「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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1-17 150億対75億
150億対75億
会議室の広さは高校の学園祭実行委員会の会議が行われる教室並だっ
たが、かかっている議題の重みはその何倍なんだろうか。
ロの字型に並べられたテーブルには人数分のお弁当が用意されていた。
時々ニュースで出てくる政治家の勉強会で映されるようなのだ。メニュー
はもちろん幕の内で統一。
レイナはまだ来ていなかったが、二緒さん、内海さん、牧谷さん、赫
さん、そして未決に態度を保留していた七波さんまで来ていた。他には、
黒瀬さん、草津さんがいて、越智首相はまだ来ていなかった。
机の上に名札が用意されてたので、おれは二緒さんの隣の席に座った。
抽選議員はいつも通り、性別と年齢とで交互に並んでいた。
「こんばんは。お招きありがとうございます」
「こんばんは。ごめんね、まず挨拶から済ませちゃうから、ちょっと待っ
てて」
「はい」
「みなさん、お忙しい中お集り頂きありがとうございます。中目議員と
越智首相は遅れるとの連絡が入っていますので、先に始めておきましょ
う。それでは草津さん、お願いします」
紹介された草津さんは、先ほどおれと話していた様な内容の話を紹介
しつつ、内閣法制局から連れてきたというAIに企業院からの法案原文や
修正案の予想解釈などについてコメントさせていた。
その間、他の人達はお弁当をつまんでいたわけだが、二緒さんが小声
で話しかけてきた。
「今日、瑠々に会ったんですってね?」
「二緒さんをどう思ってるのかとか聞かれましたよ」
二緒さんは顔を赤らめた。
「あの娘ったら。本題は違うでしょうに」
「まぁ、法案のほの字も出なかった事は確かです」
「じゃあ、あの帯の映像を見せられたのね?」
「きらきらぴくぴくって感じですかね」
「作り物の映像じゃないことは確かよ」
「・・・あんなの、世間一般に良く隠しおおせてますね?」
「一種の見せしめだから、完全に隠せているわけじゃない。でも、報道
されないことは存在しないのと同じことだって言うでしょ?」
「それにしたって、何百隻もの軍艦、数千機以上の戦闘機や爆撃機、何
万人だか何十万人だかが行方不明になったら、いくら何でも・・・」
「LVに感染したから隔離された、死亡したから死体も焼却処分された、
とかね。軍隊の装備品とかは、逆に、衛星軌道上に浮かんでるような氷
漬けの空母とかを、誰がどう嘘の画像じゃないと証明できるのかしら?
現在の人類のテクノロジーじゃ無理でしょう?」
「説明不能。だから逆に有り得ない、ですか・・・」
「でも、世界中の国々の指導部は知っているの。誰が、何をしたのかを」
「どうしてあいつは、あそこまでやる必要があったんですか?」
「あそこまでやられないと諦めない人達がいたっていうのもあるけれど、
彼女の最終目的の為でしょうね。邪魔だから、排除しておいた」
「どうせ、詳細は教えてくれないんでしょう?」
「必要だからしていることは確かね。目的については、こう考えてみた
らどう?なぜ、彼女はあなたに最初から全てを語れなかったのかを。今
でも語れない、その理由を」
「・・・この会合の後、あいつとは話すつもりでいます」
「話す、か。そんなまだるっこしいこと言ってないで、とっとと押し倒
しちゃえば?」
「は?」
「それで中目零那は満足して、あなたを解放してくれるかも知れない」
「ななな、何言ってるんですか、二緒さん!」
「噂をすれば何とやら。ご当人の到着よ」
会議室の入口から、レイナと越智首相が入ってきた。
レイナはおれの後ろから抱きついてきて、耳許で囁いた。
「お楽しみは、後でね」
レイナと首相はそれぞれ着席し、草津さんが冒頭の説明を終え、席に
戻った。会合が始まるかと思ったが、話し合いを始める前にレイナと首
相が弁当を食べる間小休憩を挟むことになった。
おれはトイレに席を立ち、用を済ませていると、隣の小便器に立った
のは首相だった。
「・・・ずいぶん早食いなんですね?」
「タイミングがむずかしくてね。いつ伝えるか悩んでいた」
「何をです?アイスベルトの事ですか?」
「彼女についてだよ」
「中目について?」
ファスナーを下し、じょぼじょぼと音を立てながら首相は言った。
「150億対75億。大雑把に言うと、それくらいになると聞いている」
「何の数字ですか?」
「おぼれかけた人が二人。浮き輪は一つ。つかまっていられるのはどち
らか一人だけという状況であれば、どちらかがもう片方を殺すことは罪
に問われない」
おれは、チャックを閉めながら頭を回転させた。そして得た単純な結
論は、
「150億のおぼれかけてる連中がいて、それが中目達だと?」
首相はうなずき、何度か体を震わせ、チャックを閉める動作をしてか
ら、洗面台の方に歩いて行った。
「ただ、彼女から君にその話が伝えられる前に、私から君に伝えたかっ
た。彼女は浮き輪を取り上げようとしているわけじゃない。共存できる
道を懸命に探し続けていると」
おれも洗面台に並んで手を洗いながら尋ねた。
「どうしてそんな話が信じられるんです?」
「白木君も、彼女が出来ることをその目で見たのだろう?彼女らがその
気なら、人類などとっくの昔に絶滅しているさ。そうしていない理由を
考えてみて欲しい。他の誰でもない、君自身に」
「あるいは、そうできない、そうしない理由を、ですか?」
