水彩画紀行  スペイン巡礼路 ポルトガル 上海、蘇州   カスピ海沿岸からアンデスの国々まで

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兄と妹の物語

女の子は、男よりも芯が強いと良く思うことがある。

女の子には男以上に不思議な底知れぬ才能がある。

私の父は、九州の地方の裕福な呉服屋のお坊ちゃんだったそう。

学生時代は、バイオリンを弾いたり、蓄音機でクラシックを聴いたり。

大学卒業の時は、成績優秀で金時計をもらったとか。

そんな父が事業を始めて、いろんな出来事があって仕事の心労で他界。

それまでおとなしかった母は一変して俄然、強くなっていった。

子供を育てるために慣れない仕事で遅くまで働いていた。

子供3人、母の帰りを待ちながら、晩御飯を作った。

貧しくて、ご飯が4人で食べるだけ買えなかった時。

そんな時は妹と薩摩芋を買ってきて、サイコロに刻んで入れた。

この芋で甘味の増したおかゆの美味しかったこと。

そんな日々、妹は、ひとりでいつも何か歌っていた。

ままごとのござの上で、人形を着せ替えたりしながら。

妹の歌う歌は、ラジオで聴いたことのない自分で創作した歌ばかり。

僕は、「またうその歌を歌っている」と、からかった。

それが、どれだけ妹を傷つけたか知ったのは大きくなってから。

口数の少ない妹に、ある時ふっと言われた。

人の作った歌より自分の歌を歌いたかったと。

本当は、歌手になるのが夢だったそう。

兄は音楽が好きにもかかわらず音痴。

何度聞いても音程を外す。

妹は一度歌を聴くとどんな歌も覚えて歌えた。

妹は、歌えないのではなくテレビなどの歌が嫌いだったよう。

僕が「うその歌」と言った歌が妹にとっては「ほんとうの歌」だった。

今になって、ひどく反省している。

いつしか妹は兄貴ふたりよりはるかに芯の強い女の子になっていった。

どんな辛いことがあっても、弱音をはいて母を困らせることがなかった。

私の娘は、この妹の隔世遺伝ではないかと思うことがある。

母は妹の中学の修学旅行の時、小遣いをたくさん渡した。

しかし少女らしい土産物はなにもなく

ステンレスの鍋だけ。

我が家の使い古した鍋は、鉄製でかつ柄が外れかかっていた。

妹は、旅行先で見つけた美しいステンレスの鍋に魅了されたもよう。

「修学旅行で鍋を買ってかえったとよ。あきれた。」と母は笑ってた。

先生にからかわれて、何を買おうと勝手なのにと本気で怒っていた。

妹は、何も言わずに高卒で就職。

本当は大学に行きたかったよう。

大学時代、読んで感動した本はすべてみかん箱で妹に送った。

だから兄が孤独な時も妹だけはすべて見通していた。

孤独で虚無的になった時、妹と言う存在はありがたかった。

妹が悲しむようなことはしてはいけないと思った。

妹は通勤の電車の中でいつも乗り合わせる若者に見初められた。

ある日、我が家に彼の会社の部長がやってきた。

私の部下がお宅の娘さんを嫁にしたいと言っているのですがいかがでしょうかと。

そんな人と恥ずかしくて会えないと言っていた妹。

しかし、一見して一目惚れ。

あとは「むつかしい兄貴を如何に説得するか」と共同戦線を練っていたよう。

野球好きの、男仲間、仕事仲間から好かれる申し分のないスポーツマン。

気がかりは、たくさん本を読んでいっそう物静かになった妹の心の世界だけ。

遅れて私が結婚し、4人は気があってよく遅くまで語り明かした。

いつしか旦那への不満は、ふたりの口から迂回して聞こえてくるようになった。

どちらも他人に対して決して毒をもった言葉を言えない優しい性格。

女ふたりは、ほんとうに良く気があっっていた。


しかし、妹は結婚して、しばらくたってから少し悩んだようだった。

ふっといなくなったことがあると母にあとで聞いた。

そしてひとりで京都を旅してきたと言って一週間ほどして戻ってきたという。

兄にも語らなかった思いがあったことを初めて知った。

あとで聞いたら、「うん。ちょっとだけね。」と笑って多くを語らない。

しかし、妹とは以心伝心、察しはついた。

今は、絵に描いたような花のあふれた庭のある家で幸せに暮らしている。

銅版画は、そんな「遠い日々」を思い出している少女の像。

遠い日々




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