右のおっぱい もうなくなっちゃうんだと思うと
すごくせつなかった。
だんなしゃん、お兄ちゃん、和くん そろって来てくれてうれしい。
いよいよ明日だ。 明日、私はガンとさよならするんだ!!


9月24日 手術当日



だんなしゃん、お義父さん、お義母さん、おばあちゃん、妹。。。
みんな勢ぞろい。妹とはやっぱりおしゃべりがはずむ。
手術のことを忘れるかのように笑って話した。
10時半頃、肩に注射・・・これがものすご~く痛かった。

手術室の看護士さんがやってきて
「手術のあとは思いっきり甘えてください。
痛いとき、辛いときは我慢しなくていいから。
ICUにいる間は私達を頼ってくださいね。
翌日からはリハビリが始まり、もう甘えられませんからね。」と言った。

11時前・・家族と別れて手術室へ。
すごい緊張感が走った。ドキドキドキドキ。。。
麻酔が効いたらそのまま目が覚めないんじゃないかって
急に不安になった。
マスクをつけられてからすぐにわからなくなった。

気がついたのは午後4時くらい。妹と話した。
手術は2時間前に終わったらしく、
2時過ぎにだんなしゃんが声をかけて
私は「少し痛い」と言ったらしいんだけど、ぜんぜん覚えてない。

右脇の後がものすごく重くて痛い。
熱もあってしんどかったけど、
看護士さんの優しさがとてもうれしかった。

だんなしゃんと妹は、とったおっぱいを見せてもらったそうです。
そのとき。。なんともいえない気持ちで
うそじゃないんだと。。。悲しかったそうです。

私は見せてもらわなかったけど・・・
それでよかったのかも。。。


9月25日 手術後1日目



朝、病室に戻った。脇の下は痛いけど、
なんとか歩けるしご飯も食べられる。
尿の管もとれて楽になった。
ドレーンがついているので、これがちと邪魔だ。
(ドレーンとは傷に入っている管のことで
膿などを吸い出しているものです。)

右腕の下がしびれていて感覚がない。
じっとしてると指先もしびれていたりする。
なんだか少しむくんでいる感じがする。

今日は一日お義母さんがいてくれて、
トイレ、はみがきなどに付き添ってくれた。


9月26日 手術後2日目



今日は一人でトイレもはみがきもでき、だいぶ右手が使える感じ。
字も書ける。
あまり長く続けるとしんどいけど、ぼちぼちリハビリのためやろう。

突然、お兄ちゃんの同級生(亡くなったA君)のお母さんが
見舞いに来てくれてびっくりすると同時に涙が出てしまった。

A君のことを思うと 私はまだまだ生きる希望を持てる。
A君のお母さん お兄ちゃんのこと気遣ってくれてた。うれしかった。

夜9時からの点滴。。。2回刺してもダメで、別の看護士さんに
3回目でやっとできた。 痛いのは嫌なのに~~。
血管が細いから難しいらしい。
でも、点滴の注射は上手、下手があるみたい。
ある看護士さんは、絶対失敗するんだよな~。恐怖だよ~。

右脇が重くて なかなか眠れない。
少し眠って、ふと目を覚ますと、右手が指先まで感覚がなくなっている。


9月28日



ホルモン感受性が陽性だったとのこと。来週からホルモン治療を
開始するらしい。お腹への皮下注射・・4週間に1回。

ベッドから立とうとするときに ドレーンがひっかかり
何度痛い思いをしたことか。。。
早くとれてくれないかな~~

看護士さんが リハビリのための紙を持ってきた。
○○さんの壁はい運動と書いてある。
上のラインに届くまで手を伸ばす。
手をあげるのはなかなかきつい。

りはびり

ほかには、これといってリハビリらしいものはなく
持ってきた「乳がん全書」がとても役に立った。
その本に書いてあるのを参考に・・・天井からぶら下がっている
点滴をつるすものに紐をひっかけて、
両方の手で紐を持って引き上げたり、下ろしたり・・
これが結構リハビリになった。