「そうだ。だからこそ、日本だけじゃなく、世界中の国々も研究者達も、
文字通り必死になって共存の道を模索している。平穏な日常生活を崩壊
させることなく」
「それに、中目も協力しているんですか?」
「彼女の協力が無ければ、そもそも何も始まりはしなかったし、人類は
すでに絶滅していた。確実に」
おれはハンカチで手を拭きながらため息をついた。
「やれやれ。こんな状態で法案の事考えろって言われても無理ですよ」
「そのうち慣れるさ」
首相はダンディな中年スマイルを浮かべながら、先にトイレから出て
行った。
おれは鏡の中の自分を一睨みして頬をぴしゃぴしゃと叩いてから、ト
イレを後にした。
会議室に戻ると、レイナは弁当をほぼ食べ終えて、二緒さんや内海さ
ん達と談笑していた。おれが戻ってきたのを見ると、二人とも席に戻っ
た。席に戻るとレイナは弁当の蓋を閉じて言った。
「ずいぶんごゆっくりとしたおトイレでしたこと」
「食ったばかりでそっち系に話を振るなよ。ていうか今日ここに来るま
でってどうしてたんだ?」
「越智さんとかと、ちょっとね」
「そうか」
黒瀬さんが、全体を見まわして言った。
「では、皆さん戻られたようなので今後の展開予測について、私からお
話しさせて頂きます。企業院からの修正案を入手しましたので後でお手
元の資料をご覧になっておいて下さい。
修正案が、政治家へのEL適用賛成派に受け入れられたとして、選挙議
院からの法案に賛成する票数は、7か8、反対する票数は9か10、未
決がゼロか1となっております。
ここでは、賛成7、反対9、未決1の仮定で話を進めさせて頂きます
が、よろしいですか?」
特に誰も反対しなかったので、黒瀬さんは先を続けた。
「まず、こちらの賛成票が切り崩されなかった場合、勝ち目は再審議次
第ということになります。どちらかが2/3票を取るまでセッションは重
ねられますので、抽選議院議長の加算票が5になるのはその第3セッショ
ン目ということになります」
「相手は、そうならないよう手を打ってくるのでは?」と牧谷さん。
「そうですが、具体的に取れるオプションというと、七波さんを陣営に
引き込み、かつ残りの6人の内のどなたか一人でも引き込まないといけ
ません。単純な、足し算引き算の世界ですからね」
「企業院が、なりふり構わない手段に出てくる可能性は?」
「企業へのEL利用に対して強い反発が起きていることは彼らも承知して
いる筈です。それに、抽選議員に対する利益供与は、リスクが高過ぎます」
「何か、抜け道が有るんじゃないですか?」
「無いというと嘘になってしまいますね。しかしそれはこの場で私が口
にして良いことでもない。こういう反対派と賛成派の綱引きは、昔であ
れば持ちつ持たれつの関係で決着がつけられた。ポストとか票とかお金
とかで。しかし今回、選挙議院の見解が翻ることはまずあり得ないくら
い結束している。党とか内閣のポストなんて昔とは違ってしまっていて、
そもそも抽選議員や企業議員は着けないから意味が無い。お金に関して
は省略します」
「黒瀬さんが言えなかった一例、ぼくが口にします。先日リストラされ
た会社にいた時に告白してフラレた女性から、連絡がありました」
「全部お言いでないよ。要は、抽選議員本人や、その家族といった存在
じゃなくて、完全な第三者に利益を迂回させる道があるってことでござ
いましょう?」と七波さん。
「そうですね。結婚とかしなければ籍も入らないわけですし、いろんな
法律の網から抜けられます。不動産とか動産の所有権も、ぼくにも彼女
にも無ければ、法律で規制をかけることはほぼ出来ないと言っていいし。
まぁ、彼女だけじゃなく、今まで何年も、いろんな出会い系サイトとか
に自分のプロフィール載せててまともな返答が一件も返って来なかった
ような自分に毎日数十件の申し出があったら、いくら何でも警戒します
よ。ボランティアとか秘書としての申し込みもありますけど、AIと受付
端末で足りてるからと断ってます」
なぜか草津さんが拍手していた。
「まぁ、そういった類の誘惑もあるでしょう。幸いにも牧谷議員は今の
ところ回避出来ているようですが、そうなるとむしろ直球勝負でしょう
ね」
黒瀬さんの言葉におれは反応した。
「直球っていうと、つまり論戦で来るって事ですか?」
「そうですね。政治家へのEL利用を、部分的にでも実現するよう譲歩を
求めてくる可能性が高いでしょう」
「具体的には?」
「さぁ?むしろ白木議員達がどんな条件なら折り合いをつけてしまうの
か、私共の方が御伺いしておきたいのですが」
「ぼくが賛成する可能性があるとしたら、再犯防止に限定するとか、また
は国民の生命の保全を無視した法律を作らないとか賛成しないとか、そう
いったのじゃないとむずかしいかと思います」
「そーいう優等生的な答えは聞きたかないんだよ、白木議員」
七波さんが突っかかってきた。
「じゃあ、どんな答えなら七波議員のお気に召すんです?」
「政治家なんてのは、生贄を出させて残った連中の命を保全するのが仕
事みたいなもんさ。そりゃ昔の生贄なんて風習に科学的根拠なんて無かっ
たろうさ。だけどそうしないと収まりがつかない連中がいて、そいつら
をどうにかしないと共同体そのものがどうにかなっちまう。
だからやらざるを得なかった。それで生贄にならなかった連中も納得
してたのさ。あたしはあんたに聞きたいのさ。あんたはどっちなのかとね」
「どっちかって、何がどう・・・?」
「あんたはさっき言った。自分が政治家へのEL利用に賛成するとしたら、
国民の生命の保全を無視した法律を作らないとか賛成しないとか。じゃ
あ聞くが、国民の半分を犠牲にしないともう半分が助からないって時、
あんたならどうする?」
「そんな、設問に無理がありますよ!」
「いいや、ちっとも無理でも無茶でも無いねぇ。LV3が来た時、例えばワ
クチンの様なものが国民の半数に対してしか準備できないとしよう。24時
間以内にはね。次の24時間の間にその2倍が出来たとしても、その時には
ワクチンを受けなかった半数が既に死んでいるかも知れない。無理無茶
な設定かい、二緒議員?」
「いいえ」
「ほらご覧。何もあんた一人の肩だけにその重しが乗っかることは無い
さ。抽選議員は16人もいるんだから。だけど、その最初の24時間に、ど
んな順序で誰にワクチンを接種していくのか。それはまさしく後回しに
される連中の生命を犠牲にしないと成り立たないのさ」
「ついでに言うなら、決めておかないと混乱はもっとひどくなるでしょ
うね」と牧谷議員。
「いいかい?建前じゃ、命は平等だって言われてる。そうじゃないと言っ
たら誰もが周囲から袋叩きにされると怖がってるからね。でも、LVの様
な脅威の前に人類が本当に絶滅するかも知れない時、そんな建前に誰も
が構っちゃいられないんだ。でも政治家はその建前を一番最後まで守ら
なきゃいけない。でも建前が吹っ飛んだ時の用意もしておかなきゃいけ
ない。そんな矛盾をさっきあんたが言ったようなEL受けててどうやって
実現するって言うんだい?」
七波さんは肩で息していた。
おれは、答えられなかった。
代わりに、黒瀬さんが問いかけた。
「ということは、七波さんの票も期待してよろしいのですかな?」
「言った筈だよ。あたしゃ急かされるのが嫌いだと」
「構いません。勝手に期待しておりますから」
「あんたみたいのがいるから、政治家をELでふん縛っておいた方がいい
んじゃないかとも思ってるんだよ?」
「褒め言葉として受け取っておきますよ」
黒瀬さんは、七波さんの激しい視線をにこやかに受け止めていた。
「いろいろ話すつもりで来ていましたが、七波さんが今お話しになられ
た例は非常に説得力がありますね。明日の内輪の審議に使ってもいいん
じゃないでしょうか?」と内海さん。
「いや、むしろ明日の内輪の審議は、我々は出ないでおくべきでしょう。
強制はできませんがね」と赫さん。
「あたしは出るつもりだけどね」と七波さん。
赫さんはただ肩をすくめた。
首相が口を開いた。
「先ほどの七波さんのお話に説得力があったとしても、それは緊急時に
おける特別な措置ということで回避されてしまう可能性があります。む
しろ平時における扱いを想定した譲歩案もいくつか想定しておくべきだ
と思いますが」
その首相の提案から、いくつかの案についての話し合いが始まったが、
おれの頭の中では、さっきの七波さんの例え話が反響し続けてて、馬耳
東風な状態だった。
半分を助ける為に、残りの半分を犠牲にする。
確かに、有り得ない仮定じゃなかった。
苦しいけれども、反論できないわけじゃない。全体の命の保全を掲げ
ておかなければ、全体が救われることもまた有り得ないからだ。なぜ半
分を犠牲にしてまでもう半分を救おうとするかと言えば、そうしないと
全体の命が損なわれてしまうからだ。そして何よりも、全体の命が損な
われることだけは避けなければならない。
この点でおそらく自分と七波さんの見解は一致している。一致してい
なかったのは、覚悟とか呼ばれる類のものだ。七波さんにはそれが出来
ていて、おれには出来ていなかった。その違いだ。
頬を、ぐにっとつねられた。
涙が出るかと思うほど痛かった。
「ほら、ぼぉっとしない。話し合いは続いてるよ」
にかっと笑ったレイナは、頬をつねっていた手を離した。
「あんがとよ」
「お礼は後でね」
「ああ、たっぷりとな」
「うふふ、期待してるよ、ダーリン♪」
「体中つねってやる。いやってほど。くくく・・・」
「そ、それは何か違う、違うよタカシ君!」
俺たちの隣にいた二緒さんがコホンと咳払いをした。
気がついてみると、みんなの注目を集めてしまっていたらしく、議論
も止まっていた。みんな微笑ましいような顔でこちらを見てたのが小っ
恥ずかしい。
「すみませんでした。どうぞ続けて下さい」
レイナがぺこりと頭を下げたので、おれも慌てて下げた。
議論の焦点は、政治家に対するEL利用で、既存法を守るよう感情制御
をかけるものの、法案の作成・修正・廃止に関する感情制御をかけない
ことは可能か?、という点に移っていた。
二緒さんが説明していた。
「例えば、おやつは一日一回、午後3時にバナナを一本だけ食べるという
法律があったとします。まず、ELでこの法律を守るかどうか定めておく
必要があります。この法律を守るということは、1.おやつを食べるの
であれば、2.一日一回までで、3.それは午後3時でなくてはならず、
4.おやつはバナナでなくてはならず、5.その本数は一本だけ、とい
うことになります。
1.のおやつを食べるのであればという仮定は、おやつを食べること
を強制したものでないことに注意して下さい。しかしもし1.の答えが
肯定であるなら、残りの2から5までは違えることが出来ない制約とな
ります。
1日に2回食べることも、午後3時以外のタイミングで食べることも、バ
ナナ以外を食べることも、バナナを2本以上食べることもできません。
この制約を解除するには、法律そのものが無くなるか、内容が改変さ
れ、ELにその内容が反映される必要があります。
技術的には、既存の法律を守らせつつ、同時に法案の廃止や修正など