夜が眠れない・・・
毎日消灯時間になると こっそりと携帯の電源を入れ、
だんなしゃんにメールした。 
最後にはおやすみの(^_^)ε^ )ちゅの絵文字。。。

省吾さんのCDをいっぱい持ってきた。
大好きな省吾さんのCDなのに・・なぜか悲しくなって聞けない。
また、今日も長い夜が続く。
夜中に何度もトイレに行くなんて 今までなかったことなのに
心がずっと緊張しているような気がする。


9月30日



ドレーンがとれて、体が自由になった。
なんとかタオルも絞れるし、体も自分で拭くことができる。
手洗いで洗濯をして屋上に干した。上に伸ばすのはまだキツイけど
リハビリのためがんばるのだ!!
午後、お見舞いに来てくれた人が驚いていた。あんまり元気だから~~^^

看護士さんに髪を洗ってもらってスッキリしました。(*^^*ゞ


10月1日 初めてのゾラテックス



初めてホルモン注射(ゾラテックス)をした。
麻酔をしてからだったので痛くなかった。
更年期障害のような症状が出るらしい。少し不安。

午後、屋上で散歩していたらおじいちゃんが夕日の写真を撮っていた。
検査入院で一週間の入院らしい。とりとめもない話をしただけだけど
今の私にはうれしい時間だった。


10月2日



朝から何もする気にならず、ベッドに横になってると
つい、ウトウトしてしまう。いけない、いけない。
屋上に行って風にあたる。 何度も何度も屋上を歩き回る。
時間がたたない。

午後だんなしゃんが来てくれたけど、すごく疲れているようだった。
申し訳ないと思う。気分が落ち込んで涙が出てしまった。

以前から楽天のむぺにおじゃましていたレオンさんからお花が届いた。
思ってもいないことだったので ビックリ。。。

とってもうれしかった。落ち込んでなんかいられない!!


10月4日



足、股関節のレントゲンをとった。実は6月頃、階段でこけて
思いっきりお尻を打って、そのときから右足が思うように開かない。

8月のお盆に足の付け根に激痛が走ったことが気になる。
入院している間に調べてもらうことにした。
こんな病気になったからか、
ちょっとしたことも癌の転移ではないかと不安になる。

夕方、いつものようにお兄ちゃんがやって来た。
病院の近くに下宿しているので、ほとんど毎日来てくれる。
下宿にはテレビがないので、私のとこへ来てはプロ野球を見る。
半分はそれが目的かな~ でもうれしいのだ!!


10月5日



少しだけ抜糸した。「ちくっとしますよ~」と言われたけど
ぜんぜん痛みは感じなかった。感覚がない。
今日は脇の後がズ~~ンと痛い。
たびたび痛みがやってくるので少しつらい。
腕のリハビリの方は・・・
ある程度のところから上がらない。。。
元通りになるのかな~
右手で頭の上から手を回して、左の耳を触るというリハビリ。。。
これが結構キツイんだなあ~

手術をしてから始めてのお風呂。。。
糸が間引き状態だから、濡れないようにガーゼで固定しての入浴。
でも、まだ自分自身でさえ、鏡に映して見てないのに。。

看護士さんにお願いして、時間をずらしてもらった。
「今なら誰もいませんよ どうぞ」 ありがとうです~

お湯の中にはつからなかった。病院は・・なんとなく遠慮したい。
シャワーを浴びる。間違いなく右のおっぱいはなかった。


10月8日


手術をして2週間、まだ検査の結果が出ない。
もうそろそろわかる頃だと思うんだけど・・・
昨日くらいから 胸がドキドキしている。
もし、リンパ節に転移があったら。。。。。

「どっちにしても二人で受け止めて、
最後まで一緒に闘って行こうな。」
だんなしゃんからのメール うれしかった。
私には心配してくれる家族がいる。とっても心強いことだ。
感謝の気持ちでいっぱい。


10月10日 MRI


股関節のMRIの検査を受けることにした。
来週の水か木になるらしいので、その結果なんともなかったら
退院することにしたい。
このまま待っていても検査結果は出ないし、
スッキリしないけど仕方がないなあ。
もし、リンパ節転移があったら、抗癌剤治療になるけど
そしたら、また病院に来ることになるね。
生命保険の請求書を先生に書いてもらわないといけないけど、
結果が出てないから無理だな~~~

婦長さんがやってきて、傷を見せてくださいと。。。
婦長さん・・「すごいきれいにしてもらったね~
これならもう一回お嫁に行けるからね~~」だって!!