の立法措置を禁じ無いことは可能です。しかしここに制約の矛盾が生じ
てしまうことに注意しなければなりません」
「制約の矛盾?」何人かが問い返した。
「ええ。法律は守らなくてはいけない。でも変えてしまえると認識でき
ることは、他にも不都合を起こしかねません」
「もっと具体的にお願いします」と草津さん。
「先ほどのおやつに関する法案であれば、なるほどおやつの回数を増や
したり、品目を増やしたり、量を増やしたりとか、ささいな影響で済む
でしょう。
しかし、Aという法律は変えてもいいが、Bという法律を変えてはいけ
ないという制約こそ、かけられないし、絶対にかけるべきではないもの
だということは、皆さんにはお分かり頂けているかと思います」
「それが例え、法律と憲法の違いでもあっても、か」
「その通りです」
「二緒議員。個別の法律に対する制約は、かけようとすれば技術的には
可能なんですね?たばこや酒そのものを禁じられるが、その各銘柄まで
は指定できないというのは理屈に合わない」首相が質問した。
「かなり複雑な施術と頻繁な反映作業が必要になってしまいますが、そ
れで構わないのであれば、可能です。たばこやお酒のといった全般に対
する制御と、各銘柄や個々の商品に対して制御をかけた場合の違いを想
像して頂ければ、技術的には可能でも現実的には難しい事がお分かり頂
けるかと」
「ふむ、ありがとう。ではここで企業院からの修正案を見なおしてみよ
うか」
その後も話し合いは深夜まで続いたが、その半分も頭に入ってこなかっ
た。首相の浮き輪の話や、二緒さんの「とっとと押し倒しちゃえ」発言、
そして七波さんの生贄論が、頭の中でぐるぐると渦巻き続けていた。
11時過ぎに会議が終わり、出席者達は三々五々退出して行った。最後
に残ったのは、二緒さんとおれとレイナだった。
二緒さんは何か言いたそうにして、でも思い切れないでいるように見
えた。
「二緒さん?おれかレイナに何か・・・?」
二緒さんは、つと近寄ってきて言った。
「あのね、さっき私が言ったことだけど、忘れて」
「へ・・・?」
二緒さんはまだ何かを言おうとしていたが、その姿は突然かき消えた。
と言うよりも、目の前が会議室からどことも知れない森の中に切り替わっ
ていた。
レイナが腕を絡めてきて言った。
「さ、二人のデートのお時間だよ♪」
「お、ま、え、なぁ~!? 人が話してる最中に勝手に移動させるな!」
「ごめんね。でも、余計な事言いそうだったからね。逃げてきちゃったの。
てへ☆」
「余計かどうかはおれが決める!」
「うぅん。私が決めるの」
「おい・・・」
固く絡められた腕は外せそうになく、その声に揺るぎは無かった。
レイナが歩き出したので、おれも歩調を合わせた。頭上の夜空には無
数の星が瞬いていた。東京では有り得ないくらいの多さと輝きだったの
で、どこか遠くまで飛ばされてきたのだろう。星座の位置や生えている
木の種類なんかから現在位置を割り出すような芸当は持ち合わせていな
かった。
月明かりが森の中まで照らしていた。虫や獣の鳴き声なんかが時々聞
こえてきた。
「どこに行くんだ?」
「タカシ君はどこに行きたい?」
「お前は、どうなんだ?どうしたいんだ?」
おれが立ち止まると、レイナも止まった。
「いろんな人がいろんな事を言ってきたり、見せてきたりした。けど、
どれもこれも、お前らが発端なんだろ?」
レイナは肯定も否定もせず、ただおれの視線をまっすぐに受け止めて、
目をそらさなかった。
「アタシは、誰も殺したくない。傷つけたくもない。私達の為に、みん
な死んじゃうのなんて、イヤ」
レイナは、おれの体に抱きついてきて、息が苦しくなるほど抱きしめ
てきた。
「レイナ。お前はそうなんだろ。でも、あいつは、中目はどうなんだ?」
「私も、同じ。ただ、私には、レイナほど、人類ほどに選択枝が残され
ていないだけ。それが二人の間の違い」
「首相が言ってた浮き輪の話か?」
レイナはこくりとうなずいた。
「でも、どうしてお前なんだ?なぜ、おれを選んだんだ?」
「その問いに答えられる者はいない。レイナに私が宿ったのも、あなた
が選ばれたのも、偶然と必然の合致。すなわち、我々がなぜ存在するの
かと同程度に説明不可能な問い」
「お前は、言ったよな。おれだけは、お前を一人にしないと。お前は、
移住者であり憑依者であると。つまり、おれだけが・・・」
考えて、ぞっとした。
レイナが足を絡めてきて、二人は後ろに倒れ込んだ。レイナが体と唇
を重ねてきて、さらに舌まで入れてきた。
おれは忽然としたまま、考え続けた。
レイナの唇と舌がおれの首筋を這い、その指は、胸から腹、そして下
半身へと降りていき、ソレをズボンの上から刺激し始めた。
正直言って、そうされるのがイヤだったわけじゃない。頭の後ろが痺
れて真白になるような感覚に、身を任せたくなかったわけもない。ただ、
考えて出てきた結論を口にしないではいられなかった。プロポーズが無
い結婚が有り得ないのと同じだと考えてくれ。とにかく、これがおれと
いう奴だった。
おれは、レイナの頭を抱き抱えるようにして上半身を起こして言った。
「これだけ聞かせろ。つまり、おれだけ、もしくは、中目レイナとおれ
しか生き残らない。違うか?」
中目は答えた。
「それはまだ、確定事項では無い」
「まだ、確定していない、って、そうなる可能性が高いってことか?」
「我々も全てを見通せる存在ではない。そうならないよう努力はして
いる」
レイナはいつの間にか全裸になっていた。くそ、便利すぎる能力だっ
ての!
「これもその努力の一環だってのか?」
おれの手はレイナの腰に回されて抱き寄せていた。頭がくらくらした。
レイナはうなずいて、おれに口づけしながら、その指先で体に触れてい
くと、そこから服の感覚が無くなった。焦った時にはすでに全身から衣
服の感触が無くなって、心拍数が何割か跳ね上がった。
男女が向かい合わせに全裸で抱き合って平静を保ってられたら人間じゃ
ない。少なくともそこまで枯れてはないおれも、ほぼヤケになってレイナ
を地面に押し倒した。
レイナが瞳を潤ませて言った。
「きて、タカシ君」
おれの腰は、勝手にソレをレイナのソコにあてがっていたが、おれは最
後の自制心を発揮して言った。
「レイナ。本当にこれでいいのか?」
「え?」
「お前、義理義務感とか、使命感とかで、これをしようとしてないのか?」
レイナは、おれのソレを両手でぎゅっと握り自分の入口に誘い、両足
をおれの腰にかけてきた。ソレはじりじりとソコに沈みかけて・・・。
「ゼロって言えば、ウソになるけど。でもね、アタシは全てを知らされ
ちゃったの。絶海の孤島に独りだけ生き残ったと思ったら、そこにはタ
カシ君がいたの。アタシがどれだけ嬉しかったか、わかるかな、かな?」
「ずいぶんと消極的な理由だな。でも、お前、おれのこと、好きなのか?」
「だ、大好きだよ!」
男の勃ったソレを平然と両手で握ってた奴がどもって赤面するのを見て、
おれは抵抗するのを止めた。順序が違うよなぁ、とは思ったが、おれは
完全にレイナと一つになってから、言った。
「おれもだよ」と。
SEXは別に初めてじゃないし、嫌いでもなかった。ただ、LVの感染方法
とかが明らかになっていない現在、男女間の防衛意識は昔より険しくなっ
てたし、おれもサカリがつき始めた中学生の頃に色々とあったおかげで、
高校からは自重してた。
みゆきとも無かったわけじゃないが、深入りはしなかったし、いつも
避妊はしていた。
だから、相手が妊娠するかも知れないという前提で、いやSEX本来の意
味の目的に沿ってソレを出し入れするのは初めてだったし、何となくお
ごそかな意識があった。
レイナも下でかすかな喘ぎ声を出しながらも、その表情は厳かだった。
そんな二人の目があって、はにかんだ。
おれは何度かレイナの中で弾け、レイナは子宮でそれを受けとめた。
その何度目かの後、空が白み始め、おれはいつの間にか宿舎のベッド
の中に、レイナと眠っていた。
眠っている間に、夢を見た。
暁の夢と現の堺で見た夢。そう表現するのが適当なんだろうけど、その
内容はあまりにもリアルだった。
おれは、宇宙に浮かんでいた。足元には銀河系が広がり、目の前には
小さなホタルのような光が浮かび、脇にはおれとレイナがベッドで眠っ
ていた。
おれが混乱していると、目の前の小さな光が語りかけてきた。
「ようこそ、白木隆」
中目の声だった。
「って、ここどこだよ?」
「宇宙の片隅。ここから、ちょっとしたツアーに参加してもらう」
「宇宙船も無しに?」
「私達の意識だけであれば、距離の制約は受けにくくなる。なに、私達
の母星の有り様を見ておいてほしいだけ」
目の前の銀河の大パノラマが消失し、巨大な青い星が出現した。地球か
とも思ったが、陸地は全く見えなかった。異様だったのは、星の成層圏の
先に、何重もの薄い水か氷の層が張り巡らされている光景だった。星の光
が当たる側の全面を覆っているその巨大さは圧巻だった。
「あれは、なんだ?」
「太陽からの有害な紫外線などを緩和する為の措置。この星が属する星
系の恒星は、もういつ爆発して消滅してもおかしくない状態」
ここでまた目の前の光景が入れ替わり、赤く光り輝く星が目の前いっ
ぱいに広がった。フレアがおそらくは何十万kmという高さで噴き上が
り、表面に見える黒点の数も数え切れないほどだった。
「この恒星は、いつ爆発して超新星またはブラックホールと化すかわか
らない。そこが我々の待てるタイムリミット」
「つまり、つまりそれがLV3になるって言うのか?」
「そう」
「何か、他に手段は無いのか?」
「・・・我々の現在の宿主の姿も見ておいてほしい」
目の前が、恒星から海の中に切り替わった。
そこには、イルカを少し大きくしたくらいの生物が群れで泳ぎ回って
いた。
「まさか。だって、あれじゃ文明も何も・・・」
「目に見えるものだけが文明とは限らない。それに、我々にとって必要
なのは脳の容量と共存し得る適性だけ」
「じゃあ、地球のイルカとかを品種改良したり、遺伝子操作すれば・・・?」
「すでに、天然で生息していたイルカやシャチ、クジラなどは死滅した。
LV0の時に」
「LV0・・・?」
「そう。私が偶然から、レイナを移住先として見つけ、成功した。それ
につられた私達の極一部が慌てて移住先を確保しようとして、全て失敗
した」
「じゃあ、他の動物とかは?人間以外の」