(*≧m≦*)ププッ 私にはだんなしゃんがいるよ~~
それにおっぱいなくなって、も一回お嫁に行けるなんて・・
変なジョーク。。。
でも 一緒に笑っちゃったけどね。


10月13日


二日間の外泊をもらって家に帰ってきた。
だんなしゃんの思いやりがとてもうれしかった。
床はワックスがかけてあってピカピカだし
家の中が本当に久しぶりって感じだった。
テレビがすごくでっかくかんじたなあ。病室のが小さいからだね。

病室の窓からだんなしゃんとお兄ちゃんに手を振る。
さみしい。早く帰りたい。


10月15日


同じ病室の斜め前の倉谷さん・・77歳。胃の全摘手術。
先生からは胃潰瘍としか言われてないそうだけど
本人はかなり深刻。。。遺言書まで書いちゃって。

もしかしたら癌かも知れないと思っているようだ。
そうなのかも知れない。
癌の種類やその患者さんにもよって、告知するのがいいのかどうか
病院も家族も悩んでいるようだ。
私のような乳がん、子宮ガンの場合、ほとんどが告知されている。
自分が癌だと知ることによって、自分の病気を認識し勉強する。
そこから闘う力ができるんじゃないかと思う。

でも・・みんな恐いんだよ。
私も病気を受け入れる・・・受容は今のところ難しい。
ただ精一杯生きるだけ。


10月17日


検査結果が出た。リンパ節への転移はなかったとのこと。
よかった~~ほんとによかったよ。
もう、すぐにでも退院したい。
股関節のMRIの結果も異常なかったそうだ。
先生に言うと、明日退院してもよいとのこと。\(^o^)/
さっそくだんなしゃんに電話。。。。


10月18日 退院


毎日、時間の過ぎるのは長~~く感じられたけど
今、振り返るとあっと言う間だったような気がする。
だんなしゃんとお兄ちゃんが迎えに来てくれた。

先生からの話をお兄ちゃんも一緒に聞く。
先生は「息子さんも一緒でかまわないですか?」と聞かれたけど
私はお兄ちゃんにも 正直に受け止めてほしかったし
お兄ちゃんも聞きたいと言うことだったので。

今後の治療法について
リンパ節への転移がなく、ホルモンレセプター陽性だったため
4週に一度のホルモン注射(ゾラテックス)を2年、
その後、飲み薬に変えて3年間とのこと。
抗癌剤の錠剤は 35歳までのかたには飲んでもらってるんですが
どうしますか?と聞かれて・・・・
私に聞かれても困る~~って感じ。

どっちでも良いものなら、飲まなくてもいいやと
抗癌剤は飲まないことにした。
この決断が良かったのかどうかは、結果論であってわからないけど
今は、自分の選んだ道を信じて頑張りたいと思う。


久しぶりの我が家


病院からの帰り・・買い物して家に着いたのは午後6時を回っていた。
レオン ただいま~~~
久しぶりの我が家に 気持ちが落ち着く。

夜、だんなしゃんと一緒にお風呂に入った。
手術後の私をよーく見るのは初めてだったと思う。
「なんでくみしゃんがこんな目に」
「でも生きていられるんだから・・くみはくみでおんなじやから」
「だいじょぶ だいじょぶ 」
こんな会話だったと思う。
髪洗ってもらったり、背中流してもらったり・・・
うれしかった。・・・感謝(*^.^*)エヘッ




ほーむへ つぎへ めーる


あいさつおれんじ



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