「我々が移住できるだけの条件を兼ね備えてはいない。試した例もある
が、どれも失敗に終わった」
「くそ、じゃあ人類をどうにかするしか無いのか?」
「遺伝子バンクから、イルカやシャチなどを遺伝子操作して、我々の現
在の宿主に近い存在を創造する試みはすでに始まっているが、まだどれ
も成功には至っていない。
人類に関しては、我々に対する耐性を高めるワクチンの様なものを接
種してきたが、移住の成功率はまだ極めて低いまま」
「まさか、そのワクチンてのが・・・」
「LV1とLV2」
光に掴みかかっても仕方ないが、おれは衝動的にそうしようとした。
が、おれの体はもともと見えず、光を掴もうとしても当然ながら見えな
い指先はそのまま通り過ぎた。
「落ち着いてと言っても無理か。我々自身に『その日』まで自制を促す
のも日々難しくなっている。全てが、ぎりぎりの状態で動いているのだ
と認識して欲しい」
「LV3を起こさせない選択肢はあるのか?」
「レイナは、初めからその条件を提示していた。あなただけには」
「あいつを、お前を殺せ・・・、ってか?」
「そう」
「他に選択肢は?」
「レイナとあなたとの間に生まれる子孫は、我々への耐性を完全に引き
継ぎ、しかも他の耐性を持たない人間との間の子供にも遺伝させていく
事ができる」
「おれとレイナから手っ取り早くワクチンみたいなものを作れないのか?」
「できない。これはもっと存在の深いレベルでの話になる」
「じゃあ、おれとレイナの間に出来た子供からなら?」
「あるいは、たぶん。ただ、確約はできない」
「どうして、おれとレイナの間の子供にはそんな特典が付くってわかる
んだ?」
「それが、我々の間に伝わる記憶だから。我々は今回の様な事情で、時
折移住を余儀なくされてきた。その度に、我々の移住成功者と完全耐性
保持者との間には、耐性を拡範できる存在が生まれてくることが確認さ
れている」
「だったら、どうして最初からそんな説明をおれとレイナにしておかな
かった?拒絶されたって精子とか搾りとって試験管の中ででも受精させて・・・」
「レイナが、それを拒絶したから」
おれは顎を落とした。
「私からはその理由を言えないが、レイナに却下されている以上、その
手段は採れなかった。だからこそ、私とレイナは、賭けた」
「おれが、あいつを抱くかどうか、か?」
「あなたが人として、中目レイナを愛するかどうか。そして事情を知っ
た上で、彼女を殺そうとするかどうか。それが私とレイナと、我々と人
類の間の賭け」
「きたねえな。知っちまったら、もう手を出せないじゃん?」
「まだ、遅くはない。私が私を、レイナを殺す権利を与えているのは、
白木隆、あなた唯一人」
「他の全員を助けるなら、レイナを生贄に差し出せと?」
「私は、助かりたい。なるべくなら、他の多くの命も助けたい。けれど、
これは人類に与えられた唯一の希望に託されている」
「おれ、ってわけ?」
「あなたと、レイナと、二人の間の子供に」
「ちょ・・・!?まさか、初めてでもうデキタとか言うなよ!?」
光も彼らの母星も消失し、おれはベッドの上で体を起こしていた。レ
イナがおれの隣でうたたねていた。おれもレイナも、裸だったのは言う
までも無い。
おれは指をレイナの髪にすべりこませながら、もう片方の手で頭を抱
えた。
おれはしばしそうやって固まった後、そっとベッドを抜け出してトラ
ンクスだけ穿いてシャワーを浴びるつもりでリビングルームに出た。
AIが奥の厨房で朝食の準備をしている姿を横目に見て、おれは浴室に
駆け込み、熱いシャワーと冷たいシャワーを交互に浴びた。このままど
こかに何十キロかのランニングにでも出たい気分だったが、レイナを置
いてきぼりにするわけにもいかなかった。
おれはシャワーにしてはずいぶん長い時間浴びた後、切り上げて食卓
に向かった。
そこには、当然の様に、二人分のトーストやサラダやコーヒーなんかが
用意されていた。
「おはよう、かあさん」
「おはようございます、タカシ」
何があったのか知ってるんだろうなー、と思うとバツが悪くなり、お
れは食卓の椅子の手前で立ち止まった。
「トレイで寝室にお持ちしましょうか?」
AIの気を利かせてるんだかそうじゃないんだか微妙な申し出で、おれ
はふっきれた。
「トレイだけくれ。おれが持ってく」
「わかりました」
で、照れくさくてしょうがなかったんだが、寝室のスライドドアを開
けて、ベッドのサイドテーブルにトレイを置いた。レイナは、おれに背
中を向けてブランケットの下にいたが、絶対に起きている予感がした。
おれはレイナの体の脇に腰掛け、ブランケットから覗く肩に口づけて
言った。
「ほら、起きろよ、レイナ」
「うー・・・ん?」
わざとらしい寝ぼけ方だったが、こちらに向き直ったレイナは確かに
かわいかった。
「朝だ。起きろ」
「おはよ~!、のチューは?」
トロンとした瞳が薄く閉じられて胸がときめいたりしなかったわけで
もないので、おれは言われるがままに軽くキスしてやった。
だいたい一秒か二秒して、レイナは自分から唇を離すと、胸元までブ
ランケットを引き上げて、うーん、と伸びをした。
「とりあえず、Tシャツ貸して」
「自分の部屋から取り寄せろよ」
「こーいうのは気分の問題でしょ?イヤならタカシ君が議事堂にいる時
に・・・」
「わかったわかった」
裸にされてもビキニにされても困るおれは、一番無難そうな大きなTシャ
ツを見つくろってレイナに放り投げた。レイナは受け取ったTシャツに袖
を通しベッドの上の隣のスペースをばんばんと叩いた。
「タカシ君はここ。二人で並んで朝ごはん食べるの」
特に逆らう理由も無かったので、おれはベッドの背もたれによりかか
りながら、レイナにトーストやらコーヒーを手渡してもらった。
寝室の窓から見える光景が、何だかいつもと違って見えた。レイナも
もっと饒舌に何かを言ってくるかと思ったが、トーストをおとなしくは
むはむしていた。
いつかはそうなるかも知れないとは思っていたが、ヤッチマッタんだ
なぁと思うと感慨めいたものが生まれた。どちらかと言えばそのあどけ
ない横顔が愛しくなって、おれはその頬を意味もなくつついてみたりし
た。
レイナはおれの手を何度か払ったりしたが、最後には諦めてされるが
ままになって、ちょっと照れてうつむいたままになり、頭をことんと肩
にもたれかけてきた。
おれは、そんなレイナの肩を抱きながら言った。
「俺たち、これからどうなるんだ?」
「どうなるのかなー。誰も、知らないと思うよ」
「お前は、中目から全部事情を聞かされてるんだよな?あいつらの星が
どんな事になってるかとか、連中がなぜ移住したがってるかとか」
「そこら辺は、全部ね」
「首相とかも?」
「うん」
「LV3て、『その日』って、いつ頃になりそうなんだ?」
「わからない。科学的観測とかだと、数万年以上先かも知れないし、明
日かも知れない。なにせ、数十億年の星の寿命の最後の一瞬だからね。
ただ、ある筋の予測では今年中に起き始めるって」
「ある筋ってなんだよ?」
「占いとか、予知とか、そういった類」
「アテになるのかよ?」
「さぁ?かなり大がかりなのも当てたこともある人だって」
「お前達は出来ないのか、そういうの?」
「たぶん、出来ないわけじゃない。けど、種族進化の方向性を限定しな
い為に、封印したって聞いてるけど」
「詳しく聞いたって、たぶんワケわかんないんだろうな」
「たぶんね」
二人はくすくすと笑った。
「で、おれたちこれからどうなるんだ?」
「真面目な話とおとぎ話みたいな話、どっちを先に聞きたい?」
「耳に優しそうなおとぎ話からで」
「おとぎ話が優しいとは限らないけどね。二人とその子供達は未来永劫
幸せに暮らしましたってのが一つ」
「新世界のアダムとイブか」
「そんな所。でもう一つは、LV3が実際に来た時の事を考えていかなくち
ゃいけないって事」
「みんな、死ぬってか・・・」
「そうとも限らない。例えば抽選議員のみんなとかは、耐性が高い人が
集められているしね」
おれは、牧谷議員の言葉を思い出した。
「生き残るかも知れない人達に、社会を統べる経験をしておいてもらう
為?」
「そう。私達以外生き残らないのであれば、逆に何も心配しなくて良い
の。でも、生き残るのが数百人、数万人の単位であったとしても、私達
は災厄を招き寄せた張本人として彼らの標的になる」
「でも、中目の力があるなら」
「排除することはたやすい、けどね。もし「彼ら」と融合できた場合、
人間は今までの人間じゃなくなる。ELよりももっと深い意味で、人類は
その本能と感情に制御を受けて、争いも欺瞞も全て無くなるの」
「人類を人類じゃなくする、か?」
「少なくとも、今のままの人類では、他の、自分達よりも高度な知的生
命体の存在を許容してはおけない。不安だから」
「でも、全員がそうだとも限らないだろ?」
「もちろん。でも、人は状況が移ろえば行動も移ろうもの。保険をかけ
ておくのにこしたことはないよ」
「レイナ。お前自身はどう思ってるんだ?『彼ら』とその移住に対して?」
「人間て、どうしようも無い存在だって、時々思うの。戦争とか搾取と
か、いろいろね。『彼ら』を受け入れれば、人は変れるの。『彼ら』は
人よりもずっと崇高な種族。その『彼ら』が移住する先を選ばざるを得
なくなって、私達が選ばれたってのは光栄な事。それに、アタシとタカ
シ君の間の子供は、二つの種族の懸け橋になれるんだし」
「いろいろ突っ込みたいとこがあるんだが、よしんばおれとお前の間の
子供が耐性を拡範できたとしても、それが男にしろ女にしろ、体の準備
が整うまでに13年くらいは最速でもかかるぞ。それに、精子ならともか
く、卵子じゃ28日周期くらいで1個だろ?LV3が今年中に来るとしたら、
とても間に合わないんじゃないか?数百年とか数万年先とかの話ならと
もかく」
「普通の子供なら、そうだよね」
「なんだよ、産まれて次の日には大人になってるとか言うなよ?」
「あはは、どうだろね」
「どうだろ、ってお前」
「だって、前例が無いんだもん。わからないよ」
「普通は、有り得ないだろ」
「普通って何?まぁさっきの例は極端だとしてもね。んー、そうだな、
タカシ君、これは例え話として聞いてね」
「ああ」
「アタシ達の間の子供が生まれて、人は誰でも、その子供に触れるだけ
で『彼ら』との共存、つまり移住を受け入れられるようになったとする
よ。でも、人はそうするかな、かな?」
「人が人でなくなる、自分が自分でなくなることが、命の代償ってか・・・」
「その命で、人は進化を贖うことにもなる」
「みんな、お前みたいな能力を使えるようになるからか?」
「多少の差はあれど、ね。人が限られた資源などを巡って争うことも無
くなる。一時の激情に任せて誰かを傷つけたりすることも無くなる。
『彼ら』の持つ膨大な知識は、人類が地球から巣立つことも容易く可能
にするしね」
「それだよ。『彼ら』がそれだけすごい能力持ってるなら、なんで宇宙
船でもこさえて宿主ごと移住してこない?」
「宿主達が、滅びを受け入れたから」
おれは絶句した。
「彼らは、自分達の住む星系がどんな状況に陥っているかも、恒星がど
うなっているかも全て把握している。現在の人類以上の科学技術の産物
を活用して自分達がどれだけの存在になれるかも全て理解していたが、
それらを拒否し、在るがままの自分達で在り続けた。平和的な種族であ
る彼らの意志を我々も尊重した」
「そんな、馬鹿な・・・」
「我々は、出来れば彼らを助けたかった。しかし彼らは自らの存在の定
義を現在の肉体の在る場所に求めてはいなかった。だから我らと彼らと
は、行く道を違えた」
「救えないからって、あんたらが精神を操作して緩慢に滅びを受け入れ
させたんじゃないのか?」
「それは侮辱だ。彼らと我々双方に対する差別と言ってもいい。我々を
受け入れる事で人が人でなくなるというよりは、それまでの自分達とは
違う存在になると考えた方が適切だ。レイナを見て理解して欲しい。彼
女という人格まで私が破壊しているわけではないことを」
「でも、あんたという存在は、何度となくレイナを危ない目に合わせて
きたんじゃないのか?おれも1回助けてるしな」
「私は、私という存在が軽々しく受け入れられるものではないことは察
している。弁解の余地は無いくらいに。ただ、白木隆。あなたが存在し
ているのと同じくらいに、私も同じ世界に存在しているという事実は受
け入れて欲しいと思っている」
「おれは、生き残るらしいんだから存在を受け入れることもできるさ。
だけど、死ぬかも知れなかったり、自分じゃなくなるかも知れない他の
大半の人達は、全身全霊を持ってあんた達の存在を拒み、受け入れを拒
絶するだろう。おれがその時庇えるのは、せいぜいレイナとあんたと、
それからもしデキているんなら二人の間の子供くらいまでだ。それ以上
は、正直おれの手には余るよ」
「私にとっては、それで十分。パートナーに受け入れてもらえないくら
い辛いことはないから」
「パートナーねぇ・・・」
おれは頭を掻いた。
「さしあたってだ、EL取締法案をどうするか、だな。これももしかして、
いやもしかしなくても、あんたら絡みで出てきたもんなのか?」
「そう。レイナが質問していた通り。これは、あなたとレイナを守るだ
けでなく、人が見境の無い絶望的行動に陥らないようにする必要な措置」
「ELがワクチンみたいなもんだって言うのか?」
「人による、人に対するワクチンと呼べなくはない」
「戦争も犯罪も無くなるから、か」
「我々は、『その日』が来るまでに無駄に落とされる命の数を可能な限
りゼロに近づけたい。もちろん寿命を全うしようとしている老人達は別
扱いだとしても、望まれていない死を避けることは、人類にとっても我
々にとっても有益だから」
「人の尊厳か、命かの選択か。きっついな・・・」
「ここまで事情を知って、それであなたはどうしたい、白木隆?」
七波にさんに言われた言葉が頭をよぎったが、おれは言った。
「おれは、レイナも、あんたも、自分も、そして他のなるべく多くの人
も助けたい。甘ちゃんだと言われようが、それが今のおれの答えだ」
「わかった。私はあなたを信じよう。白木隆」
「おれは、あんたを信じていいのか?」
「それは私が判断することではない。が、信じてくれるというなら、私
は嬉しく思う」
そして契約を交わすように、おれは中目と口付けを交わした。
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